第二十三話:ペトラの強さ
「う……」
なんだ、ここは……建物の中? ベッドの上……?
「●×!@□▼&!?」
──誰だ? 子供?
日本人じゃない。金髪で、青い目。アメリカ人か?捕虜にでもなったか──
「……Who are you?」
「@……◎▼?」
伝わってない? 英語は間違ってないはずだ。じゃあドイツ人か?
「Wer bist du?」
ピンと来てないって顔だな。ドイツ人でもないのか?
そもそもどこだここは……東南アジアのどこかだろうが、にしてはあまりにも風景が洋風だ。熱帯の特徴もない……な。
「▼×@……□×@……◆! ◎◆$! ▽×◆%◆×%%!」
なんだ? 子供が……本棚に……なんだ、図鑑か?
「#ー……◎……$&?」
「?」
「◎%▽▲&◆◎☓□、$……」
ページを……あぁ、なるほど、言語図鑑か、これ。日本語が載ってるといいんだが。
***
あれから、わかったことがある。信じがたいことだが、ここは東南アジアでもなければ欧米でもない、全く別の世界らしい。なんで日本語が通じるのかはわからないが、とにかく会話ができるようになったのは大きい。俺を助けてくれたのはペトラ。この辺の華族だそうだ。
これから、どうするか。考えないといけないのはそこだろう。日本に帰れるのかそうではないのか、そうでないならどこでどうやって生きていくのか。頭が痛くなる話だった。
だが、もう戦わなくていいのなら、もうあんな思いはしなくていいのなら──
「第百回スカイハイ・レース。見ての通り、この世界では今年、大規模なエアレースが開催されるんだ。僕と一緒に出場してくれない?」
──。
「出場? 俺とか?」
そんな気はしていた。
ペトラは瑞雲が軍用機だとわかると明らかに目の色を変えていた。何か、軍用機が必要になることがあるんだろうと思っていたが、エアレースか。
「……興味はあるが」
「瑞雲だってほら、いい機体じゃないか! しかも修一って軍人なんでしょ? 大丈夫、優勝狙えるって!」
正直に言うと、もう飛びたくない。もう、俺は疲れたんだ。今更飛ぶなんて……
「出場資格はいくつかあるんだけど、最後の一個だった年齢制限を今年やっとクリアできるんだ!あとは乗り物さえあれば出場できるんだよ……! それで、それで優勝できれば……!」
「?」
「僕は認めてもらえる」
「誰にだ」
「皆に。世間にさ! 僕はスカイハイを勝てるくらい力があるって」
──。
その目は──
「レースに優勝すればきっと修一も元の世界に帰れるよ!」
──!
──いや待て。今、俺は何を思った?
期待した? 日本に帰れると、そう聞いて?
「詳しく聞かせてくれ」
「スカイハイには一種の儀式みたいな側面があってね。優勝者は一つ願いを叶えてもらえるんだ。僕は優勝して名を上げる。修一は元の世界に戻る願いを叶えてもらえばいいよ!」
嘘──だな、これは。少なくとも、言葉通りのことじゃないだろう。
が、なんだろうな。
何故か、気持ちが昂る。
「危ないのは十分承知だよ。その覚悟はある」
「……誰かと戦うことだってありえるぞ」
「準備はしてある」
「瑞雲だって安全な機体じゃない」
「この世界の乗り物よりはよっぽどマシだよ」
「お前を護れる保証は──」
「僕はもう十六だ! 自分のことくらい自分でできる」
今の言葉は、自分に向けて言った言葉でもあった。あぁなるほど、俺は既に、飛ばなくていい理由を探している。
俺は──まだ、諦めてないのか。
それなら。
「……わかった」
やってやろう。
「出よう。このレース。優勝すればいいんだよな?」
日本に帰れるかどうかはわからない。でもやっぱり、俺はこれしかできないらしい。じゃあもう迷ってたって仕方がない。
もう一度、飛んでやろうじゃないか。どこまでも、行ってやろうじゃないか。その果てに、俺は──もう一度日本に戻る。
***
「って、思ってたんだがな」
また、時間が止まる。いつの間にか、ペトラと修一はかつての自分たちの姿を見つめ、立ち尽くしていた。
「結局は、このザマだ。日本に帰るどころか、ゴールにもいけなかった」
「……」
「ペトラ」
ペトラが顔を上げる。
「……うん」
「すまなかった」
「え?」
「あんなこと思って、決意を固めてたはずなのに、俺はブレちまった。お前と一緒にゴールまで行くって決めてたのにな……」
そう言って、修一はペトラに向き合うと、頭を下げた。
「約束を破った。申し訳ない」
「……」
それをペトラはぼんやりと見つめる。ややあって、口を開いた。
「そんなこと言うなら……悪いのは僕の方だ。思いあがって、突っ走って。何も見えてなかった。修一が死んだのだって……僕がもっと冷静だったら防げてたのに」
「いや、どうだか……俺も冷静じゃなかった」
「でも、僕が馬鹿だったのは事実だ」
「いや、そんなこと言ったら馬鹿だったのは俺も……」
と、ここで二人が口を噤む。そして微妙に笑った。
「……お互い様だね」
「そうだな。この話はもう終わりにしよう」
修一がその場に座り込んだ。
「なぁペトラ。お前は強くなりたかったんだよな」
「……うん」
ペトラもまた、近くの木箱に腰を降ろす。
「強さって、なんなんだろうな」
「……わからない。スカイハイを勝って、困難を乗り越えて、絶対に負けない力と威厳を手に入れること。それが強さだと思ってた。でも今は……わからなくなっちゃった」
ぽつり、ぽつりとペトラは言葉を紡ぐ。
「力じゃ……どう頑張ってもあいつには勝てない。あいつは強い。どん詰まりだ」
「……」
「でも……違うんじゃないかって気がしてきてもいるんだ」
ペトラが顔を上げる。
「修一。僕は……修一も強い人だって思ってた」
「俺が?」
「うん。修一は、どんな困難にも負けなくて、いつも前を向いて、全てを乗り越えていく。きっとそれは、戦争を生きて、ずっと戦ってきたから、だから強いんだって思ってた。でも……違うんだ。修一の強さは、たぶんそこじゃない」
「わかんないな。難しい話だよ、これは」
修一が軽く笑う。
「なぁペトラ。俺はずっとビビってた。お前には悪いが、俺はお前が思ってるような男じゃない。困難には負けたし、足元を見れば後ろも向く。全ては乗り越えられないし、迂回だってする。でも……そうだな、一つだけ譲れないものがあった」
「譲れないもの?」
「命だ。戦争の中では、相手も命を賭ける覚悟で挑んでくる。それがあったから耐えられたが、でも、やっぱり誰かが死ぬのは怖かった。だから、助けられる命には必ず手を伸ばすようにしていた。その為なら、どこまでも力が出せる気がした」
「……命……」
「ペトラ。お前に譲れないものはあるか?」
ペトラはその問いかけに黙り込んでしまう。
「譲れないもの、か……」
「そうだ。その為ならどこまでだって馬鹿になれる、どこまでだって力が出せるもの。そういうものが、お前にあるか?」
そう言われて、ペトラは考え込む。
譲れないもの。誰にも邪魔されたくなくて、そのためなら、きっとどこまでだって〝強く〟なれるもの──
「……未来、かな」
「未来?」
「僕の未来は僕が決めたい。自分の意思で、自分の足で、前に進んでいきたい。だから、僕はこのレースに挑んだんだ」
そうか、と修一が返事を返す。すると、不意に手に持った手帳に意識が向いた。
と、修一が手帳を指さす。それに釣られるように、ペトラはページをめくった。
「……」
手帳に、染みができる。
泣いていた。いつの間にか、手帳の中の修一に背中を押された気分だった。
いつものように、今までのように。
「……そうか。そうだね……」
きっとそれが、お前の強さだ。
修一は最後にそう言った。最後に、ペトラにそう言葉を残したのだ。
「……はは」
「ペトラ?」
「はは……っ、ふ、あははははは! なんだよ……! 死んでもうるさいやつだな修一は!」
そう言って、今度は笑いだす。
「そうだ……! もう止まってちゃいけないな」
手帳をポケットにしまうと、立ち上がる。
「レミー」
「ん?」
「あいつは、今どこに?」
あいつとはつまり、ブレアのことだろう。
「何? 敵討ちのつもり?」
「まぁ、それもだけど」
空を見上げ、不敵に笑う。
「レースは終わってない。ゴールを、目指すよ」
「あーやれやれ、やっと元気になった」
と、そんなペトラの隣でレミーが溜息をついた。
「レミー。ありがとね」
「やめてよ感謝なんて。まさかあんた、私がただあんたを励ましに来たと思ってるワケ?」
「え?」
クリスが間抜けな声を上げるのに対し、ぺトラは不敵に笑う。
「やっぱり。また何か企んでるんだ」
「勿論。私とあんたの関係はギブアンドテイク。あんたを立ち直らせたんだし、今度は私の役にたってもらうから」
レミーの隣にいつかの大鳥が降り立つ。
「さて、聞かせてもらうよ。ここで何が起こったの?」
「そのあとは?」
「あいつにやりかえしたい。出し抜かれたのが正直腹立つから、代わりにあいつを殴ってきてよ」
困惑するクリスの視線の先で、ペトラとレミーが見つめ合う。奇しくもそこは、かつての港の近くだった。