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元宰相の異世界物語(仮題)  作者: 徳兵衛
第1章
57/65

第44話

5/16 誤字および話数の修正をしました。

5/16 誤植の修正をしました。内容に変更はありません。

 薄暗い倉庫の中でドミトリーが納入表を受け取る。


「今回ご注文を頂いた分はこちらで全てになります。」


「ご協力に感謝します。では確認を。」


 期日通りに届いた木箱には、丁寧に仕立てられた軍服が収められており、封を切って蓋を開けると虫よけの樟脳の匂いが鼻をくすぐった。


 大量生産の概念が無いため一品一品を手仕上げである。染色は勿論のこと、材料である糸や布も全て手作業で作っているため、高い。とにかく高い。セルゲイから渡された見積書を見た時、反射的に尿意を覚える位には高かった。


 着替え込みの1セットはドミトリーの月給とほぼ同額である。


「流石ですね。」


 きれいに畳まれた軍服を手に取り、ドミトリーは手放しの称賛を贈る。


「お褒めに預かり光栄です。それに、此方も非常に勉強になりました。」


 恰幅の良い会頭がはにかみながら答える。身の丈はそれほどでもないが、蓄えた髭と低い声色が穏やかな表情と相まって適度な威厳を醸し出していた。


「何か参考になる点が?」


「えぇ。例えばこの物入れポケットの配置です。これは外見を気にしなければ非常に使い勝手が良い。革のベルトが武骨ですが、全体から見ればよいアクセントになりますからな。機能と美しさが実に素晴らしい。」


「あぁ、なるほど。そう言う事でしたか。」


「付かぬことをお聞きしますが、この服のデザインをした方は?」


 醸し出される威厳とは裏腹に、会頭は子供の様に好奇心に輝く目をドミトリーに向ける。


「ヴァシリー殿下とセルゲイ殿下による合作ですよ。」


「何と!殿下がこれを!」


 原案はドミトリーだが、完成した軍服は原案と共通点が殆ど無い、まぎれも無く皇子達の作品だった。

 納入した品に想像以上の箔がついて興奮の止まらない会頭が、呟きながら納入した軍服の山を見つめる。


「それにしても、この短期間で良く形に出来ましたね。既存の服と勝手が全く異なったでしょう。」


「まぁ、流石に苦労はしましたよ。私自身も久しぶりに針を取りました。」


 ドミトリーの言葉に会頭はそう言って苦笑いを浮かべると、手に取った軍服を畳み直して箱に戻した。


「ですが、引退した針子や取引のある個人の仕立て屋にも声を掛けて、何とか間に合わせました。しかし、まさか殿下の作品だったとは...頑張った甲斐が有りましたな。皆にも伝えねば。」


「随分と苦労を強いてしまったようで。申し訳ありません。」


 だが、会頭は胸を張って言い切った。


「それしきの事、この仕事を任じて頂いた名誉に比べれば。」


 ドミトリーが任じた訳では無いが、ドミトリーは銃兵隊の一員として会頭に深く頭を下げた。




「事務長!150セットの確認終了しました!」


 ボリスと共に納入品の数量確認をしていたフェリクスが木箱の山から声を上げ、ドミトリーは声を張り上げて返すと手元の木箱を閉じて会頭に向き直る。


「よし!再梱包して一旦撤収!...ではグレゴロフ会頭殿、術式手続きがありますので、応接室にてお待ちいただけますか?」


「承知しました。」


 会頭の承諾を受け、ドミトリーは傍らに控えさせていたアデリーナに指示を出した。


「アデリーナ、会頭を応接室に。」


「はい!此方になります!」


 アデリーナに案内される会頭を見送りながら、ドミトリーは目録に目を落とす。


「ロストーエフ装具店か...高そうだが、そのうち一着仕立ててもらうか。」


「事務長、確認票が出来ました。」


「よし。ボリスはその足で支払い手続き書類の準備、フェリクスは馬車の対応をするように。俺は受け取り完了を副隊長に報告する。書類は一階の応接室前で受け取るからそのつもりで整えろ。倉庫の施錠は俺がする。」


「「了解!」」


 キレの良い返事と共に駆け足で去って行く部下たちを見送ると、ドミトリーは倉庫の大扉を閉め、両手をかざして封印術式を掛け直した。





「先輩、ロストーエフ装具店からの注文品の受け取りが完了しました。」


「ご苦労さん。会頭は?」


 ドミトリーが報告に訪れた時、セルゲイは執務室で書き物をしていた。


 先日行われた”覚悟完了のつどい”の後、ヴァシリーは本業である政務の方に行動の主軸を戻しており、銃兵隊の運営はセルゲイに委任されている。

 ヴァシリー曰く「向こうの仕事が溜まり過ぎてヤバい」との事。小まめに顔を出していたのは仕事からの逃避も兼ねていたらしい。

 向こうが落ち着き次第此方に戻って来る予定だが、状況によってはセルゲイによって運用される可能性もあった。


「応接室に案内しました。現在はアデリーナが応対中です。」


「分かった。行こう。」


 こういう時のフットワークの軽さは、セルゲイをセルゲイたらしめる重要な要素である。周囲への当てつけの匂いがプンプンするが、それはそれこれはこれである。この手のフランクさは本人の意識によるところが大きい。



 事務棟の一階に設けられた応接室への道中、セルゲイはドミトリーに尋ねる。


「そう言えば、宰相府が何人か”捻じ込みたい”らしい。要るか?」


「中身次第ですね。宰相閣下が?」


「連絡役が欲しいそうだ。銃兵隊の予算は皇室と宰相府の折半だから言い分は通る。まぁ、実際は監視だろうな。」


 しばしの沈黙の後、ドミトリーは階段の踊り場で足を止めて答えた。


「...受け入れましょう。此方には断る理由は有りませんので。ただ、少なくとも今は多くても2人で抑えて下さい。」


 少なくとも出資している以上は口を出す権利はある。数が多すぎるのは問題だが、現状では受け入れたところで特に問題は無い。むしろ人員の確保に都合が良いと言えた。勿論、不適切な人材ならば躊躇なく叩き出すつもりだが。

 

「分かった。受け入れの準備は任せる。」


「了解しました。」


 セルゲイはドミトリーの答えに満足そうに頷き、両者は再び歩き出す。


 バレて困る資料は全てヴァシリーが保管している為、現在の銃兵隊には後ろめたい点は無い。付け加えるならば、火薬の配合などの情報や部隊運営のノウハウも、金が無ければ形に出来ない以上はさほど問題では無かった。





 応接室の前で待機していたボリスから文箱を受け取って応接室の戸を開けると、会頭が拝礼すべくソファーから立ち上がろうとした。


「...堅苦しいのは無しだ。座ってくれ。」


セルゲイはそれを手で制し、会頭と向き合う形でソファーに腰掛け、ドミトリーも部屋の隅に置かれた椅子に腰掛ける。

 一拍置いてセルゲイが語り掛けた。


「元気そうだな。」


「殿下もお元気そうで何よりです。少し痩せられましたかな?」


「仕立て屋の目は誤魔化せないか。まぁ、別に具合が悪い訳じゃない。気にするな。」


 まるで伯父と甥の様な穏やかな雰囲気が部屋を満たす。


「久し振りに腕の鳴る仕事でした。聞けば殿下がデザインなさったとか。水臭いですぞ?」


「...言っておくが、原案はあいつだぞ。お前に渡したデッサンはな、こいつがあまりに絵が下手糞だったから、俺とヴァーシャで一から書き直した物だ。」


「...。」


 二人から憐憫混じりの目線が注がれ、ドミトリーは肩を竦めた。


「それ以外はすべて人並み以上なんだが、こいつは芸術、特に絵に関してはからっきしなんだよ。」


 珍しく反撃を成功させて頬を緩めるセルゲイだったが、勝利の余韻を噛みしめることなく話を進める。


「それはそうと...今回の仕事、やってみてどうだった?」


「かなり考えさせられましたな。今回はかなり無理をして間に合わせましたが、今回の様な注文が今後も続くと考えると、殿下のおっしゃる通り既存のやり方では対応しきれないと確信致しました。」


...ん?何だこの流れは。


 会頭の言葉に違和感を覚え、ドミトリーは眉を顰める。ベルジン商会以外にも皇室御用達の商人が居ても可笑しくは無いが、今のところドミトリーと面識のある商人はベルジン商会のレオニートだけだった。


...皇室つながりという事は彼もそうなのだろうか。


「やはりか...おい、ドミトリー。」


 部屋の隅で様子を窺うドミトリーに、ヴァシリーが声を掛ける。


「はい。」


「良い策はあるか?」


 何となく想像は付いたが、ドミトリーは念のためにセルゲイに問いかえした。


「一つ確認させてください。彼も”こちら側”なのですか?」


「言っていなかった「聞いてませんよ」か...すまん。言い忘れてた。」


「いえ、此方も訊いていなかったのでお気になさらず。」


 言葉を被せて憮然とするドミトリーに、セルゲイが素直に謝る。そんないつも通りの非礼なやり取りに、会頭は目を見開いて呟く。


「ではやはり、殿下の仰る”知恵袋”とは...」


「あぁ。こいつだ。どうだ、無礼だろう?」


 誇らしげに言い切るセルゲイに会頭は言葉を失い、ドミトリーは深い溜息を吐いた。


「現場と帳簿を見なければ何とも言えませんし、見たところで良い答えが出るとは限りません。殿下の手前、相談程度ならばお伺いしますが、解決や改善は保証できませんよ。」


「驚いた。レオニートから聞いてはおりましたが...」


 ドミトリーが相変わらず目を見張ったままの会頭に問いかける。


「レオニート会頭とお知り合いで?」


「え...えぇ。同じ御用達の商会とは互いに連絡を取り合っておりますので。」


 ドミトリーは相変わらずの世間の狭さに眩暈を覚える。だが、よく考えれば繋がりがある事も連絡を取り合っている事も別におかしくはない。


「なるほど...取り敢えず、先に手続きを終えてからにしませんか?懐に金貨を入れたままでは心臓に悪くて仕方が無いので。」


「何だ、随分と小心だな...わかったわかった、さっさと終わらせるから。その顔はやめてくれ。」


 ドミトリーから金貨を押し付けられ、相変わらずニヤついていたセルゲイも速やかに同意する。


 今ドミトリーが預かっている金貨一枚で帝都で家を買える。銀貨一枚で一般的な家庭(5~7人)の一月の生活費に相当し、金貨はその1000倍の価値を持つ。

 今ドミトリーが預かっているのは、ごく一般人にとって存在を知っていても見る事の叶わない高額通貨なのだ。

 正直、”また”価値観が狂うような物品を身近に置きたくない。少なくとも、今は。


「では...お二人ともよろしいですか?」


 契約書を文箱から取り出すと、持ち主の魔力に反応して紙面に構築式が浮かび上がった。


「あぁ。」


「お願いしますぞ。」


 ドミトリーがテーブルに広げた契約書の左側には、契約時のセルゲイと会頭のサインが記されている。今回は完了の手続きの為、右側に署名をする事となる。


 術式併用の契約書は完了時に契約者の署名と魔力による押印と、契約見届け人の署名と押印が必要とされる。契約者は前回のまま、今回はドミトリーがその見届け人となる。

 なお、前回の見届け人はシェルバコフ宰相その人で、右上がりのキツい署名が記名欄で激しく自己主張していた。


「見届け人、ドミトリー・パブロヴィチ・サムソノフ。」


 ドミトリーが契約用の羽ペンを手に取って名乗ると、契約書の上に藤色に光り輝く天秤が現れる。


 天秤の目盛りを見つめながら、ドミトリーが告げる。


「至誠を測りし裁きの天秤の名の下に。両者の署名を以て、契約の完了と成さん。」


「「異議なし!」」


「では、署名を。」


 アルストライアの秤と呼ばれるこの天秤、痂疲がある側が軽んじられると言う見た通りの審判を下す便利な術式である。

 勿論、便利だからと言って多用する気がまるで起きない程ペナルティーは重いが。


 署名を済ませて拇印を押すと天秤は僅かに震えたが、どちらにも傾く事無く次第に薄れ、消えていった。

 残された書類には


「これにて契約完了です。お疲れ様でした。」


「ふぅ...お疲れさん。」


「これで一段落ですな。」


 神様のお墨付きを得た事で会頭はほっと胸を撫で下ろし、セルゲイは反り返って息を吐き出した。


「では、ドミトリー殿。先ほどの続きを聞かせては頂けませんか?」


 ちらりとセルゲイを見ると、のけ反りながら視線をしっかりと此方に向けている。目線は笑っていない。


「分かりました。ただ、現時点ではあくまで考察であって机上の空論であることをお忘れなく。」


 断れる訳も無く、ドミトリーはせめてもの自己防衛を宣言して語り始めた。





「まだ掛かりそうですな。」


「だな。時間は大丈夫なのか?」


 丁度ドミトリーが講座を開いていた頃、大型の荷馬車のすぐ脇ではフェリクスと御者たちが雑談に興じていた。


「...良い馬だね。」


「馬がお好きで?」


 年嵩の御者の問いに、フェリクスは穏やかな表情で馬を眺めながら答える。


「馬は好きだよ。何よりこの目が良い。」


 帝国の馬は大きい。西大陸のそれと比べて足は遅いがそれ以上に頑丈で力強い。


 だが、両親が匪賊に襲われて命を落として以降は不幸が続いた。息子夫婦を失った祖母は程なくして病によって命を落とし、たった一人の肉親となった祖父は、最後の力を振り絞ってフェリクスとその妹に読み書き計算を仕込むと、兄妹を知己であるレオニートに託して静かに息を引き取った。


 膝を壊し、満足に歩くことすら出来なかったフェリクスの祖父だが、晩年まで自身の馬の世話を止める事は無かった。

 フェリクスも勉強の傍ら不自由な祖父を手伝って馬の世話を良くしていたが、物心付いた頃から親しんできた年老いた馬はとても大きく見えたものである。


「そのうち飼いたいと思ってるんだ。」


「そいつは良い。遠くない内に叶うと良いですな。」


 馬が死ぬと、祖父はベルジン商会との伝手を頼って孫たちをレオニートに預け、妻の後を追う様に世を去っていった。

 遺言も遺産も無く、それからフェリクスと妹はベルジン商会の丁稚として厳しく育てられてきた。寒さに震え、暑さにふら付き、時には失敗し、殴られたり鞭を打たれた事もある。町を行く子供たちを羨んだことは一度や二度では無かった。


 だが、フェリクスには自らの境遇を嘆く気は無い。


 確かに商会の教育は荒っぽかったが、沢山の事を学び教わることが出来た。こうしてここで働くことが出来ているのも、商会での下積みの経験があればこそである。

 何より、同僚であるボリスの方が遥かに凄惨な過去を背負っている。フェリクスはとてもではないが彼の前で自身の境遇を嘆く気にはなれなかった。

 少なくともフェリクスは目の前で生まれ育った村を焼かれてはおらず、姉や弟たちと共に逃避行した事も無かった。飢えに苦しむことも無く、家族が身を売る姿も見ずに済んでいる。


 ”上には上がいて、下にも下がいる”


 何の救いにもならないが、少なくともそう自分を納得させてフェリクスは日々を過ごしていた。



「ありがとう。こうして見ているだけでも癒されるから...あ。」


 物思いにふけりながらフェリクスが首筋を撫でると、馬は鼻を鳴らしてフェリクスの肩を食んだ。


 もしフェリクスに不満があるとするならば、動物たちと思った通りの触れ合いが出来ない点だろうか。

 犬には舐め尽され、猫には居座られる。あろうことかネズミにすら懐かれるのが秘かなフェリクスの悩みである。


「おや、”彼女”も気に入ったようですな。」


「嬉しいね。ただ、まだ今日の分の着替えはまだ乾いていないんだ。離してくれるかい?”お嬢さん”。」


 涎でベタベタになった右肩が、春の風に当たって生暖かさを急速に失ってゆく。日差しは暖かくとも、まだ風は冷たい。


「よし、良い子だ。」


 とかく動物に激甘な対応をしてしまうフェリクスの悪癖は、まだ周囲には知られていない筈である。





「...極論すると材料毎の生産性を上げる事と、ある程度の規格を設ける事ですね。大柄から小柄まで数段階に分けて置けば、咄嗟の注文時に一々仕立てをせずに対応できますし、数を揃えればそれだけ手間が省けて値段も下がります。」


「なるほど。確かに、一番手間と時間がかかるのは採寸と型の準備ですな...」


「そう言えば、武器庫に収められてる長剣も鋳造だったな...そう言う事か。」


 ドミトリーの説明を聞き、セルゲイと会頭がお互いに思い当たる点を口に出しながらメモを取る。内容は大量生産における手法とその導入方法である。

 大量生産と大量消費は社会と国土に大きな変化と負担を強いるため、導入に際しては昔ながらの伝統といかにすり合わせるかが重点となる。


 不用意な導入から反発や社会的混乱を引き起こす事態は避けねばならない。大量生産には大量生産の無視しがたい巨大な利点があるのだ。


「今回の発注ではやや大きめの寸法で発注しましたが、今後、そう言った幅を持って対応して頂ければ、より迅速かつ楽に対応できると思います。在庫はこちらで買い取ればそちらへの負担も最小限で済むでしょう。」


「なるほど...」


「流行り廃りに関係の無い軍服や制服、作業服などはこの手法で数を揃えれば対応できます。それ以外の衣服に関しては流石に冒険的な要素が出てきますので、このやり方が一概に良いとは言えなくなりますが。」


「ドミトリー殿、退職なさったら当商会に来ませんか?」


「おいおい、後2年は此処で働いてもらうんだ。唾付けはその後にしてくれ。」


 両者共に目が笑っていない。


「お二人ともそこは”前向きに検討”という事で一つ。」


 かれこれ数度目のドミトリーの示した玉虫色の官僚的先送り案は、今一度両者の同意を見た。実に不毛である。

 アデリーナが淹れたチャイを口に運び、その拙い腕前に眉を顰めながらドミトリーが本題を続けた。


「この手の手法は従来の伝統とは真っ向から対立します。意図せずに地方のコミュニティを破壊してしまう可能性が高い。それほど強力という事でもありますが。」


「壊された側から恨まれると?」


「跳ねっ返りの中に社会の全てを恨む輩が出ても驚きませんよ。こういった画一化がどのような変化を社会に齎すのか、正直なところ自分には想像し切れません。」


「なんだ、お前でもそこらへんは見通せないのか?」


 セルゲイの茶々に、ドミトリーがニヤリと笑って答えた。


「そう言う存在を人は怪物と呼ぶんです。飼い馴らせれば良いのですが、そうもいかないのが悩みどころですね。なんせ”怪物”ですから。」


 ”怪物”というあまりにも凶悪な言霊に、部屋の空気すら淀む。舌の鋭さに要らぬ磨きをかける部下に、上司として言いたいことが無くも無いセルゲイだった。







「では、これにて失礼させていただきます。今後ともご贔屓に。」


「おう。俺が言うのもなんだが、物騒な世の中だ。気を付けてな。」


 玄関先まで見送りに出て来たセルゲイに、グレゴロフが深く頭を下げる。


「ありがとうございます。殿下もご自愛くださいますよう。」


 会頭が馬車に乗り込むと、2頭立ての馬車は駐屯地を軽やかに去っていった。


 敷地に残された深い轍を眺めながら舗装の必要性を痛感していると、セルゲイは敢えてドミトリーが気付かない振りをしていたフェリクスの肩を弄り始めた。


「ところでフェリクス、その肩はどうしたんだ?」


「はっ!馬と戯れておりました!」


「そうか。後で身体を洗って来い。臭うぞ。」


 あからさまにごわごわになった右肩を見てセルゲイが微笑みながら告げると、フェリクスは恐縮して頭を下げた。


「そんなに馬が好きなら、そのうち馬を任せようか。」


「宜しいのですか?」


 セルゲイの言葉にパッと上がった顔は、眩いばかりの期待に溢れていた。


「まぁ、今の銃兵隊に騎馬部隊は不要だからな。置くとしても荷運び用の輓馬だ。」


 別に将来的にどうするつもりかは言っていない。


 片手撃ちが可能な銃が登場すれば、いずれは騎兵隊として編成する事も予定されている。勿論、そのためには組織の体力を高めておく必要がある。馬は便利だがそれ以上に金がかかるのだ。


 そもそもセルゲイには”指が足りない”し、ドミトリーの騎乗技術は可能な限り盛っても体験乗馬レベルに留まる。

 御者無しで馬を乗りこなせるのがヴァシリーだけであるという事も、銃兵隊が騎馬部隊の編成に消極的な理由であったりする。

 トラウマを克服するにしても、新たな事に挑戦するにしても、余裕が無ければ時間の無駄になりかねない。


「輓馬にしても、まずは馬を銃声に慣れさせるところから始める必要がある。暴れた馬は怖いからな。」


 落馬し、手を踏まれて指を失い、結果的に廃嫡に至ったセルゲイの言葉は重い。


 その素振りこそ微かだが、今でもセルゲイは馬を避けていた。現に、この駐屯地への引っ越しも徒歩で済ませている。


「訓練を終えて外での活動が出来る様になれば、自然と馬を使う事になる。それまではこっそりと買っている猫に癒してもらう事だ。」


「ご存知だったのですか!?」


「はっはっはっは!俺はお前と生活圏が被っているんだ。知らない事などあると思うか?」


 セルゲイに良いように遊ばれるフェリクスを眺めていたドミトリーは、アデリーナに袖を引かれた。


「あの...良いんですか?」


「何が?」


 見るからに不安そうなアデリーナに、ドミトリーが問い返す。


「後で不敬罪で処刑とか...」


「常に敬意を払って一線を越えないように気を付ければ良い。不安なら予防線を引いてそこから見守る事だ。殿下も無理強いはしていないからな。」


 セルゲイの”僕と友達になってよ”オーラは、時に直視できないほどに強烈である。強いて言うなら”僕たち友達だろう?”アプローチも強烈である。

 事情を知らねば勘違いして舞い上がる事は容易に想像がつく。


 ドミトリーは弄りで萎れてきたフェリクスを救い出すために、敢えてセルゲイに聞こえる様にアデリーナに告げた。


「セルゲイ殿下はどういう訳か同年代の貴族が寄り付かぬ故、友達に飢えておられるのだ。言うなればボッチであらせられる。故に、我らは少しでもその寂しさを和らげて差し上げねばならん。」


 唐突なドミトリーのレバーブローにセルゲイがビクリと肩を震わせ、アデリーナとボリスが噴き出した。


「おう誰がボッチじゃい。」


 様々な事情の結果であると見当はついていたが、それでもセルゲイが割と本気で気にしていた点を、ドミトリーは容赦無く抉った。


「殿下、その位にしてあげてください。彼はまだ慣れていませんから。」


「そうか、それは残念だ。おい、早く慣れてくれよ。ここはそう言う職場だからな。」


 ドミトリーの苦言を受け、セルゲイはすっかり萎れたフェリクスの頭をガシガシと撫でた。今日のセルゲイの矛はどうにも収まりが悪い。


「...一線の見極めには熟練が必要だ。隙を突かれればフェリクスのような目に遭う。精進しろよ?」


「「はい!」」


 元からそちら側のドミトリーが言えた口ではないが、怯える部下にエールを送る以外、ドミトリーに出来る事は無かった。



「あとはこれを恩着せがましく配って、それっぽく仕上げればまずは一段落だ。」


「実際高価ですからね。相応の恩を感じてくれれば良いのですが。」


 ボリスに肩を貸され、フェリクスが去って行くのを見送りながらセルゲイが呟くと、ドミトリーがどれに同意する。

 例え恩に感じずとも、誇りを抱いてくれれば用意した甲斐が有るというものである。軍服を導入した理由の半分近くはそれが理由だった。

 ドミトリーが本音を語った際に心底軽蔑した目線を向けてきた兄弟だが、理由を訊いて一瞬で掌を返すあたり、しっかりと損得勘定を身に付けていると言える。


「あの...どのくらい高価なんですか?」


「今日納入された分で、帝都に中々の家を手に入れられる。」


 アデリーナの問いにドミトリーがサクッと答えると、彼女は顔を引き攣らせた。


「家...ですか。」


「まぁ、150着分だからなぁ。材料も手を抜いていないし、そんなものだろうさ。」


 そこら辺の金銭感覚がどうしても薄いセルゲイがのんびりと補足すると、アデリーナは自身が身に付けている軍服をそわそわと弄り始める。


「...アデリーナ、服に着られないように一緒に頑張ろうな。」


「はい!」


 いつまで部下たちが純真でいられるのか。ドミトリーはこの眩しい後輩たちの姿が、遠からず見納めとなってしまう事が惜しく思えてならなかった。


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