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託す思い。

作者: 雛菊しぐれ

 善行を積み、慈悲を重んじて何をも求めぬ、そのような村で私は産まれ、血を浴びながら故郷を捨てた。剣を持てばあるいは生き残れた者もいた筈だと悔やんだ私は、悪意にまみれた族を恨んでいたのか、偽善を尽くし悲惨に散ったその村を軽蔑していたのか、今となってはそれもわからぬ事。覚えていることは、剣を振り回したおかげで助かった、という事実のみだった。

 時は流れ、人並みとはいかぬともそれなりに生き延びる事に慣れてきた頃。私に失った道徳心を思い出させてくれる女性と出会った。求めることはなく、与えることに尽力し、他の幸福を喜ぶような女性だった。私は彼女から様々な事を習い、同時に彼女を守ることに徹した。

 しかし、彼女は殺された。傷つき倒れている男に治療を施し、飢えを耐えながら食事を与え、夜は寝るまで付き添った。その相手が、彼女を襲い首を絞めた。

 その男の首を落としたとき、私は悟った。悪は裁かねばならぬ。悪を野放しにし、理不尽な仕打ちをうける不幸な善人を苦しめてはならぬ。誰かがそれを成さねばならぬ。



 悪は善意に漬け込む。善あるところ、悪あり。思想を持つもの共達の集まるより所に溶け込めば、自ずと粗は燻し出されると見た。私は正を振り翳す志士の下へ志願し、秘匿の集まりへ顔を出す。日中、彼女から習った文字の読み書きを活かし、学び舎で筆を教えた。夜は志士に混じり世の悪の匂いを辿る。

 今から思い返せば、本能で動く獣と何も変わらぬ姿。志士が追う悪人を闇夜を被り殺した。一人ひとり着実に、確かな悪を減らしていった。無論、『悪は全て』葬った。志士の数は当然、次第に減っていった。



 我々の活動は充分すぎる成果を生んだ。その場所は、志士の手により血が流れすぎていた。当然国に知れ渡るも道理。ある日、志士の集いに若者を連れた者がいた。

 その男、志士の幹部となり日の浅い、サツマと名乗った初老の男。名のある名刀を腰に据え、徳の高い着物を着る大柄な男と記憶している。志士は幾度もその男に守られ、手綱を取らせ戦果を挙げた。そのような男が、細身で病弱な年端も行かぬ若輩を連れ、この集団に引き入れるという。異論は無かったが、若者の顔は本意に思わぬものであった。



 名は、ヤマトと言う。物覚えは良く、素質はあるが病弱。体力は持病によって身につかず、足手まといと避ける輩も少なくなかった。本人も承知しており、どこへ行くにもサツマの腰巾着となり、結果あまり歓迎もされず。されど、サツマを慕う者共はヤマトを非難する程の度胸など無く、押し黙るのみである。私は元より独りの身、群れなど作らぬ主義であった為に、サツマの思惑からは身を引くことが出来たのであった。

 サツマは、志士の権力を手に入れた。腰巾着のヤマトは群れぬ私の周りをうろちょろと動き回り、義も無ければ有益でも無い無駄話をし始める。口数の少ない私はただ座ったまま剣を研いでいたが、ヤマトは私に何故か心を開いていったのだ。



 ある日、ヤマトは私に自身の事情を話した。聞けば、ヤマトには義を見る才があるという。その一点秀でた特技を買われ、サツマの元に置かれていた。

 私の調べではサツマは、志士の中に暗殺騒動の元凶があると目をつけ参入したという、国の役人であった。暗殺騒動とは私が手をかけた悪人達のことを指すのだろう。私はいかなる悪をも許すつもりは無く、志士が目をかけた獲物以外のどの悪をも同時に葬っていた。悪は悪行を働く前に滅ぼさねばならぬ。片鱗を見せたものは私が闇夜に葬った。それをサツマは睨んでいたのだ。



 だが、ヤマトはこの志士達の集いに困惑する。当然ながら、義を振り翳す者などいないからだ。彼らは自身の名誉と都合のみで動くろくでなしであり、力に屈服するような半端者である。義でここに来たサツマにのみ従う価値を見出したヤマトは、同時に私の義にも鼻を利かせたらしい。だからこそ、あの晩を不思議と思わなかったのだろう。



 その日は来た。サツマは志士を呼び出し酒を酌み交わした。今後、志士の活動範囲を広げる為の準備が整い、互いに結束を結ぶ儀を行いたいという計らいだ。私はその酒を飲まず、ヤマトはそれを残念そうに見つめた。その態度から、サツマは独断で働く悪であることを確信した。

 夜中の下町を歩く影。月明かりの下で私はその男━━サツマを討ち取った。悪の血を払い、死体にしぶきを飛ばす。外道の血など錆の元である。

 倒れるサツマを見る前に、視界に入るヤマトの姿。ヤマトは驚愕の表情をほんの一瞬顔に出すも、即この私に剣を構えた。建物の影、顔も見えぬはずのこの私を、正しく『ゼンロ』と認識したのである。彼は、震える声で問う。何故、私がサツマを殺したのか、と。



 私は刀をヤマトに向ける。ヤマトの表情が曇る。問いに答えよ、と私を睨むが、私の問いより先に刻が来た。突然の吐血、剣を落とし、目を見開き、無言で叫びながらのた打ち回る。ヤマトは、死の淵で私ではなくサツマを睨んだ。

 理解したのだ。その毒は、志士に振舞われた遅効性の酒の毒。もはや志士達はこの世に居まい。サツマは志士の中に潜む悪を捜すことを殺人被害解決の先延ばしと考えるや、『全滅』をもって脅威を消そうと企んだのだ。

 志士達の警戒心をヤマトの参入で謀り、酒を飲み交わす口実とともに『毒の可能性』を悟らせぬよう、自らの子も同然のヤマトにも同じものを呑ませた。そして、ヤマトの天性の才を持ってして、義を持つ者を選出しようとし、私の後をつけまわしたのである。サツマは、国の脅威の為ならば自分の右腕をも差し出す『悪』だが、ヤマトの見立てではその忠実さは国に対しての『義』だとされていたのであろう。

 そして、ヤマトは今それを悟った。自分を使って悪を葬ろうと考えたサツマの真意を。それは果たして、最後のヤマトにとって『悪』だったのであろうか。私にそれは判断することはできぬ。故に、私が出来ることはひとつだけであった。死ぬほどの毒の苦しみ、親代わりの男に裏切られたことの憎悪で死ぬよりは、私の剣を恨む方が幾分救いになるであろう。サツマの血を拭ったその剣で首元に構えた。



 しかし、かすかな声でヤマトは言った。その剣を人に向けてはならぬ、と。その目に浮かぶ涙は憎悪ではない。苦しみからくるものではない。彼は息絶え絶えに私に告げた。



 ━━剣を人に向けてはならぬ。悪を裁く事は正義にあらず。私はあなたの姿を知らぬ。剣を振るう刹那を見ておらぬ。故に、あなたは未だ悪ではない。殺すことは義ではない。生かすことこそ義と思う。生かしてこその、正義と思う。



 血を吐き倒れ、心臓の鼓動が消えるまで、十数分という刻が過ぎる。私はヤマトの最後を見続けた。地面に伏せた顔からは、果てる表情を私に見せまいとする確かな『義』を感じた。ヤマトは、私の思う『義』であった。

 同時に私は疑問に思う。繰り返し、繰り返し、斬っては捨てて散らして屠った悪党数知れず。結果この世はいかなる変化を遂げたのか。伴侶となる筈だった彼女を失ってから時も忘れたこの数年。新たに屠った悪は三十と少し。人の命をこれだけ奪い、この世の義はどれほど保たれたのであろうか。そして、この世の悪はどれほど潰えたのであろうか。



 私は現在、剣の稽古と字の読み書きを子に教えている。彼らはまだ義も知らず、また悪もない。私は血の吹きやまぬ世にあったが故に人に剣を構えることを辞めはしなかったが、サツマを最後に悪を斬る為に使うことも無くなった。世は数回の混沌に呑まれ、また振り翳された『義』の為に、あるいは蔓延る『悪』の為に、殺し、殺され、育まれ。そしてこの世が生まれ出でた。



 私が剣を構えても、私が剣を収めても、世の義は増えず、世の悪は減らず。人斬り如きで何が変わると言うのだろうか。私は二度と義を語ることは無いだろう。願えるものならば、ヤマトの教えをこの子らに。正解など、今更考えたところでわからぬものだ。自分の一生が失敗だったとは言わぬ。



 しかし、私の生き方は義ではなかった。今はただそれだけを、この子たちに教えたい。

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