第17話 不幸自慢
10月1日
満員電車に乗って会社に向かう。ところが今日は目の前の席に座っていた人が降りたので座ることができた。超ラッキーと思ったがいざ座ってみたら隣りのヤツが異常に臭かった。おれは会社に着くなり同僚にグチる。
「電車で座ったら隣りのヤツが臭くてさ。こんな不幸なことはないね」
同僚A「おれなんかさー、隣りのヤツがズボンのポケットからスマホを出そうとするからさー、肘がおれの脇腹に当たって、もうくすぐったくてさー、あれも地獄だよ」
負けじとおれが言う。
「そうかぁ、おれなんか電車から降りるときに足を踏まれて、痛くてさー、その拍子でつんのめったら前を歩く女の人にぶつかっちゃって、痴漢に間違われるしで、ホント災難だったよ」
「不幸自慢は楽しいですか?」
うおっ! ビックリした。ネザか。昨日からポケットに入れっぱなしだったのを忘れていた。
「よく生きてたな。不幸を自慢しちゃ悪いのか」
「自分の身に起こった悪い出来事を人に話す。そうすると、もっと悪いことはないかと脳は過去の出来事の悪いことだけを探し出す。そしてレーダーのように現在、未来を監視し、未来に起こりえる悪いことを見つけて、それに向かって突撃する。不幸を現実にする体質になっちゃうよ。だから不幸を自慢しちゃだめなの。
他人の不幸を口にすることも厳禁です。脳は自分にも同じことが起きる道を探し出して、不幸に向かって突撃するからね」
同僚A「おい、誰と話してるんだ。よく生きてたなって、くすぐられたくらいじゃ死にはしないよ」
「えっ、そ、そうだな、ちょっと妖精さんと話をしていて、ハハッ」
同僚A「救急車を要請するぞ!」
自分のデスクに座って、ネザに小声で話しかける。
「人間ってさ、自分の不幸までも自慢して、他人より優越感に浸りたいのさ。でも一番好きなのは他人の不幸なんだよ、わかるかな? そして自分だけ幸せになりたいのさ。これが普通の人間の考えてることで、行動の基本なんだ」
ネザは言う、
「自分が幸せになりたいと望むことは良いことですね。で、その自分の幸せを右足としましょう。そして自分以外の人の幸せを左足としましょう。自分の幸せを前進させたい時はどうするの?」
「決まってるだろう、右足を前に出すのさ」
「もっと幸せになりたい時は?」
「もっと右足を前に出せばいいのさ」
「では、もっともっと幸せになりたい時は?」
「それ以上右足を前に出したら、股が裂けて倒れちゃうだろ」
「だったら、いったんは左足を前に出さないとね。自分がもっと楽しく、幸せになりたかったら、いったんは他人の幸せのお手伝いをする。そうすればまた右足を前に出せるよ」
「うーん、でもそれだと他人も幸せになっちゃうんだろ、おれは自分だけが幸せになって、他人はむしろ不幸になった方が楽しいんだよ。その方が自分の幸せを実感できそうじゃん。植物なんかに人間の気持ちはわからないのさ。他人との差、それこそが幸せなんだ」
他人なんかどうだっていい。人間代表のおれは、ネザに人間心理ってやつを教えてやった。しかしネザは、
「でも、数歩歩いて、後ろを振り向けば、歩った分だけ前に進んでいるよ。他人なんかどうだっていいのなら、他人も一緒に歩っちゃったことは気にならないはず。だって他人はどうだっていいんでしょ。自分は確かに前に進んだんだという実感を持てばいいんじゃないの」
「おもしろくないな。自分だけ前に進む方法はないのかな」
「じゃあ私の枝につかまりなさい。遠心力で遠くに飛ばしてあげる。それなら自分だけ前に進めるよ」
「おおっいいね! それお願いします」
「はい、有料で受け付けてます」
「有料かい! 自分だけ幸せになろうと思ったら有料なのかい」
「自分で歩く努力をしないで前に進む物はすべて有料でしょ。幸せも同じです」
ネザは言葉を続ける。
「幸せにしてあげますとか、願いがかないますとか、そういうものに頼っていると、最初はいいけれど、いつの間にか自分で歩けない人になるよ。歩かなくても済むズルイ方法はないかと探す人となって、自分で歩いてきた人との脚力に差が出て、結局は抜かれてしまうんだよ」
「おれ、脚力なら自信があるぜ」
「この場合の脚力とは、考える力、努力する力、行動する力のことだよ、あんたが得意なのは脚力じゃなくて忘却力でしょ」