スフェールの空に響く銃声(1)
「うがぁ……」
沙希はすぐに意識を取り戻した。
息を吸って顔をしかめる。シートベルトが体を吊り上げ締め付けていた。
フロントガラスの向こうで、砂利道が垂直に広がっている。
普段と違い過ぎる景色。沙希は気色悪そうに目を背けた。
「痛ったたたぁ……。どうなってんだ今」
ジープはテロリストの機銃掃射を横腹に食らってタイヤを取られ、横転していた。
ひどく暗い。車底で日陰になっている。
沙希はダッシュボードに足をつけ、シートに体を押し付ける形で体重を支えた。割れた窓から外の地面を見て深呼吸する。
「ジープは完全に横倒れだね。よし、平衡感覚が戻ってきた」
隣の席、沙希の下でぐったりと倒れているライザを見た。動かない。意識がないらしい。
「もしもし。生きてますかー? 早く起きないと死んじゃいますよー」
沙希の手は自身のシートベルトをまさぐっている。砂利をかむ敵車両のタイヤの音が聞こえる。テロリストが近づいてきたようだ。
後部座席で男性陣がうめき声をあげていた。生きているらしい。
ばちん。
「や、あだだだぁ痛ーっ!?」
「きゃあっ!」
沙希の指がバックルを外し、尻から女性の体に落ちた。
かわいい悲鳴が上がって、沙希はきょとんとうつむく。ライザと目を合わせる。我に返った彼女の顔が赤くなった。
「重い! どけっ!」
「今きゃあって。ねぇ、きゃあって」
「そんな場合じゃねーだろっ!」
襟元をふんつかまれて、沙希はライザとともに割れ砕けたフロントガラスから這い出した。
岩と砂利でできた丘だった。
ジープは丘の頂点を通り過ぎ、下り斜面の真ん中で横転している。道路は丘の周りを巡る形だ。見晴らしのいい周囲に他の敵民兵はいない。
だだだだだ! と銃声が至近で轟いて、沙希は慌てて車体の陰に転がり込んだ。
だが撃ったのはライザだった。
「だぁっ! くっそ連中、数がそろってやがるなぁもう!」
撃ち返しに首をすくめ、車体を盾にライザが毒づく。
いつの間にか男性兵たちも起きていた。車両後部に身を隠し、牽制の銃撃を放っている。
彼らの警戒する視線でわかる。沙希は苦く唇を曲げた。
「半包囲されてんじゃん」
ジープの左右どちらかから回り込もうと、敵は散らばりつつあるらしい。
どろどろと重い機関銃の銃声が山彦をともなって細長く轟く。下手に体をさらせば蜂の巣だ。
釘づけにされた。
体をひっこめて隠れるライザが、腰から一挺の拳銃を引き抜いて沙希の眼前に転がした。
「持っとけ! ないよりマシだ。勝手に撃つなよ、仲間に当たる!」
「お、おぅ……」
拳銃だ。
民間人の沙希に拳銃の種類や口径など知る由もない。ライザも説明する気はないようで、もう背を向けてアサルトライフルを放っている。
沙希はもう一度、銃を見下ろした。
砂利の上にある拳銃はどこか作り物めいていて、生々しい重みに沈んでいる。
「いやぁ……マジかぁ……」
恐る恐る持ち上げる。
ずっしりとした鉄塊の重み。引き金の隣にセーフティと刻まれた小さなレバーもあった。握りを確かめる。
「これで私も武装女子高生デビュー……休学中だけど……」
沙希は息をついた。
プロ兵士たちは牽制を続けている。ジープが銃弾をはじく騒音が清冽に連なっていた。
このジープは手製爆弾対策で底面まで装甲化されている。盾として役立つことは疑いないが、さりとてこのまま防御していてもジリ貧だ。
本部から救援は来てくれるのか? それまでの所要時間は? 敵の正確な数と陣形は? 地形はどうなってる?
「よくないな。このままじゃ分からん殺しされちゃうぞ」
沙希は両手を地面についたまま首を伸ばした。
丘陵に沿って蛇行する道から外れて逃げてきて、下り斜面に沙希たちはいた。斜面の下には道路があり、道路の向こうには林がある。その先はまた山に続いている。
見晴らす限り誰もいない。敵の増援が来る気配はなかった。
「ライザさんたちが軽快に撃ちまくっているのは、敵の包囲陣を制限するためかな? とすると、釘づけにしているのはこちらも同じ……とはいえ敵のほうが圧倒的に有利な状況、と」
沙希は記憶をほじくり返す。
スズキの運転席に男がひとり、助手席には誰もいなかった。
ルーフに設けた銃座にひとり。その横から囃していたひとり。三人だけということは考えられないが、八人、九人という大人数でもないだろう。
銃声は、敵の機銃、ジープ右回り、左回りにひとつずつ以上。
ライザのいる右回りの銃声と火花は重なっていて、少しずつ大きくなっている。複数人でにじり寄っているのだろう。
対して男性二人で威嚇する左回りは、銃声がときどき途切れる。だが左回りの敵がひとりだったなら、男性兵士ひとりがライザの支援に回るはずだ。
おそらく改造戦闘車両の銃座に残った一人が制圧射撃して、その隙に車から降りた数人が左右に二人以上ずつ回り込むフォーメーション。最低五人。あるいは六人ほどの勢力か。
「ってことは、オッケー」
沙希は体を低くしたまま走り出す。
ライザが沙希の足音に振り返った。
「あ、おい! くっそ! 逃げやがった」
ライザが毒づいて、しかしジープから離れずに牽制射撃を続ける。
沙希に気を取られて身を離せば、男性兵士の背中を守る人がいなくなる。沙希のために全滅するわけにはいかない。
沙希はジープから距離を取ったところで、滑るように伏せた。ごろりと寝転がって丘を見上げる。
斜面は裾野に沿って急になり、うつぶせになると稜線で丘の上が見えなくなる。
それは敵にとっても同じはずだ。
「流れ弾が降ってきませんように」
吐息のなかで数を数える。1……2……3……。
体を起こし、中腰のまま駆け出した。