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元宰相の異世界物語(仮題)  作者: 徳兵衛
第1章
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第49話

台風一過、風は完全に秋になってしまいました。近所のトウモロコシ畑が痛々しい。


9/03 誤字誤植の修正を行いました。 内容に変更はありません。

9/04 誤字誤植の修正を行いました。 内容に変更はありません。

『パボ、お前は生き残りを連れて脱出してくれ。俺は残って足止めをする。』


『馬鹿言うな!奴らを押し崩してから全員で後退すればいい!今までもそうして来ただろ!』


 未だに血を吹き出す腕を抑え、若い竜種が吠える。


『中央の崩壊が早すぎる。今押せば確実に囲まれるし、このまま機を見ていては此方が潰される。足止めなしに退却する事は不可能だ。』


 戦鎚を握る男の言葉に竜種は何も言い返せず、周囲で立ち尽くす薄汚れた戦士達から嗚咽が漏れる。


『加護を持つ俺が捨て駒を使って逃げる事は出来ない。したとしても戦神は俺を許さないだろう。パボ、お前が頼りなんだ。皆を頼む。』


『ふざけるな!そんな事あってたまるか!』


 この場に居る者全てが祖国を想い、共に戦って来た。

 そうあれかしと求められた彼を皆が支えて来た。

 戦友の死に袖を濡らし、見知らぬ同胞を心の中で詫びながら手に掛けて来た。


 だが、望んだ結果を掴むには何もかもが余りにも遠すぎた。


『鎚聖よ、武神の加護を授かりし英雄が供回り無しで突撃など見栄えが悪い。儂ら年寄りが露払いをしてやる...なに、10人も居れば敵の頭に届くだろうて。』


 右腕を失い、傷だらけな竜種の老兵が声を掛ける。


『親父殿、感謝する。悪いなパボ...後は任せるぞ。』


 手負いの老兵たちが供を志願し、鎚聖は深く頭を下げて受け入れた。もう誰にも止められなかった。


『...なんで...なんでだ...!』


 まるで市場に買い物に行くかのように。


『さらばだ愚息よ。いずれ冥府で会おう。』


 まるで広場で待ち合わせるかのように。


...っ!


 若き竜種を置いて逝く。若き竜種に遺して征く。


...やめろ...待ってくれ!


 喉が震え、声が掠れる。言葉が出て来ない。


...俺を置いて行かないでくれ!


 願いはもう、届かない。






「やめろぉぉぉぉぉぉ!!」


 居間のソファーでうたた寝をしていたパーヴェルは、絶叫と共に飛び起きた。







「...懐かしい夢だ。」


 くみ上げた水を頭からかぶり、井戸の縁に手を掛けたパーヴェルは独り言ちる。

 時間の力で何とか折り合いをつけたと思っていたが、魂に刻まれた後悔は今も消えていないらしい。


 離別の涙を堪え、地獄の逃避行から帰ってきたパーヴェル達を待っていたのは"英雄を見捨てた卑怯者"という貴族達による弾劾だった。当然だが、既に心も体も深く傷つき疲れ果てていたパーヴェル達にとって、到底耐えられるような言葉では無い。


”立てば傀儡かいらい座れば神輿みこし、歩く姿は道化者どうけもの


 既に心が擦り切れる寸前だったパーヴェルは、謁見する間に報国の志どころか愛国の情すら失ってしまった。

 その輝きが打ち棄てられた死体よりも汚らわしく感じたのはパーヴェルだけでは無かったようで、散々に罵倒された挙句に投げ渡された金貨と勲章は、皆と相談して全て河に投げ捨てた。

 今思えば、それが鎚聖隊としての最後の行動だった。

 

 後日知った事だが、鎚聖隊の壊滅を引き起こした中央の崩壊と立て直しの遅れは、西大陸連合軍の全力攻勢に狼狽えた取り巻き達による無責任な押し付け合いの結果だったらしい。

 最終的な勝利によって辛うじて誤魔化されたが、両大陸戦役の奇跡は現場に立つ者達の献身が運よく実を結んだ結果に過ぎない。文字通りの薄氷の上の勝利だったのだ。


...疾の昔にアリョーシャは気付いていたのだろう。体良く茨の道を押し付けおって。


 戦後すぐに政変が起き、皇帝の側で権勢をふるっていた外戚は危機感を抱いた貴族によって広場に吊るされ、皇帝自身も退位を余儀なくされた。

 英雄を捨て石にした報いを受けたと人々が喝采を挙げていた当時の記憶は、今でもパーヴェルの脳裏にはっきり残っている。

 愚者のせいで大切な物を悉く失ったパーヴェルと仲間達にとって、もはやどうでも良い話だったが。


「随分と感傷的になったものだ。」


 目の粗いタオルで顔を擦ってふと水面に目を落とすと、老け込んだ竜種の男が睨み返す。


「老けたな...。」


 長旅の疲労もあるだろうが、だとしてもこの老け様は一体どういう事なのか。


 長命種は人里に降りると寿命が縮むという言い伝えがあるが、パーヴェルの250歳という年齢は竜種としてはまだまだ若者であり、里には500歳を超える者達がひしめいている。その尺度で計るならばパーヴェルは若輩者と侮られることは有っても、断じて疲れ果てた初老の男性などでは無い。


 だが、ここまではっきりと老いを感じたのは彼の短くない人生で初めての事だった。


「父さん。」


「イーマか。どうした?」


 パーヴェルが振り向くと、愛娘の片割れが勝手口の傍に立っていた。


 帝都からの土産に買い与えた飾り気のないワンピースを身に着け、年頃の娘らしい身体つきに育ちつつある娘は、彼が冥府で待つ者達に胸を張って自慢できる数少ない宝物だった。


 子を為すにあたっての良心の呵責は尋常ならざるものがあったが、儲ける決断と授かった幸運を考えれば冥府での弾劾も甘んじて受けるどころか、むしろ開き直って自分を置いて行った不義理をなじる元気が湧いてくるというものである。

 

「ものすごく辛そうだったけど、帝都で何があったの?」


 帝都で知ったかけがえのない戦友の死を彼はまだ教えていない。他の話題も土産話にするには余りにも暗く、生臭いものばかりだった。

 こういう時に限って、頼りになる妻はオルストラエの配達ギルド本部に手紙の受け取りに行って不在であり、かと言って一人語りをすればそれはそれで心の古傷が痛むのは息子の時に経験済みである。


 結果、パーヴェルは妻の帰還を待つことを選んだ。


「母さんが帰って来たら話そう。お父さんが忘れていた事も母さんが覚えているかもしれないからな。」


「...。」


 無言で頷く娘の頭を、パーヴェルは優しく撫でる。


 お世辞にも愛想がいいとは言い難い娘だが、言葉や仕草の端々に優しさが滲む。贔屓目である事は否定しないが、それでも自慢の娘である事に変わりはない。


「...お茶淹れる?」


「あぁ、お願いしようか。」


 荒々しい洗顔を済ませたパーヴェルの肌を、未だ厳しい風が突き刺す。帝都よりもさらに北に位置するオルストラエは、春でも夜になれば吐く息が白く染まるほど冷え込む。

 

「母さんもそろそろ帰ってくるはずだ。お茶の用意をして迎えよう。」


「うん。」


...相変わらず、幼さが抜けていないな。


 比較対象が両極端であるため何かと地味な印象が強いイリーナだが、能力に関してはパーヴェルから見ても十分に世の中でやっていけるモノがある。

 控えめと言うには余りにも引っ込み思案な性格は、この先様々な経験を積めば色々と花開く事だろう。


 唯一心配事があるとするならば、そんな余裕を失いかねない程に世情が乱れつつある事くらいか。


「さぁ、入ろう。体を冷やしたら大事だ。」


 悩みが致命的である事から目を背けつつ、パーヴェルは家の中へと娘の背を押した。







「では、我らも将来は部隊を預かる事になると...!」


 虎種の分隊長が顔を紅潮させて震え、訓練場の隅で分隊長を集めて開かれた青空会議は開幕早々熱気に包まれた。


「そうだ。あくまで予定だが将来的にはそうなるだろう。」


 本来ならば直属の上級指揮官であるセルゲイがせねばならない仕事だが、残念な事に今の彼が人前に出ると騒ぎになりかねない。肌の方は快癒に向かいつつあったが、もっと大切な方が色々と残念な事になってしまっていたからである。


 一刻も早く醜い肌荒れを治すために強烈な薬酒を連日飲んでいたセルゲイだったが、慢性的な二日酔いに伴う深刻な睡眠不足にいよいよ追い詰められてしまい、現在は真っ直ぐ立つことが難しいほど消耗してしまっている。

 ただでさえ薬のせいで奇怪な色になっていた彼の顔は、更なる血色の悪化と目元の隈によっていよいよ子供泣かせな顔になっていた。


 当然ながら執務にも影響が出ていたのだが、ドミトリーは急ぎの物以外はデニーキン達に差し戻して時間を稼いでいる。

 もっとも、これが書類の形式が異なるために苦戦していた出向組にこれ以上ない範例を与える形となり、彼らが各種グラフやロウソク足チャートをマスターすべく奮闘している姿に、密かに罪悪感を抱いているのは秘密だ。


 そんな中で本格化した部隊編成だが、ドミトリーとしては初めの挨拶と簡単な説明位はセルゲイにして貰いたいのが本音だったのだが―――


『なぁ...頼むよ...俺の代わりにやってくれ...』


―――無駄に鬼気迫る表情で頼み込まれては、流石のドミトリーも断る事が出来なかった。


「知っての通り、銃兵隊は両皇太子殿下を長と仰ぐ皇室直轄の部隊だ。」


 故に、ドミトリーは分隊長達の前に立っている。






「亜人種である我々が...殿下の部隊を支える...!」


...取り敢えず掴みは成功だな。思ったよりも食いつきも良い。


 見渡せば他の分隊長も似たり寄ったりの高揚を顔に浮かべており、ドミトリーも自分の投げかけた言葉への反応の良さに自然と笑みが浮かぶ。

 帝国内において亜人種は差別の対象では無いが、公平な立場であるかと問われると答えに難儀する点は多い。長命種の定年の不文律ふぶんりつや公職における出世の差などは最たる例だが、それ以外にも何かと互いの立場を侵さないような配慮もとい遠慮がある。


 例えそれを窮屈と感じていても、それが要らぬ対立を防ぐ手立てである事を皆が良く理解していればこそ、帝国に暮らす亜人種の人々はそれを受け入れ、受け継いできた。


「その通りだ。銃兵隊は文字通りに皆の力を必要としている。」


 セルゲイの内意を受けて銃兵隊の組織の構築から部隊の編成に主軸を移したドミトリーだったが、自身でそれらすべての指導をする気は全く無い。

 そもそも武官と文官とでは人心の把握方法が全く異なる上、前世で兵役経験を持っていようが根は文民である。出来もしないことに手を出す程ドミトリーは”勇敢”では無い。


「銃兵隊はあくまで実験部隊だが、ここで得た知見は祖国の礎になる。道さえ切り拓いておけば十中八九は後世の役に立つ。」


...俺らが”無かった事”にされるか、後世の人間が馬鹿でなければの話だが。


 絵に描いた様な興奮を浮かべる分隊長達を前にして、ドミトリーは内心で溜息をついた。


 かつて熊崎と呼ばれていた頃の話だが、100万の英霊が眠る大地を売り払い、1000万の民が塗炭に喘ぎながら育てた大地を切り捨てる手筈を押し付けられたことがある。

 理由は単純で、すべてを抱えて守り切れるほど祖国は強くは無く、矜持は情け容赦の無い世界では何の役にも立たなかったからなのだが、危険な上に罪悪感と虚しさの溢れる仕事であったことは言うまでもない。

 当然の如くその政策を是としない者達の憤激を買い、恩師も同期も志半ばで命を落とした。熊崎も今少し悪運に恵まれなければ、悲劇の官吏に名を連ねかねない程危険な橋を渡り続ける羽目になった。

 返す返すも最後の最後にしくじったのが悔やまれる。


 半ばトラウマと化した思い出に頭が痛み、ドミトリーは目頭を押さえて意識を戻した。


「これから目指すのは、補給と給与以外を自前で用立てる事が出来る組織だ。」


「補給と給与以外?何故だ?」


 牛種の問いに、ドミトリーは答えながら手に持っていた棒で地面に図を描き始める。


「皇室...いや、帝国政府にとって、全てを自給して戦う組織は略奪して自活する匪賊と変わらないからだ。しっかりと自分たちの手綱を”お上”に預ける事で立場を明確にし...同時にそれが潔白の証明にもなる。」


 ガリガリと地面を引っ掻いて文字を書き、枠で囲っては線で繋ぐ。

 幾度となく練っては修正を重ねたそれを書き記すために、手は止まることなく動き続ける。


「ここまで言えば分かると思うが銃兵隊は貴族の領軍とは違う。彼らの様に戦地での略奪や召上げをすれば、宰相府だけでなく我々を後援してくださっている皇室の顔に泥を塗る事になる。」


「成程。いわば名代みたいなものか。」


 理解の早いオークの呟きに、ドミトリーが意を得たりと深く頷いた。


「そういう事だ。まぁ、だからと言って別に私生活から何から拘束する訳じゃないし、分別をわきまえていれば問題は無い...話が逸れたな。」


 図を描き終えたドミトリーが一歩下がり、やや崩れた末広がりな樹形図が日の光に照らし出されると、覗き込んだ分隊長達の誰かが呟く。


「...組織...編成図?」


「そう。銃兵隊の役職、職位は一部例外はあるがこの図の通りになる。ちなみに、分隊長という職務はここだ。」

 

 棒で指された末広がりな樹形図の根元、兵・下士官の括りの中に分隊長と言う文字が並ぶ。


「...下っ端だな。」


 長耳族の呟きに、ドミトリーは苦笑いを浮かべた。


「その通り。だが、銃兵隊において最も重要な役職でもある。最も兵を把握して行動を統率するのは分隊長だからな。」


 既に事務長と言う立場にあるドミトリーは、その立場上武官としての立ち回りが出来ない。


「10人で1個分隊。分隊3つで小隊。6個小隊で中隊。今の銃兵隊をこの図に当てはめるなら、規模はこの中隊程度になるな。」


「なぁ、そこまで細かく分ける理由は何だ?」


 相変わらず鋭い質問をぶつけて来る牛種の分隊長を一瞥して、ドミトリーは答えた。


「銃兵隊の任務が複雑で多岐に渡る事と、これまでと比較にならないような大規模な戦闘に対応するためだ。」


 しんと静まり返った分隊長達を見回しながら、ドミトリーは穏やかに語り掛ける。


「皆の中にはかの鎚聖のような戦いに憧れる者は多いと思うが、銃兵隊はそういう戦いをする部隊では無い。徒党を組んで、数と組織の力で勝利を目指す部隊だ。少なくとも俺が知る限り、西大陸では当の昔に騎士が正々堂々と戦う時代は終わっている。今や広大な戦場で膨大な数の兵士がぶつかり合って殺し合う時代だ。数千人単位の戦いを一人で把握することなど不可能と言って良い。」


 ”だから、苦労を皆で分かち合う。”と、ドミトリーは断言した。


 ドミトリーが計画した編成では分隊で10人、小隊で30人、中隊で180人と定めているが、これらの数字には根拠があった。

 人間が覚えられる顔の数は多くて200程度に過ぎず、それ以上は顔を見て思い出せるかどうかのレベルに留まってしまうからである。


「兵士を纏めて戦うのが上手い奴や、術式を扱える奴。法の知識を持つ奴に医術の心得のある奴。手先が器用で陣地や拠点を築く事が出来る奴。それぞれが得意とする分野を分担しあって、補給と給料がある限り戦い続ける事が出来る組織を編成する。銃兵隊はその雛形となる。」


 皆で”ワーッといってガッとやってギュッ”とするような大雑把な戦い方が過去のものとなりつつある以上、”いままで”の組織を新しく作ったところで意味が無い。

 剣や戦鎚を握り締めて”銃?何それ食えんの?”と素で聞いてくるような者達を勝たせるためには、革新的な組織で後押しするしかないのだ。


「雛形...つまり、同様の部隊を他にも編成するのか?」


「この部隊での運用結果次第だが、将来的にはそうなるだろう。ヘマをすればそれも全て流れるが。」


 先ほどとは別の虎種の問いかけに頷くと、ドミトリーは手にしていた棒を置いて立ち上がる。


「帝国は大規模な”戦争”から遠ざかって久しい。その期間が本当の意味で平和だったのかはともかく、長きに渡った平和によって戦争が仁義も糞も無い殺し合いである事を忘れかけている。今の帝国、特に諸侯は新しい戦術や新しい兵器にも関心が薄い。その証拠に、武器庫に保管してある得物は全て西大陸から取り寄せた物だ。」


 その言葉に、数名が険しい表情を浮かべる。

 刻まれた刻印が西大陸の雄でありオルレニア王国の物である事実に、目ざとい者は既に気付いていた。


 銃は帝国で主流である剣や弓の様な単純さとは無縁な複雑さを持つ上、火薬と言う危険極まりない物質を利用するために非常に繊細であり、数多くの要素をバランスを取りながら作り上げなければならない。

 時間を掛ければ解析も複製も可能だが、それらに基づいた物を新しく生み出すのには相応の時間が掛かるのだ。

 現に、倉庫に厳重に保管されている火薬も素材は帝国で調達可能なものが大半であるにもかかわらず、配合などの不明な点が多く量産の目途は立っていない。

 

「控えめに言っても祖国は立ち遅れている。そして、国内の結束は万全とは言い難い。」


 それは余りにも不都合な真実。


「俺はセルゲイ殿下に首根っこ掴まれてこの仕事を請け負ったが、正直なところ戦闘と指揮に関しては門外漢も良い所だ。だからこそ―――」


 だからこそ、ドミトリーは集まった分隊長達に頭を下げた。


「力を貸してくれ。」


 彼らこそが、本当の意味で銃兵隊の力になってくれる者達なのだから。






 ゲラシム・ダニーロヴィチ・ルバノフは震えていた。


...俺が...力になれるのか。


 弟達や妹と違い、ゲラシムの頭は物事を深く考えられるほど細やかでも無ければ、物の覚えも良くない。

 虎種筆頭の子として幼いころから鍛え続けたこともあり、斬って叩きのめす事に関しては自信があったが、そのための準備もその後始末も彼にとっては中々思い通りに行かない難敵だった。


 だが、それだけである。


 確かに魔獣は下手な人間よりもよほどに手強かったし、匪賊は見ていて毛が逆立つほどに不快であり、彼らとの闘いには少なからぬ充実があったのは事実。


 だが、ゲラシムには物足りなかった。


 念のために言い訳をすると別に平和な日々に楽しみを見つけられない程歪んではいないし、血に飢えている訳では無い。

 だが、故郷の治安は帝国内でもかなりよく保たれている事もあって、魔獣を3枚おろしにするだけの日々は彼にとって張り合いを欠くものだった。

 同族兵団は他種族への気づかいの要らない組織ではあったが、若いゲラシムにとって絶望的に刺激が足りなかった。


 だからこそ、ゲラシムは銃兵隊という新しい組織への誘いに飛びついた。

 今までと異なる世界に触れる事が出来るなら、緩やかに心身を蝕む停滞から逃れられるならば、例えただの兵士として戦う事になったとしても抵抗など無い。

 気付けば弟達や戦友たちもいつの間にか付いてきてたが、ゲラシムにとっては今更驚くようなことでは無かった。


 彼らもまた自らと同じように緩慢な日々に不安を抱いている事を、ゲラシムはよく知っていたからである。


 長男と言う肩書が煩わしいと感じたことは一度や二度では無いが、銃兵隊への志願に関しては父親のダニールは特に文句も言わずに送り出してくれた。

 言外に己が同族や眷属を纏める事を求められている事は察していたが、特に何もしないうちに引き連れた面々が自然と纏まったのは、志を同じくしていたからだとゲラシムは一人確信している。


『分隊長という肩書に相応しい仕事がある。部隊指揮官、あるいは責任者の一人として、銃兵隊の一翼を担ってもらう。』


 そして目の前に立つ竜種の言葉は、まさにゲラシム達が切望していた刺激的な日々の到来を知らせる宣言だった。


...だが、俺に加わる資格があるのだろうか。


 何度も言うが、ゲラシムの頭は宜しくない。なにせ力押しと勘で何とかしてきた人生である。もし、理詰めで何かをしろと言われても己にはそれを為すだけの頭脳が無いのだ。

 今まさに目の前に現れた千載一遇の機会を掴むことが出来るか否か、ゲラシムにはもう一歩のところでどうしても判断が付かなかった。


 叶わぬならば身を引かざるを得ないが、かと言ってみすみす見逃すのは余りにも惜しい。


 高揚と恐怖に震える体を筋肉で辛うじて押さえつけて、ゲラシムは口を開いた。







「なぁ...何をすればいいんだ?」


 固まった空気の中で、いの一番に口を開いたのは虎種の分隊長だった。

 帝国に住む猫系亜人種の中で最も膂力に優れた種族である彼らは、ともすれば荒くれ者として恐れられる存在であったが、その情の篤さによって広く人々の敬愛を受けている存在でもある。


 今まさにドミトリーを見つめる目も、やはり戦士のそれと言うよりは気の良い田舎の若者のそれに近い。


「教えてくれ。俺達はどうすればその期待に応えられるんだ?」


「より多くを学び、より多くを導く。それだけだ。」


...微かに声が震えているな。高揚か、あるいは怒りか。


 ふと脳裏を不安がよぎったが、虎種筆頭ルバノフ家より銃兵隊に志願した3兄弟、その長男であるゲラシム・ダニーロヴィチ・ルバノフの問いに対し、ドミトリーは簡潔な答えを以て返した。


「エゴールはともかく、俺は頭の出来が悪い...それでも出来るのか?」


 ルバノフ家の3兄弟は長男のゲラシム、次男イサークは共に文盲であるが、兄弟間で読み書き計算が出来たりできなかったりするのは帝国では別に珍しい事では無い。

 一般的な短命種の家庭では当人の資質や経済状況などによって子供の教育に優先順位を付けるのが普通なのだ。


 ただ、虎種筆頭のルバノフ家が経済的に困窮する理由は無く...つまりはそういう事なのだろう。


 3男のエゴールは士官学校出身だが、彼がそこで学んだのは一般教養や馬術と剣術と礼儀作法のみに留まり、エゴールの後輩にあたる皇太子ヴァシリーも多少幅は広いがほぼ変わらない。

 ドミトリーにとって不思議な事に、帝国における士官とは用兵において糞の役にも立たない宮廷雀の事を言うらしい。


 下手な領軍よりもほぼ民営である同族兵団の方がよほど戦場慣れをしているという意味不明な状況に、ドミトリーが日夜頭を痛めて来たのは言わずもがな。

 余りにも大きすぎる平和のツケ、それを祖国が民の血で弁済せねばならないと思うと”心が震える”ものがある。


 意図せずに寄った眉間を揉みほぐしながら、ドミトリーは特に気負うことなく告げた。


「出来る。銃兵隊には個々人の向き不向きに合わせた役割は幾らでもあるからな。もし、その気があるならば読み書きも計算も教える。全ては自分の意思と能力次第だ。」


 金銭では補えない支出をいかに減らすか。もとい、命を貨幣とする”経済活動”による損失をいかに抑えるかを考えたドミトリーは、まず貨幣の価値を高める事をセルゲイ達に提案した。

 彼らを同じ重量の金よりも価値のある存在に仕立て上げる事は楽ではないが、せめて銀程度の価値を持たせることが出来れば全てが変わる。

 もし彼らが野に下っても、彼らに憧れてその後に続かんとする者が出れば国家としては採算が取れるのだ。


「...承知した。我らは事務長殿の指示に従う。」


「蹄族も貴官の指示に従おう。」


「長耳族に異存はない。」


 兄弟との目配せの後にエゴールが宣言すると、他の種族の分隊長達も次々と同意を示す。

 最後までずっと沈黙を守っていた狼種の分隊長に視線が集まると、ランナルよりも一回り年上の若い狼種がドミトリーを見上げながら答えた。


「...元より狼種に異存など無い。我らは秩序と共にある。」


 狼種の分隊長の同意を得たドミトリーは、姿勢を崩して気楽な口調で周囲を見回した。


「心配せずとも大体の筋道は既に用意してある。後は現場だからこそ見える問題点を洗い出していくだけだ。果てしなく奥が深いが、ひたすら失敗と後始末を繰り返すだけの簡単な仕事だな。」


...率いる方も戦う方も命懸けだが。


 強いて言うなら後方も漏れなく命懸けである。

 何せ、国内では今なお匪賊の跳梁がやむ気配は無く、各地を転戦すれば必然的に兵站が狙われるのは火を見るよりも明らかなのだ。

 現段階において帝国に前線や後方の概念は無いが、どちらにしても死と隣り合わせである事は変わらない。


「そう言われれば楽に聞こえるが...旦那の事だ、大変なんだろう?」


「当り前だ。戦い方が違っても戦士の魂が必須な修羅の道だ。やり応えは気が狂うほどにあるぞ。」


 最後に茶化してきたオークにニヤリと笑うと、ドミトリーは分隊長達を見回しながら宣言した。


「今まで暇を持て余していたことと思うが、それも終わりだ―――







―――諸君、”軍隊作り”を始めよう。」


 


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