中編
予定時間よりも少し早めに勤怠を付けて私はロビーで竹内くんを待っていた。何でこんなことになっているのだろう。当然のことながら現状に疑問符が並んでくる。
竹内アカツキくんは後輩だ。同じ部署で、隣のグループ。島が近いしよく顔を合わせることからある程度の会話はしたことがある。彼と同じグループの後輩女子社員がイケメンだと盛り上がっていた時期もあった。上司受けも良く、仕事も出来ない方ではない。ここまで来たところで私の持っている竹内データは終わってしまった。
何だ、これ以上の情報はないぞ。そして何より口が悪くて意地も悪い印象なんて無かったし、そんな話聞いたことも無い。明らかな上から目線で馬鹿にされ、挙句弱みまで握られたような形になっている。
「…何かおかしくないか?」
ふと我に返って首を傾げてみた。何でこんなことになっているのだろう。
「早いですね、清水さん。お待たせしました。」
そう言われて顔を上げると、そこには待ち人である竹内アカツキの姿があった。思わず顔をしかめてガン見をしてしまう。
「行きましょうか、お薦めの店があるんです。」
いかにも爽やかなその様子に合点がいった。外面だ、外面がいいタヌキだったんだコイツは。
「二面性~っ!」
悔しくて唸るような声で睨みも付け足した。しかし彼は爽やかに無視をして前を歩いていく、心なしか口の端で笑われているような気がして腹が立った。構内を出て歩いていく彼をひたすらに追っていく。
「あんた車だろ?ナビするから乗っけてってくんない?」
「どうぞご勝手に!」
もう半分以上はやけくそだった。人の目が少なくなった途端に地か何か知らないが爽やかとはかけ離れた態度を出してくる竹内くんに腹が立つ。なんて失礼な奴だ。そんな態度をとるということはつまり、私は軽視されているということじゃんか。
“あんた男性経験少ないの?”
さっき言われたばかりのセクハラ発言が思い出されて目の前の背中を殴りたくなる。余計なお世話だ、お察しの通り指が3本しか立たないわよ。本当に図星だから余計に腹が立つ。また竹内くんが明らかに経験豊富そうだから怒りが増幅されるんだ。
「昔の恨みとか言って刺されたらいいのに。」
胸の内の留めておけなくて小さな声で吐き捨ててやった。それくらいしか抵抗できない自分の小ささが露見してさらに空しくなったのは言うまでもない。
「どれ?」
駐車場で尋ねてくる彼に答えず、私はキーロックを遠隔操作で解除した。ハザードの点滅と電子音がその居場所を知らせる。
「いい車じゃん。」
意外にも褒められて嬉しかった。車の運転が褒められたものじゃない私は軽自動車を買うことが許されなかった。小型の普通車はなんの飾り気も無いままペダルだけがアルミペダルに変えられている。当然の様に先に助手席に座る竹内くんに最早突っかかる気持ちも無くなっていた。そう、私は諦めたのだ。
「女子らしくない車だな。買ったまま乗ってるって感じ。」
「飾るの好きじゃないの。でも女子力低下防止でクイックルワイパーとかは入れてある。」
ドアポケットからそれを取り出して見せると竹内くんは驚いた表情を見せてから大笑いをした。良かった、うけた。ナビされるまま向かったのは何の変哲もないファミレスで、どこがお薦めの店だよと心の中で悪態を吐いたことはばれていない筈だ。
「いつメッセージが来るか分かんないからな。長居できる場所のがいいだろ。」
聞く前に口にした竹内くんにまたも私は固まった。ばれていない筈だ?普段なら少し意識する異性との食事も不思議と構えることなく出来た様に思う。仕事の話や同僚の話、他愛のない話をしていたところにメールの受信を知らせる音が響いた。
「…来た。」
画面を開いてみれば竹内くんの予想通りに課長からメールが届いていた。しっかりと読んではいないがパッと見で浮かれ度が伝わってくる。
「おーおー。絵文字使いまくりだな。」
そう。ハートこそ遠慮したのか明らかに私用だと言わんばかりの見た目に初めて課長の下心に触れた気がしてゾッとした。気持ち悪い。そう口にしようとしてなんとか思いとどまった。私にそれを言う権利はない、これを呼び寄せてしまったのは間違いなく自分自身なのだと改めて痛感する。どれだけ画面を眺めていても全く内容が頭の中に入ってこなかった。
竹内くんも私の変化に気が付いているのだろう。何も言わず私がどういう態度をとるのか見定められている気分で居心地も悪くなった来た。これが身から出た錆というヤツか。
「お疲れ様です。お誘い頂いた件ですが、彼に怒られてしまいまして申し訳ありませんがお断りします。」
淡々と聞こえてきた低い声に思わず私は顔を上げた。
「ほら、返信。」
顎でスマホを指すと私は慌てて返信画面を出して操作をする。
「この番号も個人的なものなので以後控えていただけると有難いです。」
言われたように文章を作っていくと送信しろと言われ何も考えずに従った。送信完了、その表示が出て気が付く。
「私、彼氏いないんだけど!」
「嘘も方便つーだろ。そんな反応が返ってきたら最近できたって言ったらいい。」
「本当に?」
「ほら、また来たぞ。」
促されて開いてみれば、さっきよりも絵文字少なめだが同じ様な浮かれ度を思わせる文面が来ていた。
「予想通りだな。」
今まさに私が呟いたことが書かれてあって驚いた。彼氏はいないでしょう、そう決めつけの言葉に多少の怒りも覚えたけどここは我慢だ。
「最近巡り合えました。とても素敵な人です、紹介しますので会ってあげてください。」
「ええっ!?」
「送れ。」
「ええー…。」
何だこの展開は。半分泣きべそかきながらやけくそで文字にして送り返してやった。紹介しろと言われたらどうしよう。なれそめを聞かれたらどうしよう。そんなことを考えながら悶々としていると不意に異変に気が付いた。あれ。返事がこない?
「あれ?」
「これで終了だな。既婚者はギャンブルには出ませんっと。」
アイスコーヒーを飲み干しながら竹内くんはつまらなさそうに身体を椅子に預けた。私はと言えばスマホと竹内くんの交互を見つめて状況を理解しようと試みる。あれ。本当に終わったの?
「彼氏がいるからって断れば大抵は終わる。それでもしつこく言ってくる奴は本気だからちゃんと相手しなきゃ駄目だけどな。誠意を示せよ?」
「あ、うん。…分かった。」
終わったはいいけど、これから先どうしたらいいのだろう。相手は課長で仕事上関わりは無いとは言い切れないのに。
「何も無かったように接する、それが一番だ。あのおっさんだってそこまで執着はしないし馬鹿じゃない。」
「そんなもん?」
「あんただって無意識にやってんだろ。気付いてもらえず散った野郎を何人か見たぞ?」
「ええっ!?」
「残念ながら周りが見えていない鈍い女ってこった。用も済んだことだし行くぞ。」
驚きと苛立ちをほぼ同時に与えた天才的な男は何事も無かったように立ち上がりそのまま荷物を持って歩いていった。慌てて荷物を持ち伝票を手にしようとして私は固まる。
伝票が、無い。まさかと思って竹内くんの姿を追うと予感は的中していた。
「ありがとうございましたー。」
やる気のない店員の声を背に受けて竹内くんはドアをくぐっていく。お会計は既に終わっていたようだ。ってことは。
「ま、待って!私の分…!」
こんな出入り口で騒ぐと失礼になると思い私は咄嗟に口を閉ざして懸命に彼の背中を追いかけた。我が物の様に私の愛車の横で待つ竹内くんにロックを解除する。私は平然と先に乗り込んで落ち着く竹内くんに改めて声をかけた。
「お金、確かこれくらいだったと思うんだけど。」
そう言いながら財布からお札を取り出すと竹内くんは手で遮って拒否の姿勢を示す。
「いらね。面倒だから奢ってやる。頑張ったご褒美だと思えばいいよ。」
前を向いたまま顔も合わせず言ってくれた言葉に何故か勢いを失われた。そうだな、ここは甘えとこうかななんて思ってしまう自分にも驚きだ。
「ありがとう。…じゃあ今度、機会があったら私がご馳走する。」
何だか嬉しくなって歌いそうなリズムで声が出た。自然と零れる笑みを浮かべながら財布を閉まっていると横からの視線に気が付き目をやる。え、睨まれてる。
「あんたさ、それ地でやってる?考えなしにも程があるぞ。」
「な、何が。」
「好きな奴、彼氏以外の男と二人きりの時は次に繋がる発言はするもんじゃねえ。相手が誤解する。」
「でも社…。」
「社交辞令でもだ。大体、独身で若いってだけで女はモテる様に世の中できてんだよ。基本男はアホなんだ、すぐ調子に乗るし下半身で生きてる様な奴もかなりいる。まあ女にもいるかもしれないけど、数でいうと明らかに男のが多い。いいか、ブスでも彼氏がいるのはそういうこった。少しでも好きになればそいつが世界で一番かわいく思えるんだよ。中毒みたいになんの。面倒くさい奴の相手をしたくないなら可能性は全て切り捨てろ。」
なんというマシンガン。いや、確かにこっちが口を挟めないような勢いだったけど早口ではなかった。一つ一つ説得力があるような無いような、とにかく理解させられる言葉にただただ飲まれていったような感じだ。つまりは何だ。
「隙がある…てこと?」
「誤解されやすいってこった。…あいつらの言ってた意味がよく分かったよ、まったく。」
あいつら、それが誰を指すのか分からず目を細めて顔で尋ねると、竹内くんは面倒くさそうに頭を掻きながら口を開いた。
「あんたを口説こうとした奴ら。好意的だし簡単に落とせそうだと思って近付いたら難攻不落だったってさ。どうせあんた、興味のないことはバッサリ切ってたんだろ。会話にしても誘いにしても。」
おっと、それは少し図星だぞ。私は少し目を泳がせながらも納得がいかず言い返すことにした。
「なんでそう思うの。」
「社交辞令をやたら口にする奴って上の人相手にしか考えてないのが多いからな。どうぜ同僚とか先輩くらいだったら気軽に適当な会話してんだろ。私興味ないですって平気で言えちゃうタイプ。」
お見事です。見事に大当たりした私は思いきり肩を落として撃沈した。
「小悪魔だ、何だと言われてたけどな…それが計算じゃないってことは今日でよく分かった。あんた、鈍いだけだ。」
鈍いの言葉に私はさらに項垂れる。私の可愛らしい記憶力では今日何回かその言葉を聞いた気がする。自分ではそんなつもりは無かったのに、ていうか鈍いってちょっと可愛らしい響きでもあるのに竹内くんの口ぶりからすると罪に値するようだ。
「あんたいくつだよ。」
これも今日何回目かだな。
「…もう若いから可愛がられるって年でもなくなってきたね。」
27歳、結婚適齢期。後輩も増えてきた社会人5年め。この情報だけでももう若いとは言われないし言えないことは分かってる。それがドドンと大きな音を立てて目の前に突き付けられた感じだ。
「私…痛いのかー…。」
それはかなりショックだ。クラクションを鳴らさないように慎重に頭をステアリングにくっつけて顔を隠す。目の前に映るのはスピードメーター、今は何を見ても塞ぎこみたくなりそう。
27歳の自分は27歳標準のノウハウを身に付けていたいと思っていた。結婚を焦っていない訳じゃないが、カッコいい30歳になる為にはそれまでの経験も大事だと考えてる。周りが見えて品があって、マナーやエチケットも完璧で、そんな大人の女性な30歳になりたかったのだ。でもこれじゃあ無駄に年を重ねているだけじゃん。
「人生経験値が低すぎる…。」
憧れる年上の女優さんみたいにスマートになりたい、あんなカッコいい年の重ね方をしたいのに憧れは憧れでしかないのかな。
「んなこっちゃないだろ。」
完全に落ち込んだ私の耳に入ってきたのは、うっかり存在も忘れそうになっていた竹内くんの声だった。
「仕事は知らないけど、普段からの補佐や振る舞いは気が利いてるって評判だし。仕事も頼みやすいし、何より気を遣わせない態度は上司が褒めてたのを聞いたことがある。」
突然の言葉に驚いて私は目を見開いた。特別ではなく世間話でもするような普通の調子で話す言葉は嘘ではないのだと感じさせてくれる。
「…本当?」
「嘘言ってどうすんだよ。」
呆れ交じりの言葉が返ってきて可笑しい。その言葉に促されて私は丸くなっていた背筋を伸ばすように体を起こし涙を堪えるように上を向いた。口元にも力を入れる、短い息を吐いてまたしっかりと口を閉じた。良かった、嘘でも嬉しい。
「ありがとう。」
それが嘘でも本当になるように頑張ろうと素直に思えた。ありがたいな。竹内くんは苦笑いで息を吐くと遠い方の左手を伸ばしてきて私の頭に触れた。