アメリア・バウムガルト 1
アメリア・バウムガルトは幸福だが、不運である。
裕福なバウムガルト家に生まれてなんの不自由もなく健やかに育ち、幼少の頃から習っていたバイオリンのコンクールに出場するも弦が切れ、手の甲にものっそい痛い裂傷を食らった。トラウマになって止めた。
バウムガルト家は毎週末に郊外の森林公園へピクニックに行くのが習慣で、アメリアは野犬に頭を噛まれた。習慣は終わった。
地元の学校でアメリアは優秀な成績を納めており、学級委員を任されていた。トイレの漏電で火事になり学校が半焼、全校生徒が転校した。
初恋の相手がゲイだった。
旅行先で食あたり。
車に撥ねられた。
新譜が割れた。
ガム踏んだ。
他多数。
とかくアメリアは不運であり、ひたすらツキに見放されている。
「アメリアちゃん、今日の夕飯はアメリアちゃんの大好きなハンバーグよ」
「ほんと!? やったぁ、ママ大好き!」
「アメリアはいくつになっても甘えん坊だなぁ。パパのハンバーグは大きいのを頼むよ」
だがまぁ、とりあえず一家は大過なく幸福だった。
「いけない、もうこんな時間! じゃあママ、バイトに行ってきます」
「あ、待ってアメリア! そろそろ更新なんでしょう、身分証持った?」
「忘れてた! ありがとうママ。保険証……あれ? 見当たらないわ。パスポートでいっか! 行ってきまーす!」
「はいはい。叔父さんによろしくね……」
アメリアは普通の女子高生とは違うアルバイトをしている。
地下鉄を乗り継いでドイツはベルリン。外務省から2ブロックのテナントオフィスへ。
スタッフカードをかざした後に、指紋認証、網膜認証を行う。入ってみれば、雑多なオフィスを手狭なフロアに詰め込んだような小さな事務所だ。
ワイシャツをぱつぱつに着込む筋骨隆々の大男たちと挨拶し、窓際の奥のデスクに着いた。
「お早うアメリア、今日もよろしく」
「お早うございます、叔父さん。よろしくお願いします」
叔父も白髪の混じり始めた頭に似合わない胸板をしている。それもそのはず、彼は数年前まで生粋の軍人だった。
「アメリア、身分証は持ってきたかな? 手間かけてすまないね、守秘義務契約が厳しいんだ」
「分かっています。ちょっとドタバタして……パスポートになっちゃいました」
「はは。大丈夫さ、身分を証せればいい」
これがアメリアの職場だ。
アメリアは民間軍事請負業者、PMCブラストのドイツ支社で事務員のアルバイトをしている。
PMCといえど、必要な事務処理はどこも変わらない。領収書に、稟議書に、各種申請、エトセトラ。
いつものようにデータベースに山を成す電子申請をアメリアがさばいていると、
ふとオフィスのついたてがノックされる。
長身のアメリカ人男性が顔を覗かせた。
「すまない、アメリア借りられないかな。この子の道案内を頼みたいんだ」
「ああ分かった。すまないアメリア、行ってきてくれないか」
「はい」
返事をして席を立ったアメリアは、紹介された相手の若さに驚かされる。
傍らに連れられていたのは女の子だ。
「こちら、ジゼル・ソーンダイク。ジゼル、こちらがアメリア・バウムガルトだ」
「よろしくアメリア」
年齢はほんの14か、15くらいだろう。
あらゆる意味でこの場に相応しくない少女は、白っぽい髪をセミショートに刈り、空のように澄んだ碧眼を眠そうに細めている。
「う、うん。よろしくジゼル。どこに向かうの?」
「空港。住所はこれ」
「あぁ空港なら分かるわ、ここから地下鉄でグルッと……」
言いかけた言葉が途切れる。ジゼルの示すメモの住所を凝視した。
「どこそこ」
アメリアの知っている空港ではなかった。
-§-
スマホで道を検索し、アメリアはオフィスを出てすぐに頭を抱えるはめになった。
「近くまで電車もバスもない。タクシー使った方が早いわね。ジゼル?」
振り返った先にジゼルはいない。
見回してみれば、広い歩道の真ん中でソーセージを焼く屋台の前に張り付いている。
「美味しそう……」
ジゼルはフリーダムだった。
アメリアはズカズカと屋台に歩み寄ると、一本買った。ジゼルの前でゆらゆら振る。
「ほうらジゼル、ソーセージだよ〜美味しいよ〜焼き立てだよ〜」
「あぁ……いいにおい……」
「ほうらこっち、おいで〜ジゼル〜」
串焼きソーセージを餌にジゼルをタクシーまで乗せたアメリアは、現地まで付き添うことにした。
放っておいたら、タクシーから降りたあと、ちゃんと飛行機に乗れるか分からない。
タクシーでもかなり掛かる距離の道中。内陸独特の森と丘に覆われた景色を窓の外に流しながら、アメリアはジゼルを振り返った。
「ジゼル、うちの会社になんの用事だったのか聞いてもいい? 会社で同じくらいの女の子と会うなんて初めてなの」
「うー?」
食べ終わった串をぽりぽりかじっていたジゼルは口を離した。
「仕事」
「そりゃそっか」
軽々と口にできる用事とは限らない。小さく苦笑するアメリアに、ジゼルは首を傾げて問いかける。
「そういうアメリアは?」
「私も仕事。叔父さんを手伝っているの」
「へぇー」
益体もない話をしながらタクシーは行く。
ジゼルがイギリス人であること、おじいちゃんと二人で暮らしていること、好物はビーフシチューであることなどお互いのことを楽しく話し込んだころ。
アメリアはようやく首を傾げて辺りを見回した。
高いフェンスに、はるかまで広がるコンクリート。確かに空港らしいといえばそうだが、そのわりには周囲になにもない。
「運転手さん、ここであってるの? なんかとてつもなく辺鄙な場所だけど」
「あってるよ。ほら、ここだろ?」
タクシーは停車した。
大きなゲートに掲げられていわく。
「空軍基地……」