ハウ・トゥ・ドライブ(3)
そしてブースト訓練の日を迎えた。
『いよいよFHの神髄、というところだ。これを履修しなければ実戦に堪えないと心得てほしい』
通信機から聞こえるジョシュアの訓示も、いつになく真面目だった。
パイロットスーツの窮屈さも心強そうに身体をこすって、沙希は両手を操縦桿のグリップに乗せた。
操縦手順はシミュレータで習得済み。ただしシミュレータは墜落しない。
スクリーンに映る外の風景を見る。基地外縁に広く取られたヘリポートだ。
沙希は緊張を唾と一緒に飲み込んで、口を開く。
「――行きます」
移動モードをブーストに切り替え、ペダルを踏む。排気が点火されて加速。高音が強まっていく。計器の針が機体重量との釣り合いを示し、超える。
同時にぬるりと機体が浮いた。
「うほっ」
よからぬ声が漏れて、沙希は操縦桿を強く握る。
外の景色はあまり変わって見えない。ほんのわずか浮いただけだ。ゆらゆら揺れる機体を全身のバランサーが整えている。サポートAIが操縦桿を微調整してくれていた。
スロットルを開けて出力を上げた。機体はつり合い状態から加速し、ゆっくり、みるみる、どんどんと加速する。
「よし」
操縦桿を引き上げる。
偏向ノズルが機体を浮かせ、外の景色が傾いでいく。性急に増していく速度に気を引き締める。ゆっくり慎重に、と言いすぎると失速する。ある程度以上の速度は必須だ。
充分に高度を取って、沙希は水平方向に飛翔する。衝突の危険がない高度なら、機体を横滑りするように振って姿勢や向きを制御できる。
慣れてきた沙希は楽しくなって、進みながらぐるりと一周、周囲を見回した。
「こんな感じで機体ごと敵に銃を向けるわけね? ひゅー! 映画みたい」
ぐん、と力強くペダルを踏み、跳ねるように上昇。捻り込み機動で滑り落ちながら進行方向を変える。旋回して後ろを向いて飛び、宙返り。
細かい制動はバランサーのみならずグロリアの支援システムが高度に制御してくれている。沙希はフライトシミュレータの空戦シューティングゲームより簡単な操縦で四肢持つ飛翔体を意のままに操っていた。
沙希は試しに手を放す。
操縦桿の圧力が消えて驚いたように揺れた機体は、それでも姿勢を崩さずに飛ぶ。沙希は苦笑した。
「これなら素人でも、訓練で戦力投入できるわけね」
一通りの空戦機動を試して、沙希は速度を殺して足からしっかり着陸した。
『お疲れ。大きく動くと高度が落ちるから、高度と速度の交換には留意するように』
「ほーい。けっこう簡単だったね」
沙希は気軽に返事する。
人型の空力特性はほとんど力技だ。ヘリや飛行機と違って複雑ではない。最大の懸念点だった強Gによる乗り物酔いも克服済み。
「走行に比べれは単純だね」
沙希はそう総括する。
無数の操縦支援機能の働くグロリアの操縦は難しくない。作戦状況によって変わる環境特性に対応できる操縦知識が必要なだけだ。
ロザリーやアメリアも同様のようで、順調に三次元機動の訓練プログラムを消化していく。
『ジゼル、行きます』
通信機から声が聞こえて、沙希は目を向けた。視線入力に応じて画面が拡大される。
ジゼルの操る機体が不器用に歩み出て、緊張に強張った棒立ちになった。背部ブースターに光が灯る。
「大丈夫かな、ジゼル……」
沙希は不安な声を漏らす。
特別トレーニングはできる限り果たした。しかし訓練の意義について説明を求めたジゼルに対し、沙希は結局、確かな答えを返せなかった。
真面目なジゼルは訓練をきちんと終えたものの、それを実機に活かせるかどうかは分からない。
「今までのジゼルのやり方じゃダメなんだ。グロリアはそんなにすごくない……」
不安に見守る視線の先でジゼル機はゆっくりと浮き上がる。
そこから増速していき、前に身を投げ出して。
「早い!」
沙希の叫びもむなしく、ジゼル機は落下した。つまづくようにたたらを踏んで転倒を避ける。
『く……っ!』
ジゼルはうめき、墜落した機体のブーストを点火して再度跳びあがる。垂直に上がるだけなら操縦も何もない。
そこから捻り込み、旋回、宙返りの後に水平に立て直して宙返り――立て直し切れていなかった。
軌道が斜めに傾ぎ、そのまま墜落。
ジゼルは失敗した。
「タイム!」
沙希は叫んだ。
ブーストを噴いて滑るようにジゼルの近くまで飛んでいく。なめらかな機動はまるで生まれつき飛ぶ機能が備わっているかのようだ。
『……沙希』
沙希の機体を見上げるジゼルが、泣きそうな声をあげた。
「ジゼル。大丈夫、焦らないで。訓練を思い出して」
沙希の口から、言葉が滑り出る。
「機体はあなたの手足じゃない」
息を呑んだようにジゼルの機体が背筋を伸ばした。
沙希も「おぉ」と吐息を漏らす。
自分でも思いがけないほどうまい言い方が突然出てきた。自分の言った言葉に沙希は何度もうなずいた。
ジゼルは身体能力やバランス感覚が優れている。
五体を動かすようにグロリアを動かすと――機械の集合体はジゼルの反射神経についていけず、バランスを崩してしまう。
「……機体のリズムに合わせて、思い通りに動いてくれるよう、操縦を『当てて』いくことを意識して」
リズムを自分以外の要因に取られたうえで、相手に合わせていく方法。それは沙希なりの伝え方でもうジゼルに教えていた。
マメの曲面に力加減を合わせたり。
沙希の声に合わせてトランプタワーの繊細なバランスを整えたり。
人形と筒の重心を目で確認しながら動いたり。
だから沙希は、ジゼルに声をかける。
「頑張って。ジゼルなら大丈夫」
沙希は飛び退った。ブーストで高く伸びあがった機体が再び安全な場所まで距離を取って着地する。
『ジゼルは大丈夫なの?』
アメリアが不安そうに囁いた。
沙希は満面に自信を持ってうなずく。
「ジゼルならできるよ」
画面の向こう。ジゼルの操るグロリアが立ち上がる。
背中から光を噴いて、高く跳躍し、
おっかなびっくり慎重ではあったものの。
機体は柔らかに美しい機動を描いた。
§
ジゼルは語る。
バランスを崩したとき、今までは自分の感覚で直してた。
でも、糸繰人形の姿勢を直すみたいに。箸でマメを運ぶみたいに。力の加わり方を目で見て確かめながら、着実に調節していったら、結構簡単にできた。
「ありがとう沙希。訓練、役に立ったよ」
ジゼルの話を聞き終えた沙希は、鼻の穴を膨らませて鼻を高くする。
「でっしゃろ――??? やっぱわたし、指導者の才能あるんじゃない!?」
「でも半分くらいはクソの役にも立たなかった」
「……オゥ。辛辣ゥ……」
イガグリを飲み込んだような沙希の声を聞いて、ジゼルはころころと鈴を転がすように笑った。
その笑顔はあけすけで、すっかり肩の力が抜けたものだ。




