グロリアE
アドリア海の紺碧が稜線の向こうに広がっている。
独特なオレンジ屋根の街並みとは違う、秩序だった真新しいコンクリートの群れが山間をぽっかりと侵食していた。その落差は、雄大な景色にあってひどく作り物めい甲印象を与える。
キャンプ・ポロロッカ。
PMSCsの設営する連合軍駐屯地、そのために作られた急ごしらえの小さな町だ。
弾痕まみれのジープから降りて、沙希は空を見上げた。
「いやぁ……ついに来ちゃったね」
道路を行きかうのはジープや幌付きのトラックだけではない。
二足歩行の人型重機が荷物を全身にくくりつけてのしのしと歩いていく。沙希はしみじみと目を細めた。
ここは最先端の技術が結集された軍事都市だ。
ライザが紙巻きたばこに火をつけながら、ジープに肘をついて沙希に尋ねる。
「ヘイ、ジャパニーズ・キディ? このあとどうするか聞いてるか?」
「到着し次第迎えに来てくれるって話でした。あとは大丈夫ですよ」
「そうか。悪いな、あたしもこのザマだといろいろ仕事が増えるんだ」
ライザは傷だらけのジープを指さして苦笑する。
と、甲高いモーター音がアドリア海の低い空に響き渡る。
「やあ沙希、スフェールにようこそ」
セグウェイに乗ってジョシュアが颯爽と現れた。さらさらした髪がうさん臭く風になびいている。
「ジョッシュさん。なんで現場にいるんですか?」
「僕はどちらかというと現場責任者だよ。日本の臨時オフィスには出張ついでに立ち寄ったんだ。それがきみの面接日だったんだから、運命を感じるね」
「そうですか。そんなことより、私もセグウェイ乗ってみたいです」
「上司の登場をそんなこと呼ばわりするきみの胆力に敬意を表するよ。行こう、きみの仕事を説明する」
「じゃーねライザさん」
あっけにとられるライザを尻目に、ジョシュアを小走りに従えてセグウェイ沙希はキャンプポロロッカを疾走する。
広い二車線道路には見覚えのある白い走行線が引かれていて、まるで異国の内戦地であることを忘れてしまいそうだ。
ジョシュアは沙希に街の景色を示す。
「ここは複数PMSCsが協賛して運営する基地でね。名目上は米軍基地だが、我々の拠点もここになる」
「へぇー。あ、ピザ屋だ。へ? ピザ屋もあるんですか?」
「そうとも。好きなものが食べられないとストレスになるからね。ほかにも娯楽施設は多くあるよ。テニスに野球に映画、それに日本式のカラオケもけっこう人気だ」
「軍人って快適なんですね」
沙希の間抜けな感想には、ジョシュアは肩をすくめるに留める。
「常に基地にいられるわけじゃないからね。せめて基地にいる間くらいは、我が家のようにくつろいでもらわなきゃ……はあ、はあ。ねえ、ちょっと速い」
「速度調整難しいですね」
沙希は軽やかに受け流してセグウェイをうぃんうぃん走らせる。
道路をまた人型重機が歩いている。
ふっくらした肩装甲とアーム、等身に比べて短い下半身。自動車のCMで見る工業用アームが合体して人型になったようなロボットだ。
スーツ姿で小走りするジョシュアを、カメラアイが驚いた風に追いかけていく。
沙希はそのフレームを横目に見上げて首を傾げた。
「あのロボットはなんですか?」
「人型規格だよ。知らないかな? 最近は汎用装備として、最前線で活躍するのはあればかりさ。次の角を左」
「そうなんですか、意外。武力介入といえば戦車とヘリって思ってました」
「対戦車兵器も対空兵器も、歩兵が手持ちできるまで小型化したからね。小回りの利く機動力を重視したほうが、いい結果を生むようになってきたんだ」
「未来ですねー」
「我々はさらに未来を目指して、きみを雇うことにしたんだよ。そのシャッターの開いた建物だ」
「さらにですか?」
たずねながら、沙希はかまぼこ型をした巨大な建物に滑り込んでいく。
高地の強烈な日差しから急に日陰に入り込んで、沙希は暗そうに眼を瞬かせる。
セグウェイを止めた沙希の隣に、ジョシュアが駆け寄って膝に手を突いた。
「はあ、はあ。僕は情報部出身で、体力自慢じゃないんだ。無理はさせないでほしい」
「ジョッシュさん。これも人型規格ですか?」
薄暗い建物は広々と空間が広げられていた。
その中央。
入り口から漏れる斜光に、鎧の巨人がうずくまっている。
そのフォルムはどこかステルス戦闘機に似ていた。
ステルス戦闘機と同様のレーダー吸収塗料のマットブラック。流体力学を計算しつくした滑らかな装甲。骨格めいたフレームの女性的な曲線と、口を開けた物々しい武装の数々。機体の各所、そして背中に、ロケットのような噴射口が鈍く光っている。
それは兵器だった。
研ぎ澄まされた機能美の積み重ねが芸術の域にまで至った、完成された英知の火。
目を奪われる沙希にジョシュアが声をかける。
「戦闘用人型規格の"グロリア"を重装甲にブラッシュアップした、鎮圧を主目的とする起動兵器、グロリア・タイプEさ。きみには、この試験機を運用してもらう」
「……試験機?」
沙希は我に返って、ジョシュアを振り返る。
「私、車どころか原付にも乗れないんですけど」
「それでいいのさ。習熟していない素人を乗せられるくらい、強固なAI補助を搭載している……という触れ込みだ。運用試験の形で基地駐屯の認可をもぎとった」
「はあ、なるほど」
ぼんやりうなずいた沙希は、ふいに日本で受けたジョシュアの説明を思い出す。
「戦争に行くって、これでですか!?」
「もちろん。真っ当に今から訓練して装備をつけて前線に、なんて非現実的だ。そうではなく、この装甲兵器に守られるのがきみの仕事さ」
「えええええ」
「まあ」
ジョシュアは薄く微笑む。悪辣な政治家のような顔で。
「ついでにアレコレやってもらうかもしれないけどね」
「ぶ、ブラックバイトだぁ……!」
「承知のうえだろ?」
「そうですけど」
おののいたフリをやめて、沙希は機体を見上げる。
これが仕事の相棒だ。ふと、同型機が四機並んでいることに気がつく。
「ほかの三機はなんですか?」
「さすがに一機だけで戦闘に放り込みはしないよ。僚機、つまりきみの同僚だ」
「同僚? 脱法ブラックバイトにですか?」
「そう。同じような条件で雇った子どもたちが」
「ゲロクソブラック企業だったんですね」
「綺麗ごとで戦争を生き残るのは難しくてね」
しれっと法令遵守に鼻くそを塗りたくるような発言をして、ジョシュアは肩をすくめる。
「到着が遅れたから、仲間との顔合わせは明日にしよう。今日は試しに乗ってみようか」
「げ、もう乗るんですか?」
「シミュレータにね」
なあんだ、と安心した沙希が心の底から後悔するのは、わずか数十メートルほど歩いた隣室での出来事だった。
薄い壁で簡素に間仕切りされた空間の中央に、妙な機械が鎮座する。
「ジョシュアさん。私の目には、巨大ピッチングマシーンに椅子が取りつけられてるように見えます」
「少し違うね。縦方向だけじゃないから」
「この殺人マシーンは、捕虜の拷問に使うんですか?」
「ははは。確かにそんな使い方もできるだろう」
「おいこら」
「大丈夫、大丈夫。死にはしない」
「ジュネーブ国際条約! ハーグ陸戦条約!! 人権に基づいた捕虜の待遇を求めます!!」
「残念だが、きみは軍人じゃない」
「あ あ あ あ あ!!」
沙希は吐いた。
誘導ミサイルに乗るとあんな感じなのかな……という独白を残し、沙希は医務室に消えていく。