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元宰相の異世界物語(仮題)  作者: 徳兵衛
第1章
63/65

第50話

 お久しぶりです。資格やら講習やらで忙殺されておりました。 


10/03 微修正を行いました。

10/04 誤字誤植の修正を行いました。

「シェルバコフ...貴様、一体何を企んでいる?」


「はて、何をとは?」


 日の傾いた応接室で、見る者全ての胃を荒らすような空気が渦巻く。

 宰相府の主であるシェルバコフは、目の前で長椅子にゆったりと腰を掛ける男のことが嫌いだった。


 アントニン・エレメーヴィチ・オルロフ。オルロフ家当主にして”四公”と称される大貴族の筆頭である。


 爵位に相応しい広大な領地と他家とは一線を画する規模の家臣団を持ち、特にその血筋は皇室以外では唯一建国以前にまで遡る。帝国貴族は数あれど、これほどの歴史と規模を持つ勢力は他に存在しない。

 彼自身も皇帝の従兄弟という貴種の中の貴種であり、やたら頭数の多い帝国貴族の纏め役として国政にも大きな影響力を持っている。


...まぁ、そう言われてはおるがな。


 少なくともシェルバコフは目の前の男の能力を良い意味で恐れたことは一度も無かった。


「呆けた振りは要らぬ。貴様は銃兵隊などと言う集団を使って、一体何を企んでおるのか訊いている。」


「企むなど人聞きが悪いですな。昨今の情勢を鑑みた措置でありますれば、閣下が苛立つ理由など何処にもありますまい。」


 睨め付ける目を一層険しくして問うてくる公爵に、宰相は口元にティーカップを運んで苦笑いを隠す。

 本来であれば宰相であるシェルバコフは目の前の公爵と同等の権威を持っているのだが、目の前の男にとっては木っ端も同然なのだろう。

 実際、政治―――もとい貴族への影響力は目の前の公爵の方が勝る。

 ダークブラウンの髪は白髪が目立つが、目だけは若き頃と露も変わらぬ鋭い光を湛えている。こちらと違って向こうはまだ若いが、今の公爵は貴族として今が一番脂の乗っている時期と言える。

 一方の自分はといえば、脂が付きすぎて屈むことも首を回すことも出来ない。何たる惨めな対比だろうか。


「...それで皆が納得するとでも思うか?」


 重ねて言う。シェルバコフはこの男が嫌いである。その恵まれた出自も、偉そうな態度も、微妙に他人の話を聞いていない所も。

 押しも押されもせぬ大貴族であり、彼の声で多くの貴族たちが一斉に”動く”という事実を理解して尚、シェルバコフは彼に対して好意的な印象も政治勢力としての畏怖も抱いた試しが無い。


「銃兵隊は宰相府が所轄する組織ではありますが、それはあくまで書類上の事。実態は両殿下、特にセルゲイ殿下の強い管理下にありましてな。小職が口出し出来る事などありませんぞ。」


「セルゲイ殿下が...。」


 露骨に顔を顰めた公爵を見てシェルバコフが鼻を鳴らす。昔から腹芸が下手糞な男だったが、今もこうして弱味を少し突いてやればこの通りの青二才である。自分も含め、人間はそう簡単に得手不得手を変えることは出来ない。


 そう、この男は何処までも小人なのだ。彼がその地位に相応しくない器量しか持ち合わせていない事は、シェルバコフは勿論の事西部の伝統ある貴族達も気づいている。

 もっとも、気づくのが遅れた結果改革が挫折したあたり、シェルバコフの目は決して澄み切っている訳ではないが。


 あっさりと主導権を奪ったシェルバコフは、いつもの様に毒入りの煙で巻く。


「現在はお忙しい皇太子殿下に代わり、セルゲイ殿下が銃兵隊の監督を行っておられます。深い信頼で結ばれた麗しき兄弟愛ですが、やはりこの薄汚れた老体には眩し過ぎましてなぁ...。」


「そ、そうか。」


 シェルバコフは立場上、ヴァシリーと言葉を交わす機会が非常に多いのだが、セルゲイの話題になる度に居た堪れない気持ちになる。シェルバコフのような臓腑の腐りきった者にとって、無条件の信頼は劇物に等しいのだ。

 なまじ自分が人間の屑である自覚があるだけに、何かにつけて浄化されそうになる日々は老骨には堪えるものがあった。


「恐れ多くも陛下のお言葉の通り、帝国は国内治安、特に街道の警備を強化する事が求められております。宰相府は今まで各地の領主に街道の管理を委託して参りましたが...殿下はどうにも荷が勝ちすぎると判断されたようで。」


 風土の厳しい帝国における領地経営は生易しい仕事ではない。管理委託を受けるという事は名誉な事ではあるが、その名誉を長く保ち続けられる力のある貴族はごく少数に限られる。

 目の前の男の領地もその少数に含まれるのだが、帝国有数の穀倉地帯を持っている以上は当然とも言えた。彼自身の手腕というよりは、彼の先祖が残した遺産といったほうが正しい。

 だが、広大な帝国がそんな領地ばかりであるわけも無く。大抵の領主はおいそれと自領を離れられるような状況には無かった。

 昨今の治安の悪化はただでさえカツカツな無い領主から全ての余裕を奪い去り、統治の質の低下はさらなる治安と経済の悪化を招くという悪循環に陥っていたからである。


 特にオークの里の救済の話が広がって以降は、今まで帝都に滞留していた貴族たちも自領の引き締めに戻らざるを得ない程に情勢は悪化していた。


「一度や二度の討伐で匪賊が大人しくなるとでも?奴らは追い払って片付く程容易い存在ではないぞ!」


 東部諸侯は能力がなく、西部諸侯には余力がない。そして、それを理解できないシェルバコフではない。

 以前から領地持ちの貴族には経営を見直す勧告は幾度も出してきたし、借金にあえぐ領主には経営改善のために人員を派遣してきた。宰相府に出来得る限りのことはして来たのだ。

 だが、西部諸侯は辛うじて踏みとどまっても改善には程遠く、東部諸侯に至っては宰相府の干渉を嫌って事態を余計に悪化させている。

 本物の馬鹿は自らが馬鹿である事にすら気づかないという事実に、シェルバコフは内心で歯を食い縛りながら執務に当たっていた。


「...ならばお尋ねしますが、閣下は何故それを東部の諸侯に説かれぬのですかな?」


「...。」


...だから貴様は、そこから先に進めんのだ。


 顔を顰めて視線を逸らす公爵を見たシェルバコフが内心で毒づく。

 宰相が公爵を嫌いな理由の最後の一つ、この男は物事の本質を捉える目を持っていながら、まるで行動が伴わない。肝心なところで一歩を踏み出せないのだ。


「...閣下がそうやって甘やかすから馬鹿が付け上がるのです。閣下のお考えを本当に理解している貴族がどれ程いるのか、甚だ疑問ですな。」


 そして元々煽り耐性の低いシェルバコフは、既に公爵の声を話し合いの場で荒げる無粋さに苛立っていた。


「帝国は広大ですからな。その隅々まで目を配る事はもとより不可能でありますれば、要所要所をしっかりと整えて行く事が肝要。まぁ、これは貴き血を持たぬ平官吏が任官して一番最初に叩き込まれる統治の要諦ですが。」


 宰相府では言葉のナイフによる斬り合いなど日常茶飯事だが、シェルバコフのそれは木挽きの如く相手の心に深い傷を与えるため、周囲からは酷く恐れられている。

 相手の琴線を荒々しく引きちぎる舌は、老いと共にいよいよ鋭さを増して衰える気配はない。


「少なくとも、再三の勧告をあからさまに無視するという事の意味、理解できぬような輩を”貴い”とは言えますまいて。」


「っ貴様!まさか!?」


 拳を叩き付けて立ち上がり、公爵が宰相を睨み付ける。目つきこそ鋭いが、湛える光には明らかな怯えが浮かんでいた。


…臆病な犬ほどよく吠えるか。至言だな。


 シェルバコフを含めて人は大なり小なり臆病だが、目の前の男のそれは立場と言い影響力と言い、あまりにも性質が悪すぎる。

 逃れられぬ貴族の歪みを体現する公爵は、シェルバコフの目には哀れに映った。


「どうにも勘違いされておられるご様子ですが、銃兵隊は両殿下の管轄下にあって小職が恣意的に使うことなど元より不可能。それに、賢明なる両殿下は今の帝国でそうそう無茶が出来るとは考えておられませぬ。」


...ま、儂の知る限りはな。


 知らぬことは語れないし、知っていても問われなければ言う必要もない。

 宰相たるシェルバコフもまた、目の前で一喜一憂するオルロフ公爵にはその程度の価値しか見出してなかった。


「なら...ならば良い...ならば良いのだ...。」


 公爵が力を失って腰を下ろすのを見届け、シェルバコフは侍女を呼び出す。テーブルの上の茶は温もりを失っていた。


「お茶のお代わりを頼めるかね?」


「畏まりました。」


 哀れなほどに震える背中を見送って、シェルバコフは深い溜息を吐く。


...やれやれ。公爵の相手はどうにも調子が狂うな。


 どうにも出来の悪さが目につき、言葉を重ねれば重なるほどに血圧が上がってしまう。

 加齢も手伝って沸点の低下が顕著になってきたシェルバコフにとって、この手の人物の相手は非常にやりづらいものがあった。


「閣下、表向きの要件が御在りなのでしょう?お伺いしますぞ。」


「あぁ...。」


 温厚な仮面の下で遣る瀬無い激情を煮えたぎらせながら、シェルバコフは努めて穏やかに公爵を諭す。


 帝国最大の貴族を相手に此処までせねばならないのかと思うと、シェルバコフは暗澹たる気持ちになる。帝国最大の貴族がこの程度と他国に侮られれば、再び両大陸戦役を迎える可能性もあるのだ。 


...もっとしっかりして欲しいものだが、無理だろうな。


 対立勢力の首領を相手に一体何を心配しているのやら。今日も帝国宰相の悩みは尽きる事は無い。







「第一列!構え―――撃てぇ!」


 一斉に銃を構えた兵士達が射撃指示に従い、ずらりと並んだ60余りの銃口が一斉に火を噴く。

 轟音と衝撃波が耳を痺れさせ、急激に周囲に充満する硝煙に粘膜を突き刺された獣系亜人種が鼻をすする。


「第一列後退!第二列構え―――撃てぇ!」


 打ち終えた第一列が後退すると第二列が片膝を付けて銃を構え、号令と共に一斉に引き金を引く。

 濃密さを増した硝煙の先で耳障りな金属音が響き、一拍の後に何かが崩れ落ちる音が鼓膜を揺らした。


「第二列後退!第三列構え―――撃て!」


 第三列の射撃によって前後の部隊すら判別が難しい程の濃密な白煙が辺りを包み込む。


「全隊、打ち方止め!観測員、確認よーい!」


 術式が展開され、視界を遮る白い壁が地面から切り離されて尾を引きながら空へと昇る。

 幾度となく繰り返されて来た光景だが、不自然な速さで煙が晴れる様は未だに強烈な違和感を感じずにはいられない。

 術式という物理法則を捻じ曲げる力学には謎が多く、法術士の端くれである筈のドミトリーですら、未だに理解とは程遠いところにある。


「対象の無力化を確認!」


「全隊、休め!」


 オークの観測員が叫ぶと、総勢二〇〇名の銃兵は銃を立てて一斉に片膝立ちの体勢を取った。


...よし、


 ここまでの動作を仕込むのに苦労したが、一度頭に入れば後はどうとでもなる。元々彼らは剣を取って組織的に戦って来た者達ばかりであり、新たなルールに困惑はしても拒絶するほど野蛮では無いのだ。

 心の中で秩序ある団体行動の素晴らしさを噛み締めつつ、ドミトリーは声を張り上げた。


「各分隊長は残弾を確認し報告!」


 分隊長達が自分の分隊員の間を確認して回るのを見守りながら、ドミトリーは腕を組む。

 西大陸で続く戦乱によって硝石と硫黄の価格が高騰しているとの連絡がベルジン商会から入っている。

 訓練にかかる費用が高騰しても訓練を疎かにするような真似は出来ないが、それ以上に国富を流出させることの方が好ましくない。

 今のところ特に節約しろ等の指示は無かったが、ドミトリーは念のために弾薬の管理を厳しくすることで節約アピールをしつつ、今日も今日とて”金”を焼いて煙にする日々を送っている。


...弾薬の調達もどうにかする必要があるな。


 献身的なベルジン商会への飴として、ドワーフ工房との大口取引も考えるべき段階にあった。


「第一分隊、残弾は8。」


「第二分隊、同じく残弾8」


 ちなみに、訓練に明け暮れる現状では必要以上の弾を持たせる理由も無いため、訓練で使う分以上の弾は支給していない。だが、実弾訓練を始めるにあたってドミトリーは全員に警告していた。

”銃兵隊で鉄拳制裁は禁止する。それでも鉄拳に頼るのなら背中から撃たれる事を覚悟してくれ。”と。


 男女の混在する部隊故のささやかな騒ぎはあるが、幸いな事に現時点まで命にかかわるような”重大な”トラブルは起きていない。


...撃つ事を躊躇う様子は無い。だが、実際に人に向けてみなければ分からないか。


 ドミトリーにとって意外な事だったのが、銃兵隊に志願した面々で人を殺めた経験を持つ者はごく少数に留まる点である。

 同族兵団自体が要らぬ恨みを避けるためにそう言った戦場を避けて来た結果とも言えるが、何だかんだで彼らが人を殺めるような機会は少なく、もっぱら魔獣の討伐が主な仕事だったらしい。


 正直なところ、彼らの戦意がヒトという最凶の魔獣を相手に何処まで通用するのかは未知数だった。


「どうだ?」


「もうちょい動きにキレが欲しいな。まだ迷いがある。」


 分隊長の筆頭格がすっかり板についたゲラシムの問いかけに、ドミトリーは所感を伝える。


 白煙に視界を塞がれる直前に目についたのは、周囲の動きに目を走らす兵士だった。

 今は別に構わないが、少人数...分隊毎の行動や激しい攻撃に晒された際には敵にとっての突破口となりかねない。


「...また一人一人動きを確かめるか?」


「ここまでやってこれなら、後は実戦に出して馴らすしかない。」


 思いつく限りの訓練は施したが、ドミトリーは不安を拭えずにいる。


「休憩にしよう。午後の座学でお前たちに眠られるとボリスが泣く。」


「了解した。」


 身に覚えのありすぎるゲラシムが目を逸らすと、訓練場に張り詰めた緊張は一瞬で霧散してしまった。






「...ふぅ。」


 無駄に水量の多い井戸で顔を洗うと、水面に泥と土埃で薄汚れたが長い耳が水面に映る。泥に塗れ、銃を抱えて術式光に追いかけられてはや3か月。

 銃兵隊第4分隊の分隊長を務めるラーティカイネンは、見違えるほど厚くなった掌をぼんやりと眺めた。


 他の北方系長耳族と同じく弓が得意なラーティカイネンにとって、銃と言う武器はさほど取扱いに困惑するようなものでは無い。故郷ではそれこそ息をするように獲物を射落として暮らしていたし、暮らしづらい環境に弱音を吐くようでは故郷であるノーヴィクで生きていく事は出来ない。


 だが、ものには限度がある。自慢の金髪と若葉色の瞳には光も輝きも失われ、今の彼にはただひたすらに疲れがにじみ出す。

 男であるラーティカイネンですらここまでやつれているのだ。女性陣に至っては口にするのも哀れな状態にある事は言うまでもない。


「酷いつらだな。大丈夫か?」


「...お前よりはマシでありたかったんだがな。」


 アキムと言う名の森鬼族オークの男の呼びかけに、ラーティカイネンは力なく頭を振る。ドワーフ同様、長耳族は元々直接戦闘に不向きな能力を持つ種族である。

 体格が華奢でどちらかと言うと弓矢や術式による間接攻撃を得意とする長耳族にとって、術式による身体強化など焼け石に水だった。


 朝一番の行進訓練で体を暖め、訓練場の一角に設けられた障害物コースを踏破し、隙あらば走り込みを行い、銃を模した木の棒での白兵戦を繰り返す。

 口にすれば簡単な話だが、行進訓練は集団行動に不慣れなラーティカイネン達北方系長耳族にとって精神的に辛く、狼種のように涼しい顔で走り込み出来る程の持久力が無い上に白兵訓練の相手は虎種を筆頭に膂力に勝る獣系亜人種である。


「はぁ...。」


 救いがあるとするならば、確かな身体能力向上を実感できている事と比類なき忍耐力を植え付けられた事だろうか。

 今更逃げる気はないが、ここまで過酷な訓練は彼の長い人生でも今まで経験した事が無く、ここ最近のラーティカイネンは弱音を堪えるので必死だった。分隊長と言う肩書が無ければ危なかったかもしれない。


「っつ!」


 肩を回しただけで全身の筋という筋が痛む。いくら長命種であるとはいえ、鈍りもすれば老いもする。既に彼の体は限界点を越えて久しい。


 サムソノフ事務長の展開した恩をごり押してシバキ倒すという手法はある意味で革命的で、ラーティカイネンは自分がしがらみとの闘いに慣れた長命種である事を部下に指摘されるまで忘れていた程だった。


 もちろん不満が無いと言えば嘘になるが、衣食住全てを用意してもらった上に読み書きまで教わってしまうと何も言えなくなってしまう。

 少なくともラーティカイネンの知る限り、これほど気前の良い職場は聞いた事も見た事も無い。


 ただ、不満の矛先である筈の事務長が他の誰よりも率先して課題をこなして不満を先んじて封殺し、負傷者や脱落者を出さぬように常に目を光らせている点だけは泣きたくなるほどに困る。

 呼吸と同じ程度に悪態と不平を言わねば生きていけない長耳族にとって、これほどやりにくい相手は他に居ないのだ。

 有り難いやら忌々しいやら色々と複雑な気持ちになるが、休憩が終わればそんな思考をする余裕は再び消し飛ばされるだろう。


 最近は物理的に吹き飛ばされることは稀だが、手を抜いて塹壕でも掘った日には爆風に巻かれて天高く宙を舞うことになる。

 身体強化で怪我はせずとも痛いものは痛いし、何より宙を舞うときの視界の変化がラーティカイネンは全くダメだった。上手く受け身を取れても立ち上がると吐いてしまう。


 既に恥をかき慣れた身でも、分隊員と揃って”もどす”のは流石に遠慮申し上げたいところである。


「生かさず殺さずの加減が本当に上手い。本当に法術大学を出たばっかりのぺーぺーなのか...」


「安心しろよ。故郷の同族曰く、在学中から化け物だったらしいぞ。単独でゴブリンの大群を焼き滅ぼしたとか。」


「なんだそれ。」


 ラーティカイネンは時折、事務長と言う肩書がその真の姿を隠すための封印なのではないかと思う時がある。

 虎種や狼種が恥も外聞もかなぐり捨て、牛種や駒種などの蹄族と互いに支え合いながら逃げ惑っているときは特に。

 確かにサムソノフ家と言えば両大陸戦役で名を馳せた”血濡れのパボ”の家である。だが、頭から5,6くらいは大切な物が外れている気がするのは、きっと己が疲れているからだろう。

 何の気休めににもならないが。


 ふと歓声が聞こえた方に視線を向けると、爆音が肌を震わせ、土埃の向こうでチカチカと閃光が走る。またぞろルバノフ家の3兄弟が事務長に挑んでいるらしい。


「また始めたのか...あいつ等も懲りないな。」


「そう言ってやるな。あれで気を逸らせている間にこっちは休息を取れるんだ。」


 無駄に血気盛んな同僚だが、その人柄故に彼らの事を煩く感じても不快に思ったことは無い。特にここ最近は彼らの元気の良さに助けられっぱなしである。


 ドワーフ経由で事務長が”血濡れのパボ”の実の息子である事を知って以来、彼らは隙あらば事務長に挑みかかっている。

 ラーティカイネンにとって非常に残念な事に、意味不明な硬さの身体強化と初歩的な攻撃術式のみで悉く退けてしまう事務長の前では、彼らの得物も技量も蟷螂の斧に等しく、野太い悲鳴と共に吹き飛ばされるのが常であった。


”兄者あぁぁ!”


 そんな取りとめもない考えを始めてからほぼ間を置かずに、ひと際大きな爆発音と共に聞きなれた暑苦しい悲鳴が訓練場から響いて来た。


「...休憩は終わりだな。戻るか。」


「あぁ...。」


 オークの呟きに頷くと、ラーティカイネンは手拭いでゴシゴシと顔を拭いてため息を吐く。

 当人たちにその意図は一切ないのだが、彼らが事務長に挑みかかる事によって稼ぎ出された時間は、疲れ果てた兵士達にとって貴重な休息時間となっていた。

 だが、残念な事に今日のそれはもう終わってしまったらしい。


 ラーティカイネンは部隊に合流すべく、疲労によって重たい足を引き摺って歩き始めた。





「ぐっ...無念っ!」


「今のままだと何度来ても同じだぞ。」


 膝をつき、悔しさに沈む虎達を前に、竜は淡々と勝利を宣言する。


 この世界において法術師は近接戦、特に刃物などの物理的な攻撃に弱いというのが一般的な常識である。

 攻撃術式は全体的な傾向として間接的な面制圧を得意とし、今まさに終結した手合わせの様な一対一サシの戦闘はご法度とも言っていいほどに不得手なのだ―――普通ならば。


「刃が果てしなく遠い...。」


 だが、これが無駄に頑健な体と規格外の魔力を持つ竜種になると、通常の手段では近づく事はおろか、強引に切り込んでも傷を負わせることが極めて困難な歩く要塞と化してしまう。

 特に魔力に恵まれたドミトリーにとって、ルバノフ兄弟との手合わせは術式の遠距離攻撃の乱打で接近を阻止し続けるだけの簡単なお仕事でしかない。


「そうだ。だからこそ、剣や弓に頼らない戦い方が必要になる。」


 大の字に寝転がって覚えたばかりの言葉を使って悔しがるイサークを穏やかに諭すドミトリーだが、その軍服は度重なる手合わせでノースリーブと化して久しい。ボロボロになった外套も相まって世紀末救世主臭が漂う。


 いくら阻止し続けても回数を重ねれば当然隙を突かれて肉薄される訳だが、サムソノフ家が得意とする身体強化の術式がここで活きて来る。

 元々の頑健な体に加え、身体強化と防護術式を重ね掛けする事によって手刀で相手の首を刎ねる程の強度を発揮するのである。

 ”血濡れのパボ”と言う綽名が意味する通り、ドミトリーの父パーヴェルは返り血を浴びる程に近距離での白兵戦を得意としているのは、この身体強化のセンスが飛び抜けて優れているからに他ならない。


 残念ながらドミトリーはその感覚がいまいち理解できず、魔力任せの強引な身体強化で押し切っているが。


「...貴様に銃が通用するのか?」


「するぞ。威力が威力だからな。咄嗟の身体強化や防護術式で防げない上に、余程の経験を積まなければ撃たれるまで狙われている事に気付けない。」


 なお、この術式が効果を強く発揮するのは生体相手に限られ、無機物相手では効果は激減してしまうのは他の術式と変わらない。

 術式は使い所さえしっかりと定めていれば痒い所に手が届く非常に便利な力だが、決して万能では無いのだ。


「成程な...だがそれは、我らの望む勝ち方では無い。残念な事だ。」


 弟たちと同じく地面に背を預けたゲラシムが遠い目で茜空を見上げると、大立ち回りの余波で焦土と化した訓練場を生暖かい風が撫でる。

 最低でも一日一回は焼き払われてしまう為、新緑溢れる季節にもかかわらず訓練場は草むしりとは無縁だった。


「そればかりは仕方ないだろう。銃は元を辿れば弱き者の抵抗手段。死に物狂いで抗う者の為に生み出された武器だからな。」


 ドミトリーが推し進めた教練の全ては、塹壕も陣形もそれらを支える後方組織に至るまで、どこまでも弱者である事が前提になっている。

 民を束ね、遍く敵を打ち払う事を求められる側に立つ者にとって、弱者である事は罪ではない。弱きから這い上がる努力を諦める事こそが罪なのだ。

 

「弱き者か...つくづく残念な事だ。」


 漏れ出たエゴールの呟きは、訓練場に吹く風にかき消された。


 長男ゲラシムや次男イサークとは異なり、3男のエゴールは”比較的”理解が早く話が通じやすい印象がある。

 エゴールを含めルバノフ兄弟は意外なほどに頭がよく回るのだが、不思議と思考の過程と結果が筋肉に彩られてしまうあたり、やはりそういう血筋なのだろう。

 そう言えば、彼らの妹に当たる学友も中々に筋張った脳味噌をしていた記憶がある。己の次姉同様にぶっきらぼうで対人折衝に難がある人物だったが、虎種の濃い同族社会でうまくやっているのだろうか心配になる。


「俺も含めて誰にでも得手不得手は必ずある。だからこそ足らぬ部分を補う知恵と技が必要に...ん?」


 ふと、フェリクスが歩いてくるのが目に入ったドミトリーは、今朝の朝礼で確認した今日の予定を思い出す。


「..時間だな。準備は任せるぞ。」


「「「了解。」」」


 一瞬で戦士から分隊長へと表情が戻ったゲラシムが立ち上がって敬礼すると、イサーク・エゴールの両名もそれに倣う。


 肘を張り、伸ばした手のひらをこめかみの辺りに寄せる”挙手の礼”は、訓練に先立ってドミトリーが兵士たちに初めて教え込んだ作法である。

 当初は細かい規定はなかったのだが、セルゲイによって掌を相手に向けるアレンジが加えられた結果、いわゆる”フランス式敬礼”の形に近いものとなっていた。

 最近では近所のドワーフの子供達が兵士達の真似をする程度には広まっており、一々跪く必要がないために上も下も重宝しているらしい。


 答礼したドミトリーがその場を後にすると、三兄弟は同僚を集めるべく一斉に動き始めた。






「明日で3か月か。早いもんだな。」


「ですね。」


 攻め手の赤組と守り手の白組に分かれて酒樽を奪い合う兵士達を眺めながら、ドミトリーが独り言ちると、傍らに控えて同じく訓練を見守っていたフェリクスも頷く。

 だが、口ぶりとは裏腹にドミトリーの表情は憂いの色が濃く、あふれ出す負の感情が若輩者のフェリクスにもひしひしと伝わって来る。


...練兵計画の繰り上げ、事務長は最後まで反対だったからな。


 今のドミトリーはどちらかと言うと不満というよりも不安に近い感情を纏っているが、少なくとも目の前の光景や自身の手掛けた仕事に対するものではなく、銃兵隊を取り巻く情勢に向けられた物であることをフェリクスは嫌というほど知っていた。


「やはり、まだ思うところがあるのですか?」


「もちろんあるさ...良い振りこいてスカしたら恥ずかしいだろ。大胆に振る舞うのが一番格好が付くのは分かるが、それは十分な備えがあっての話だ。」


 ドミトリーはフェリクスの問いに苦々しい表情で答えると、暑苦しい乱闘から視線を外して煤と土埃で汚れた頬を拭う。


 フェリクスにはドミトリーが言っていることは間違いだとは思えないし、非常に理解と共感を抱きやすいのだが、その言葉が常にどこまでも俗である事が残念でならない。

 刺激的な表現を多用するために兵士達からの受けは非常に良いのだが、フェリクスはその才気に相応しい高尚さを持つ事を密かに願っていた。


「...例え無理を承知の上でも戦場で命を懸けるのはあいつらだ。彼らの為に万全を期さないのは彼らの背中を守る者として不義理極まる。」


 そう言って険しい表情で腕を組む姿は実に様になっているのだが、拭った煤が余計に広がってどうにも間の抜けた画となってしまう。


「それは自分も同感です...すみません事務長、顔を拭いてください。」


 二人の目の前で雄たけびを上げて酒樽にとびかかる牛種の女性を、同じ牛種の男性が天高く投げ飛ばす。

 いくら身体強化が掛けられているとは言っても、ごく普通の人間種であるフェリクスにとっては見ていて心穏やかになれる光景では無い。

 双方泥だらけになって尻尾を掴み耳を掴みの大乱闘だが、金的急所を狙うと無条件で敗者確定となるため律儀にルールを守っているのが妙に滑稽だった。


『酒樽合戦』


 銃兵隊の一週間を締めくくるこの課業は、兵士たちが溜め込んだ鬱憤を晴らすための棒倒し的なレクリエーションである。


「...それにしても、何故給料で買おうという発想が出てこないのか不思議だ。」


「...単純に足りないのでは?」


 兵士達が互いにむき出しの戦意でぶつかり合う理由は単純で、酒の配給量がこの一戦で決まるからである。

 酒の有無と量が露骨に士気に影響するため、給料の遅配よりも酒を絶やす方が致命傷の銃兵隊だが、貴族の領軍に官吏や商会お抱えの傭兵、果ては帝都衛兵隊に至るまでが同様である以上、酒の切れ目が縁の切れ目となるのは帝国において不思議な事ではない。


 帝国―――ノルスキア帝国は、長く厳しい冬を乗り切るための保存食が著しく発達しており、それは飲料においても同様である。冬場は井戸も川も分厚い氷に閉ざされるという事はつまり、凍らず日持ちする飲料(つまり酒)が無ければ生きていけない土地である事を意味するのだ。


”禁酒したら帝国は滅ぶぞ。いや、そんな国は俺が滅ぼす。”とは先日快癒の太鼓判を押されたセルゲイの言である。


 必要以上に重宝しているのは大地と産物への感謝の心が篤いからだろう。少なくともフェリクスはそう考えて自分を納得させている。


「勝負あったな。」


 ドミトリーがそうつぶやいた直後、酒樽を守り抜いた防衛側から鬨の声が上がった。


 薄暗い訓練場に目を凝らせば、酒樽の周囲では死屍累々とは行かぬまでも、力を使い果たした兵士達が折り重なるように倒れている。


 毎回組み分けを変えるために一方が連勝することは稀だが、個人の総合勝率トップ3をルバノフ兄弟が占めているのは流石というべきか。目の前で勝利の雄たけびを上げる3人の姿は虎よりもオーガに近い。

 ”粗にして野なれど卑にあらず。”とはドミトリーの評だが、聞いた時は言い得て妙だとフェリクスは思ったものである。

 少なくとも事務長発祥の”脳筋”という表現が、いつの間にか蔑称ではなく尊称となったのは間違いなく彼らが原因だろう。


 そして、ルバノフ兄弟に限らず癖の強い銃兵隊の面々を纏め上げる事務長の苦労はいかばかりか。

 特に最近はやんごとなき所からの要望に神経をすり減らしており、流石の竜種も嵩む心労には打つ手は無いらしく以前の快活さはすっかり鳴りを潜めていた。

 少しでも雑務を引き受ける位しか出来る事が無いのが実にもどかしい。


「では事務長、後は自分が。」


「助かる。」


 短い答えだったが、それだけでフェリクスは満足だった。


 ”いつか、この国から匪賊を根絶やしにしたい。”

 志を同じくするボリスやアデリーナと違い、目の前で両親を嬲り殺されたフェリクスは、孤児院ではその経験故に周囲から腫物扱いをされ、暗い大志を抱く何とも残念な子供時代を過ごしてきた。


 だが、銃兵隊の門をくぐってからすべてが変わった。


 これ以上ないくらいに簡潔に語られ、そして見せつけられたのだ。”匪賊を根絶やしに出来る。そして、より根本的に駆除する事が出来る”と。

 大志は”あたりまえ”にランクダウンし、フェリクスの将来の夢は出来レースと化してしまったのである。


 勿論、今も匪賊を根絶やしにしたいという願いに変わりはないが、その手段がより狡猾で実現性の高いものへと変わるのにそう時間はかからなかった。

 少なくとも悶絶するほど恥ずかしい過去の自分とは決別できたと思いたい。


「後は任せる。事務室にいるから何かあったらすぐに連絡してくれ。」


「了解しました。」


 一つ断言できることがあるとするならば、ドミトリーを支えて彼の描く夢を実現する事が、己の悲願を叶える唯一の方法であるという事だろう。

 決して多くは語らない上司だが、その夢の片鱗に触れたフェリクスは完全に魅入っていた。


 見たいのだ。可能性の塊である上司が描き出す未来を。


...俺にも、いつかこの人と同じ地平を見れる日が来るのだろうか。


 だが、上司の背中はフェリクスにとって、大きい癖に何処までも遠かった。





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