~裏~
間違って続くにしてしまったので、折角なのでおまけをつけました。
1 魔女狩り法典
最初にこの忌まわしき書物が流布したのは、魔女狩り華々しい時代の終わり頃だった。
魔女を判別する方法など聖書に載っている筈も無く、しかし需要が高まった状況では用意しない訳にもいかず。
そんな空気の中でいつの間にか流布していたのがこの『魔女狩り法典』だった。
表向きの目的は魔女を判別する事。
だが、この法典の本当の意味は異なる。
魔女と称した女性を生贄として、忌まわしき神々との交信を図る為の物だった。
始末の悪い事に、この偽マニュアルは教会側の人間が持つべき重要な知識として末端の者たちに広く所蔵されると言う事態に陥る。
魔女裁判が下火となると、この書物は証拠隠滅とばかりに発禁焚書の対象となり、そのほとんどが火にくべられる事になる。
だが。
英訳された物が何部かアメリカに持ち込まれ、後年のアメリカでの魔女裁判に深く関わる事になる。
2 亡骸
変死、怪死事件の場合、亡骸は死因を確認したり事件性の有無を調べる為に司法解剖が行われる。
全国的には人手が足りないと言われている法医学の分野だが、飯綱大学は千葉県はもちろん、関東一円の依頼を受け付ける。東京の過密状態を回避する為、非常に大きな実績を示していた。
今回も司法解剖の為に彼女の亡骸は飯綱大学附属病院に送られた。
とは言え、顎から上が潰れ、天井板と一体化した亡骸は、司法解剖のベテランをして怯ませる悍ましい代物であった。
しかし。
一通り身体の状態を調べてから、解剖を始めようとした時だった。
「……解剖は中止。亡骸は地下四番霊安室に輸送だそうです」
「やれやれ。こいつを扱わないで済むのは有難いか」
ベテラン解剖医はそう呟くと、慣れたように指示を飛ばした。
「急げ! 手遅れになってもしらんぞ!」
飯綱大学付属病院では、しばしばこう言った奇形死体が運び込まれる。
例えば、腕や脚が枯れ枝のように萎んでしまった肉体。
心臓破裂と言われた死体を解剖して見たら、心臓だけがおにぎりのように握り固められていたり。
拷問でもかけられたのかと思うような、四肢が千切れた遺体であったり。
脳味噌だけが抜き取られた標本のような死体だったり。
まるでホラー映画の見本市のような記録が極秘管理されている。
一体何故、どうすればこんな代物が現れるのか。
彼らはそれを知らされていないし、知る権利も与えられない。
その中の更に一割程度の割合だが。
超法規的処置として、法医学の管理外に移管する事がある。
彼らは皆、その事を熟知している。
その判断が下った時点で、この亡骸が極めて危険な代物である事を。
送られる地下四番霊安室。
それは、死体安置所と言う名目ではあるが、本質は全く異なる。
実際は、何が起きても周囲に被害を出さない為の、核シェルターであった。
*
「……英訳版『魔女狩り法典』。アメリカでは珍しくも無いレベルだけれど」
ストレッチャーに乗せられた亡骸を前に、彼女は呟いた。
峠鏡路が回収した、一冊の魔導書。魔導書に分類されるが、その危険性は他の人智を超越した物に比べれば、マニア向け知識書レベルに過ぎない。
しかし、内容を正しく理解し実践する者なら、それなりの価値が浮き出てくる。
「……それにしても、まさか、出所があの一族の蔵書だったとは」
カバー裏にかかれた蔵書を示すサインで判別できた。
本家筋ではないが、アメリカではそれなりに名の通った魔術に傾倒した一族の末裔が保有していた代物だ。
「こっちで何かをしようとしてるのかしらね。もっとも、今回は間接的だったせいか、中途半端になってしまったようだけど」
彼女が呪文を唱え、ある触媒、『イブン・ハジの粉末』と呼ばれるそれを亡骸に振りかけると、果たして生命活動をとっくの昔に停止した亡骸はビクンビクンと波打つように動き始め、遂にはストレッチャーを蹴り倒して床に立ち上がった。
「……やはり、苗床にされていたか」
変容は留まらない。
失われた頭部の部分からイソギンチャクを思わせるような無数の触手が生え、子宮の位置を突き破って、鰐の口のような四枚の顎が、まるで花弁のように開いている。舌なのか触手なのかそれとも花芯なのか、四本の紐状物体が奥から外に飛び出している。
腕は地面に着くほど長く細くなり、指の数はそれぞれが裂けて十本。蛇のような長さに伸びたそれらは、それぞれが自分の意思を持っているかのように蠢いている。
脚は太ももまでは元の人間女性の物だが、膝から下が爬虫類のような鱗の肌を持つねじ曲がった逆脚に変容した。
忌まわしき怪物となった亡骸は、まるで餌を求めるように暴れ始める。
しかし、彼女にはそれが届かない。
瞳らしき感覚器は見えないが、これらにそんな常識は通じない。
彼女の事が見えないのか、それとも何か別の理由があるからか。
怪物はすぐ側に居る存在を無視して暴れ始めた。
その光景は、傍目から見ればきっと滑稽だっただろう。
「知っているよ。貴様らは大喰らいだ。だが、安心するがいい。今すぐ父親の元に送り還してやるからな」
彼女のオッドアイが見開かれる。
普段は偽装している右目は、本来の人ならざる獣じみた瞳孔を開いた。
唱える呪文と共に空間が裂け、怪物は抗う事もできずその次元の彼方へと吸い込まれていく。
後には、捻じれ壊れたストレッチャーだけが散らばっていた。
3 旧図書館
「例の事件のその後の話なんだけどね」
椅子に寝そべった峠鏡路は物凄く嫌そうな顔をした。
「それ、どうしても聞かなきゃ駄目か?」
「駄目」
「はいはい。んじゃ手短にたのまあ」
「『魔女狩り法典』は古書店の旦那がミスカトニック大学に出張した時に、アーカムの古本屋で手に入れたらしい。無くは無いと思うけど、実はおまけが付いていた」
「おまけ?」
「旦那はアーカムに行った時、共通の趣味人が集まるクラブで、ある人物と知り合ったらしい。本はその人物が勧めた物だったんだってさ。ご丁寧に扱っている古本屋まで教えたんだそうだ」
「どうやってそこまで調べたのかは聞かない方が良さそうだ」
「いや別に。入院中の旦那の記憶をちょっと見ただけだからね」
「で、俺に何をさせたいんだ?」
「たぶん来ていないと思うけどね。もしこの街に来ていたら、問答無用で始末してちょうだい。事後報告でいいから」
「……やれやれ。物騒な事。んで、手掛かりとかは」
「特に。でも、名前は決まってる」
「名前だけかよ」
「そう。連中の名は、『ウェイトリィ』だ」