スフェールの空に響く銃声(2)
沙希は丘の斜面に沿って大きく回り込む。
12、13、14。走り続けていると、稜線から微かに両勢力が見えてくる。
山に伏せるテロリストは、休日に散歩してそうな民間人という私服姿でアサルトライフルを構えていた。
「それとも、民間人がアサルトライフルを握っているのかな?」
お互いの勢力は奇妙に距離が遠い。
開けた丘の真ん中で扇状に広がり、ジープを囲んで伏せている。岩の多い地形ではそれだけで充分な遮蔽になり、しかし他に遮蔽がないからこそ前進も後退もできずにいる。
後衛から改造戦闘車両が弾をばら撒きはするが、真正面からジープの装甲に撃ち込むせいであまり意味をなしていなかった。
銃声が山間に響きあい、蝉時雨のように飛び交う。
それらを横に見ながら沙希は走る。大きく円を描いて、斜面に隠れるように。車の斜め後ろに着いた時点で、30を数えていた。
「そろそろやばい、急がなきゃ。32、33、34……」
まず、残弾は無限ではない。
いくら技術があろうとも、神の戦士が仲間を犠牲にする覚悟で一斉に飛び込んできたら撃ち負けてしまう。
さらに言えば、最初に待ち伏せしていたテロリストたちだ。置き去りにして車で突き放したとはいえ、今も追っているかもしれない。
どうあれジープの横に回り込まれたら一貫の終わりだ。
「追いつかれる前に終わらせたいなら、私のラッキーヒットを待ってからでも遅くはないよね……! 当たらなくても、陽動にはなると思うし!」
48を数えるころ。
沙希はスズキの後ろにたどり着いた。
後ろから見下ろしてみれば一目瞭然だ。
開けた丘で、五人の男たちが身を伏せている。じれったい匍匐前進もどきの動きで、横転したジープににじり寄っていた。
スズキの後部座席に立って、ルーフにこじ開けた穴から上半身を出す機関銃男。罵声をあげながら銃声を連ねている。
車内には誰もおらず、立ち上がった沙希に気づく様子もない。
沙希は周りを見回して敵がいないことを確認すると、スズキに近づく。
「激しい銃撃戦っていうのは、アドレナリンを過剰分泌して前後不覚に陥らせる。戦争でフルオートは厳禁だって聞いたことあるよ。……日本の家庭なめんなよ、金曜ロードショーで戦争映画いっぱい見てるんだからな」
自分の声さえ聞こえない騒音に顔をしかめて、沙希は両手で銃を構えた。
映画で見た構え――右手をまっすぐ伸ばして、左手で手首をしっかり握って支える形で。安全装置を指で上げて、引き金に指を添えて、
「……おっと、ガク引きに気をつけなきゃ」
力を抜いてしっかり構えた。
軽やかに引き金を絞る。
パンッ、とクラッカーのような高い音とは裏腹の強烈な衝撃が腕を襲った。右手の親指に引っかかるような形で銃の反動を受け切る。
「おお。取り落としたかと思った。構えって大事ね」
つぶやきながら、沙希は銃を再度構える。
男の腕を狙ったはずだが、男に反応はない。
当然ながらゲームのように照準はないし、弾着の火花も血しぶきもない。弾がどこに飛んだのか判断する材料はなかった。
ゆえに外したとして、どっちにどう直せば当たるのかもわからない。
「マジかよ無理ゲーじゃん」
うめいた沙希は、ふと気づいて声を上げた。
外したかと思いきやシャツの左背中に血があふれている。
「たぶん肺かな。よしよし、当たった当たった」
再び引き金を引く。
今度は腕を撃ち抜いた。
興奮の頂点にあった男は、腕から力が抜けてようやく、自分の痛覚が他人の攻撃によるものだと気づく有様だ。
沙希を振り返って目を剥く。機銃の連射が逸れて、ジープに迫るテロリスト仲間の背中が打ち砕かれた。
蛮声をあげる男を見上げて沙希は笑顔を向ける。
「ごめんね?」
さらに拳銃の引き金は絞られた。
左肩を撃ち抜かれて男は両手を痙攣させる。機銃の反動に耐えられる状態ではない。
銃声。腹を撃たれ、男は逃げようとうろたえた。
銃声。胸をかいて呼吸にあえぐ。
銃声。背中を丸めてすすり泣く。
もう機関銃は止まっている。
異変に気付いたテロリストたちが、うっかり改造戦闘車両を振り返った。
車の屋根に血まみれの機関銃男がうずくまる。
彼を見上げて拳銃を構える、野戦服を羽織った少女。
ありえない光景に、愚かにもあんぐりと硬直した。
発砲を止めて、体をひねって、両目と意識をジープから逸らして、敵の全員が。
「撃て、撃て、撃て!」
状況の変化を悟ったライザたちが即座にジープの陰から身を乗り出した。
頭蓋を撃ち、体を横一線に撃ち抜き、喉を撃ち……一瞬にしてテロリストたちは戦士の国に送られていく。
全員を仕留めた後、ライザは油断なく銃を構えたままジープの陰から歩み出る。慌ててスズキの陰に隠れる沙希の背中を見て、銃口を天に向けた。
「……お前、なにやったんだ?」
「あ、大丈夫? 敵と間違えて撃たれない?」
男性兵士たちが手際よくテロリストの生死を確認する。機銃男を引きずり落として拘束していく。
それを横目に歩み寄ったライザが、改めて沙希を見てため息を吐いた。
「無茶苦茶をしたな」
車に寄り掛かったまま、沙希は「あはは」と笑う。
「当たってよかったよー。あたし才能あるのかな?」
「ほしいのかよ。才能」
「まぁないよりは?」
一秒たりとも思考を経ていないような顔での答えを受けて、ライザは深くため息を吐く。沙希に手を差し出した。
「銃を返せ。お前には持たせられない」
「はーい」
沙希が腕を持ち上げて、銃が指からこぼれ落ちた。ごちんと砂利に落ちる。
「うわっ! 危ねぇ!」
「あれ? ごめん」
手を伸ばすが、沙希の指は震えていて拳銃の重みに耐えられない。何度も取り落としてしまう。
ライザは沙希を見つめた。
「お前……」
「お、おかしいな。力が入んないや。あは、あはは……すっごいブルブルする……」
「もういい、わかった」
ライザが銃を拾って腰に収める。沙希の手を取って引っ張り上げると、そのままお姫様抱っこにした。
「わ、あ?」
「じっとしとけ。車はすぐだ」
男性兵士が二人がかりでジープを押してひっくり返していた。
サスペンションいっぱいに軋んで弾み、四輪を久々に接地させる。車両の無事を確認した男性兵はライザを手招きした。
他のテロリストに捕捉される前に離脱しなければならない。
「沙希」
ライザの腕でぼんやりジープを見ていた沙希が、頭上の顔を見る。
「ん? なに、ライザさん」
ライザは沙希にウィンクを送った。
「戦争へようこそ」