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第二話


「そんなわけで、さなか、映画に行かないか?」


 映画のチケットを無理やり買わされて(それでも半額にさせたが)帰宅後。

 バレー部の部活から帰って入浴し、ご飯を食べた後にリビングで涼んでいたさなかに話をした。


「映画のタイトルは?」

「『異世界召喚された場所は一秒後の学校でした?!』」

「えーつまんなそー」


 ばっさりだった。俺もこのタイトルから面白いとは全く思わないし、ゲルチンに一巻を読めと借されたときも飽きて二巻はよこすなと念を押したほどだった。

 まさかそれが実写映画化するなんて……。


「私は別の映画がいいよ。CMでミュージカルやってる『pu pu puLand』とか」

「ミュージカルかー……」


 あまりミュージカルは好みではなかった。映画を見るときは物語の筋や、活字にしたときのことを考える癖があるため、音楽に頼り切る作品やダンス物は見ていてもイマイチ面白くない。


 だが、今の反応でわかったことがある。

 さなかは俺との映画に気乗りしている。


 さなかが映画に行く気があるなら、俺も満更ではない。寧ろ行きたい。妹と映画に行きたい。


「映画に行こう、さなか」 

「どしたのお兄ちゃん、真面目な顔して」


 妹と映画に行きたい。俺が頑なにさなかを誘うのには理由がある。


 それは今日の図書室で、チケットと財布の中身を合法的に交換しているときにゲルチンに言われたことがキッカケだった。


「大体なあ、ゲルチン。妹と映画って、つまり妹とデートだろ。んなことできるか!」

「デートって深く考えるなよ。家族で日曜日に遊びに出かけるだけだと考えればいい。

 映画に行けば、順当に妹離れしようとしている妹ちゃんの心をハートキャッチできるかもしれないゾ!」


 そんなアホっぽいティーン誌から持ち出した語尾にかなり引いたが、言っていることはあながち間違ってもいなかった。


 映画を一緒に見て、楽しく感想の言い合いっこでもすれば、自ずと仲は深まる。

 二枚で千円の前売り券は、妹と今の距離を一生涯、保ち続ける魔法のアイテムなんだ。


 安く手に入ったカップルチケットと心の友であるゲルチンに感謝した。


「前売り券を腐らせたらゲルチンにも悪いからな。快く譲ってくれたフジヤマにも」


 フジヤマは欲しいとは一言も言ってなかった。つまり譲ってくれたも同然!


「面白くなかったら時間の無駄じゃん」

「面白くなかったら昼飯おごるよ」

「じゃあ行く」


 現金にも妹は食いついた。お兄ちゃんは悪い男の人にさなかが騙されないか心配です。昼めし程度でホイホイついてくるなんて、親御さんはどんなしつけをなさっているのでしょうか!

 などと考えていたら、その親御さんが洗い物をしながら声をかけてきた。


「あんたたち、映画行くのもいいけどちゃんと勉強もしなさいよ」

「はいはい」

「わかってるよー」

「聞いてるんだかどうか」


 小言への返答が似たり寄ったりの兄妹だった。



    ――――――



 妹と映画館へ来たのは土曜日。

 本来は部活休みの日曜日の予定だったが、今日は朝から天気がぐずついていたせいか、室内競技なのにさなかが所属するバレー部はお休みらしい。


 よくわからんがお天道様ありがとう。


 曇り天気の中、お昼前に俺とさなかは映画館に入った。


 妹の服装など家を出るまえから瞼に焼き付けているから今更評価などする必要もないが、映画館のホール特有の薄暗さと色彩溢れる照明に当てられた妹の黒色キャミソールは、多色が集約されて白く神々しく天使のように輝いていた。


 周りの視線も傍らで売店のメニューを物色する天使に注がれているのに気づいた。

 そうだろうそうだろう。こんなに可愛い子など誰も放っておかないだろう。


「どうしたのお兄ちゃん、自意識過剰なナルシストみたいな顔して」

「それよりさなか、お菓子はいるか? ポテチ、チートス、ドリトスがあるけど」

「全部スナックかあ、ポップコーンなら買ったのに……。お茶だけ買っていこ」


 ウーロン茶とオレンジジュースを売店で買ってから、開園時間まで椅子で待つ。


「あ、前売り券って事前に受付で交換しないといけないのか」

「え? 別にいいんじゃないの? だって受付ってお金を払う場所でしょ。改札のお姉さんに前売り券だけ渡せばいいんじゃない?」

「いや、前売り券は席や日時の指定はないから、これだけ渡しても座席の用意がないだろ。ちょっと行ってくるよ」

「私も行くよ」


 飲み物を準備してからこんな初歩的なミスを犯すなんて迂闊だった。そういえば映画なんて何年ぶりだろう。少なくとも高校生になってからは一度も行っていない。

 最後に来たのはさなかが小学校低学年ぐらいだろうか。家族でフジヤマが今でも好きな女児向けニチアサアニメを観た気がする。映画は覚えて否けれど、今よりも小さなさなかの手を引いて父さんから離れないように見張っていたような気がする。


 当時から俺は妹を愛していたように思う。


 受付に向かう前に、前売り券の一枚を手渡した。


「カップルチケットだから、何か聞かれたら兄妹じゃなくてカップルのふりをしろよ」

「そんなの聞かれないと思うけれど……わかった。だ、ダーリン?」


 かわいい。なんだこの生き物。標本にして展示したい。だが妹だ。


 俳優と顔だけのモデル女優がキメてる写真つき前売り券を妹に手渡す。


 端っこと端っこを持っている。


 これがさなかとの距離感だと思った。


 気軽に接することのできる心地いい距離。


 前売り券の十五センチ分。





 受付で座席の指定をして、オレンジジュースを飲みながら、面白くもない映画を観た。

 映画が終わってから、面白くなかったという約束を果たすために、映画館が収納されたデパートに複合されているフードコートでお昼ごはんを食べた。


 半額の前売り券と昼飯代で今月のお小遣いがそれなりに飛んでいったが、妹と映画を観れた事象はプライスレスなのデース。……本当だよ? 財布の厚みが半減したくらいじゃ痛くも痒くもないから……!


「どうしたのお兄ちゃん、俯きながら笑って」


 熱々の鉄板の上で肉汁が迸るハンバーグに音もなくナイフを入れるさなかが、気遣うような声音で俺の顔を覗き込んでくる。


 いかんいかん。妹に心配をかけるなんて兄として失敗だ。

 財布のことは頭から離して別の話題にうつそう。


「あんまりに映画が面白くなかったから、ちょっと。さなかの言う通り時間の無駄だったな。やっぱり今度からラノベの実写化作品は避けようか」


 それとアイドルが声優しているアニメ劇場版も。

 財布と映画の質でダブルショックの内心は西部劇の荒野のよう。


「え?」


 さっき観た映画の感想を口にしたら、さなかは意外そうな声を出した。


「私は面白かったけどな。今と一秒後を神様のイタズラで行き来して階段を踏み外しちゃうところとか笑っちゃったし」


 意外なことに、さなかが口にした「面白かった」に揶揄する態度は欠片もなかった。真剣に、設定はハチャメチャでネタはダダ滑りで辻褄に統合性はなくてご都合主義の塊の映画を面白いと感じたみたいだ。


「階段を踏み外してヒロインとお色気シーンしたいのが見え透いたシーンだった。驚きもないしテンプレ過ぎて笑いも起きない」


「他にも、生徒会長の女の人が話してるときに一分で一秒後を五十回も往来したせいで話を聞き取れないシーンとかも」


「あんなの設定無視もいいところだ。ロボノの最終章並だ」


「ろぼの……? それに、更衣室の鍵を閉めるはずが閉めたはずの一秒後と入れ替わって泥棒の共犯だって疑われちゃうシーンもはらはらして」


「今までは一秒ごとの入れ替わりに気づいていたのにあの場面だけたまたま通りかかった猫に機を取れたとかおかしいだろ常識的に考えて。猫と世界変異のどっちに意識を傾けてるんだよ。猫オタクか何かかよ。猫が好きなんて、そんな描写今までなかったくせに」


「……。ほら、一秒後の世界では幼馴染がツインテールだったことをキッカケに、一秒後が本物の現在で、今まで過ごして来た一秒前の世界が偽物だったことに気づく終わり方だって」


「だからなんだって話だ。あんなの解決の欠片にすらなっていない。そもそもが神様のイタズラで一秒後に進む世界っていうのが前提で、そこから提起された問題は生徒会長の家庭問題だった。きっと脚本家が前半と後半で別れてて上手く情報交換されてなかったんだよ。終わり方だって壮大な音楽とモデル女優の涙で盛り上げて無理やり幕を引いただけでそもそも――」


 派手な金属音が響いた。その音は休日のフードコートで家族サービスをする大人たちの目を引くには十分な音量だった。


 ナイフとフォークを熱々の鉄板に押し付けたさなかは、手首を焼いていることにさえ気づかず眼尻を尖らせて強い視線を俺にぶつけていた。


「……さなか?」

「なんなの……。折角私がつまらない映画でもお兄ちゃんが誘ってくれた映画だからせめて楽しく終わろうと頑張って面白くない映画の中からいいところ探して話してるのにお兄ちゃんは何、なんなの。あれがつまらないこれがつまらない。そんなことわかってるよ!」


 周りの視線も気にせず、さなかは大声で叫んだ。


「お兄ちゃんともう映画なんて見たくない!」


 小さなポシェットも持たずにさなかはフードコートの外まで走り出した。


「さ、さなか!」



 呼び止めることはできず、さなかは勝手に帰ってしまった。



 ……ここで、物語なら時間が飛んでくれるんだろう。


 でも、そうはならない。


 フードコートに残ったのは、食べかけのハンバーグと、痴話喧嘩の観客が放つイタイ視線と、妹の鞄と、嫌われた男が一人。


 これが物語だったら、次は家のシーンだろうか。


 気を休めるためにもこれが物語ならという仮定のプロットを作る。そうでもしないと羞恥と絶望で死んでしまいそうだ。吐きそうだ。妹に嫌われるなんて……。


 家のシーンでは、きっと晩御飯だ。

 妹と同じ食卓を囲む。けれど会話はない。俺がさなかに話しかけたら、今度は箸をお皿にぶつけて大きな音を立てるか、もしくはガン無視だろうか。妹か俺が先に部屋に戻って、残った方に父さんか母さんが「あんた、あの子と何かあったの?」とか聞くんだろう。


「そんでもって、知らないよ、とかそっけなく答えるまでがテンプレートかな……はあ」


 笑えないし、面白くない。つまらない映画よりも楽しくない展開だった。


 でも、なによりつまらないのは、俺がさなかに怒っているという事実だった。


 つまらない映画を面白いと言うのはそれぞれの感性だ。議論を交わして口論になるとしても、仕方のないことだと考えている。


 けど、つまらない映画を嘘ついて面白いと言ったことに俺は怒っていた。


 高校の文芸部の隅っこで片手間で小説を書いているような小物が飼っている残念で矮小で捨てたほうがマシなプライドが、許せないと叫んでいる。


 溜まった鬱憤を深呼吸で晴らしながら、味のしないハンバーグを口に運んだ。


「ん?」


 さなかの鞄から紙が飛び出していた。ぺらぺらと揺れているそれは、前売り券だった。

 取り出した前売り券の下部は切り取られている。映画を観た証明だ。


 少しだけ小さくなった前売り券。


 映画を観る前にこれが距離感だと思っていたが、そんなことはなかった。


 小さくなった十五センチ紙片を鞄に放り投げ、俺はぶらついてから家に帰ることにした。




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