後
「ビィータ、エド。トリヴァノ国、終わりだってね」
クーヘン皇国の若き皇帝、オスカーの執務室。世間話と同じノリで、オスカーは大切な側近であるビィータとエドに伝えた。
二人は書類の手を止めると、自分の感想を口にする。
「案外、粘った方だな」
「そうですか? 僕はもう少し持つとは思っていました。だって、待ち望んで担ぎあげた聖女の為ですよ? そういう熱狂は凄まじいと聞きましたから」
「でも、戦力差は勢いだけで補えないからね〜。愚直に進むだけで、何の策もなかったらしいよ〜」
のほほんとオスカーは笑う。深緑の髪を横に流し、糸目で温和な印象を与える男。
その中身は、巧みな話術で近隣国を掌握している恐ろしい皇帝だ。
トリヴァノ国とクーヘン皇国は、物理的にも国際的にも距離がある。しかし、縁あって皇帝夫婦とヴィクター達は出会い、友人として仲を育んだ。
だからこそ、ヴィクター達は亡命先をここに決めていたのだ。
卒業パーティーの日。転移魔法で身一つで城に飛んできた四人を、クーヘン皇国は歓迎してくれた。
ヴィクターとエルドラドの頭脳にネールの剣技は即戦力だと、前皇帝夫婦までもが諸手を挙げて喜んでいた。
皇帝の側近に皇妃の護衛と、平民同然の身分に釣り合わない地位が用意されており、流石に目を丸くしたものだ。
キルシェは嫁いできたばかりの皇妃、フランティクスのマナー教師として任命された。
クーヘン皇国より遠く離れた小国の令嬢だったフランティクスは、濡れ羽色の長い髪が印象的な物静かで美しい女性だ。
自分からは動かないが人を支える力があり、たまたま見かけて一目惚れしたオスカーの重すぎる愛と強い独占欲を一身に受け止める強者でもある。
しかし、文化の違いから常識がズレている事が多々あり、マナー係を選ぶにしても皇妃を狙う貴族達の派閥の所為で決まらない。
よって、派閥が関係なくマナーが完璧なキルシェは諸手を挙げて喜ばれた。
それぞれがビィータ、エド、ネリィ、ルウシェと名前を変え、クーヘン皇国で生活を始めたのが半年ほど前。
そう、卒業パーティーの日から、たった半年しか経っていない。
にも関わらず、トリヴァノ国は破綻した。
ビィータとエドはその原因にため息しか出ない。
「全く……わざわざ身辺調査の話題を出したというのに。父もファニットも、誰一人として何もしなかったのだな」
「噂では、聖女をよいしょするだけだったらしいですよ」
「君達の母国を悪く言いたくないけど、聖女ってだけで全肯定はよくないよね。エドが調べた内容を読ませてもらったけど、ランちゃんも有り得ないって言ってたよ」
冷静な他国のトップからの意見に、ビィータもエドも再びため息をつくしかできない。
国王達は気づかなかったようだが、キルシェに付いた三人が彼女の訴えを無視するはずがない。
密かに調査しており、その結果を見てわざと見逃していたのだ。
何せ本物の聖女、ダフネはとんでもない女だ。
幼少期より顕示欲が強く、欲しいと思った物は無理矢理にでも手に入れる。自分より弱い相手を虐げて高笑いし、見た目のいい異性を傍に居させる。
挙句の果てに、女児愛者の商人相手に娼婦紛いの事を行っていたのだ。それも、一度したらそれをネタに脅し、更に高価な物を強請る。
根っからの悪女と言えるだろう。
癒しの力も、部屋に忍び込んでいた猫で遊んでいた時に発現したものだ。元気を取り戻した玩具を、飽きるまで同じように遊んで路地裏に捨てたという。
それを目撃した両親は、ダフネの幽閉を決めた。聖女になって権力を手に入れたら、何をするか分からないからだ。
その思いに、三人は応えることにした。
そもそも、癒しの力がなくても国は回っている。その様な劇薬の人物を、王宮に招き入れる必要がなかったのだ。
「しかし、聖女が発見されたのは予想外でしたね」
「でも、それが無ければ立太子してたから、国を出るにはタイミング良かったんじゃない?」
「そうかもしれないな。ただ、立派な人が亡くなってしまって残念だ」
「わかる〜」
聖女の親という肩書きよりも、愛国心を取ったダフネの両親。どうやら、馬車の事故で二人共が命を落としたらしい。
下級貴族の手入れ不足が原因で、嫌々ながらに保証金を部下に渡しに行かせて発見に至った。
そこから早急に国王まで連絡が行き、聖女保護となった訳だ。
卒業パーティー後、聖女と王太子となった第二王子の婚約が即座に発表された。
だが、高価な調度品ばかりの城に、見目麗しい貴族達。
ダフネの欲望はすぐに爆発した。
権力を駆使してハーレムを作り、気に入らない侍女は甚振り、ドレスや宝飾品を買い漁る。
それを国王を始めとした高位貴族が容認しているのだから、タチが悪い。
トリヴァノ国は中堅あたりの国だ。財政は豊富とは言いがたく、税を上げるにも限度がある。
流石に苦言を呈した国王に対して、ダフネは笑顔で言い放ったと言う。
金がないなら、ある所から奪えばいい。
癒しの力を使えば、負傷した兵もすぐに回復する。勝機があると乗り気になった国王は、騎士団と有志を募って隣国への進撃を開始した。
だが、隣国は他の国と小競り合いを何度かして戦慣れしている。
対して、トリヴァノ国はここ数十年において戦の記録はない。
「世紀に轟く馬鹿だな。血が繋がっている事が嫌になる」
「え、じゃあ子作りしないの?」
「は? 俺とルシェの子が愚か者になるはずないだろ?」
「そうですね。ビィータなら、負け戦確定だとわかりますからね」
いくら負傷が治るとはいえ、個人の力は微々たるもの。結果として、何度も死にかけて心が折れる者が続出した。
隣国も討ち取る方向から生け捕りの方向へ舵を取り、少なくなった騎士が散り散りに逃走という結果で終わった。
予想できた有様に、ダフネは酷く癇癪を起こしたらしい。男漁りも女いびりも贅沢も、鬱憤を晴らすかのようにエスカレート。
ここまで来ても、聖女を敬う事を止めない高位貴族達。
国民は限界となり、各地で反乱が起きた。数少ない騎士では抑えきれず、王族は厚顔無恥にも他国に支援を要求。
それを受け、他国全てが反乱を支援するという珍しい出来事が起きた。
地方、重要都市と次々陥落し、ついには王都も陥落した。
トリヴァノ国全土は隣国が支配下に置き、民の生活を保証しながら王族の処刑準備中だという。
「だらしないにも程がありますね。ネリィがいたら、もっとよい策を立てて隣国を押したというのに。聖女というのは、周りを愚かにする生き物なんでしょうかね?」
「そもそも、あんな性格の女に力を授けた意味が分からん」
「分かるわけないよ〜。神様の考えだよ? 意味があったんでしょ、きっと」
「意味か……」
「フランティクス様の母国では、目に余る聖女を処刑した記録があると言います。それを踏まえると、王族の素質を試す試練なのかもしれませんね」
「は、ボクはその話知らないけど? ボクのランちゃんとボクの知らない事を共有しないでくれる?」
「許容範囲が狭すぎる」
雑談しながら、いつの間にか三人は書類を進めている。話が途切れてカリカリとペンの音だけが響く。
不意に、オスカーが再び口を開いた。
「まぁ、この話がここに届いたの、一週間前だけど」
「え?」
「は?」
思いがけない暴露に、驚愕の声が漏れた。
国家間の距離を考えると、どれだけ重要な事実でも届くまで三日はかかる。
それを踏まえると、トリヴァノ国破綻は十日前という話になる。
何故黙っていたのか。視線で問いかければ、オスカーは困ったように頬をかいた。
「全部終わってから話そうと思ったんだけどね〜。処刑が終わってないんだよ」
「何かあったのか?」
「大アリ。翌日には処刑が始まったらしいけど、聖女様がかなり生に執着しててね〜」
聖女、王族、並びに宰相や騎士団長、アタラッテ公爵を含めた戦争に積極的だった高位貴族達。民衆の前での斬首刑として、罪が軽い順にギロチンにかけられた。
最初は順調だったが、騎士団長の番からおかしくなった。
首を落とした瞬間に首と胴体が光り、収まった時には元通りになっていたのだ。
あまりにも不気味な光景に、誰もが目を疑ったという。
騎士団長の番を飛ばし、宰相やアタラッテ公爵、国王に王太子に聖女とギロチンにかけたが、結果は同じだった。
異様な光景に、誰かが呟いた言葉が大きく響いた。
あれは聖女ではなく魔女だ。
その一言で恐慌状態になった民衆は、隣国の騎士達の制止を振り切って六人を手近な木にくくりつけ、火を放った。
燃え上がる炎の中で、断続的に癒しの光が発動し続けている。それに伴い、断末魔がいつまでも止まないという。
「止まないって……まさか、今も?」
「終わったって聞かないから、そうだろうね〜」
「……無意識に癒しの力が発動しているのか」
死にたくない。まだ贅沢していたい。心の片隅にある願いが力を発動させ、自身と絶対の味方を回復し続けている。
火あぶり中の当人達にとっては、地獄としか思えない状態だろう。
「ルシェへの態度に憤りは感じていたが、ここまで苦しめとは願っていないんだが」
「聖女を甘やかしすぎた結果かな〜?」
「でも、これは僕達がどうこうできる問題ではありませんよ」
「……そうだな」
これ以上、この話をしても仕方ない。そう考え、三人は書類を捌く作業に戻った。
魔女一味の処刑終了の知らせが届いたのは、それからさらに一週間が過ぎた日だった。
読んでいただきありがとうございます。
拙い部分はご都合主義ということで何卒。




