デイ・アフター・トゥモロー
「思ったより早く戻ってきたなあ」
イタリア国境付近の、スフェール半島で唯一機能している民間空港。
沙希はがらごろとキャリーケースを引きながら、現代アートの透明なオブジェを見渡した。建てられたばかりという無機質な空港のロビーは開放的な空間デザインで明るく自然光を取り入れている。
その後ろをアメリアが、ボストンバッグを肩に下げて歩いている。
「沙希のその服、かっちりしてるのに可愛いね」
ブレザー制服のフレアスカートをひらりと翻して振り返る。
「かぁーわいいでしょ? これ私の高校の制服。これでも進学校だから頭いいんだ」
「沙希が高校生って、あの戦いぶりを見たら信じられないよなぁ」
小ぶりなキャリーケースを引くロザリーが呆れた目で沙希を見る。
沙希は「にっ」と笑ってピースサインで返した。
「これで名実ともに『女子高生』挽回だよ」
休学していた沙希は、日本で復学することになっていた。
ひと気のないラウンジでジゼルが沙希とロザリーを見る。
「二人は同じ便なんだよね」
ロザリーはチケットの搭乗口と時間を確かめながら顎を引く。
「ケネディ国際空港まで一緒だ。そのあと沙希はニューヨーク経由で日本行きに乗り継ぐ」
「そー接続の問題でね。ゲロ大変なんだよー。20時間ぐらい空の上だよ!」
本当に気の毒そうな話に、アメリアが苦笑する。
「エコノミー症候群に気を付けてね」
「あ、ファーストクラスで取ったから平気」
「ブルジョアめ……」
「ホッホッホ。今の私はちょっとした成金だからね!」
ジゼルの冗談に高笑いして小躍りする沙希。
軽やかなステップを見る三人の目は、ちっとも羨ましそうではない。
「とんでもない退職金もらってたもんなあ……」
「退職金っていうか、ほとんど口止め料よね」
「不名誉」
非公式戦闘請負社員の高額な基本給に加え、危険手当や特別報酬、加えて法外な額の退職金を受け取っている。
優秀な働きを示したが手に負えない沙希は、ブラスト社から「頼むから辞めてくれ」と懇願された形だ。
「沙希はもともと女子高生だから復学も不思議じゃないけど」
ラウンジの自販機でコーヒーを淹れたアメリアが、ロザリーを横目に笑う。
「……まさか、ロザリーがアメリカに留学するなんてね」
「あたしもびっくりだ」
ロザリーはブラスト社の口利きで、アメリカの軍学校に留学することになっていた。
ジゼルはちょっと不満そうに口を尖らせる。
「いらないと思うけど。ロザリーはもうプロなんだから」
「いや。ジゼルを見て分かった。あたしもきっちり学ばないといけない」
ロザリーは迷いなく言う。
まだ本当の戦場で戦うには準備不足だった。知識も、技術も、過去の傷も。
体系立てた実践教育は糧になる。そう思ったからロザリーは留学の提案を受け入れた。
沙希は一人手ぶらなジゼルを振り返る。
「ジゼルはまだ戦うんだよね」
「うん。むしろ、残るのがあたしだけだね」
両手を後ろ手に組んで、ジゼルはアメリアに視線を向ける。
アメリアはドイツに帰国。ジゼルだけがスフェールに残留することになった。
アメリアはコップを持つ両手の指をすり合わせる。
「無理しないでね、ジゼル」
「ん……ちょっと不安かな」
ジゼルは笑った。
「この四人が、最高のチームだから」
「かわいいやつー! もう私復学するのやめよっかな!」
沙希はジゼルに抱き着いて頬ずりする。
鬱陶しそうな顔のジゼルに代わってアメリアが引き剥がした。
「馬鹿なこと言わないの。せめて高校の卒業するか、腹をくくって退学するか、どっちかしてからにしなさい」
「うへーい。ま、大学まで行ってきますよ」
子猫のように襟をつままれる沙希は平然と笑う。こう見えて学力が高い。
ふと、視線を逸らした沙希が目を丸くした。
「あれ? ジョシュアさんじゃん。おーい!」
スーツ姿のジョシュアがにこやかに歩み寄ってくる。
「やあ、みんな。間に合ってよかった」
「どうしたんですか? わざわざ来るなんて」
「見送りさ。みんなには直接お礼を言いたくてね。それに、あの後の話も気になるだろう?」
ジョシュアの目配せに沙希は苦笑して、「聞かせてください」と頼む。
話によると、ベルナルドは沙希がいなくなった後も従順だったらしい。
まるで心を入れ替えたかのように、粛々と取り調べに応じている。
内部の深いところまで関わっていた彼だ。重大な情報がボロボロと出る。
「お陰で、釣り出したい相手の動きも見えてきた。ようやく本業に集中できそうだよ」
「本業?」
ジゼルが首を傾げてジョシュアを見上げた。
隣でアメリアは肩をすくめる。
「偉い人と一緒に悪だくみすることでしょ。情報部なんだし」
「その通りなんだけど、表現がよくないなあ」
たしなめるジョシュアは終始ニコニコとご満悦だ。非常に縁起が悪い。
不気味そうに眉をひそめながらも、沙希はジョシュアに尋ねる。
「ベルナルドはこの後どうなるんですか? やっぱり死刑ですか?」
「まさか。尋問のあとアメリカに送られるよ」
「……えっ。ハーグ国際紛争裁判所ではなく? なぜ?」
アメリアの問い返しに、ジョシュアは初めて表情を曇らせる。
「彼は薬物も売ってないし、殺人も命令していない。記録にある限り、ベルナルド・ストラーニは護身を充実させすぎただけの、普通のチンピラ商人だ。ハーグに送ってもあまりいいことがない」
兵器を開発することは罪ではない。
そもそもベルナルドが手掛けた歩機規格そのものは、兵器ですらない。
使用者がAK47を搭載しただけの、『乗り物』だ。
沙希は慌てて手を振る。
「いやいや! おもっくそガザ市でヴォーリャとウォーキーボックスに命令してたじゃないですか。私たちを殺すように!」
「その線で攻め切れるかは難しいな。彼らは応戦しただけだ」
しかも作戦に当たってガザ市住民の避難誘導までしていたらしい。
道義的責任を問うならブラスト社のほうが不利、という始末だ。そのためブラスト社はガザ市での件については口をつぐむしかない。ライザを撃ったことも含めて。
「じゃあ、子ども兵をウォーキーボックスで運用して略奪して回ったのも……?」
「ベルナルドと彼の会社は、ウォーキーボックスを売っただけだ。武器の用意と実行は別の武装グループがおこなったことになっている」
沙希は呆れて物も言えない。
つくづく。
つくづくまで抜け目のない男だった。
「いっそ感心するな」
「敵に感心すんなよロザリー」
沙希はあっという間に機嫌を損ねてしまった。
アメリアがふと空港の外に目を向ける。そこでは送迎に駆け回る軍用車両の姿があった。
「ライザさんにも直接お礼を言いたかったな」
「入院中だから仕方ないよ」
ジゼルは同じ気持ちだと示すように肩をすくめる。そんな二人を見て沙希が笑った。
「なんか体が鈍って仕方がないつって勝手に筋トレして、しこたま叱られたらしいけどね」
「元気ね」
くすくすと上品にアメリアが笑う。
全身に拳銃弾を食らってもバイタリティは相変わらずだ。
その流れでロザリーに目を向けて尋ねる。
「ブレンデンさんにお別れはした?」
「したよ。昨日、一緒にメシ食ったときに話してきた」
おっ、という顔でジゼルは食指を示す。
「約束通り一緒に食事したんだ? ブレンデンさんは何て?」
「勉強を頑張ってこいとか、相談があったら話せとか、当たり障りのないことを」
「かーっ!」
沙希が叫んだ。
「つまんねぇ男だよあのオッサンは! もっと色気のあること言えないのかね!!」
沙希にキツめのヘッドロックをかけながら、ロザリーはそっけなく言葉を続ける。
「だから言ってやった。卒業したら付き合えって」
ひゅー!!
黄色い悲鳴と歓声と口笛に湧く。
目を輝かせたアメリアがロザリーに詰め寄って、沙希の頭が二人の胸に挟まれた。
「ブレンデンさんは応じたの!?」
「卒業しても気持ちが変わらなかったら話し合おうってさ。逃げやがった。まあ、逃がさないけどな」
ロザリーは照れくささを誤魔化すように、強気な笑みを覗かせる。
年齢相応のどよめきに、ジョシュアは少し居心地悪そうにしている。
ふと、ジゼルの動きが鈍った。
「気持ちが変わらなかったら……」
三人の視線が集まった。ジゼルは笑う。
「……あたしたち、もう会えないかもしれない。戦争商売なんて無頼な仕事だし、スフェールに集まるなんて二度とないだろうから」
笑顔に寂しげな色が混ざる。
集まろうにも、北半球全土にわたってバラバラな場所に向かうのだ。再会も簡単ではない。
でも、と。
ジゼルはそう言って顔をあげる。
「でも、あたしたちは最高のチームだ。だから誓っておきたい。あたしたちはいつまでも仲間で、その気持ちは変わらないってことを」
それは魅力的な提案で。
「うん」アメリアは上品に応じ、
「おう」ロザリーは照れを隠しながらうなずき、
「いいよ!」沙希は俄然乗り気で拳を出した。
四人、拳を突き合わせる。
「口上はどうする?」
「適当でいいだろ。こういうのは気持ちが大事だ」
「沙希、任せるわ」
オッケ、と笑顔を閃かせて沙希は口を開いた。
「我ら! 進む道は違えども――心は一つ!」
失笑するアメリア、ジゼル、ロザリー。三人と順に視線を合わせて、
拳を突き合わせる。
「ユニット・エコー、万歳!」
「「「バンザイ!!!」」」
§
やがて。
飛行機のジェット音響が遠ざかる。
清潔に磨かれた空港に発着便アナウンスが日本語で流れる。
行きかう顔はそろいもそろって黒目黄土肌の大和顔。
キャリーケースを脇に止めて、沙希は両手を突き上げた。
「――帰ってきたぜ、日本!」
戦争を駆け抜けた女子高生。
日本に立つ。
感謝を捧げます──私の困難なときにあって支えてくれた家族、そして得難い友人たちに。
この小説は「金椎響」様本人の許可を得て執筆した、非監修スピンオフです。
金椎響『さよなら栄光の賛歌』https://ncode.syosetu.com/n3037bl/(最終確認日2018/11/17)
参考文献
伊藤計劃『虐殺器官』早川書房(2010年)
柴宣弘『エリア・スタディーズ バルカンを知るための65章』明石書店(2005年)
高木徹『ドキュメント 戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争』講談社(2002年)
ピーター・ウォレン・シンガー『戦争請負会社』日本放送出版協会(2004年)
ピーター・ウォレン・シンガー『子ども兵の戦争』日本放送出版協会(2006年)
宮嶋茂樹『不肖・宮嶋 空爆されたらサヨウナラ 戦場コソボ、決死の撮影記』祥伝社(2000年10月10日)