第三話
「そういえば一樹、あのチケットもう使ったか?」
日曜日を挟んで月曜日。
放課後の図書室に集まった第二文芸部の隅の机で男三人が卓を囲む。
ゲルチンが話しかけてきたチケットというのは、あの面白くなかっただけでなく、妹との亀裂が生じた原因にもなった映画の前売り券に他ならないだろう。
胸の内に残っていた苛立ちが無意識に棘を放った。
「なあゲルチン。俺は言ったよな。あの糞ラノベの一巻を無理やり渡されて仕方なく読んだ後、二巻を渡すくらいならお前の短編の方がマシだって。それぐらい面白くなかった原作が、更に実写化されて面白いわけがねえだろ。本当の本当に正真正銘、心の底と神様仏様ルナ様、それからギリシャ神話の神々に誓って面白くなかったよこんちくそう!」
怒りが爆発するのを感じる。
信管が起動した爆弾のように、崩壊したダムのように、塞き止められない映画の悪口をゲルチンとフジヤマにぶつけた。
「つまり金輪際あの作品に関わる気はない!」
怒鳴り散らして無理やり締めくくる。いつの間にか気持ちが昂って椅子から立ち上がっていたみたいだ。
図書室を見渡すと、誰もが俺を忌避するような視線で見ていた。……騒ぎ過ぎたことに気づいたのはそのときだった。
座って深呼吸をしても、羞恥と憤怒が綯い交ぜになって上手く気持ちを抑えつけられない。
目の前の二人はどんな目をしているのだろうかとみるのも怖くて俯いていると、
「ん」
と、白いセーラー服を着た十歳くらいの女の子がプリントされた水筒が転がってきた。フジヤマのものだ。
「これでも見て落ち着け……」
「……これで落ち着けるのはフジヤマだけだっつうの」
水筒なのに見るだけかよ、ともつっこんでやりたかったが、息が詰まって機を逃した。
悪態をつきながらも、さっきまで昂っていた波は嘘のように凪いでいた。プリントされた絵柄があまりに気持ちと反していたからかもしれない。創作物の中でロリっ娘が世界を救うわけだ。まみか追悼会、行けばよかった。
冷たいお茶を一口含んで、ゆっくりと飲み干した。
「ありがとう。……二人とも、引いた?」
対面の二人は、まあまあいつも通りの視線だった。
「妹について熱血的に話してるときのいつもの一樹だし」
「怒るかノロけてるかの違いしかない……くたばれリア充」
二人にいつもと同じ感覚で受け止められているのは少し複雑な気持ちだが、真剣に受け止められてもどうしたらいいのかわからなかった。
俺自身、どうすればいいのか持て余している。
「ま、そんなに面白くなかったなら俺は行かなくて正解だったわ」
「罰ゲームにしたって酷い映画だったわ」
ゲルチンがいつもの雰囲気に軌道修正をかける。俺も乗っかる。
けれど路線の先には地雷が埋まっていた。
「お前のかわいい妹ちゃんも一緒に行ったんだろ。面白くないって怒ってたか?」
「……」
なんと言葉を発しようかと逡巡した。ゲルチンからは言葉が詰まった風に聞こえたのだろう。訝しんで怪しいと詰め寄ってきた。
「お前、まさか彼女とカップルチケット使ったのか」
「逮捕、逮捕だ。火あぶりだ……!」
「誤解だ……さなかと一緒に行ったよ!」
「じゃあなんで一瞬の間があったんだよ。やましいことがあったんじゃないのか?」
この野郎!
お前の映画チケットのせいでどれだけ苦しい思いをしているか知らずに!
この土日、俺がどれだけ悶えたことか!
土曜日は家に帰ってからもさなかと一言も喋れなかった。メシは不味いし気分転換の本はちっとも面白くない。しかも親からかけられた言葉は「ようやく妹離れしたの?」だ! したくてしてるわけじゃない!
日曜日に謝ろうと思った。でも、謝るチャンスさえなかった。さなかは朝早くからどこかへ出かけて、昼頃に俺が勇気を振り絞って電話をしたら通話中! 通話中ということは俺とは喋れないということだ!
今朝も、行ってきますの返事すらなかった……。
……でも、ゲルチンに怒っても、それは八つ当たりだ。それくらいの冷静さは、日曜日という休日が与えてくれた。もしもなかったら絶交ビームを放っていたかもしれない。
「……なあ、もしかしてなんかあったのか?」
ゲルチンに首を振ってこたえる。
「なんもないって」
本当に何もない。俺には何もなくなった。妹という存在がなくなったら、兄としての俺の存在価値は皆無だ。生きているだけで恥さらしだ。自殺しようにも彼女がいねえ。
「嘘だな……」
くだらないことを考えていたら、ゲルチンではなくフジヤマに見破られた。
「嘘って、なんで俺が嘘なんかつくんだよ。証拠があるのか証拠が」
「もう部活始まって五分経ったけど、未だに妹の話をカケラもしない。
いつもなら土日の定期報告とか望んでもいないのに勝手にしやがるくせに……。
推理するまでもなく妹と何かあった」
「ぐっ……」
鋭い……。
「五分に一回は妹の話をしないといけない変人みたいな言い方はやめて欲しい。
妹の話をしない日だってたまにはあるだろ」
「たまにしかない日だから非日常なんだろ……」
なんかそのフレーズ格好いいな。
「そのフレーズいいな。俺の本に使っていい?」
「昨日のアニメの台詞だけどな」
ガッツリ盗作だった。
「それでもいいや」
「……ゲルチンのハートはチタンか何かなのか? プライドはないのかよ」
盗作なんて心の中だけにしておけよ。パロディとか言い訳かまして小説のなかに他作品登場させるとか作家の風上にも置けないめう。
「プライドっていうけど、駄作小説書いてるだけの俺らにどんなプライドがあるんだよ」
「恥と外聞捨てるのが同人作家……」
二人はプライドについて笑い話で終わらせようとしていた。
けれど、土曜日にそのプライドのせいで喧嘩をしてしまった俺としては、ここで笑い話で済ませることはできなかった。
「例えばだけどさ、面白くない作品を嘘で面白いって言ってたら、怒る……。
いや、怒らないといけない。
そういう、作家としてのプライドは必要なんじゃねえの」
面白いものは面白い。つまらないものはつまらない。理由を持って分析して、解析結果を取り入れる。それこそが研鑽ではないのか。
第二文芸部の部員として、俺はそう思う。
俺の思いの丈は伝えた。かくして二人はどう出るか、と前方を見れば、ゲルチンとフジヤマは嘆くようにため息をついていた。
「あちゃー、調子悪いのはそういうわけかー」
「それはプライドじゃないだろ常考……」
「な……!」
百パーセントの反対だった。
「なんでだよ! だって、つまらないものを面白いなんて言えないだろ。二人だって、いつもここで小説の感想を言う時、嘘はなしって決めてるじゃないか!」
そのせいで口論にもなる。
俺はそれが間違っていないと考えている。
「いやいや、それはわかるよ。一樹の考え方自体は間違っていない。
でも、そのルールが適用されるのは俺たち創作仲間の中だけだ。本心をぶつけあえって周りに言うのは、押し付けてるだけだろ」
ゲルチンの諭すような声音が胸に入り込んでくる。
「映画を観るほとんどの人は、物語の創作論とか監督の手癖とかスポンサーの思惑とか、そういうどうでもいいバックボーンなんて興味ないし、なんだったら物語の辻褄さえ眼中にない。
勿論ガチ勢、いわゆるオタクにとってはそれが十全だけれども、妹ちゃんが映画に求めるものは違ったんだろ」
有坂一家の兄妹のご説明。
兄は文系、妹は理系予備軍。
兄は本をよく読むが、妹はテレビドラマを一話飛ばしで見ても平気な性格だった。
「調子悪いのは妹ちゃんと喧嘩したせいか。
大方、デート――じゃねえや家族団らんを楽しもうとした妹ちゃんに噛みついたんだろ。
向こうはつまらないって愚痴る一樹を宥めるために、盛り上げようと楽しくしようと、嘘をついただけだろ」
俗にいう、「優しい嘘」ってやつだ。
そう締めくくったゲルチンの顔はドヤっていた。
「できた妹……勝ち組は死亡キボンヌ」
「そうだそうだ。さっさと妹ちゃんに謝れ!」
さなかが正しい。
映画を観て、俺の創作魂が暴走してしまった。けれど、そんなもの持ち合わせていないさなかは、コメディだと笑い飛ばすことが簡単だった。
映画を観る前、俺が楽しいと思っていたことは映画ではなかった。
さなかと出かけられることが嬉しかった。
きっと、さなかも同じ気持ちだった。俺は映画に意識を奪われてしまったが、さなかはずっと持ち続けていたんだ。
「謝らないとな」
肩の荷が降りたようだった。
「小学生のホームビデオよりつまらない映画を、あまつさえ嘯いて面白いと言うなんて、これがゲルチンやフジなら焼き土下座で女装と罰金と禁固刑も加えてた」
だが、妹だ。
「さなかだし仕方がないな。許してやるか」
俺の大仰な独り言に、プークスと誰かの笑い声がする。誰かというか、目の前の二人だった。
「くたばれ! つまんねえ映画のチケット配った罪と譲った罪だ!」
「キャー悪代官さまーやめれー」
「そのころ妹に謝れないアルファ世界戦では第三次世界大戦の火蓋が……」
――――――
食事も終えて、俺はリビングのソファに座っていた。
前方からは点けっぱなしのテレビから笑い声が、後方からは母親が食器を洗う音がする。
さなかがお風呂に入ってもう一時間になる。いつもより三倍の時間をかけている。
俺は出てくるのをずっと待っているつもりだったが、もしかしたらお風呂からリビングを通らずに部屋に戻ったのかもしれない。
それなら部屋に行ってみようかと立ち上がりかけたとき、リビングの扉が開いた。
「あら、さなか、長かったわねお風呂。あんたのダシ、洗濯に使うわよ」
「ダシなんか出ないもん……」
お風呂からようやく上がったさなかには、違和感しかなかった。
髪が濡れていない。いつもは濡れたままなのにしっかりとドライヤーで乾かされた後だった。それに、服を着ていた。タオル一枚のはずが、パジャマを着こんでの登場だった。
母はキッチンから出て風呂場の方へ向かった。お風呂の湯で洗濯機を回すのだろう。
母親がいないこの間に、終わらせてしまおう。
「……」
無言でさなかはソファの端に座った。その目はテレビに一点集中していた。どこにも反らさないという強い意思を感じる。
これは俺への当てつけかもしれない。
私はまだ怒っていますよプンプン、みたいな。怒っていてもやっぱり妹はかわいかった。
頭の中で言うべきことを反芻する。
たった一つだ。
「さなか」
俺の上擦った声と同期して、さなかの肩も飛び上がった。
「な、なに」
ぶっきらぼうな声。けれど、視線は俺に向いていた。
深呼吸をしてから、俺は謝った。
「土曜日は、ごめん」
テレビで芸人が滑って、リビングの声が大きく聞こえた。さなかが息を吸った音までよく聞こえた。
「ちょっと……というか大分、かもしれないけれど、やっぱり少しかも……。つまらないことを言った。折角映画についてきてくれたのに、悪かったな」
俺が言いたかったことを言い終わって、さなかが許してくれればそれで終わりだった。
けれど、
「……!」
さなかは唐突に立ち上がり、リビングから足音を立てて出て行った。
頭の中が真っ白になる。革張りのソファにくっついた背中がじわりじわりと汗を掻いていた。
「……ダイバージェンス数値で妹との距離も表示してくれないだろうか」
きっと1%の向こう側など遥かに飛び上がって、俺は今オメガ世界線とかにいるかもしれない。
妹に嫌われた俺、トゥットゥルー。
本当、いろいろごめんなさい、と世の創造主様方に真剣に土下座していたら、リビングの扉が開いた。
お風呂場から戻ってきた母親にどうして土下座しているのか問われたらなんて返せばいいか、安価で。
脳内安価を募りながら顔を上げると、立っていたのは鞄を持ったさなかだった。
「さなか」
部屋に戻ったんじゃないのか。
「こ、これ……」
どさどさと近づいたさなかが俺に見せたのは、五センチ四方の紙が二枚。
緑色に黒い印字のあるこれは……。
「……お兄ちゃん、楽しくなかったんだと思って。映画見た後から、ずっと怒ってたから。私、なんとかしようと思ったけど、ダメで、それに、なのに、私がお兄ちゃんに怒っちゃって……」
訥々とさなかは話した。
さなかが悪く思うことなんて何もないのに。
「そしたら、ずっと話してくれなくて、もし、ずっとこのままだったらと思って、でもそれは嫌で……」
「それで、これを……?」
さなかは頷いた。
彼女の手の中にあるのは、ミュージカル映画『pu pu puLand』の当日券だった。
「もう一回、今度は楽しい映画を観ればいいと思って、券を買って……でも、お兄ちゃんに電話したけれど、通話中で、もう私と喋る気なんてないんだと思って!」
当日券は前売り券と違って日時も座席も記載されている。
電話をかけたのは日曜日の昼頃。俺がさなかに電話をかけたときと同じだった。
「全く、妹離れしろなんて言って、お前だってお兄ちゃん離れする時期だ」
「……」
テーブルからティッシュを取ってさなかに渡す。
ついでに、未使用消費期限切れの当日券ももらっておく。
「あ」
チケットの背で人差し指の第二関節が触れ合った。
なんで天女の肌はここまで柔らかいのか。これは文芸部で一週間は話し合える議題だな。その理由はきっと妹だからで、すべての事象の原因と結果は妹だからという理由で説明できる。
だから少しドキドキしたのも、きっと――いや、それはアウトだろう。法律的に考えて。
「どうしたの?」
「目の前にいる女の子が可愛すぎて死にそう」
「お兄ちゃんがキモ過ぎて世界が終わりそう」
二日ぶりに天使の微笑みを見た。思わず人生を捧げそうになった。
……。
だが妹だ!
あとがきその1
最初は妹じゃなくて文芸部員同士のラブコメでした……どうしてこうなった。
あとがきその2
『STEINS;GATE 0』やってます。やってたら思いつきました。綯の出番もっと増やしてと願っていたらロボノ続編でますね。皆、買おう!(ダイレクトマーケティング)
あとがきその3
三話に分けましたが短編です。一括でもよかったのですが、友人曰く「なろうで一万文字超えとか読む気おきない」と言われ最近は小分けにしています。
でも小分けは個人的に見にくいので次はなってないかも。




