殺意の爪痕(2)
機体を降りた沙希の足が、格納庫ハンガーの床に触れるかどうか。
「沙希ィ!!」
沙希はロザリーに突き飛ばされて脚部装甲に叩きつけられた。
胸倉を握るロザリーの拳が沙希の喉元に押しつけられる。
「いでで、苦しい。ギブギブ」
腕をタップする沙希に、ロザリーは怒りを爆発させる。
「ふッざけるな! お前、自分がなにしたかわかってんのか!? 人を――人を殺したんだぞッ!!」
顔をしかめた沙希は、すげなくロザリーの腕を払おうとして――ビクともしない腕力に肩を落とす。
グロリアの脚部装甲に押しつけられたままロザリーを見上げた。
「じゃあ、見殺しにすればよかったの?」
沙希の切り返しに、ロザリーは口をつぐむ。
二人を止めようとしたアメリアとジゼルさえも、思わずその足を止めた。
沙希は、常の気楽な表情を消している。
「私たちは地上部隊を、味方を守るために派遣された。そして敵戦力が予想を上回って味方を追い詰めた。救助を待とうにも、敵は味方を包囲しようと動いていた。……私には、ああする以外に仲間の部隊を助ける方法が分からなかった」
沙希を押しつける腕の力が弱まっていく。
ロザリーの目から怒りが消えて、困惑と不安が宿り始めた。
そんな様さえ、沙希は静かに眺めている。
まるで実験マウスの反応を観察するような視線がロザリーの顔を這いまわる。
「あの状況、ロザリーならどうやって突破したの。教えてよ。次はもっとうまくやる」
「……あたしは」
たった今まで力で押さえつけていたのはロザリーだった。
なのに今、ロザリーは詰め寄る沙希に気おされていた。
「殺さずに解決できるならよかったよ」
沙希の静かな低い声が、まるで詰るように叩きつけられる。
「でも敵は銃を持っているんだ。味方を今にも撃ち殺そうとしているんだ。お上品に取り押さえて武装解除する暇なんてなかった。みんなを突破してヴォーリャが一機来るだけでも、こっちは全滅したかもしれない。それでもロザリーは敵を殺さずに解決できた? ――ううん。易しく言い換えてあげる」
「沙希、だめ」
ジゼルの制止を、沙希は無視した。
「ロザリーは、味方の命よりも敵の命を優先するの?」
まるで凍った手で心臓に触れられたように。
ロザリーは絶句した。
彼女の怯えた目がハンガーの外に振り向けられる。担架で運ばれていった戦闘要員の姿はここからでは見えない。
「沙希。もう、黙って」
ジゼルが強い口調で繰り返す。
沙希は言い足りないと顔にありありと浮かべて口を閉ざした。
うなだれるロザリーの手を沙希から引き剥がし、背中で庇うようにアメリアが間に立つ。
「沙希。発砲許可を待たずに撃つのは命令違反よ。もちろん射殺も。この件は詳細まで報告して処分を待ちます。異論は?」
「ないよ」沙希は肩をすくめた「ルールに従います」
重々しくうなずいて、アメリアはロザリーを振り返る。
「ロザリーも暴力はダメ。それとメディカルチェックに回って。ジゼルもね」
やや緊張した面持ちのジゼルと、消沈したロザリーをハンガーから追いやって。
アメリアは沙希を振り返る。
「さっきの質問、ロザリーの代わりに答えてあげる」
――味方の命よりも敵の命を優先するの?
アメリアは殺人現場を思い出しているようで、顔色が悪い。
しかし眼差しは強く、視線の底にかすかな怒りすら燃やしている。
「答えはイエスよ。私たちは古代にあった山賊同然の傭兵じゃない。自明な敵だと判明し、責任を持った許可が出るまで、たとえ殺されたって人の命を奪わないわ」
兵士の誇り。
アメリアの示して見せた誓い。
沙希は静かにかぶりを振った。
「……そのルールには、従えないかも」
PMCブラスト社はスフェールに臨時オフィスを構えている。
手狭なミーティングルームに通された沙希は、机越しのジョシュアに見つめられていた。
「沙希。僕はきみに、良い話と悪い話をしなければならないようだ。どちらから聞きたい?」
「ほう。では、良いほうから」
スチールの机に肘をついて両手を組み、ジョシュアは微笑む。
「よくやってくれた。きみのお陰で貴重な部隊が失われずに済んだ。あれほどの規模で万全な待ち伏せをされているとは、こちらも想定外だったよ。的確に対応できたのはひとえにきみの働きによる」
「フッフゥー? べた褒めじゃないですか、嬉しいですね。で、悪いほうは?」
ジョシュアは両手を解き、静かに机に手のひらを乗せる。
顔を寄せて正面から沙希を見つめた。
「よくもやってくれたな、沙希」
表情は穏やかな微笑のまま。
青い瞳に深い怒りが吹き荒れている。
「あんな一方的な虐殺はどんな報道も許さない。今回は情報が広まる前に絞め殺すことができたが、もし発覚した場合、PMCブラスト社が外されるだけでは済まないぞ」
「でしょうね。だから頑張って撮影を止めさせたんですけど」
「情報漏洩は敵から起こるだけじゃない。きみの暴虐を目の当たりにした隊員のうち、三名がPTSDで本国に送還された。これから増えるかもしれない」
「オゥ……プロ軍人なら大丈夫かと思ってました。失礼しました」
目を丸くした沙希は、殊勝に頭を下げる。顔をあげるなり沙希はきょとんと首を傾げた。
「でもてっきり、私にはそういう役回りを期待しているのかと。私の経歴を知ってて雇ったんでしょう?」
「……その通りだ。だが気づいてくれない方がよかった。きみや、きみの同僚には"死人の出る戦場"はまだ早いと判断されていたんだよ」
だが、その結果は伝えられたとおりだ。
沙希が暴走しなければ、部隊は全滅さえあり得た。
ジョシュアは苦り切った口調で続ける。
「アメリアも言っていたけど、沙希の行動はあくまで命令違反として処分する。詳細は追って通告するけど、減俸処分が妥当かな」
「えっ、お給料下がるんですか?」
がたっと椅子を鳴らす沙希に、ジョシュアの渋面は深くなる。
苦々しいものを飲み下すようにうなずいた。
「……オーケー、わかったよ。部隊から死者を出さなかった感状と特別報酬を手配する。減額はそれで補填しよう」
「やったぜ。ありがとうジョシュアさん!」
「沙希」
耐えかねるようにジョシュアが言う。
「頼むから反省してくれ」
沙希は瞬きしてから、居住まいを正す。
「気をつけます」
応える表情は悪びれない。
§
寮に戻った沙希を迎えたのは重苦しい沈黙だった。
リビングのソファにはアメリアとロザリーが腰掛けている。
ジゼルはテーブル近くでバランスボールのうえに胡坐をかいていた。ピクリともしない。
「沙希。こっちに来て」
アメリアの声は硬い。
家族会議? と声が出る寸前で沙希は危うく声を飲み込んだ。どうやら冗談を言っていい雰囲気ではない。
沙希は隣接したダイニングから椅子を持ってきて前後ろに座る。
「みんな、死体見て気分悪くならなかった?」
「見てないから」
ジゼルは端的に言った。
「必要以上には見せなかった」
「おぉ! さっすが」
それでジゼル単機が沙希を止めに飛んできたのだろう。
そして、実際にはジゼルの想像をはるかに上回る地獄絵図が広がっていた。
優秀な立ち回りに感心する沙希に対し、ロザリーは渋面を作る。
「そういうお前は、どうして平気なんだ。普通の日本人じゃなかったのか?」
沙希はわざとらしく考え込む。
ちらりと目だけを一堂に向けると、明快に疑惑と不信感が沙希に向けられていた。ジゼルでさえそうだった。
隠しおおせる状況じゃない。
「まあ、昔語りをしましょうかね……」
沙希はため息交じりに肩をすくめる。
あっさりと口を開いた。
「私、自分のおかーさんを殺してるんだ。だから、グロイのは結構だいじょうぶ」
衝撃が静かに場を打った。
沙希の表情は変わらない。まるで些末な失敗を明かすような語り口。
かいつまんで言うとね、と沙希は語り始める。




