第2話 「足下の落ち葉を拾ってください」
第2話 「足下の落ち葉を拾ってください」
会社はヒマだった。人も来ないし電話も鳴らない。まぁこんなもんだよな。こんな日に会社に行く方がどうかしている。テレビのニュースをつけて都内の混乱ぶりを見ながら、みんなこんな日に出かけなきゃいけないなんて、このネット時代にどうかしてるぜ。おれも早く帰りたいな、などと思っていたら、悲劇は突然やってきた。
なんと、台風の影響で宿直担当の同僚が会社に来られないので、今日の宿直を変わってほしいという電話。
「いいけど、じゃー、10月1日の宿直とコンバートしようよ」
間引き運転の影響で超満員の電車で帰るよりはマシと思ったので交渉がまとまり、宿直になった。
職場は店舗が1階にあり、2階より上階が仕事場。水に関わるいろんなものを売っている。夜8時、受付の女性と替わって案内カウンターに座ったが、今日はお客さんもほとんど来なかったので、この時間はもう誰もいない。
夜8時50分、全館に「蛍の光」が流れ、夜9時、警備員さんが、館内の電気を消しながら玄関まで来て、外玄関のシャッターを閉め、施錠した。
おれは最後の一人となったのを確認して、やれやれ終わったかと思いながら、事務所内に戻ろうと席を立ち、数歩歩いたところで、
「足もとの落ち葉を拾ってください」
と声をかけられた。やさしそうな女性の声で。
ん~? 誰もいないはずだがな? うん、誰もいない。非常灯しか灯っていない館内を見回しても誰もいない。閉門後に誰かいたらマズイのだ。足もとの落葉って?
声のした方を見るとそこに観葉植物があった。パキラっていう、よく見かける観葉植物。直径が50センチ、深さ50センチくらいの大きな植木鉢に植わっている。パキラの背丈は120センチはある。
足もとの落葉? 見ると、植木鉢の外、フロアーに葉っぱが落ちてしまっている。足もとの落葉ってこれかなぁ~? 落ちている葉っぱを拾うとパキラが
「ありがとう」
と言った。
植物がしゃべった! たしかに聞こえた。耳から聞こえたというよりも、耳元の、耳の内側に響いたという感じ。
「足もとの落葉を拾ってください」という恥ずかしそうな声。「ありがとう」という静かなやさしい声。
人間だって髪の毛とか落とすと、恥ずかしいなぁと思うよね。植物だって自分の落としたもので周囲が散らかるって、恥ずかしいことなんだ。でも木はどうすることもできない。
あー、葉っぱを落としちゃった、みっともないなぁ、困ったなぁ。
植物はきっとそう思っているに違いない。今度から、落葉を見たら拾ってあげるようにしよう。そんなことを思った。
翌日、10時、宿直明けで仕事から解放された。
何もする気がおきないので、家に帰ることにした。家でゲームでもしながら寝落ちしよう。それが一番気持ちがいい。
駅前の不動産屋の近くまでくると、昨日起こしてあげたバラの植木鉢があった。そういえば昨日の夜、パキラに話しかけられたなぁ。あれは何だったんだ。と思いながら植木鉢のそばまで来たときだった。
「昨日はありがとう」
はっ! またしても声がする。耳の内側あたりに確かに聞こえた。女性? 男性? 中性的というのかな。気品に満ちた声が確かに聞こえた。おれはしばらくそこに立ちすくんで、次の言葉を待ったが何も聞こえなかった。
うーん、これはどうしたことか。これはなんというバラだろう? バラの種類などわからない。こちらから話しかけてみようか。しかし往来で植物に話しかけてる人ってちょっと変だよな。
おれは不動産屋のアパート情報に目をやるふりをして、しゃがみ込み、バラに話しかけようとした時だった。
「私たちはあまりお話はじょうずではないんですよ」
一瞬である。一刹那のうちに思念というのか、耳の内側にバラの思いが広がった。
「私たちはめったにしゃべりません。人間でも無口な人を想像してください。ものすごい内気で恥ずかしがり屋の人を。話しかけても、うつむいて黙っちゃいますよね。
私たちってそんな感じです。よっぽど訴えたいことや、困ってることがないと黙っています」
「そ、そうなんですか? でも昨日はパキラがお礼を言った声が確かに聞こえたんだけど」
と小声でバラに自然に話しかけてしまった。バラは言葉をつづけた。
「そのパキラさんは、観葉植物として美しくフロアーを飾らなくちゃいけないのに、かえって床を汚してしまった。その罪悪感と責任感で、やむにやまれず話しかけたのでしょう。
そのフロアーは朝晩従業員が一生懸命掃除をして清潔にしていることをパキラは見て知っているから、恥ずかしさをこらえて訴えてきたというわけですね。通勤途中に倒れた植木鉢を起こす人なら、落ち葉も拾ってくれるかもしれない。その期待を力に、勇気を振り絞って話しかけたのでしょう」
「えっ、ということは、あなたたちはそういうことを知ってるの、全部わかっちゃうの?
あれ? もしもーし。あれれ?」
それ以来、バラの声は聞こえなくなった。しゃべりすぎた。そんなバラの思念を感じた。おれはとりあえずバラを写メして家に帰った。
ネットでバラの種類を探す。本屋でバラの本を買う。不動産屋でバラの名前を聞く。いろいろやってみたが不動産屋のバラの品種はわからない。だいたいバラは種類が多すぎる。
名前がわからないのではしょうがない「名無しのピンク」と呼ぶことにしよう。それから毎朝、「名無しのピンク」におはよう、とかガンバレとか声をかけたが、無反応だった。
無反応というかこれが当たり前だよな、と思い直すも、あの気品に満ちた声が忘れられない。もう一度、声が聞きたいと思い、それからも毎日、声をかけ続けた。
十月も半ばとなるころ、「名無しのピンク」はたくさんのつぼみをつけた。秋バラの季節らしい。そして開花。バラの花など観賞したことのないおれは「名無しのピンク」の花びら一枚一枚のウエーブやら、色の鮮やかさに魅了された。
バラの季節は関東では11月くらいまでらしいが、「名無しのピンク」は12月末になってもつぼみをつけ、2~3輪ずつ咲き続けた。元気だな。おれもがんばろう、と逆に「名無しのピンク」に元気をもらう日々だった。