第二話:五百年前の異世界より
【同日 一六時一四分】
「……何……これ……」
恐る恐る近づいてみる。深緑色に塗装されたその機械は、まるで鳥が両腕を広げたような形をし、大きな翼が取り付けられている。機首と見られる場所には角を取られた流線形の三枚の板が中央からそれぞれの方向へ伸びていた。
一方で胴体からは二本の支柱が伸び、それぞれ先端に小型のボートのようなものが取り付けられ、それによって池に浮いている。
ぺトラは言葉につまった。少なくとも、目の前の金属の塊は彼女のこれまでの十六年の人生の中に登場したことはない。仕組みも、用途も、名前すら不明の存在だった。
剣を抜き、切っ先で軽くつついてみる。しかし機械は反応を示さない。
「ん」
ふと、機械の最上面が少し盛り上がり、ガラス張りの窓になっていることに気付いた。剣を納め、翼に飛びつきよじ登ると、そのまま割れている窓の中をのぞき込んでみる。
「……!」
そして言葉を失う。
窓の中では一人の男が座り込み、気を失っていた。見たところ顔色は悪くなく、まだ息はありそうだった。
ぺトラは窓の残ったガラス部分に手をつき、なんとか中の男を助け出せないかと開き方を模索し始める。
「どう開けるのこれ……」
しかし窓は開かない。やがて躍起になったぺトラは剣を構えた。
「ええい、人命には代えられない!」
そのまま振り下ろす。思っていたよりガラスは硬かったが、柄頭を何度も叩きつけ、男が通れそうな隙間を作り出した。
「とりあえず……ええと、僕の部屋でいいかな」
【同日 一六時五四分】
「……さて……」
それからぺトラは誰にも気づかれないよう細心の注意を払いながら男を自室へと連れ帰った。多少汚れてはいるものの仕方ない、と自分のベッドに寝かせ様子を見るが、特に目を覚ましそうな様子もない。内心途方に暮れながら男の様子を観察していた。
このあたりでは見たことの無い服を着ており、何やら全身にベルトを巡らせている。着ている服はやや厚手で、首にマフラーを巻いているあたり防寒性能を重視した服装のようだ。
「このあたりの人じゃないのかな……こんな服見たことない」
しかし勢いで連れ帰ってきてしまったがどうするべきか。まず上の兄姉はいい顔をしないだろう。恐らく両親も。二番目の兄なら助けてくれるかもしれないがあいにく彼は今家出中の身だ。
見たところ重症でもなさそうなので明日あたりにでもこっそり医者を呼んでくるか──、そう思った時。
「う……」
「あ、起きた!?」
男が目を開ける。そのままゆっくりと体を起こし、部屋を見回した。
「ねぇ! 聞こえる?」
ぺトラが駆け寄り声をかける。しかし男はその声に反応するものの不思議そうな顔をするだけだった。
「……──○△×?」
「あ……あれ?」
少しの沈黙の後男が口を開くが出てきたのはぺトラにとって聞いたことのない言葉だった。男は言葉が通じていないことはすぐに理解し、何か一言二言言い加えてくるがそもそもの言葉が理解できていないぺトラにとってそれは全く意味をなさない。
「えぇと……うぅん……あ! そうだ! ちょっと待ってて!」
すると突然何かを思い出したように声を上げ、壁に立てられた大きな本棚に駆け寄る。
「えっと……確かここに……あぁ、あったあった」
そしてその中から一際大きな本を引っ張り出すとまた戻ってくる。革で出来た大仰な表紙には〝大言語辞典〟と書かれている。
「これだけあれば一つくらい通じるんじゃないかな?」
本を開き、そこに書かれていた文字を読み上げる。
「あー……セ……セロ?」
「?」
「アラン語は通じない、と……」
そうしてページをめくる。そうして次のページに現れた言語で語りかける。男も始めは怪訝そうな顔をしていたが、五つ目の言語を試したあたりでぺトラのしようとしていることに気付き、協力的な態度を見せ始めた。
【同日 一九時三分】
「ペッツァ……」
「……」
男が首を横に振る。
「極南語もダメ……ほとんどダメじゃないか……何だったら通じるんだ……ええと次は……二ホン語?聞いたことないな……〝コンニチハ〟」
「!」
「え、わかるの!?」
ここで男がやっと別の反応を示した。
「やった、見つけた……えっと、〝ワタシ ノ ナマエ ハ ペトラ デス アナタ ハ〟?」
「●、□◆◎@……△ ハ ニシザワ シュウイチ 。■◎△。」
「シュウイチ? えっと……シュウイチ?」
恐らく二ホン語で紡がれた言葉が男の口から出る。ぺトラはかろうじて聞き取れた〝シュウイチ〟という単語が男の名だと推測し、男を指さしながらもう一度繰り返した。すると男は首を縦に振る。
「あぁ……よかった名前わかったあああああ!」
大きなため息をつきながら天井を仰ぐ。二時間もの奮闘が報われた瞬間だった。あとはこの項目を参照しながら意思疎通をしていけばいい。
「でも二ホン語なんて初めて聞く言葉だなぁ……どこで使われてる言葉なんだろ」
改めて辞典に目を落とす。その項目にはぺトラの使う言葉で二ホン語、と題が刻まれ、その下に申し訳程度に解説が刻まれていた。
──〝現在では使う者はいない言語。五百年前に現れた別世界の人間が使っていたとされている。その人物から数人に伝わり、文法の記録も残っているが創作言語の可能性も疑われている〟。
「え」
ぺトラが目を丸くする。
「五百年前って……え……?」
「?」
「……シュウイチ!えっと……君はどこから……ああいや、えっと……〝アナタ ハ ドコカラ キタノデスカ?」
「●×◎◆?アー……卍△■」
「あああわかんない」
もう一度手元の辞書に目を落とす。
「えっと……五百年前の伝説だと……シュウイチ!」
「?」
「〝アナタ ハ 二ホン カラ キタノデスカ?〟」
シュウイチが首を縦に振る。
「……!」
自然と力が抜け、ぺトラはその場に座り込んでしまう。
「あの伝説は……本当だったんだ……シュウイチ、君は……」
「?」
「異世界から……?」
【同日 一九時三二分】
「……あった」
それから少しの後、落ち着きを取り戻したぺトラは本棚から別の本を取り出した。先ほどの言語辞典に比べると少し子供っぽい装丁であり、見方によっては絵本のようにも見えた。
「?」
シュウイチはぺトラが取り出した本を怪訝な顔で覗き込むが、現地の言葉を理解していないのでまるで内容を理解できていないようだった。
二ホン──忘れていたが五百年前にこの世界に現れたという英雄の伝説に出てくる国の名前だ。確か、別の世界からやってきたという英雄がかつて居た国らしい。
「……やっぱり」
ぺージを何枚かめくると確かに〝二ホン〟の表記が出てきた。
「ずっと架空の国だと思ってた……本当にニホン人がいるなんて……!」
すると突然部屋の扉がノックされた。
「お嬢様。よろしいですか?」
ナッツ家の執事の声だ。
「……! ま、待って!」
にわかにぺトラが慌てだす。自室に得体の知れない男を連れ込んでいると知れたら騒ぎになる。慌てて本を閉じると周囲を見渡し、衣装棚に目をつけた。
「シュウイチ! 入って!」
大きめの棚を指さしぺトラが慌てて叫ぶがシュウイチはわけがわからないわけがわからないといった顔で目を白黒させた。
「入ってって……ばっ!」
辞典を開く暇など無い。ぺトラは無理やりシュウイチを立たせ、衣装棚へと押し込む。そして棚を閉じると、同時に部屋の扉が開いた。
「お嬢様? また何か隠しものですか?」
「ま、まさかぁ? ……はは……」
間一髪入ってきた老執事には見られなかったらしい。
「詮索はしませんが……お父様に叱られるようなことはあまり感心しませんよ」
執事が穏やかにそう言う。心なしかその視線は衣装棚に向いている気がした。
「は、はは……」
こんにちは!ラケットコワスターです。ついに明日はコミケ99初日!本作の頒布は二日目なのでまだ出番ではありませんが……当日会場に向かわれる方は防寒、感染対策に気を付けて頑張ってきてください(真顔)。
物語はついにシュウイチが登場。昨年の短編のラストにちょっとだけ出てきた人ですね。第二章以降のシュウイチとペトラの活躍を是非ご期待ください。
それではまた明日!