第十二話:禁止兵器エイドスモーク
【同日 一四時三〇分】
「うーん……どうしようか……」
結局それからぺトラはこの部屋でルートを決め直し、その間に修一は港のドックに預けた瑞雲の様子を見てくることになった。
一つ小さく息をつき、諦めてクリスにあてがわれた机に手帳と地図を広げる。同時に、内心頭を抱えた。これまでぺトラは他の参加者と被らないルートを極力採るようにしてきた。そのルート自体はレミーのせいで完全に破綻してしまったが、それでも他の参加者達との戦闘はチェックポイント前だけで済ますことができた。これは成果と言っていい──、スカイハイは闘技大会ではない。一番早くゴールにたどり着けばいいのだ。だから後半戦もその方針でいきたいのだが──
「そうするとどうしても時間がかかってしまう」
風のトンネルを抜け、瑞雲も修理不可一歩手前まで損壊。その分のロスが生まれているので当初の計画通り行くと間違いなく時間がかかり過ぎてしまうのだ。
加えて、もう一つ。単独で進めるルートを取ってきたせいで他の参加者と遭遇せず、レース全体の進行度がいまいちわかっていなかった。そのせいでここから先のルートは距離の短さを取るか、それとも今まで通り不人気かつ安全なルートを取るか──そのバランスを決める基準が無い。完全に計画が裏目に出てしまっていた。
「普通、他の連中はどうするんだい?」
背後からクリスの声がする。振り返って見ると、ソファに腰かけ、膝の上に板を置いてそこで何やら紙にペンを走らせていた。
ソファの目の前に置かれているテーブルを片付けるという発想はないのか──と、一瞬考えてしまうが言わないことにした。
「そうだなぁ……ここからならマルダへ向かってそこ経由で一気にゴールを目指すんじゃないかな」
「マルダ?」
「スカイハイ開催中に作られる仮設都市だよ。いっつもだいたいゴール前に作られて、ゴールへアタックする参加者の準備拠点になる。ただそれだけに他の参加者と会っちゃうからなぁ……できれば経由したくないんだよ」
「なるほどねぇ」
「レース全体がどこまで進んでるかわからないとなぁ……なんかそういう情報が掴めればいいのに……ん?」
背伸びをしながら仰向けに転がる。後頭部で厚めの本を踏んでしまい、痛みが走る。
「痛っ……ん……?」
ふと、ペトラが窓の外に目をやる。窓の先には高低差のある街並み、その先に大海原が広がっていた。
その青い海原に突き出した桟橋、大きな港にこれまた大きな飛空艇が着水するところが見えた。
「でっか……」
見たこともない程大きな飛空艇にペトラが呟くと、クリスもそれに引っ張られて目をやる。
「おー、ずいぶんおっきな艇だねぇ、あっちに入ってくるってことは西から来たのかな」
「西?」
不意にペトラが起き上がる。
「西っていうとマルダの方向だ。他の参加者とすれ違ってないかな、話聞きに行こう!」
言うなり地図をたたみ、立ち上がった。
正直、有力な情報を得られる期待はしていなかったが、少なくともこのまま頭を抱えているよりはマシだった。
「ここから港ってどれくらい?」
「十五分くらいかな、あたいも散歩がてら付き合うよ」
そう言ってクリスも立ち上がり、二人は部屋を後にした。
【同日 一四時三八分】
「……」
それから少しして、街中へ二人は繰り出した。相変わらず活気づいてにぎやかな通りを歩く。その中にあってペトラはあたりをせわしなく見渡していた。
「街が気になるかい?」
不意にクリスが口を開く。
「ん? あぁ……いや、本当に賑やかな街だなって」
「頭でっかちが作った割には派手な街だろ? 退屈しなくていいさね」
屈託なく笑うクリスの姿は思えばこの街そのもののようだ。知識の為に生き、己の好奇心にどこまでも正直だが、それでいて無機質さを嫌い元気に笑う。不思議と居心地のよさを感じる理由はここにあったのかもしれない。
「でも、こんなになるまではそれなりに大変だったんだ」
「そうなの?」
まぁね、とクリスと笑う。
「この街は当時の学者達が邪魔されずに研究に没頭するため、もっと言えば誰かに研究を悪用されないために作った街なんだ。この街が出来てすぐのころはもっと殺伐としてたらしいよ」
その言葉にペトラがはっとする。学園都市と言えば聞こえがいいが、五百年前の英雄の時代、つまり戦乱の時代に学者達が引きこもって研究に没頭するために作られた都市、ということを考えると、その背景には仄暗いものが感じ取れた。
「今となっちゃあまりその意味も大きくないけど、島を囲っている防壁や、島の中央から放射線状に延びる水路……これは当時の要塞都市の作りを踏襲してる。防御戦が戦えるように出来てるんだ」
「水路が市街戦の為に?」
「そう。あの水門を見てみな」
クリスが指を指す。見ると、島の中央に構える高地から延びる水路を遮るように、九つの大きな水門が建っているのが見えた。
「前も言ったけど、この島は中央から海に向かって水路が放射線状に延びてる。その水量を調整しているのがあの水門ってワケ。一方で、あれは元々外敵が攻めてきたときに解放して、大量の水で海へ押し流す防衛システムとしても機能するんだ。ま、今となっちゃ単なる観光名所だけど。こういうところが歴史の面白さだね」
はぁ、とペトラが息を吐く。学園都市ペペラーナの表の顔と裏の顔。そうして見ると、視界の先に見える港も丈夫な作りになっている理由がわかる気がした。
「ん」
ふと、遠巻きに見える飛空艇に目をやると、妙なものが視界に映った。
金属と木材で作られた焦げ茶色の船体、その中に差した──赤?
火。
火が上がっている。
「クリス!」
突然直感が〝伏せろ〟と叫んだ。ペトラは自らの直感と同じように叫び、クリスを押し倒した。
瞬間、遠くから爆発音が轟き、一拍遅れて何かの破片が二人の頭上を飛び過ぎていき、背後の壁に飛び込んだ。
「……」
沈黙が流れる。ペトラはクリスを押し倒したまま、クリスはペトラにされるがままの状態で顔を見合わせる。
「……な、何……?」
ペトラが立ち上がり、背後に転がった破片を拾い上げる。焼け焦げた木片だった。
「え、爆発した?」
「事故……?」
「行こう、怪我人がいるかもしれない」
クリスが促し、ペトラもその後に続いた。
【同日 一四時五二分】
「うわ……」
「こりゃひどいね」
ほどなくして二人は港に到着した。今だ炎上中の飛空艇の周囲にはかなりの人だかりができており、消火活動中の集団の中から、ちょうど救護隊と思しきグループが突入していく所であった。
「見た感じ貨物船……? レースの参加者には見えないけどねぇ」
「考えられるとすれば積み荷の事故かな。こういう船が入ってくることはあるの?」
「いや、あたいは初めて見たけど、このサイズ……何持ってきたんだか」
周囲を見渡すと、集まってきた野次馬も煙を上げている飛行船を前に話し合っている。彼らやクリスの反応から察するに、墜落事故以前にこのサイズの飛行船が入港してくること事態珍しいのか。
「お」
ふと、野次馬をかきわけ増援と思しき集団が現れた。専用の装備を纏った集団を連れており、万が一の事態にも備えているのがわかる。
「おうおう医者に消防士に警察まで……まぁこのサイズなら大事だしねぇ」
「このぶんだと事故の詳細はそのうち公表されるかな……」
「そうだね、怪我人が多くなけりゃいいんだが」
と、それと同時に不意に救護隊の動きが変わる。
「申し訳ありませんが部外者はこの場を離れてください!」
「危険物が発見されました! 速やかに避難をお願いします!」
飛行船の入口を固めていた救護隊が叫び、野次馬に避難を促し始めた。野次馬達は放られた〝危険物〟という言葉ににわかに浮足立ち、慌ただしく広場を後にし始めた。
「危険物……?」
「こりゃやばいかもしれないね。早く行こう」
その時だった。
「危ない!」
誰かが叫び、次の瞬間空気が破裂した。
「うっ!?」
閃光と爆音に感覚は容赦なく刺激され、上下左右すら見失ってしまう。背中に強い衝撃が走ったことで、ペトラは吹き飛ばされたことを理解した。
「また爆発……!?」
頭を振り、立ち上がる。そうして周囲の様子を見回す──
「あれ」
妙なものが目に映った。
吹き飛んだ飛行船の残骸から何か、黒いもやのようなものが溢れだし、野次馬や救護隊を飲み込んでいる。飲み込まれた者は皆一様に苦悶の呻きをあげその場に倒れ込み、さらにもやは広がっていった。
ふと、それを見てペトラの脳裏にある情報が浮かぶ。かつて、学校の図書室で本を読み漁っていた時、ふと手が止まったあるページの──、
瞬間、ペトラが叫ぶ。
「クリス!」
「えっ?」
「逃げるよ!」
そのまま背後のクリスの腕を掴み、走り始める。
「なんだいペトラ! どうしたってんだ!」
「あれはやばい! すぐにここを離れないと!」
瞬間、悲鳴があがる。あたりに響いた絹を裂くような声に振り返ると、黒いもやの中から何か、白い人型の〝何か〟が現れ、次々に辺りの人間に襲いかかっていた。
「何してんだあいつら!?」
「〝エイド〟……ッ!」
顔面蒼白になったペトラが言う。
「なんで……! なんであれが……!」
クリスの腕を掴む手の力が強くなる。
「あれは……!」
【同日 一五時一六分】
「禁止兵器ぃ!?」
それから十数分後。墜落現場から近くのドックで修一が驚愕の声を漏らす。
「あぁ。信じたくはないが……墜落現場で漏れ出ているのは〝エイドスモーク〟。だが、話を聞く限りたぶん間違いない。すぐに手を打たなきゃ大惨事になるぞ!」
ドック内を整備員達と一緒に慌ただしく走りながらロディがそう言う。数分前にドックに届けられた報せを受けてからというものの、ずっとこの調子だった。
「お前もジウンの起動準備を! 飛べるやつは全部空に逃がせ!」
「説明しろロディ! なんなんだそのエイドスモークってのは!?」
「……エイドスモークってのは……英雄伝説当時に開発された古代兵器だ」
ロディが絞り出すように言う。
「ガス兵器の一種でな。吸い込んだ生物の〝魂〟を体外に排出させ、別の生き物に作り変える。主に戦争で敵兵に対して使って、自軍の増援とする為に使われたって話だ。だが今言っただけでも分かる通り兵器としてあまりにも非人道的でヤバすぎる。だから戦争の終結と同時に英雄の働きかけで使用はもちろん、所持、製造の一切を禁止された」
「ガス兵器だぁ!? そんなものが……なんでここに?」
「俺が知るかよ! とにかくガスを遮断する! ……間に合うか……?」
と、その時、不意にドックの入口で音がする。
「やべっ!」
見ると、半開きになったドックの扉に不気味な白い腕が入り込み、探るように蠢いている。
即座に修一は走り込み扉へドロップキックを叩きこむ。無理矢理閉じられた扉に切断された白い腕は生き物のようにその場をのたうっていた。
「なんだよこれ……!」
「〝エイド〟だ!嘘だろもうここまで来やがったのか!」
ロディが悲劇的な声を上げた。
「急げ急げ! この際全員退避できりゃそれでいい! 飛行具を使える奴はそれを使え!」
「エイド……? これがその、兵器の犠牲者か」
そうだ、とロディが答えると、一瞬の沈黙の後、修一が意を決したように瑞雲へと走り寄る。
「修一!」
「ペトラとクリスが無事かどうかわからん、探してくる! ついでに一暴れしてやるさ……!」
「正気か!?」
操縦席に乗り込み、発進準備を進める修一にロディが叫ぶ。
「ガスなら高く飛べばある程度は問題ない! お前はこいつらを逃がしてやってくれ!」
「お前……死んでも知らねぇぞ!?」
「死んでられるかよ、頼んだぞ!」
「あああ仕方ねぇもう勝手にしろ! クランク!」
それに応じてロディが叫ぶと、整備員が二つに折れ曲がった棒を手に現れ瑞雲のカウルへと差し込む。
「発進準備! シャッター開けろ!」
クランク棒が力強く回され、エンジンが唸りを上げた。修一はそれに合わせて操縦席の計器に目を通す。
「オーケー、出るぞ!」
正規の手順を踏まない慌ただしい発進。修一は背後から誰も返事を寄越さないことに一抹の不安と寂しさを覚えたが、それを振り払い前を向く。
眼前のシャッターは音をたてゆっくりと開いており、その先の海の色をじらしてくる。
「出せ!」
シャッターが開ききる。それに合わせて修一はレバーを握りこみ、ゆっくりと押し込んでいく。それに合わせて瑞雲は重苦しく前進し、海へと漕ぎだしていく。
「!」
少しの加速の後、十分に速度の乗った瑞雲はいつものように水面を離れ、空へと昇っていく。




