第3話 迷える竜の子 上
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
末っ子長男に水盆の女神の『加護』を授かってしまったサムソノフ家。発覚した強力極まりないお力添えは迷惑以外の何物でもなかったが、返上できない以上受け入れる他ない代物だった。
昼、パーヴェルとの組手を終えたドミトリーは、そのまま井戸で水を浴びてダイニングへと向かった。体中擦り傷と打ち身だらけでになりながらも、不満や反発も見せずにひたすらしごきに立ち向かう。
竜種とはいえ、6歳の少年がバリバリ現役の肉体派法術士相手に格闘戦を挑む日々である。当然のごとく返り討ちにされて傷だらけになったが、ひ弱だったドミトリーは確実に成長していた。
強大極まりない相手にひたすらに挑み続ける理由は、法術大学に入学させてもらうためである。
あの日の夜、ドミトリーは爆睡していたため全く知らなかったが、夜遅くに両親の間で話し合いがあったらしい。翌朝の父親の顔中に痣と引っ掻き傷があったのは議論が白熱した結果だと母は言っていた。最終的にお互いが納得できる形で色々と決めることができたと、傷だらけの父親に言われればドミトリーがいちいち口をはさむ理由などなかった。
仕事に行ったと思った父がすぐに帰ってきたのはその日の昼過ぎごろだった。
子供たちから困惑の目を向けるられながら、無職になった父は子供たちに問いかけた。
「法術大学に入りたいなら特訓しよう。どうする?」
まさか特訓とやらが素手ゴロの殴り合いだとは思ってもみなかったが。
一般的に亜人種、特に一部の獣種は頑丈な体を持っている。
殴られても切りつけられても、人間種に比べダメージとして受けにくい。体質的に病に強かったり、人間種では厳しい環境でも平然と過ごせる等、基礎的な身体能力は人間種の比ではない。特に、竜種はその生殖能力の低さ以外には弱点はないと言われている。竜種は強いのだ。
残念ながら唯一の弱点が致命的どころではない弱点であるのは衆目の一致するところである。
鍛錬とは言え、さすがに自分の娘相手に拳を振るのは父親として思う所があるのか、姉たちの相手は母がしている。子供3人を生んでも竜種の女性。姉たちは2人がかりでも母には手も足も出ないようで、負けず嫌いな次姉に至っては邪魔になるからと大切にしていた髪を切り払ってしまった。
一転して急に雰囲気の変わったサムソノフ家だったが、種族としての伝統も社会の中での適応も両立するのが難しい以上、せめてどちらも選べる程度には力をつけさせようという苦肉の策だった。
種族としての性ゆえかドミトリー自身も鍛錬自体は嫌いではなかったし、体力を持て余し近所で遊びまわっていた姉たちも、その有り余る体力を向ける方向性ができたためかいたずらをして近所を騒がせることもなくなった。
何をするにも基礎は欠かせないのだ。パーヴェルもマーシャも細心の注意を払って手合わせをしているが、獣種はともかく人間種から見れば子供たちを痛めつけているだけにしか見えないあたりが、他種族の相互理解の限界だろう。
特訓という名の暴風が吹き始めて半年になるこの日、ドミトリーは遂に魔術を教わることを父に認めさせた。
青ざめて膝をつき、脂汗を流すパーヴェルに認めてもらったドミトリーは喜びもつかの間、割と本気で全身がしびれるほどに打ち据えられた。金的を蹴り上げるという男に対する裏切りの結果だが、膝をつかせたのは事実である。当然、代償は手痛いでは済まされない苛烈なる報復である。
両者が動けなくなったため、午前の鍛錬は終了した。
「ドミトリーにしてやられたよ。 裏切られた気分だ。」
「でも、ちゃんと膝はついたからね。僕の勝ちだ。」
最近雑になってきたスープと黒パンを食べながら、一言だけパーヴェルが本気で悔しそうにマーシャに言う。ドミトリーは一言捻じ込んだだけであとは黙々と食べている。どんな手を使ったか興味はないが、2人とも詳しく語らないあたり、パーヴェルに膝をつかせたのは狡い手だったのだろう。
勿論相手を舐めて油断していた方が悪い。
「なら、ジーマも今日から術式の練習も始めるのね。」
「ジーマ、頑張ったじゃない!」
子供たちのやり取りをマーシャは微笑みながら見守るだけだ。言いたいことが無い訳では無い。むしろ言いたいことがあり過ぎるぐらいだが、マーシャはそれをそのまま口に出すタイプではない。引っ張るよりも後押しする方がマーシャの性に合っているだけである。
「レーマもイーマも負けていられませんよ。貴方たちは2人掛かりなんですから。」
無論、マーシャは手加減はしても勝を譲る気はないが。
「父さんと母さんってどっちが強いの?」
ジーマの素朴な問いに対する答えは、万感の籠った声色の一言だった。
「......父さんはね、絶対に母さんには勝てないんだ。」
昼飯の後、パーヴェルとドミトリーは庭先で焚火をしていた。いつも通りに火打石を使って火を熾したあと、焚火のそばに座る。薪木がはぜる音を聞きながらパーヴェルは告げた。
「ジーマ、初めに言っておくが魔術は万能じゃない。それは絶対に忘れないこと。できないことだってたくさんある。いいね?」
あれだけ不思議な現象なのに、出来ないこともあるのかとドミトリーは思った。しかしそれを聞いて、何となく安心する。初めての挑戦は不安が付き物なのだ。
「わかった。」
ドミトリーが答えるとパーヴェルは頷き、待ちに待った授業が始まった。
魔術とは大地に満ちる力を利用し、物理的なものとは異なる形で対象に働きかける方法の総称である。「この世界のもう一つのルール。」とも言える。対象を濡らしたり、乾かしたり、焼いたり等ができる。どのような形で働きかけるかによって、火や水、土、風などの属性に分類することができる。一般的には自身の生命力を以てこれらをの術式を行使するが、例外的に精霊を使役することで行使することができる者もいる。長耳族はその典型的なものである。人間種にも精霊を使役できるものはいるがごく少数である。
「精霊...」
ざっくりとした説明を聞いていたが、急にそわそわしながら周りを見始める息子にパーヴェルは笑いながら告げる。
「私は精霊の姿を見たことはないよ。」
パーヴェル自身は竜種特有の生命力を利用する魔術師である。ちなみに精霊の力を介する魔術は術者本人の集中力次第で大化けするのだが、術者が精霊に好かれるかに左右されるため強力な割に普及率は極めて低い。そのために研究も進んでおらず、精霊の選り好みの基準は現在もよくわかっていない。
「ま、ここら辺はあまり重要じゃない。いずれしっかりと学ぶ機会があるだろう。魔術で一番大切なのはイメージだ。 例えば...そうだな、『我が拳は風と共にあり』。」
そう言うとパーヴェルはぐっと握り拳を作る。
すると彼の拳の周りに陽炎のようなものが現れ、拳を包むように揺らめく。 パーヴェルがそのままその拳を焚火に向かって突き出すと、焚火はごうと音を立て火柱を吹き上げた。
「イメージ...」
「何をどのようにしてどんな形にするか想像するんだ。 そうだな、この枝を持ってやってみるといい。」
その後、簡単な詠唱をとともに何度か焚火相手に枝を振る練習となった。枝に風を纏わせて焚火に当てるという内容をひたすらに繰り返す。
初めはうんともすんとも言わなかったが、何度も試みるうちに徐々に焚火が反応するようになり、ドミトリーは夢中で練習を繰り返した。パーヴェルも息子が夢中で練習する様子を見守っていたが、徐々にドミトリーが息切れしてきたのを見てその日の魔術の練習は終了となった。
パーヴェルは顔に出そうになる歓喜を全力で隠していた。息子の呑み込みの早さはサムソノフ家の法術士としての才能をしっかりと受け継いでいる証である。
竜種特有の生まれついての豊富な魔力に加え、片寄りこそあれ法術士として極めて優秀なパーヴェルの子供が出来ないはずないのだ。
普通の人間の子供では先祖や親の資質に大きく左右される為、簡単に出来るものもいればどうしてもできない者も居る。
例え『加護』があろうと自分の子であることの証明を得られたパーヴェルは、深い安堵に包まれていた。
「よくやったな。楽ではないが、これから練習を毎日続けるぞ。」
魔術の基本は他の武術と同じように繰り返しの鍛錬あるのみ。やって試して改めての連続である。
好きこそ物の上手なれ。
やって試して楽しんで。それが何よりも上達する秘訣であり、あまりに早すぎる成長はむしろ障害であるというのが彼の持論である。機会が許す限り何度も挑めばいいのだ。
パーヴェルは内心、アルストライアの加護が余計な気を働かせ、息子からそれらの機会を奪わなかったことはありがたかった。彼女の加護が将来どのような形で発揮されるかわからないが、加護がその力を現した時、その力を使いこなせるようになっていて欲しい。息子の未来を思うと、そう願わずにはいられなかった。
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