プロローグ:ペトラ・ナッツという少女
本作が同人誌として頒布された際に書き上げた前日譚です。読んでいなくても本編はお楽しみいただけます。主人公のバックボーンを掘り下げた短編になりますので、よろしければこちらも是非。
ここではないどこか別の世界。
女神が地上に降り立ち、世界が始まり今年で約一四〇〇年。
そんな歴史の中、今からおよそ五百年前、この世界には一つの伝説が生まれた。そんな伝説に、一つの人間が登場する。
〝ナッツ〟という姓を持っていたその人間は、伝説の主役である英雄とその仲間達と共に、戦乱に明け暮れていたこの世界を渡り歩き、平和をもたらした。その後身分を得て、片田舎に家を構え、武家として王家に仕える武人を輩出してきた。それが今日まで続く名家、ナッツ家の歴史である。
そこの長女が結婚するという話は、存外に早く広まった。
「失礼します」
ナッツ邸三階。屋敷の中でもよく陽のあたる長女の部屋の扉が開く。その先からは白髪に少し先端の反り返った口ひげをたくわえた老執事が現れた。
「おはよう。何か用?」
そんな執事を部屋の主が迎える。見事な金髪を腰まで伸ばし、窓際に腰かけた美女──オフィリア・ナッツ。ナッツ家長女にして、数日後東の名家、〝テンバー家〟に嫁ぐことが決まっている令嬢である。
「また気分が優れないようでしたらお世話をするようにと旦那様から仰せつかりまして。お変わりありませんか」
「ええ。もう大丈夫。お父様も心配性ね」
「娘の体調が優れなくて心配にならない親などいませぬ。何か必要なものはありますか?」
「いや、今は無いかな。皆はどうしてる?」
オフィリアが質問を投げ返す。皆、とはすなわち兄妹のことだ。執事はそう理解し言葉を返した。
「皆様大変に心配されておりました。レーバー様はお父様と一緒に公務を、ニコルス様とシモン様は学校へ行かれました。ドロッセラ様の学級は今日は臨時閉鎖だそうですが。ぺトラ様は……」
と、ここで執事が一瞬口をつぐむ。〝ぺトラ〟という名前が出た瞬間、オフィリアが少し残念そうな顔をした。
「……まだふさぎ込んでるの?」
「はい……学校には向かわれたようなのですが……」
「……そう。少し出かけたいのだけど、いい?」
「わかりました。では準備を……」
「いい」
そう言うとオフィリアが立ち上がる。
「一人で行かせて。姉妹水入らずの時間が欲しいの」
「ですが、今あなた様は……」
「お願い」
「……左様でございますか。では、お気をつけて」
***
「……」
ナッツ邸から少し離れた繁華街。時間帯のせいか少し人の少ない通りを一人の少女が歩いていた。
少し俯き気味で表情はうかがい知れないが、短く切り揃えられた金髪や、質素なデザインではあるが上質な素材を使っていることがわかるブラウスが目を引いた。
「あら、ぺトラちゃんじゃない。今日は早いのね」
「うん、今日は午前授業だったんだ」
不意に話しかけてきた花屋の店主気付くと、少女は愛想のいい笑みを返した。金髪の下からは現れた端正で中世的な顔つきはともすれば男性に見えないこともない。
花屋の主人の声が上がったからか通りの住人達も少女の出現に気付く。
「おうお嬢ちゃん、元気してたか?」
「あらぺトラちゃん、久しぶりねぇ!」
少女の名はぺトラ。この通りでは少し名の知れた有名人であり、学校の行き帰りによく声をかけられていた。
彼女がここまで人気なのは彼女の人柄もあるが、もう一つは彼女の名にあった。
姓は〝ナッツ〟。ぺトラはオフィリアの妹にして、ナッツ家の末娘だった。
「何かいいことあった?」
「最近どうだい?」
「お姉さんは元気にしてる?」
「ごめん、ちょっと一人にして欲しいかな……」
***
「……」
それから数分後。ぺトラは喫茶店のカウンターに腰かけていた。目の前にはグラスに注がれた紅茶が。既に半分無くなり、ぺトラはつまらなさそうにマドラーで氷を突いていた。
「まだふさぎ込んでるのかい?」
ふと、そんなぺトラにカウンターでグラスを磨いていた店主が声をかけた。
「別に。ふさぎ込んでなんかないよ」
「そうかい? 僕にはどうも機嫌が悪いように見えるな」
「僕はいつもこうだよ」
「お姉さんのこと、まだ認めてないのかな?」
「姉さんのことは……」
小さく息をつく。
「姉さんのことは……」
「ここにいた」
ぺトラが口を開いた瞬間、背後から声がする。振り返ると、店の入り口にオフィリアが立っていた。
「隣、座るね?」
「……」
オフィリアは静かに笑うとぺトラの隣の席に腰を下ろした。水色のワンピースを纏ったオフィリアと白いブラウスを来たぺトラは髪型から身長まで見事に正反対であったが、漂わせる空気が同じ類の存在だということを静かに主張していた。
「今日は早かったね。午前授業だったの?」
「……うん」
オフィリアは何気ない話をしながら、供された紅茶に口をつけた。
「そうだ。今日の夕飯、玉ねぎのスープが出るんだって。ドロッセラが喜ぶね」
「……あのさ」
「?」
不意に、ぺトラが口を開く。
「無理して話さなくていいよ」
「……そっか。わかっちゃうか」
ぺトラがオフィリアに視線を投げる。それに返すようにオフィリアは息をつくと、また言葉を続ける。
「ぺトラは……私のこと嫌い?」
「まさか」
即答する。しかし言ってから恥ずかしくなったのか視線を外し、グラスに口をつける。
「……私も、ぺトラのことは好きだよ。だから……今度の結婚式、来てもらいたいなって思ってる」
「……うん」
「でも……なんだろうな。何か……気に入らないことがあるよね。それを解決しないまま、家を離れたくないな……って思って」
「無いよ。そんなの」
すかさずぺトラが返すがオフィリアは小さく笑った。
「姉さんの相手にあるのかな」
「……」
「どうかな」
「だって」
「?」
「だってそれって……その……」
「お父様が決めた結婚だから?」
「……」
ゆっくりぺトラが頷く。
「悪くはないよ。相手のミロディアさんだっていい人だし。ぺトラもそれは知ってるよね」
「……うん」
「ねえぺトラ。ぺトラの思ってること、私もわかるよ。でも、さ。正しいことって一つじゃないんだよ。正解っていっぱいあるの。今回の結婚だって、正しいことの一つだって、私は思ってる」
「……でも……」
「でも?」
「それは……その……」
「?」
不意にぺトラが肩をいからせる。そして、一気に言葉を吐いた。
「だって! そんなの……」
「そんなの……何?」
「そんなの……」
ぺトラの声が弱まる。語気を強めて吐き出された言葉は先細るように消え行ってしまう。
「……姉さんは、それでいいの?」
代わりに出てきた言葉は疑問だった。
結婚とは、愛する者同士でやるのがするのが当たり前だ。信頼と、友情と、その先にある愛情の果てにあるものだとぺトラは思っていた。
故に、理解できなかった。決められた相手と婚姻を結ぶことが。それはもはや尊厳を損なわれることに等しいのではないか──そう思えてすらくる。それを強いる家には疑問があるし、受け入れてしまえる姉のことも、十四歳の少女にはわからなかった。
「いいよ」
「どうして……」
「邪魔するぜ」
ふと、突然店の入り口から声がする。オフィリアの言葉を遮る形で耳に届いた声に振りむと、同時にぺトラの頬を銃弾が掠めた。
「強盗だ!」
「ぺトラ!」
誰かが上ずった声で叫ぶ。同時にオフィリアがぺトラをカウンター下に押し込み、強盗から隠した。
「動くんじゃねぇ!」
そこで初めてぺトラは相手の姿を見た。男が三人。いずれも銃を持っている。しかもリーダー各と思われるサングラスの男の銃に至っては、明らかに魔銃だとわかる文様が刻まれていた。
「全員手挙げろ! 窓も閉めるんだ!」
男の怒声に店内の客も店員も恐れたように手を挙げ、男達に追いやられるように店の隅へ集められてしまう。
「おい! お前もだ!」
「わ……私は……」
一方そんな中でオフィリアは自分の座っている席から立とうとしなかった。当然男達の目に留まり、サングラスの横に立っていた黒いシャツの男が彼女を怒鳴りつけた。
「立て!」
「い……嫌」
神妙な顔をして拒否するオフィリア。立てるはずもない。今この場を立てば自分の服の裾に隠れている妹も見つかってしまう。
「うるせぇ! 立てや!」
痺れを切らした男がオフィリアの髪を掴み乱暴に立たせる。
「ぺトラ!」
オフィリアが抵抗する。しかしそれもむなしく席から引きはがされ、その下にいるぺトラの姿が露に──
「あ? 誰だそりゃ」
いない。カウンターの下には誰もいなかった。
「……!」
そのカウンターの裏。そこにぺトラはいた。先ほどのごたごたに紛れてオフィリアの足元からなんとか潜り込んでいた。
──どうする!?
息を殺し必死に思考を巡らせる。オフィリアのおかげでなんとかまだ発見されていないが、それは逆にこの場にいる者を助けられるには自分だけということを意味する。だからこそしくじれない。人質に取られてしまった姉を救う為には──どうすればいい。
「おい、カウンターの裏も見ておけ」
「!」
カウンターの向こうで黒シャツの声がする。同時に別の方向から足音が聞こえてきた。
近づいてきている。このままでは強盗に発見され自分も人質の仲間入りだ。それはまずい。なんとかせねば──。
「どれどれ……」
「喰らえッ!」
三人目の男がカウンター裏をのぞき込んだ瞬間、ぺトラが飛び出した。裏の棚に収められていた酒瓶を握り、男の広い額に向けて思い切り振り抜いた。
「なっ!?」
瓶が割れる音と何かを殴打する手応え。相手を殴り倒したことを感覚で理解する。興奮で体温は上がり、勢いのままぺトラは男に馬乗りになると頬へ向けて全力の拳を打ち込んだ。
「てめぇ!」
「動くな!」
精一杯の大声を出し相手を威嚇し返す。気絶した男の顔に割れた酒瓶を近づけ、威圧的に睨み返す。
「姉さんを解放しろ!」
黒シャツとぺトラが睨み合う。互いに沈黙し相手の出方をうかがった。
「ぺトラ!」
瞬間、オフィリアの声。はっとしたぺトラが横に転がると一瞬前までぺトラのいた場所を小さな光弾が掠めていった。
「調子に乗るんじゃねぇガキぃ!」
見るとサングラスが魔銃をぺトラに向けていた。慌ててぺトラは殴り倒した男の腰から剣を奪い取ると銃へ向け返す。
「ふん」
サングラスに気を取られているうちに黒シャツも銃を抜いていた。またしてもぺトラは横飛びに銃撃をかわし、目の前に現れた階段を駆け上がり二階へと逃げた。
「逃げたか。おい、捕まえてこい」
「言われなくても……!」
サングラスがそう言うと黒シャツは苛立ったように後を追う。
「はぁっ……! はぁっ……ッ!」
二階へ駆け上がったぺトラは並べられた十数個のテーブルの間を縫い、一番奥に置かれていた木製のロッカーに飛び込み、必死に呼吸を整えていた。
さっきは上手くいったが相手は成人男性。まだ十四歳、それも女性のぺトラでは正面から戦えばまず勝ち目はない。せめて助けを呼ぶことさえできれば──
「どこかなぁ~?」
「!」
黒シャツがふざけた声で言葉を呟きながら姿を現した。
「隠れたな? お嬢ちゃん、あんま大人をからかうもんじゃないぜ……?」
黒シャツが下品に笑いながらぺトラを探す。そして、部屋の奥へ置かれた木製のロッカーを見つけた。
「子供のおつむ、隠れる時間もない……まぁ、ここだよな?」
ロッカーの前に立つ。もう一度背後を振り返り部屋を見渡すが隠れられそうな場所はない。
「今から出てくるなら痛い目にはあわせないぞ?」
威圧的に銃をならす。そしてゆっくりとロッカーへと銃口を向けた。
「さ~ん」
数を数え始める。
「に~ぃ」
引き金に指をかけ──
「い~ち」
「隣だバカッ!」
瞬間、勢いよく隣に置かれていたもう一つのロッカーからぺトラが飛び出した。そのまま腰にタックルを仕掛け相手を押し倒す。
「うっ!?」
そのまま素早く馬乗りになり、鞘に収まったままの奪った剣で力任せに相手を殴った。
一発、
二発、
三は──
「!」
三発目を振り下ろそうとしたところでついに受け止められた。そのまま黒シャツは無理矢理振り払うようにぺトラをなぎ倒す。
「クソガキが!」
黒シャツが吠え、銃をぺトラに向ける。
「!」
銃声。同時にぺトラは床を転がりなんとかそれをかわすが、散弾だった相手の一撃は、わずかだが腕を捉えてしまった。
「うがッ!」
日常生活で感じるレベルを超える痛みが左腕を走る。痛みに眩む視界で男が何かを振り上げるのを見たぺトラはとっさに剣を突き出し、滅茶苦茶に振り回した。
「おっと」
黒シャツはそれを見て少し飛び退くと、再びぺトラへ銃を向けた。
「うわあああああああああッ!」
また撃たれる。そう恐怖を感じ取ったぺトラは無我夢中で剣を投げつけ、近くのテーブルに置かれた皿も投げつけ始めた。
「くっ……大人しくしろってんだ!」
銃声。黒シャツが放った弾丸はぺトラが投げつけた皿をいとも簡単に破壊するが、その中から飛び出した破片が顔に降り注いだ。
「おっ……と……!」
その一瞬を突いてぺトラが横に飛ぶ。
逃げなくては!
痛みで我を忘れた体は本能的にそう叫び、降りればまだサングラスの男がいることも忘れて階段へと走る。
「待てやコラ!」
瞬間、背後から恐ろしい怒声が聞こえ、ぺトラの腕が掴まれる。見ると黒シャツが追いついてきていた。
空気が止まる。突然コマ送りのように流れ方が変わった時の中で、ぺトラは黒シャツの銃が改めて自分に向けられるのを見た。
──撃たれる。あの痛みが、いや、今度はこの距離だ。外さない。となるとあの数倍の痛みが飛んでくる。死ぬ。間違いなく死ぬ。
ぺトラは恐怖した。銃で撃たれる痛みなど、本来子供に処理できるようなものではない。これを受ければ自分は死ぬ。コマ送りの時の中で、気味の悪いほど冴えた頭で、それを理解し、恐怖し、そして──、
背後へ身を投げた。
「うおっ!?」
体重をかけ背後に身を投げたぺトラ。その腕を掴んでいた黒シャツは突然のぺトラの行動に驚き、手を離すことを忘れてしまった。それが彼の運命を分けてしまった。
「やべっ……!」
慌てて手を離すがもう遅い。ぺトラに引っ張られてバランスを崩した黒シャツはぺトラの背後に──階段に同じく身を投げてしまう。
「うっ! ぐ、痛ッ……!」
「うおおおあああああ!」
二人はそれぞれ派手に階段を転がり、散々体を打って一階へと落ちてきた。
「……!」
「ぺトラっ!」
そんな様子にサングラスは目を見張り、オフィリアは悲鳴を上げ妹の名を呼んだ。
「う……ね、姉さん……」
それに先に答えたのはぺトラだった。弱々しく立ち上がり、目の前のオフィリアへ視線を向ける。その背後に転がってきた黒シャツはどうやら頭を打って気を失ってしまったらしい。
「やってくれたなガキ」
「姉さんを……放せ……」
ふん、とサングラスが鼻を鳴らし銃を抜く。すると銃全体に刻まれた文様が輝き始めた。
「……?」
「危ない!」
瞬間、光弾が吐き出される。ぺトラの足元に着弾したそれは木の床を抉り、衝撃にぺトラは尻もちをついてしまう。
「ガキのくせにやってくれるじゃねえか。二人もやっちまうなんて……もう生かして帰さねぇ!」
サングラスが吠え、二度、三度と引き金を引く。なんとかぺトラはそれをかわし、最初に倒した男の傍に落ちていた割れた酒瓶を拾い上げる。
「今更そんなモンでなんとかなるかよ!」
銃声。ぺトラの手元で酒瓶が割れた。
「うっ!」
「死ね!」
衝撃で転んだぺトラに改めて銃口が向けられる。銃身が妖しく光り、ぺトラへ向けて必殺の一発が放たれる──
「やめて!」
瞬間、オフィリアがサングラスの魔銃に飛びついた。
「うっ!? 何すんだ!」
「逃げなさいぺトラ!」
オフィリアとサングラスがもみ合っている隙にぺトラは別の酒瓶を拾い上げる。そうしてサングラスへ向けて猛然と走り込んだ。
「うああああああああああああああああああッ!」
「うざってぇっ!」
が、勢いよく振り払われたオフィリアとぶつかり、二人そろってその場に転がってしまう。
「もういい! まとめて死ね!」
激高した男が転んだ二人へ向け再び銃を向ける。今度こそ邪魔するものが無くなった魔銃は光り、目の前の獲物を向けて光弾を──
「その人に触るな!」
「!?」
声がした。かと思った瞬間、サングラスの背後の窓が割れ、一人の男が飛び込んできた。
「なんだお前!?」
丁度着地地点にいたサングラスは突然の乱入者に困惑したまま押し倒され、喉に剣を押し当てられたことで初めて状況を理解した。
「あれは……」
「ミロディアさん!」
オフィリアが声を上げる。青い上級隊士の制服を纏い、やや長めの黒い前髪の下から鋭い眼光を向ける男──、ミロディア・テンバー。オフィリアの婚約者だ。
「無事ですか、オフィリアさん」
ミロディアはサングラスを組み伏せたまま、オフィリアに声をかける。
「ミロディア……!? ミロディア・テンバーか!? 何故ここに!?」
サングラスが上ずった声で言う。
「さぁな。さて、市民を人質に取り、俺の大切な人を怖がらせた罪、償ってもらうぞ」
サングラスが情けない声を上げるが、抵抗する間もないまま呆気なく殴られ、そのまま気を失ってしまった。
「……無事ですか」
サングラスと仲間の両手を縛り、人質を解放した後、ミロディアは優しくオフィリアへ声をかけた。
「はい。なんとか……妹が助けてくれたので」
「妹?」
ミロディアはそう呟くと、オフィリアの背後に立っているぺトラの姿を見つけた。
「君が……」
ボロボロのぺトラの姿を認め、何があったのか察したミロディアは口をつぐむと、背筋を伸ばし右腕を胸の前に水平に掲げた。敬礼の姿勢である。
「ありがとう。君のおかげで皆助かった」
そんなミロディアの言葉を、ぺトラはぼんやりと聞いていた──。
***
「──健やかなる時も、病める時も……」
それから数日後。オフィリアとミロディアの結婚式は無事挙げられた。ナッツ家とテンバー家、両家の者が参列した式は豪勢なものとなり、その中には当然ぺトラの姿もあった。
「……」
慣れない礼服に身を包み、今まさに誓いの言葉を述べている二人の姿をぼんやりと見つめていた。
ミロディアは良い人間だ。元々彼には好感を抱いていたが、数日前の一件で改めてそう思った。姉に相応しい相手だと思うし、周囲は誤解していたがそもそも二人の結婚は始めから反対していない。
──でも、これは政略結婚だ。
姉は運が良かっただけだとも思う。たまたま決められた結婚の相手がミロディアで、たまたま示された道が自分の目指す幸せの方向だった──というだけ。自分が姉と同じ立場だったら、幸せと言えるか。良い人に囲まれ、良い相手と決められた結婚をする──
答えは絶対にノーだ。
「……」
自分は武家の人間だ。武家の人間として生を受けたなら、目指すものは武人だ。誰かの為に命を捧げ、誇り高く生きる。結婚だって、自分の決めた相手としたい。
その為には。ふと、ミロディアに視線が向く。
「あの人くらい強ければ……」
ミロディアのように強ければ、そしてそれを周囲に知らしめし、認めさせれば──その先に自分の目指す幸せがある。ぺトラはそう確信していた。
「そうだ……僕は……」
欲するものは強さと名声。
「強くなるんだ」
どこまでも晴れ渡り、一組の夫婦の誕生を祝う心地よい青空の下、ぺトラはそれを確認した。
そんな少女の決意は、想いは──二年後に試されることになる。
***
──一機の軍用機が飛んでいた。深緑の機体は灰色一色の風景の中、プロペラを唸らせながら真っすぐに飛んでいく。迷彩効果を得るためになされた塗装は、この状況では逆に浮いてしまっている。
「おい……どうなってんだこりゃ」
何も見えない。どうやら雲に囲まれているらしい。それ自体は別に慌てることではないのだが──その日はどうも様子がおかしかった。
「石脇!何か見えるか!?」
操縦席に座っていたパイロットは小さく舌打ちすると、後部銃座にいる仲間に声を飛ばすが返事は無い。
「……石脇?」
不思議に思ったパイロットがなんとか背後の様子を探ろうとするが、その瞬間機体の傍で雷が轟いた。
「うおっ!?」
まるでそれが合図だったかのように一斉に空が荒れる。
「なんだよこれ……!」
操縦桿を握る手に力がこもる。
「俺は……!」
また雷が轟いた。
「〝西沢修一〟は……!」
さらに雷が轟く。
「こんなトコで終わる男じゃねええええええええええッ!」
三度雷が轟く。
そして、
機体に落ちた。
「──」
何もかも、一瞬で消えた。音も、機体も。パイロットも。
そこにはただ、まるで元から何もなかったかのような静けさだけが残っていた。