野良猫少女と神無月のウロ
アキアカネが鳥居を潜らず灯籠に群がる。
神社に祀られた山神は留守にして出雲へと出向いているから、礼儀がなってないと怒られる心配はない。
過疎化が進行している田舎町と、県内では都会のような扱いを受ける市街地を隔てるように聳え立つ小山の中腹。
多種の樹木から包囲されたように建つおんぼろ神社は、今日も相変わらず参拝者はいない。
拝殿にある賽銭は煤と埃と蜘蛛の糸だらけで、定期的に清掃を行なっていないのが一目瞭然だ。
そこへ続く参道は落ち葉と椎の実に紛れて、道筋が分かりにくくなっている。
こんなに誰にも相手にされないとなると、もしかしたら出雲の集会に向かった神様もそのまま帰って来ないかもしれない。
しかしこの神社の敷地内には今、一人の少女が社殿裏にあるクスノキの樹洞の中で胎児のように丸まって眠っている。
「……」
上体が膨らんですぐさま吐き出されていく。
どうやらまだ眠りが浅いようだ。
クスノキの樹齢は、少女の年齢を赤子扱いするほどの歴史がある。
人が一人入るのが精一杯の、ウロとも呼ばれる巨樹の空洞をこの少女はえらく気に入っていて、参拝もせず度々訪れていた。
田舎町の出身で、この小山の事情には詳しい。
神社がまだ小綺麗で、年末年始やお盆シーズンの縁日祭りの日だけは盛り上がっていた頃を知っている。
現在は見る影もなく、高齢化でわざわざ山へ向かう人もおらず、年始や縁日の主催も自然消滅して神主も不在。この神社だけが時代に取り残された状態だ。
その少女はある意味、最後の砦なのかもしれない。ただ寛ぎに来ているだけでも、認識はされるからだ。
少女の寝顔はあどけない。
シャープな輪郭。童顔と言ってもいい。
口と鼻が小さく呼吸がしにくそうで、今は閉じられた双眸は黒目が際立つ吊り目。
眉毛が少々薄く、黒髪ストレートのセミロングが寝癖でうねり左頬を伝う。
華奢な身体をしていて、もう時期少女なんて表現を卒業する年齢に差し掛かるにも関わらず、先程の童顔と相まって若く見える。
服装はモスグリーンのカットソーに麗しいサブリナパンツ。クルーソックスにグレーのスニーカーとカジュアルな格好をしている。
装飾品は左手首に、作業などで後ろ髪が遮らないようにするヘアゴムを身に付けているだけだ。
携帯電話も持ち合わせていない。
この少女はどうにも電子機器に疎く、上手く使いこなせないからである。
「……んんっ」
少女のくぐもった声が漏れる。
艶かしく色白の細腕が収縮して、ただでさえ小さな唇を更に窄める。
体勢が変わりカットソーがずれて、鎖骨と首筋の胸鎖乳突筋の一線が強調している。
両膝を擦り、ソックスが煩わしいと足首を上下して、代わりにスニーカーが脱げそうになる。
覗かせた脇腹が、うろんな少女の僅かながらの付け入る隙だ。
「……」
そうしてまた安眠に入る。
息が止まったのかと勘繰ってしまうほど、呼吸の間隔が長い。
もしも仮に、少女に仲の良い連れがいるのなら、鼻穴に手の平を添えて生存確認をしてしまいそうだ。
しかし、この少女は個人で行動することが多い。
一匹狼を気取っている訳ではなく、自身の好奇に良くも悪くも従順で振り返ると一人になってしまう。
だからこそ性格を誤解されがちだけど、その行動力に目を瞑れば、人一倍臆病な少女だ。
何かに怯えているからこそ、少女は心惹かれるモノに委ねている。気分が一時的に晴れるからだ。
自由奔放。他人が少女を形容するのに適した言葉。
動物に例えるなら猫、いや野良猫が相応しい。
周囲の生物に鋭敏な怖がりさんで、そのくせ我が道を貫き群れない姿見が如何にもそうだ。
「……」
少女の夢は真っ暗だ。
よほど熟睡中のようで、余計な思考がない。
今なら身体を揺さぶっても、耳元でアラームを鳴らしても気が付かないと思う。
このウロの中は澄んだ冷気が立ち込めていて、比喩的に空気が美味しいとも言える。
地面には青葉と枯れ葉が占め、それが緩衝材となって身体を痛めることもなく、おおよそ少女の眠りを阻害する要素がない。
夜の帳が下りる頃には、実家に帰る必要がある。
夕陽の照射は町を染めているけど、少女が寝静まるウロまでは届いてくれない。
森林と老いぼれた神社がそれを遮断するからだ。
「……」
暫くして少女はようやく夢を見る。
繁盛している神社をよそに、とっておきの場所だとこのクスノキのウロを勧め、一緒に寝そべる夢物語だ。
寝ていてもなお眠るマイペースさが、如何にも少女らしい。
「……ん?」
少女の意識が少しだけ現実に引き戻される。
夢を見て睡眠の質が落ちた所に、広葉樹の実も同様に少女のこめかみへと落ちてきた。
「……んんっ!」
思わず左頬を手で払う。
灯籠に群れていたアキアカネの一匹が、少女の左頬に止まり、不意に横髪をさらったからだ。
幸いにもアキアカネには当たらず、そのまま飛び去って行く。少女もそれに気付いて安堵する。
「んー」
少女は目覚めて、身体の鈍りを慣らす。
両手を伸ばした拍子にウロから顔を出して、空模様で時間を予測する。
ぼんやりと口を開いたまま、衣服を払いつつ立ち上がり、力技でウロから抜け出す。
跡が残らないように唇を念入りに拭き、少女は自身が暮らし続ける町並みを秋波する。
それは今や、野良猫のような少女と祀られた山神しか知らない、田舎町の遠景だ。
少女はウロの上から眺める、この故郷を大いに気に入っている。
その少女の寝惚けた微笑みが美麗に映る。