第十九話:勝手にしやがれ
【同日 一八時四五分】
「ここって……」
時間は少し遡る。レミーはペトラを伴って一軒の建物の前に立っていた。街の中心から少し外れ、静かな階層に建った三階建ての建物だった。
「運営スタッフの宿舎。マルダは全参加者が確実に通る場所だから、重役が集まるのもここ。私達は今からここにいる奴に話を聞きに行く。ちょっと荒っぽくなるから戦力が欲しくてね」
レミーが情報料として求めたのはこの建物への潜伏だった。ペペラーナの一件で運営側が一気にきなくさくなった以上、直接当人に聞いてしまおうという腹なのだろうが──
「……バレたくはないからね」
レミーの隣で紙袋を被った人物がペトラの声で呟く。
「もちろん。ちょっと話聞くだけだから大丈夫でしょ」
そう言うとレミーは建物の入口──には向かわず、塀で囲まれた建物の裏手にまわった。
「あの部屋」
レミーが三階の中央についている窓を指さした。
「あの部屋に忍び込むよ」
「なんでそこまでわかってるの?」
「偉い人は大体高いところにいるもんなの。ほら行くよ」
なんでそういうところだけはアバウトなのか──と呆れながらペトラはレミーに続いた。
レンガに手をかけ、壁を登っていく。傍から見ればかなり目立つが、照明の届かない薄暗さが二人の姿を隠した。
「ほーら居た……見てみなよ」
いくつかの窓の覗き、中の様子を伺っていると不意にレミーが室内を指した。見てみると、スタート地点の余興で見た男がいる。
「現場責任者ってやつ? まぁそのレベルなら多少有益な話も聞けるでしょ」
と、そこで不意に室内の扉が開き、別の男が入ってきた。
「む」
「ペペラーナの件で……先方から返事が来ました」
「そうか。ありがとう」
男は秘書と思しき男から手紙を受け取ると、封を切った。
「……」
秘書は頭を下げ、部屋を後にする。部屋には男が紙をめくる音だけが響いていた。
「おのれ……白々しいことを」
男は忌々し気に呟くと手紙を机の上に置き、深く溜息をついた。
と、不意に部屋に何かが放り込まれる。背後の窓から放られたそれを見た男は、机から離れ、扉の近くに転がったそれを拾い上げた。
「なんだこれは……玩具の宝石?」
「うわぁすごいこと書いてある」
声がする。男が勢いよく振り返ると、いつの間にか机の傍らに立っていたレミーが書類を取り上げ、その内容に目を通していた。
「な……!」
「エイドスモークの製造元からの手紙かなこれは? 駄目だよこういうのは読んだらすぐ処分しないと」
「く……!」
続いてペトラが窓から室内へと続く。男はレミーから手紙を奪い返そうと飛び出すが、素早く剣を抜いたペトラが男の喉元に剣を突きつけた。
「貴様……」
「レミー、早くして」
短く告げる。
「わかってるって……さて? 誰からもらったのアレ」
そう言いながらレミーが手紙の内容に目を凝らす。
「なになに……? あぁ、ペペラーナの一件で。邪魔された? やっぱり仕組まれた爆発だったんだねあれ」
「詳しく聞きたいな」
ペトラが剣を向けたまま威圧的に言う。男は微妙な声を漏らすだけだったが、もう一度ペトラが剣を押し付けると、やがて観念したように口を開いた。
「ペペラーナの件には確かに関わった。あぁ関わったさ! エイドスモークをペペラーナ経由でここまで運ぶ手筈だった。だが知っての通りあそこで漏れ出てしまったよ」
「認めたね。今の話、するべき場所でしてもらおうか」
「は、その必要はない。そこの書類を読んでみろ」
男が自嘲的に言う。言われた通りレミーが別の書類を拾い上げて目を通す。
「……逮捕状? あぁ、もうバレてるとこにはバレてたんだ」
「一昨日届いた。罪状はエイドスモークの所持、使用だ。今はスカイハイ開催中だから、逮捕自体は閉会までの猶予があるが、代わりにマルダからの外出を禁じられている。お前たちが何をどうせずとも、私は大会が終われば連れていかれるさ」
「なんだ骨折り損じゃん」
レミーはつまらなさそうに言うと書類を机の上に放る。
「んじゃあ大会の進行自体の心配はしなくていいワケ。心配して損したわ」
小さく溜息をつくと、目を細めて言葉を続ける。
「ついでに聞いておくけど、何しようとしてたの」
「それは……」
「知りたいか」
新たな声が乱入してくる。はっとした二人が扉の方へ目をやると、ドアノブが回り、扉の向こうから、新たな人影が現れる。
うろこで覆われた肌、人のものとは離れた獰猛な瞳──、
「ブレア……!」
ペトラが驚愕の声を上げ、レミーが露骨に渋い顔をする。
「久しぶりだな、生きていたか」
「おかげさまで。やっぱりろくでもないこと考えてたんだ」
「ブレア……! 貴様ペペラーナではよくも」
「さて、こいつが何をしたかったのか、という話だったな」
ブレアは男の視線を無視して、言葉を続ける。レミーとペトラは警戒するように身構えた。
「奇跡の谷で何かがしたいんじゃないの? って思ってたんだけど」
「まぁ、そうだな」
ブレアが部屋の中央まで歩いてくる。
「こいつは奇跡の谷の伝承を大真面目に信じ、あまつさえ〝強きものの魂〟を生贄を解釈したようだな」
「スカイハイレースはその人数を集める為のもの……」
「と、いうことだったな」
男はブレアの飄々とした振る舞いを嫌悪するように顔を反らした。そんな様子にブレアはつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「だが、人数を集めて生贄にする、という考えは悪くなかった」
不意にブレアの声色が変わる。
「だから手を貸してやった。こちらとしてもそれは有益な動きだったからな」
「貴様……!」
「奇跡の谷の伝承はあやふやなものだが、ちょうど俺のやりたいことには生贄が必要だった。まぁ、ここまで上手くことが運んだのは僥倖だったな」
「……まさかペペラーナの件は」
「後始末を兼ねた〝予行練習〟だ。あれでエイドスモークの威力はよくわかった。加えて、こいつの失脚も招き余計な者はいなくなる」
瞬間、ペトラが男を押し倒し拘束すると、今度はブレアに剣を向けた。
「でもこいつが白状する可能性があるぞ、それを考えなかったのか」
「考えなかったわけではない。いや、考える必要がなかったとも言えるな」
「どういう……」
「この段階まで進められれば、もはや後のことなど考えなくても良いということだ」
「何を──」
「さぁ、始めるぞ」
瞬間、建物が吹き飛んだ。
「うッ……わあああぁあああぁぁああああぁああああああぁぁぁッ!」
上下の区別が無くなる。かなりの距離を飛ばされたようだ。一瞬の静寂の後、頭から逆さまに地面に突っ込んだ。
「いたた……レミー? いる……?」
あたりを見回す。しかしレミーはいない。自分とは別方向に飛ばされたか。まぁ、レミーならなんだかんだ生きているだろうが、とすぐに頭の関心を切り替える。今の爆発の理由を探──
「は?」
足が止まる。自然と、視線が上に昇っていく。
その視界の先には巨大な樹木が立っていた。樹木など生えるはずのない人工島の地面の上に、あまりにも突然の出現だった。島の中央に突如として現れ、マルダの天井を突かんほどに堂々とそびえたっている。
「なに……この……木……?」
その、樹木の頂点で。ブレアが街を見下ろしながら不敵に笑う。
「さて、最終段階だな」
それを合図に、樹木からエイド達が飛び出した。
【同日 一九時一二分】
「くそ!」
舌打ちをし、剣を振るう。
どこに潜んでいたのか、と思うほどにエイド達は急速にマルダ全体へと展開し、急速に地獄絵図が形成されていく。
「修一ッ! 修一! どこいるの!?」
あちこちで爆発が起こる。悲鳴と爆発音に紛れないよう全力で声を張り上げ、ぺトラは修一を探していた。
マルダに突如として出現した大樹。そこから飛び出したエイド達は手当たり次第にその場にいる者達を襲っていく。数十分で地獄絵図と化したマルダを必死に走る。
「死んでたまるか……! 死んでたまるかッ……!」
なんとかして修一を探しださなければ。早く見つけ出さねば彼が危ない。
「!」
瞬間、ぺトラの足が止まる。
先ほどから何度も爆発が起こり、天井は穴が開き光りがさしている。
天井が、いやマルダ全体が大きく揺れ、残った天井が、脆くなった木材が──
吹き飛ぶ。
「うわああああぁぁぁぁあああああぁぁあぁぁぁぁぁああああぁぁぁッ!」
今日一番の爆発が起こり、爆風にあおられ床を転がる。瞬間的に嵐が起こったように瓦礫や木片が吹き飛び、巻き上げられる。ぺトラはとっさに近くの鉄板で頭を庇いその場をやり過ごした。
「くそ……! 早く見つけ出さないと!」
「……ラ! …ペ…ラ! どこ……!」
突然、遠くで聞き慣れた声が叫ぶのを聞こえた。
「修一?」
その声の方へ、気づけば足を向けている。
「修一! ここ! こっちだ!」
【同日 一九時三〇分】
「どこだ……畜生、ぺトラ! どこだ!」
街は様変わりしていた。天井は吹き飛び、あちこちに破壊の痕跡があり、今まさに街が壊れようとしていた。エイド達が暴れまわり、あちこちで悲鳴と火の手が上がっていた。
その中を修一はぺトラを探し、走り回っていた。早く見つけ出さねば彼女が危ない。
「どこだ! おい! どこだッ!」
クソ、と舌打ちをし、腕に刺さったガラスの破片を引き抜いた。先ほどまで談笑していた相手は近くに見当たらない。自分とはまた違った場所へ吹き飛ばされたか。
不死性を捨てたと言っていたが──、いや、今は自分のことを考えるべきだ。
「とにかく、まずはあいつを探さねぇと……!」
舌打ちし、走り出す。行く先々で遭遇するエイドには手当たり次第に弾丸を叩き込み、蹴倒して走り続けた。
「うっ!」
瞬間、近くで爆発が起こる。不意を突かれた修一は爆風に煽られ激しくその場を転がり、半壊した建物へと突っ込んだ。
「くそ……!」
舌打ちしながら、瓦礫を押しのけ立ち上がる。
その時。
「……!」
炎の中、修一は街の惨状を目の当たりにした。
それは、恐ろしいことに修一にとっては見たことのある光景だった。
「……」
街が燃えている。
「はぁっ……はぁっ……!」
街が。
まちが。
あの時と同じ──
「ッ! おい! しっかりしろ!」
一瞬浮かんだイメージを無理やり抑え込み、近くにいた者を助け起こす。
「繰り返してたまるか……! 繰り返してたまるかッ……!」
ふと、その時修一を影が覆う。顔を上げると、一匹のドラゴンが腕を振り上げていた。
「引っ込んでろッ!」
拳銃を抜き、竜の顎へ弾丸を撃ち込む。ドラゴンは小さく悲鳴を上げると、その場にひっくり返った。
「クソ! クソっ……! どうしてこうなる……! ただのレースだろうがこれは!」
「修一!」
ふと、背後から声がする。振り返るとぺトラが立っていた。
「ぺトラ! 無事だったか!」
燃え盛る瓦礫の中、向こうから走ってくる相棒の姿に修一は安堵するような顔をした。
「ここは駄目だ、早く行こう!」
「あぁ……そうだな」
しかし修一の歯切れは悪い。
「どうしたの?」
「……なんでもない、行くぞ!」
頭を振り、頭を占めていた嫌なイメージを振り払いながら走り出す。
今は違う。あの時とは違う──、と自分に言い聞かせながら走り出した。
──なんであいつらが東京に入ってきてるんだ!
「!」
人の声。
次いで耳に響くのは、空から何かが振ってくる音。
けたたましくなるサイレン。
建物が燃え落ちる音──。
「……! ……!」
息が荒くなる。汗が吹き出し、ついに足が止まってしまう。
「修一?」
「なんでもない……なんでも……」
うわごとのように呟きながら、また走り出す。そうして二人は、港へ続く橋の上に出た。
「この橋を越えればもう少しだ! 急いで!」
と、不意に背後で悲鳴が聞こえる。振り返ると、別の橋の橋桁に捕まり、今まさに落下しかねないほどに危なっかしく揺れている男が見えた。
「!」
「修一!」
ペトラの制止を振り切って修一が走り出す。来た道を勢いよく走り抜け、男がぶら下がっている橋へ飛び込んだ。
「うわっ!」
「掴まれ!」
間一髪の所で修一が男の手を掴んだ。
「うっ……ぐ……」
「彼は駄目だ! 修一! 諦めろよ!」
背後からペトラが修一を追いかけながら叫ぶ。
「駄目だ、助ける!」
しかし修一は手を離そうとしない。崖の下に放り出された男の手を掴み、なんとか引き上げようとしている。
しかし、そこへ──
「!」
鳥型のエイドが飛来する。まっすぐに男と修一を見据え、大口を開けて向かってくる。
「手を離せ!」
追いついたペトラが叫び、修一の身体を乱暴に引き起こす。その拍子に修一と男の手は離れ、宙に残された男は鳥型のエイドに連れ去られていった。
「いい加減にしろよ! また繰り返すのか!?」
ペトラが喚く。修一は脱力したようにその場に座り込み、答えなかった。
「状況理解できてる!? 早く脱出しないとこっちが危ないんだ! 誰かを助ける余裕なんてない!」
「……うるせぇな!」
不意に修一が怒鳴り返した。初めて聞く声色に、ペトラは一瞬気圧された。
「助けられたはずだった! 助けられる命に手を伸ばして何が悪いんだ!」
「でも現に駄目だったじゃないか! いつもそうだ! いつも余計なことをしてろくなことにならない! 僕達は勝つためにここまで来たんだろ!? 本当に勝つ気あるのかよ!?」
次第にペトラも冷静さを失っていき、怒鳴り散らす。
ペペラーナの件から修一は妙だ。それがなんなのか言葉に現すことはできないが、出会った頃や、遺跡でゴーレムを撃破した頃、飛び魚の大群を抜けた頃──、あの頃の修一と比べ、何かがおかしかった。
自分を顧みないやり方に嫌気がさしたのか、あるいは〝頼りがいのある修一〟のイメージが崩れてしまったからか──、ペトラは、口をついて出ようとする言葉を飲み込めず、言ってはいけないことを吐き出してしまった。
「戦争で経験したんだろ……! 助けられない命だって当たり前にある! わかってたはずじゃないか!」
一瞬の緊張。瞬間、時間の流れが一気に遅くなる──
「あんなものと一緒にすんな!」
突然修一が叫んだ。敵に向けるような気迫を放ってすらいる。
「これは〝競技〟だ!」
聞いたことの無い程怒気のこもった修一の声。時間の流れが正常に戻り、喚くように言う修一にペトラは驚いたように一歩退いた。
「殺し合いじゃねぇ! 死んでいいものじゃねぇんだ! 軽々しくそんなこと言うんじゃねぇ!」
何故だ、何故その目を僕に向ける。ぺトラの怒りは混乱を帯び、苛立ちを呼んだ。
あまりの勢いにぺトラがたじろぐ。怒っている。修一は今怒り心頭に発している。ペトラにはその理由がわからなかった。わかりたくなかった。修一の怒りが自分に向いているなど、理解したくない。
「じゃあ僕らも一緒に死ねって言うのか!?」
だからだろうか、ペトラにも怒りが伝播していた。
「約束しただろ! ユビキリゲンマンして! 僕をかならずゴールまで連れていってくれるって! だから僕だって全力を出した! 僕は強さを証明するために! 修一は元の世界に帰るためにって! そういう話じゃなかったのかよ!」
「強くなりてぇのは勝手だが、誰も彼も捨ておいて、なんでもかんでも犠牲にして強くなるなんて俺は許さん。もしお前がそうしてまで強くなろうってんなら、俺はもう金輪際お前とは一緒に飛ばん! 行きたきゃ勝手に行け!」
「こんな時に……何言ってんだよ!」
ぺトラが修一に掴みかかる。胸倉を掴み、顔を近づけた。
「お前こそ捨てちゃいけないもんを捨てるな! 目的を果たしたところで自分を見失ってちゃ話になんねぇ!」
「ふざけんな!」
「てめぇこそ!」
二人の視線がぶつかる。もはやそこに存在するのは敵意に近いものだった。
「自分の望むように生きられない悔しさが!」
「死ななくてよかった奴が死んでいく恐怖が!」
「お前にわかるかッ!」
二人が同時に叫ぶ。奇しくも、出た言葉は同じだった。
二つの瞳がぶつかる。いやに力の入った視線が絡み合うと、緊張が走った。
「勝手にしろ!」
瞬間、緊張が弾けた。ぺトラは投げ捨てるように修一の胸倉から手を放し、修一もぺトラを睨み返した。
ぺトラが踵を返す。そのまま反対方向へ、港へ足を向けた。
対して修一は襟を直すと、腰からピストルを抜き、背後の巨大な樹木を振り返る。その樹の上、そこに鎮座する、竜の姿をした人影を睨んだ。




