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元宰相の異世界物語(仮題)  作者: 徳兵衛
第1章
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第47話

 リハビリがてらに投稿です。


7/21誤字誤植の修正をしました。 ストーリーに変更は有りません。

7/21誤植の修正をしました。 ストーリーに変更は有りません。

「あの...殿下、ドワーフの代表とは会われないのですか?」


「ドミトリーが来るまで待たせる。」


 腰の引けたアデリーナの問い掛けに、セルゲイは日頃の穏やかな雰囲気を崩さずに答えた。声を荒げる程ではないにせよ、セルゲイは不機嫌だった。


 つい半刻前まで開け放っていた窓は固く閉ざされ、彼には珍しく部屋の中で香が焚かれている。


「約束は約束。20人と言ったら20人だ。彼らなりに事情があるようだが、だからと言ってこちらがそれを無条件で受け入れる理由にはならないだろう。ドミトリーがそのあたりを上手く纏めるだろうから、俺が行くのはその後だ。」


「承知しました。」


 窓の外では押しかけて来たドワーフ達の荷馬車が並び、フェリクスと分隊長達が間を駆け回っている。


 出身地や家族構成など、新しい人員を受け入れる際に必要とされる情報はドミトリーによって飛躍的に増えた。万が一誰かが戦死した際は、残された家族に十全な補償を行うべきであるというドミトリーの主張をヴァシリーが受け入れた結果だが、この方針は事務手続きが煩雑になるのと引き換えに志願者達の士気を大きく上げる事となった。


 その甲斐もあってか、駐屯地内での性交渉の禁止や駐屯地外での私服の着用の禁止など、細かな約束事は決して楽ではないにもかかわらず、現在まで特に不平不満の類は出ていない。


 皇族であるセルゲイが割を食った形となったが、彼としてもその程度で士気が底上げできるのならば安いものだと笑って割り切っている。


 だが、今の状況は流石のセルゲイでも看過できない不快さがあった。


「...この惨状を見たらアイツは怒るだろうなぁ。」


「...ですね。」


 窓辺に寄りかかったセルゲイが憂鬱そうに溜息を吐き出すと、アデリーナも窓の外を見渡して青ざめた。


...どうしよう、絶対に事務長怒るわ。


 眼前では花壇に集められたハーブがドワーフの婦人達にごっそりと摘み取られ、剪定したばかりの木々に子供たちがよじ登って枝を揺らして遊んでいた。

 この光景を上司が見たら深い悲しみに包まれることは容易に想像がつく。あるいは怒り狂うかもしれない。


 どちらにしても巻き添えに遭うのは御免である。


「アイツは怒ると下手な魔獣よりも危ないからな。」


「そうなのですか?以前から感情豊かな方だとは思っていましたが。」


 タイミングの悪い話題に顔を引き攣らせたアデリーナが問いかけると、セルゲイは人の悪い笑みを浮かべて告げた。


「法術大学の野外演習でブチ切れて引率してた学部長と教授を叱り倒した上、野営地を襲ってきたゴブリンの大集団を腕一本で片っ端から焼き殺したそうだ。」


「...え?」


 アデリーナは知らなかったが、関係者や貴族たちの間では有名な話である。


 キレ方も口上も凄まじかったがキレた後の手腕は更に凄まじく、オルロフ公の顔を潰さない配慮をしつつ、不満を溜めていた学生とオークを纏め上げて僅か3日でオークの里を再建するという離れ業を見せている。


 多数の法術師が揃っていたことを加味しても異様なほどに手際が良く、里を見分した軍人が驚くほどに完成度が高かった。おまけに名のある戦士の息子である。宰相府は勿論、領地持ちの貴族から見ても捨て置ける人材では無かった。


 その成果が彼を奪い合いから遠ざけたのは皮肉としか言いようが無いが。


「まぁ、竜種自体が神代からの戦闘種族だからな。腕っぷしは別に驚く事じゃない。」


「はぁ...。」


 そう言って頭を掻きながら苦笑いをするセルゲイに、立ち直り切っていないアデリーナは曖昧な相槌を打つしかできなかった。


「基本的に慎重だし事前に計画を練るのが大好きな奴なんだが、アイツの真骨頂は不測の事態への強さにある。いざという時に何とかしちまうのさ。」


「凄いですね...」


 別に残念とは思わないが、敬愛する上司達と同じ地平を見る事は叶わない事は既にアデリーナ自身が良く理解していた。

 此処で働けているのもただ読み書きと計算が出来たから、そして自分たちに身寄りが無いからである事も知っている。


 だが、偶然選ばれた身としてはこれ以上のない破格の立身出世なのだが、正直なところ、アデリーナにしてみれば歓喜よりも困惑が強い。

 ボリスもフェリクスもその点においては意見を同じくしているが、折角だからもう少し先を見たいと望むフェリクスとは対照的に、ボリスはこれ以上の出世を望んではいなかった。


”もう十分だよ。僕は満足してる。”


 アデリーナはその場で明言しなかったが、内心ではボリスの言葉がストンと嵌っていた。我ながら狡い事をしたと後で自己嫌悪したのは内緒だ。

 

「アイツは頭が回るし仕事も早い。金にも執着する訳でもないから、商人としてはともかく官吏としては一級品だ。後学の為にもよく見ておけ。学べる事は多い筈だ。」


...学んでも真似できない。なら、せめて支えられるようにならなきゃ。


 いずれ自分が銃兵隊を去る時が来ても、皆に惜しまれる存在になる。それが、自分を拾い上げてくれた人々への恩返しである。


「はい!」


 アデリーナはそう確信していた。








 自宅を出たドミトリーとボリスが通りに出ると、路肩には普段なら居ない筈の露天商が所狭しと敷物を敷いてたたかいを繰り広げていた。


「ちょいと目を離した隙に賑やかになってまぁ...」


「事務長!足早いですよ!」


「そうか?ならこれから慣れてくれ。」


「む、無茶だぁ...」


 ドミトリーがつい先ほどとは全く違う光景に思わず足を止めると、必死に追い縋って来たボリスが息も絶え絶えにぼやく。常ならば言葉遣いに気を払うことが暗黙の了解となっているのだが、双方にとって幸いな事に、言った側も言われた側もそのような些事を気にする余裕は無かった。


 ちらりと部下の様子を見てから、ドミトリーはお祭騒ぎの人混みを掻き分けて再び歩み出した。


 色とりどりの宝飾品や、東部で盛んに造られている果実酒。毛織物や食器。生鮮食品こそなかったが、特産品としてそこそこ知られたものが敷物の上に所狭しと並んでいる。

 見覚えのある蔵元の酒や故郷の市場でよく見かけた腸詰が目に入り、ドミトリーは懐かしさに頬を緩めた。


「へい!そこの竜種の旦那!今日の夕方に仕入れたばかりの東部の酒だ!見ていかないか?」


「悪いがこれから仕事だ。また次の機会にな。」


 声を掛けて来た売り子を受け流しながら、ドミトリーは人混みを突っ切り一直線に駐屯地を目指す。



 帝国は多種族の共存する国家ではあるが、その国土の広大さ故に地方によってその生活様式が大きく異なる。

 伝統を重んじる西部、進歩主義的気風の色濃い東部、素朴で忍耐強い北部、活動的で開けっ広げな南部。東西南北にそれぞれの特色がある。

 ちなみにセルゲイ曰く、西部は頑固で時代遅れ、博打好きな東部、陰険な北部、南部はふしだらで口やかましいとの事。

 物は言いようだが、なんだかんだで的を得ていると言えなくもない。


 ちなみに同じ系統の種族でも地域による差異が大きく、特に北方系長耳族エルフ南方系長耳族ダークエルフは全く異なる服飾文化を持っている。

 北方系長耳族は毛皮を多用しており、その分厚さと生来の華奢さもあって男女共に野暮ったく着膨れした印象が強い。銃兵隊に志願した北方系長耳族の兵士達も実用性を重点に置いた割り切り良い身なりをしており、口さがない者はシカの着ぐるみ呼ばわりする始末である。

 一方の南方系長耳族は見事な刺繍と染物で彩られた服を身に纏い、野暮ったさとは無縁である。

 特に女性は凄まじく、白地に赤い刺繍のびっしり入った上着にゆったりとした貝紫色のスカートは白い染め抜きが施され、貝細工の施された小ぶりな帽子と群青色の薄いベールを纏った姿はどこぞの貴族か踊り子かと見紛うほどの華やかさだった。


 なお、口を開けば北も南も心底ガッカリさせられるのに変わりはない。


 そもそも銃兵隊に集まった者達は基本的に荒事を専門としているため、良くも悪くも直球な物言いをする者が多い。その傾向が輪にかけて激しいのが長耳族なのだが、毒を吐く北方系に対して南方系は品が無い。

 それこそ一夜の誘いを掛けて回るのが日課のような者達だったのだが、銃兵隊が白百合会の伝手でアリギナのペンダントを纏まった数を調達して以降はすっかり大人しくなっていた。


 とは言え、実質的な責任者のセルゲイの言動がアレなために駐屯地内ではオブラートが絶滅危惧種である事に変わりは無く、比較的温厚な獣系の亜人種たちが鱗や毛を犠牲にしながら緩衝役を務める事で、銃兵隊は穏やかな日々が守られていた。


 そして、何だかんだでバランスの取れていた組織に新しく”濃ゆいの”が大量に合流すれば何が起きるか。


...絶対揉めるだろうな。


 どこか他人事のような感想だが、銃兵隊の現場責任者はドミトリーである。



「ところでボリス、この騒ぎは彼らが原因か?」


 ふと抱いた疑問を苦戦しながら追いついてきたボリスにぶつけると、帰ってきた答えは案の定、面倒事を確定させるモノだった。


「足止めを受けた時、旅費の足しに持ってきた物品を売り払ったと言っていました。」


「そうか...」


...もしかしたら全員が銃兵隊への参加希望者と言う訳では無いかもしれないな。


 10人前後でこっそりと忍び込むならともかく、彼らは堂々と200人以上で乗り込んだのだ。衛兵隊も混乱した事は容易に想像がつく。その過程で何らかの勘違いが起きていた可能性は否定できない。


...どの様な対処をするにしても、まずは足りないピースを埋める必要があるか。


 道端を見遣れば帝都ではあまり見かけない商品が所狭しと並べられている。


 これほど多くの物品を一度に放出しているならば、せっかく持ち込んだ物もかなり買い叩かれている事は想像に難くない。

 万が一銃兵隊が理由で困窮したなどと言われては皇室の名に傷がつく。だが、押しかけて来たドワーフ達をあからさまに厚遇すれば、帝都で鬱屈を重ねる流民たちの激発を引き起こしかねない。


 絵に描いたような内憂外患に、ドミトリーはいっそ清々しい気分になりながらボリスに声を掛けた。


「歯ごたえのある案件になるぞ。覚悟しとけ。」


「...了解です。」


 互いに何がとは言わないが、察したボリスが問い返すことは無かった。


 活気あふれる人混みの中、上司と部下はそれぞれの未来予想図に思いを巡らせて――溜息を吐き出した。


 





「事務長!お待ちしていました!」


 ドミトリー達が駐屯地の敷地に入るなり、フェリクスが荷馬車の隙間から飛び出して来た。


「あぁ。大変な事になったな。」


「はい...何とか此処までやってみましたが...自分ではこれ以上は...」


 ドミトリーが声を掛けるとフェリクスの口元に不自然な力が籠る。

 短い間とはいえ、上司不在の中で心細さに耐えながら皆を纏めて出来ることを探して動き続けたのだろう。


「良かった!事務長が来たぞ!」


「正門前だ!急げ!」


 周囲で彼と共に駆け回っていた分隊長達も、互いに呼びかけ合いながらドミトリーの登場に喜色溢れさせて集まって来た。


 実に感動的な場面なのだが、ドミトリーの目に滲む涙は感情由来のものでは無い。


...なんだこの臭気は。


 兵舎で暮らす者達を男女問わず毎日、もしくは隔日で蒸し風呂に叩き込んでいる以上、臭気の原因はドワーフにある事は明白である。


 見渡せば駐屯地には昨日にはなかった大量の荷馬車が停められ、大量の馬たちが敷地の一角で即席の柵に囲われていた。

 当然馬も臭うのだが、今ドミトリーを苦しめている臭いとは違う。


...良い度胸だ。洗い清めてやる。


 涙を必死にこらえながら、ドミトリーは決意を新たにした。





「何が起きたかは大体は聞いた。現在の状況は?」


 事務棟前に移動して集まった部下たちを一通り見まわしてから問いかけると、代表してフェリクスが手を挙げて説明し始めた。


「日没前にドワーフ20人とその一族郎党が女子供含めて215人が来ました。セルゲイ殿下のご指示で一部の女性と幼児は女性兵舎に案内し医務班の診察を受けています。他の者達は訓練場で野営の準備中で、現在は名簿の作成の為に分隊長格で手分けをして各種情報の聞き取りを行っている所です。」


 冒頭だけで既に色々と頭が痛い。


 幾らなんでも一族郎党を連れて来るなど覚悟の決め過ぎである。これではほかの種族に旗色を明らかにせよと言っている様に勘違いされかねない。


 だが、頭痛を堪えて投げかけた問いに対する答えは、ドミトリーにとって少々意外なものだった。


「ん?殿下から他に指示は無かったのか?」 


「事務長が到着後はその指示に従えとしか...」


「そうか...よし、分かった。」


...意外だな。両手放しの歓迎をしそうなものだが、随分と冷静だな。


 内心でセルゲイの判断に感心しながら、ドミトリーは集まった面々を見回して告げた。


「突然の事態だが今まで皆良く持ち堪えてくれた。ここからは俺が引き継ぐ。安心しろ、俺の得意分野だ。」


 ドミトリーが簡潔極まりない労いと共にそう宣言すると、集まった面々の目に興奮の色が浮かぶ。


「フェリクス、ボリス。」


「「はい!」」


 別にそうしろと教えたわけではないが、2人は足を揃え背筋を伸ばす。


「協力し、名簿を一刻も早く完成させろ。可能ならば明日の朝の時点で形にするように。今後の重要な資料になる。」


「「了解しました!」」


 フェリクスとボリスの返事に頷くと、ドミトリーは分隊長達に目線を移す。


「各分隊長は聞き取りが終了し次第兵舎前に集合するように。夜間警備の担当を決める。」


「通常の歩哨とは――」


「――別だ。これだけの人数が野営すると何が起こるか分からない。万が一の際に即応出来るように警備を強化する。異存は?」


 牛種の分隊長の言葉を遮って告げると、他の分隊長達はその言葉を受けて互いに目配せをしていたが、すぐに視線をドミトリーへと戻した。

 分隊長達の状況と指示の理解は早い。経験者を集めた甲斐があるというものである。

 

 火急の時、打てば響くやり取りこそが何よりも尊いのだ。


「詳細な指示はその時に出す。周囲との連絡を絶やすな。何かあったらすぐに俺に報告を上げろ。」


「了解!」


 そこまで一気に言い切ると、ドミトリーは一拍を置いて皆を見回しながら告げた。


「厳しい状況だが状況が落ち着くまでの辛抱だ。我々に為し得る最善を目指し、常に最新の情報を共有し、知恵を出し合おう。俺からは以上だ、解散!」


 ドミトリーの指示を受け、部下たちは一斉に己の仕事へと向かう。想定外の事態を前に、怯む事無く向き合っているという事実がこの上なく嬉しい。


...意外と様になるじゃないか。悪くないぞ。


 連絡事項を勢いに任せて伝えただけだったのだが、それでもそこそこ形になるから経験は侮れない。

 目の前の山積する課題は何一つ片付いていないが、ドミトリーはどこか晴れやかな、誇らしい気持ちで満たされていた。







「おい、坊主。」


 兵舎前の花壇の縁に腰かけて今後の算段を練っていたドミトリーに、酒灼けした声が掛けられたのはそれから暫くしてからの事だった。


 筋骨隆々だが身長は160に届かない程度、イチゴ鼻と赤みの強い癖っ毛が激流の如き髭と一体化している。赤く肌面積の少ない顔から覗く青い目がドミトリーを見つめていた。


「坊主はもしや血濡れ殿のご子息か?」


...丁寧なのか雑なのか良くわからん物言いだな。


 あるいは、こういった言葉遣いにあまり慣れていないのかもしれない。だが、目の前を駆けまわっている者達に対してガキの手下扱いなど、断じて相応しいものでは無い。


「”血濡れのパボ”の息子のことを言っているなら自分がそうだ。だが、その前に坊主呼ばわりは控えて貰おうか...俺の部下は貴様らの為に駆け回っている。貶める事は許さん。」


 立ち上がったドミトリーは、ドワーフを見下して告げた。


「それと、今ここにはセルゲイ殿下以外の貴族はいない。言葉遣いは気にしなくて結構だ。」


「ほう、中々言うではないか!親子共々面白いな!」


 割と剣呑なドミトリーの態度を意に介さず、ドワーフは破顔した。


「儂はフレードリク・パトリクソン。東部十三家が一つ、パトリクソン家の当主だ。この一行の代表を務めておる。」


「ドミトリー・パブロヴィチ・サムソノフ。若輩だが銃兵隊の事務長を拝命している。今回の現場責任者だ。」


 パトリクソンの手は垢まみれで、ドミトリーは握手を交わしてから本気で後悔した。









「道中、血濡れ殿ご夫妻が我らの護衛をして下さってな。その際に銃兵隊にご子息がいると聞いたのだ。」


 並んで腰かけたドワーフは


...まるで冥府への旅路の様に聞こえるぞ。物騒な綽名も考え物だな。


 親の綽名に他人事のような感想を抱いたドミトリーだが、自分が”血濡れの息子”というさらに物騒な呼び方をされている事は知らない。

 

「なるほど...2人は元気にしていたか?」


「あぁ。ただ、酷く気落ちしておられた。何人も旧友に先立たれたと。帝都の近傍で別れたが、オルストラエに帰ると言っとったな。」


 そう言ってパトリクソンは懐の酒に手を伸ばそうとしたが、ドミトリーの視線に負けてすごすごと手を戻す。

 目に入らない限りは咎める気も無いが、流石に目の前で飲まれれば放置はできない。


 荒れ果てた花壇の縁に腰かけ、ドミトリーはこの場に居ない両親に心の底から同情した。


...まぁ、こんな世の中では無理もない。


 不衛生、厳しい気候、悪化する治安。それらを和らげる存在に術式が挙げられるが、別に魔法で飯が作れる訳では無いし、傷は癒せても体力が無ければ術式による治療はむしろ命を縮める。


 そもそも、一般的な術式は読み書き計算が出来なければ構築式の理解すらできない。長耳族エルフやドワーフのように精霊の力を借りればその限りでもないが、そのドワーフやエルフですら精霊との意思疎通が不得手なものが一定数存在する現状では現実的とは言い難い。

 

 何より、肝心の人々を苦しめる寒さや疫病、戦乱などに対し、個人技である各種術式は余りに無力だった。


「まぁ、生きているならそのうち会えるし、オルストラエに帰ったなら手紙も届く。それよりも――」


「――ヨアキム・ベックマンは無事・・か?」


「なっ...!なぜその名を知っている!」


 途端にパトリクソンは弾かれた様に立ち上がり、ドミトリーを睨み付ける。


「そりゃ本人に教えてもらったからな。」


 ドミトリーはその剣幕を一顧だにせず、いつの間にか尻尾の房に付いていた枯れ草を手で払った。


「お前はあれの――」


「――親友だ。」


 躊躇う事なく言い切るドミトリーに、パトリクソンはそれ以上の追及が出来ずに腰を下ろした。







「あ奴は生まれるのが早すぎたのだ。マレーネはそれを責められ心を病み命を絶った。故にあ奴は元々後継にはなり得ぬ立場だったが、義弟バカが未練がましく先送りにしておったのだ。」


 ヨアキムを推す周囲の声は大きかったが、彼の意志は家からの独立のまま揺らがなかった。説得も法術大学の卒業後は流石に引き延ばせず、既にヨアキムの離脱は確定している。


 問題は現在のベックマン家当主と後継者候補の器量にあった。


「後継争いから外れたならさっさと独立した方が好都合では?」


「その弟共が揃いも揃ってバカなのだ。補佐を置かねば何一つ出来ん。周囲もそれが知っておるから引き留めておったのだ。何があるか分からんから念のために護衛は付けたが、今のオルストラエの本邸はあ奴にとって地獄だろうて。マレーネが生きておればまた違ったのだろうがな...。」


 愛する妹を失ったパトリクソンの目に浮かぶ憂いの色は深い。


「当主殿はその状況下で――」


「―――何もしとらんよ。己の子供の躾もまともに出来ん奴だ。女の尻ばかり追って節操なく種をばら撒きおって...あの愚か者が!」


 長旅の疲労もあってか、パトリクソンの沸点はかなり低かった。


「儂が一族を連れて来たのはあ奴を受け入れるための場所を作るためだ。こちらの準備が整い次第あれもオルストラエを離れる手筈になっとる。パトリクソンの者はもうオルストラエを諦めたのだ。」


 長きに渡って炉の火に晒されたであろう厚ぼったい手は、青筋が浮かぶほどに握りしめられていた。


「成程ね...。」


 ドミトリー個人はともかく、ベックマン家のお家騒動は銃兵隊にとっては心底どうでも良い話である。ここは家庭問題の相談窓口ではないし児童保護施設でもない。

 彼らが押し寄せてきたことで駐屯地の内も外も大騒ぎである。おまけにエリサ達と共に敷地内から集めて育てていたハーブは影も形も無くなってしまった。胃薬の調達費用は当分減りそうになかった。


「まぁ何にせよ、ヨアキム・ベックマンは俺の親友ともだ。彼の為ならば個人として可能な限り助力する。」


「有り難い。あ奴は善き出会いに恵まれたようだな。」


 パトリクソンはそう言って毛むくじゃらな目じりを下げた。


 だが、ドワーフの到着をあれだけ楽しみにしていたセルゲイが殆ど動いていないという事は、それなりの不興を買ったか、相応の理由があるからに他ならない。

 ドミトリーが一人で差し伸べられる手は長くも無ければ巨きくも無い以上、説得するだけの材料を整える必要があった。


「いくつか聞きたいことがある。協力してもらえるか?」


「あぁ。何なりと聞いてくれ。」


 ドミトリーの問いに事情を察したのか、パトリクソンは真剣な目で頷いた。













「お待たせしました、殿下。」


「おう、意外と早かったな。」


 取り敢えずの処置と情報収集を終え、フェリクスたちが書き上げた名簿片手にドミトリーが出頭した時、セルゲイは軍服を着崩して酒杯を呷っていた。


「殿下の的確な指示と皆の奮闘のおかげです。自分はそれを引き継いだだけに過ぎませんよ。」


 謙遜抜きでドミトリーがそう言い切ると、酒杯に口をつけていたセルゲイはにんまりと笑った。


「やはり持つべきものは優秀な部下だな。おかげで酒を楽しめる。」


 もっとも、机の上には白湯も置かれており、口振りとは裏腹にセルゲイが事態を楽観していなかった事が窺えた。


「座ってくれ。」


 促されたドミトリーが手ごろな丸椅子に腰かけると、セルゲイはどっかりと背もたれに身を預けた。窓の外では時折赤子の夜泣きが響く以外は静けさに包まれている。


「さて...この状況、どうする?」


 最近手を出した煙管に拙い手つきで火を入れながらセルゲイが問いかけると、ドミトリーは堰を切ったように話し始めた。


「まずは家の確保と衛生の改善が最優先です。それと彼らは長旅で疲労が溜まっている上に不潔です。簡易的でも良いので大人数を収容できる浴場を作る必要があります。」


「不潔ね...まぁ臭いでわかるわな。」


「見たところ彼らは簡素な野営設備しか持っていません。最近は暖かくなったとは言っても夜はしっかりと冷えますから、非常に体調を崩しやすい状況です。」


「まず楽観はできないか...早い所手を打つ必要があるな。」


 ドミトリーは深く頷くと最後に爆弾を投げた。


「それと妊婦が5名ほどいます。医務班の見立てでは特に異常はないとの事でしたが、彼女達は産婆ではないため自分としてはかなり気掛かりです。無事に生まれてくれれば良いのですが。」


「...おい。」


 セルゲイは耐え切れず、眉間を揉み始めた。


「...連中がそんな覚悟ガンギマリで押し寄せてきた理由は何なんだ?」


「代表であるフリードリク氏の言葉を信じるなら、ベックマン家のお家騒動が原因です。志願者の決定が遅れたのも、出立がずれ込んだのもそれが理由だとか。」


 眉間を揉んでいた手が止まる。


「...アイツは無事なのか?」


「今のところは無事なようですが、既に後継者争いからは脱落しているとの事です。フリードリク氏が一族を連れて帝都に来たのは、甥である彼を受け入れる拠点を作るためだとか。」


「何?ここに来たドワーフは志願者じゃないのか?」


 一時はドミトリーもそう考えていたのだが、いくらドワーフでも流石にそこまでごり押す理由は無い。彼らは決して暮らしに困っているわけではないのだ。


「どうも、帝都の関所で足止めを喰らっている間に志願組と一纏めにされてしまったようです。本来の志願者はあの野営地の中に散らばっていますよ。」


「...それは良い事を聞いたな。なら、ヨアキムごと全員銃兵隊で拾うか。」


 ドミトリーの言葉にセルゲイが微笑む。またぞろえげつない事を考えているのだろう。


「ヨアキムに関してはそうして頂けると嬉しいですね。彼の人柄と能力ならば此処にいるドワーフ達との繋ぎ役を任せられます。パトリクソン氏曰く、金は有っても伝手が厳しいらしいそうで。銃兵隊が彼らを召し抱えれば、幸せになれる者はより多くなるでしょう。」


 ドミトリーの言葉に頷くと、セルゲイは手元のメモに何かを書き始めた。


 暫くの間、羽ペンの滑る音と紐綴じの名簿を捲る音だけが部屋に響いたが、遠くからから赤子の夜泣き声が響いてきた。


「シェルバコフは銃兵隊で何とかしろと言っている。流民共の手前、城壁内に入れるのは難しいんだろう。」


 メモを書き終えた羽ペンを弄びながら、セルゲイが呟く。


「成程、此処は城壁の外。あちらにとって都合が良い訳ですか。」


「そゆこと。それに俺がヴァーシャ(ヴァシリーの愛称)から頼まれたら断れる訳ないだろう?」


 その情景がありありと浮かび、ドミトリーは肩を竦めた。


「宰相閣下もエグイ真似を...そんなゴリ押しせずとも良いでしょうに。ですが先方からの要請ならば好都合です。少し強請ってやりますか。」


 そう言って立ち上がると、ドミトリーは執務室の隅に置かれた白紙の束を掴んだ。


「幸いと言ってはあれですが、彼らは土地と建材があれば住居はどうにでもなると言っています。となれば我々が手掛けるべきは区分けと水路、浴場や薬店などの公益施設位のものですね。」


「公益施設?」


「個人でやるには規模が大きく、周辺に住む住民にとって大きな恩恵をもたらす建造物です。大きな風呂とか集会場とか倉庫とか...”清潔な”便所とか。」


 セルゲイはいまいち要領を得られず首をかしげていたが、ドミトリーは気にせずに懐から小振りな羽ペンとインク壺を取り出した。


「とまれ、こちらで用意すべき物は帝都の居住許可証と土地、まとまった数の建材、そして生活を安定させるための職場です。建材はそこら辺の林を切り開けば良いですし、足りなければ買い付ければ事足ります。場所も駐屯地の近くであれば十分でしょう。幸いと言っては何ですが、彼らに頼みたい仕事は幾らでもありますので。」


「本当にそれだけで良いのか?」


「はい。必要な物の詳細は彼らに確認する必要がありますが、取り敢えず此方が用意すべきはこの位です。彼らも文無しでここに来た訳では無いそうなので、足りない分は各自で調達してもらいましょう。」


 そう言ってサラサラと必要事項をを書き上げると、ドミトリーはセルゲイにその一覧を手渡した。


「んー...この中で一番面倒なのは居住許可証だな。」


 受け取った紙に目を落としながらセルゲイが唸る。


「はい。時間が掛かりそうなら、先に銃兵隊の風呂作りを手伝ってもらおうと思います。練習にもなるでしょうし、取り敢えず握手をするのも躊躇われるほど彼らは垢を溜め込んでいますから...早い所清潔にしないと獣種が危険です。」


「そんなに辛いのか?」


「もしも仕事があまりに遅ければ...宰相府の官吏たちの尻に火を着ける事も辞さない程度には。」


 勿論、物理的な意味ではない――


 ――普通なら。


「おぉ怖い怖い。」


 そう言って笑うセルゲイだが、己の部下が上司に噛みつく事を恐れぬ暴れ竜である事を忘れた訳では無い。


「ま、そこらへんはヴァーシャとシェルバコフの爺さんが上手くやるだろうさ。あと、お前に火を着けられたら王宮まで焼けそうだから勘弁してくれ。」


 セルゲイは断じて忘れた訳では無い。


「...ドミトリー?」


「...冗談ですよ。」


「うん。なら良いんだ。」


 少し油断したかも知れないが。













「少し話過ぎましたね。」


「あぁ。」


 セルゲイが背筋を伸ばして首を鳴らすと、窓の外では既に空が白み始めていた。


 結局、話し合いは夜通し続いた。


 日中はともかく、日没後の書類仕事は目への負担が重い。部屋は徒労感と気怠さで満たされ、暖炉も香も当の昔に燃え尽きている。


「最後になりましたが、今後を見越して助っ人を一人呼ぼうと考えています。」


「助っ人?」


 立ち上がって書き重ねたメモを纏めていたセルゲイは手を止めて聞き返した。


「法術大学での同期で、名前はネストル・イロフスキー。イロフスキー商会の3男坊です。」


「あー...参考書の件でお前と組んでいた奴か。」


 顎に手を当てて記憶を洗ったセルゲイがそう声に出すと、ドミトリーは頷いて補足を述べた。


「はい。何かにつけて品が無い奴ですが、学外実習では大いに助けられました。少なくとも腕も頭も確かです。」


「そりゃまたアクの強そうな奴を選んだな。」


 讒訴ざんそすれすれな推薦に笑うセルゲイだったが、ふと笑みが消える。


「...洗うぞ?」


 銃兵隊に付属する各種組織は既にその編成の準備に入っていたが、情報関係に関してはセルゲイに伝手があるとの事で検討だけで凍結されている。

 門外漢がどうにか出来る分野ではないため、他ならぬ言い出しっぺのドミトリーが一番安堵していたのは言うまでもない。持っているならそれを生かした方が楽なのだ。


 得体の知れない情報機関が気にならないと言えば嘘になるが、好奇心は猫をも殺すと言う。敢えて身を危険にさらす真似をする気はドミトリーには毛頭無かった。


「お任せします。もし黒ならそれまでという事で。」


「良いだろう。結果は近日中に連絡する。」


「ありがとうございます。では、お先に失礼します。」


 鷹揚に頷いたセルゲイに深く一礼し、ドミトリーはセルゲイの執務室を後にした。










「...”お先に”か。」


 残されたセルゲイは手元のメモに目を落とす。


...置いて行かれていじける種族の癖によく言うものだ。


 ドミトリーが書き残した雑多なメモには、上下水道の概要やドワーフの居住区から話が発展した都市計画のイメージ図などが所狭しと書かれていた。

 見慣れぬ要素にはそれぞれ明確な理由付けがなされ、雑然としていながらも不思議と頭に画が浮かぶ。


「ズルいだろう、こんなもの。」


 かつて挑んで挫折した緩衝器サスペンションつきの馬車の改良案が出て来た時、セルゲイは木屑にまみれながら過ごした夏を思い出して泣きそうになった。


「こんな楽しそうな物、これ見よがしに...」


 ”自分の生きた証を遺したい”


 廃嫡され、宮中で腫物扱いされ続けてきたセルゲイが唯一抱いた夢。そして本来ならば叶う事のない夢。


 だが、今は手を伸ばせばすぐ届く所にある。


「全く、困った奴だ。」


 そう呟いてメモをカバンに詰めると、セルゲイは一刻も早く休息を取るべく足早に自室へと向かった。




 短命種であるセルゲイには、長命種の様に無駄に出来る時間など無いのだ。



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