第2話 劣等感
数日後、おれは占い屋に居た。今日の目的はあの女装野郎のことを聞き出すことだ。おれは女店主に、女装をした金持ちお坊ちゃんを兵隊から助けたことを何気なく話してみた。
「えっ」
店主は慌てて店の外に来客中を示す赤札を出した。おれは客とは思われてなかったのか。他のお客さんが来たら帰らされる程度の扱いなのか。ちょっと失望したが、まだまだこれから挽回しておれがすごい人だと思わせてやる。
「あいつはいったい何者なの?」
おれは質問したが、女店主はそれには答えず、別の質問をおれに投げかけた。
「ねぇ、まだ名前を聞いてなかったよね。名前は?」
「おれはヤヒトさ」
「何歳になるの?」
おれは自分の歳を知らなかった。教えてくれる人が誰もいなかったんだ。だから自分で思っている年齢を言った。
「おれは13歳さ」
おれはこれだけの会話ですでに顔が熱くなっているのを自分でも感じでいた。たぶん顔は真っ赤になっている。そう思うと恥ずかしさに絶えられなくなってきた。
「あら、じゃー同い年ね、私たちって」
「同い年だって! 君って子供だったの!」
おれはもっと大人の、おれより3歳くらい年上の、そう、お嫁に行ってもおかしくないくらいの年とばかり思っていた。そのとたん顔の赤みが少しひいたのが自分でもわかった。
でも別の緊張が湧いてきた。これまではあこがれの女性として、少し遠い存在の女性として見ていたが、これからは対等な立場だ。これから仲良くなっていったらどうなるのだろう。その可能性が出てきたことがわかっただけで、耳の先まで赤くなった。
「ねっ、ヤヒト、なぜ彼を助けたの?」
彼! 彼ってあの女装野郎のことか! とたんにわけのわからない感情がわき上がった。だが、自分はいい人だと思われたい気持ちがそのどす黒いなにかを押さえこむことに成功した。
「おれって困っている人をほっとけない性格なんだ。おれの助けがなかったらあいつは今ごろどうなっていたかわからないよ」
「そうね、いいことをしたと思うよ、いいことをすると自分にいいことが返ってくるんだって、彼がそう言ってたよ」
また彼か。あいつがいったいなんだってんだ。そういえばなぜ兵隊に追われていたんだろう。悪いやつにも見えないが、いや騙されるもんか、きっと悪いやつなんだ、この占い屋もあの女装野郎に騙されているんだ。
おれは、あの女装野郎には近づかないほうがいいと彼女に忠告しようとしたが、この同い年の店主の名前を知らなかった。先決問題は彼女の名前を聞き出すことだ。しかしどうやって聞き出せばいいのかもわからなかった。名前を聞いてもいいのかな。でもまだ一人の客としか思われていないとしたらどうしよう。
「あ、あのさ」
おれは勇気を振り絞って名前を聞こうとした。その時、
「ちょっと待って」
店主は席を立って、表の看板を赤から青に変えた。
「これで彼が来るかもしれない。会ってみる? でもちょっと危険かな」
危険ってなんだ。それよりもあの看板の色は、あいつとの何かの合図だったのか。おれは今まで感じたことのない吐き気にも似た感情を覚えた。
おれは頭の中で妄想ともいえる仮説を立てていた。あいつは盗賊かなにかの使いっ走りなんだ。だから兵隊に追われていたんだ。そしてこの店を利用して街の情報を得ているんだ。この店はなぜか兵隊も寄る。おれはそれを何度も目撃している。兵隊の情報も手に入るんだ。ということは、彼女はあいつの組織に情報を売る役でここに店を構えているのか。
おれのアジトもまっとうな仕事はしていないが、悪というほどじゃない。でもおれはあの女装野郎に負けたくない一心で強がってみせた。
「おれもそうとう悪いことをしているからさ。危険は常につきものさ」
彼女は目を丸くして、アハハッと声を上げて笑った。占い屋というのは人の悩みや情報が手に入る。人の弱みを握れる立場なんだ。それを利用してあいつは悪事を働いているんだ。おれはなんとか優位な立場に立ちたくて、おれの方がもっと悪だと証明したくて自分の悪事を、頭の中で整理しだした。
「君はそんなに悪い人じゃないよ」
突然、店の表側、幕の外から澄んだ声がした。その男の声には聞き覚えがあった。あの女装野郎だ。
「アルター、入って」
彼女はあいつを名前で呼んで手招いた。
あいつは店に入ってくるなり親しげにおれを見た。
「やー、久しぶりだね。ウヤータも久しぶり」
ウヤータ! あいつは彼女の名前を知っていた。彼女はウヤータっていうのか。さっきのどす黒い気持ちと違って今度はムチで打たれたような敗北感でいっぱいになった。ここから逃げ出したかったが、ここで逃げたら完全に負けを認めてしまうことになる。おれは自分のほうが大人だといわんばかりに尊大な態度にでた。
「やあ、君は女装が似合うね。おしっこはどうやってするのかな」
おれは言ったそばから後悔した。なんてことを彼女の前で言ってしまったんだ。おれはこんなにもくだらないやつだったのか。自分で自分を貶めてしまったことに気づき、思わず下を向いてしまった。
「あはは、君と同じだよ。なんなら飛ばしっこするかい。アハハ」
「アルターったらもう。アハハ」
おれの失言を話の種にしてふたりで盛り上がっている。こんな女装野郎に負けたくない。彼女の前で、こいつを打ち負かしたい。でも、おれはすでに敗北感でいっぱいになり、おれの心は小指の先くらいの大きさに縮こまってしまっていた。
「大丈夫、魂は傷つかないものなんだ。それにぼくは君に感謝しているよ。君の勝ちだよ」
アルターはそう言ってニコニコと笑っている。おれは自分の心を見透かされたような気がした。おれはアルターに助け船を出されたことにも気が障り、言い放った。
「まあね、おれがいなかったら君は兵隊に捕まってたんだから、礼を言われて当然さ」
ウヤータはアルターに聞いた。
「ねぇ、魂は傷つかないってどういうことなの」
「うん、魂は純粋な光なんだ。傷ついたように感じるのは心だったり精神だったりするのさ、魂は絶対に傷つかない、魂は神そのものなんだ。神の光は常に輝いている。だから傷ついたと感じても、神は常に自分の中にいて力を与えてくれていると思えばいいのさ」
「わかったわ、神は心の中にいるのね」
おれは、ここぞとばかりに笑いだした。
「おいおい、神は心の中にいるだって、なにをバカな。神は天空にいて、人間の願いや祈りを叶えるために降りてくるのさ。おれは前王の火の儀式に出ていたから知ってるぜ」
前王という言葉が出たとたん、アルターは緊張した面持ちになり、真剣な眼差しをおれに向けた。あぁ、おれはまた変なことを言ってしまったんだろうか。アルターはおれに向き直り言った。
「君は前王が好きかい」
「ああ、前王はおれに直接話しかけてくれたこともあるんだぜ。とってもいい王様さ」
アルターは再びおれを見て言った。
「今日、君に会えてよかったよ。改めて、自己紹介するよ、ぼくはアルターって呼ばれている」
「おれはヤヒト」
ここでウヤータが口を挟んだ。
「私たちみんな同い年なんだよ。見かけはね」
「同い年だって」
おれは甲高い声を出してしまった。どう見てもアルターは年上に見えるからだ、となると一番子供っぽいのはおれってことになる。おれは再び下を向いてしまった。でもここで何か言わなくちゃ、おれはますます二人から遅れてしまう。おれは適当なこと言った。
「見かけ? 見かけってどういう意味?」
おれの疑問にアルターが答えた。
「人間というものは過去世の記憶がないからこそ生きていられる。
もし、何万回と繰り返してきた輪廻を覚えていたら、おのれの醜さに、発狂するか自殺するかしてしまうだろう。だから、おのれが犯した罪を、卑怯さを、くだらなさを、浄める方法を、何としてでも見つけ出すんだ。この生涯で、必ず」
「ほら、アルターったら、変でしょ。お爺さんでもこんなこと言わないわ。見かけ以上に年寄りっぽいのよ」
ウヤータが笑いながらおれに同意を求めてきた。ウヤータがおれに、おれに同意を! おれは天にも昇る気持ちでいたが、すこしは学があるところ見せて二人に追いつこうとして、ある老人から聞いた話をした。
「目には目を、歯には歯を。これは今では復讐の言葉となっているけれど、元々は違う意味なんだ。相手の目を攻撃すれば、来世には自分の目がつぶされ、歯を攻撃されるのは前世で他人の歯を攻撃したからさ。いずれ自分の身に降りかかってくるんだ。だから他人を傷つける行為はしてはならないのさ。この格言はそれを表しているんだよ」
「そのとおり! ヤヒト、君はなんて素晴らしいんだ。君は今日から仲間だよ」
アルターは柄にもなく興奮気味におれにいった。
おれは今までの人生で仲間なんて言われたことがなかったので、嬉しかったが、それよりもアルターより優位な立場に立てたことのほうが嬉しかった。
おれは、これ以上二人の会話に合わせていたら、ボロが出てしまうことを恐れて店を出た。結局、店の中で二人が消えたことや、アルターが何者なのかは分からなかったが、店主の名前がわかっただけで十分な収穫だった。