タイトル一文字。 同音異字から連想する物語、あいうえお順に書いてみた。
「ゆ」 ‐湯・癒・柚‐
や行
やけどした。
「あの、すみません」
給湯室で突然声をかけられて、蛇口から出る熱湯に右手をかざしてしまった。
「あちぃいい」
とっさに手を引っ込め、隣の水の蛇口から出る流水に右手の甲を浸した。
「すみません、大丈夫ですか」
「やけど、した」
「すみません、すみません」
「大丈夫、平気」
『熱湯注意』の文字を軽視した自分の過失が大いにある状況だったが、
声をかけた奴が悪いけどまあ許してやるよという上から目線な態度でいた。
絵に描いたような新入社員といった面持ちの男が、茶器を乗せたお盆を持って立っていたから。
あいさつ回りで遠めに見たことはある隣の部署の新人君だ。
「あ、あの氷持ってきますか」
「いい」
平謝りな新人君を責めるつもりはないが、無感情に対応した。
やけどは冷水より流水。
やけどごときで騒げる若さはもうないのだ。
「大丈夫だから。お茶、入れるんでしょ。どうぞ」
「すみません」
新人君はすみません、すみません、と謝ってばっかり。
最初のすみませんは、別に謝ってたわけじゃないんだろうけど。
女性職員の聖域みたいな給湯室に自分が入るには、断りをいれるべきだという
「すみません」なんだろうに。
「どうぞ」も使用許可のように受け取ったに違いない。
あたしは右手を流水に浸しながら、横によけて見てた。
新人君はお茶もママが入れてくれていたのだろうか、満足にいれられやしない。
なんだか意地悪ババァみたいだなと思いながらも口が出てしまった。
「そのまま煎れたら、ぜんぶお茶っぱ出ちゃうでしょ。茶漉しあるのに」
「ああ、すみません」
怒られているのに、新人君は嬉しそうに謝るので、あたしはちょっと動揺した。
なんとも、癒される笑顔をしやがった。
年下男の笑顔に癒される……
そんな自分、ババァみたいじゃなくて、ババァなのかなと思えてしまう。
「じゃ、頑張ってね」
「はい、ありがとうございました」
あたしは、流水から右手を引き上げ、熱湯を入れたポットを左手に持ち給湯室を出た。
新人君のキラキラがやけど並みにヒリヒリと痛く感じて、同じ空間に居た堪れなくなった。
あたしはお茶出しを済ませ、また給湯室にまた戻った。
もう新人君はいないだろう。
やはり、右手は腫れて痛い。ちょろちょろと流れる水に右手の甲を当てる。
なんか癒しのCDみたいな自然音。
どうせ、お茶を出したら終わる程度のあたしの仕事。
しばらくこうしてやけどの処置をしていても、誰も困らない。
自分の代わりはどこにでもいるような扱いで、同じような日々の繰り返し。
こうやって体のどこかに傷でもつけなければ昨日と今日の区別もつかないんじゃないだろうか。
生きていると感じる自傷行為もこんな感じなのかな。
ちょろちょろちょろ……
癒しの効果音にまどろんでいるとまた、
「すみません!」
突然、声をかけられた。
今度は水なので驚いても大丈夫。驚かないけど。
振り向くと、新人君が手にお菓子を持って立っていた。
「やけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫って言ったじゃん」
「あの、これ、さっきいらした方のお土産なんですけど、よかったらどうぞ」
「え」
ゆべし。
新人君は柚子の和菓子、ゆべしを差し出した。
ひそかに好きなお菓子。
でも、おみやげ物とかじゃないと食べる機会があまりない。
嬉しい。
「ありがとう」
「いえ」
また癒しの笑顔を向けやがる。。
自分のほうが年上だから、対等に向き合ったらバカにされる……
そんな不安で上から目線で無感情な物言いをしたあたしを解かす。
素直に笑い返した
「これ、すごく好きなんだ」
「本当ですか。よかった」
めちゃくちゃ嬉しそうに笑う新人君。
傷なんかつけなくても、昨日と違う今日がある。
やばい、やけどした。
こいつに。
ミニコミ誌「minority」7号掲載
(高円寺 みじんこ洞)