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元宰相の異世界物語(仮題)  作者: 徳兵衛
第1章
54/65

第41話

 お待たせしました。モリモリ進めます。


04/08 誤字修正しました。

04/19 誤字修正しました。

「レフ・アレンスキー以下24名、南方牛種兵団より参上しました。」


「遠路はるばるご苦労。銃兵隊は諸君を歓迎する。しっかりと旅の疲れを癒してくれ。」



 跪く牛種の志願兵たちを前に、ヴァシリーが慣れた様子で歓迎の辞を述べる。


 各地から続々と志願者が集まる中、この日新たに南部の牛種兵団から24人が合流した。


 現在、銃兵隊は初期の目標人数である25人を遥かに超える80余名を数え、銃兵隊駐屯地及び周辺の商店街は活況に包まれている。

 人間種と異なり、亜人種は女性でも同族兵団に参加することが出来るため、現在の駐屯地には結構な割合で女性志願者の姿があった。

 志願した者の内、男性はほぼ例外なくアリギナヘタレの首飾りを身に着けているあたり、各地の同族兵団もそのあたりに対する対策はきちんと採っている。


 もっとも、筋骨隆々とまではいかないまでも下手なボディービルダーよりも逞しい肉体を持つ彼女達を相手に、果たしてそのような不埒な真似は出来かどうかは怪しいところではあったが。



「ドミトリー、彼らを宿舎へ案内してくれ。」


「了解しました。」



 だが、人員の増加に伴ってドミトリーたち事務方が多忙を極めたかと言えば別にそうでもなかった。


 前世における事務手続きは煩雑かつ時間がかかり過ぎると大不評ではあったが、判断や選考などの手間が無ければ迅速かつ極めて効率的だった。

 それ以外の所での手落ちや不評に足を取られた感はあったが、簡単な手続きで一日を潰されるような国もある中で高水準のサービスを提供できたのは、現場の創意工夫と努力の賜物に他ならない。


 前世では彼らを使う側であり指示する側だったが、今回は自分が使われる側で指示される側である。


 少なくともヤキモキする事の無いようにと頭をひねった結果、やはり前世の祖国の官吏制度を参考にする事にした。

 何だかんだで慣れた制度であるだけに、システムの信用度を取った形である。だが、極めて高度なシステムであるため、授業が新人達にとって過酷なものとなったのは言うまでも無い。


 大幅な簡略化を図って導入した事もあって、少ない人数ながらも組織の運営に十分すぎる力を発揮していた。



「では皆さん、此方になります。」



 そして、ドミトリーは自分はあくまでも事務員であり、後方で支える事がその役割であると言い聞かせて仕事に当たっている。


 どうせすぐに化けの皮が剥がれることなど理解しているが、ドミトリーはせめて”本業”の間だけもそれらしく振舞うつもりだった。

 2日間の促成教育だったが元が元だけに3人の士気極めて高く、能力もレオニートが見繕っただけあってスポンジの如く知識を吸収していた。

 後は彼らが悪い汁を吸わないように目を掛けつつ、軽減された負担で新たな仕事を生み出し、割り振ってゆくだけである。

 


「アデリーナはついて来い。少し空けるぞ。」



 事務室のドアを開けて部下を呼んだドミトリーは、新規合流者たちを引き連れて事務棟を後にした。






「今、我々が居たのが事務棟になります。基本的に何か分からない事があったらあそこに行って下さい。」


「承知した。」



 石垣に囲まれた駐屯地の”本丸”とも言える中心部には石造りの事務棟。それをエの字型に挟み東西の兵舎はそれぞれ男性棟と女性棟に分けられ、渡り廊下によって連絡されている。

 事務棟から北側に少し離れた場所に武器庫や倉庫、鍛冶場や工房などの施設が並んでいる。


 正門から入ってすぐの右には厩が立ち、志願者の中で馬を持ち込んだ者達は此処につないでいる。左側には木造の物見櫓が建っている。


 駐屯地の更に北側、石垣の外には放置されて林になりかけた訓練場があり、春先にも拘らず背丈の低い茂みと低木が生命力を誇示している。

 訓練場は風化の進んだ木の柵により囲まれているが、若芽を狙った鹿の大攻勢の前に屈して久しい。説明の最中も鹿の一群がこちらの様子を眺めていた。


 



 ちなみに現在、施設の管理者であるセルゲイの指揮の元、ドミトリーは大規模な入浴施設と水回りの改修の計画を作成中である。

 元から設けられていた申し訳程度の蒸し風呂と帝国ではありきたりな原始的な井戸では、定員を満たした場合疫病などに対して極めて脆弱であると判断されたためである。


 ちなみに、判断を下し採決を求めたのはドミトリーではなく、住み着いているセルゲイである。



「ひとまずこれが現状での駐屯地の施設です。そのうち増えたり減ったりするでしょうが、皆さんには此処で他種族との共同生活に慣れていただきます。」


「了解した。」


「では、このまま皆さんが寝起きする兵舎の説明に移ります。アデリーナ、女性方への説明は任せるぞ。」


「はい。では、女性方はこちらになります。」



 敷地内をぐるりと一周しながら全体の施設の配置を説明し、ドミトリーは一行を男女に分け、女子棟の案内をアデリーナに任せた。

 相変わらず真面目だが、授業の後から少しずつ柔軟性が増してきている。仲間内での言葉遣いの汚さを除けば文句なしの優良株である。


 ちなみにフェリクスは計算能力に、ボリスは記憶力に秀でるが、アデリーナはどちらも及ばないながら要領の良さで勝る。


 三者三様の長所を生かすべく、仕事の割り振りを行うのが今のドミトリーの主な役目である。





「わざわざ男女を分けるのか?首飾りもある以上、それほど必要ない気がするのが。」



 アデリーナの引率の元、女性陣が去ってゆくのを見送りながら、ボリスがドミトリーに問いかけた。



「万が一の事が有っては困りますからね。勿論、司令官閣下を含め我々に皆さんを疑う気持ちはありません。しかし、複数種族の徹底的な共同生活は前例が殆ど無いので、まずは慎重を期すべきと判断しました。」


「なるほど、熟慮の結果であるならばこちらも異存はない。」



 彼を含め12人の牛種の男たちはお互いに顔を見合わせたが、リーダー格のアレンスキーの決定に異存はないらしく皆はドミトリーを見て頷いた。



「ご理解に感謝します。では兵舎の案内に移りましょう。」








 ドミトリーの生家は勿論のこと帝都の自宅もそうだが、帝国の建物は壁が分厚く窓が小さい。冬季の冷え込みが非常に厳しいため、壁が薄いと寝てる間に凍死しかねないからである。

 分厚い壁を実現するため、下層は石造、上層を木造によって構成されるのが帝国における基本的な住宅形式である。

 ただ、石材を多用すれば建築コストが級数的に増えるため、裕福な者の邸宅以外は基本的に石材の使用はさほど多くは無い。


 だが、銃兵隊駐屯地の兵舎は全て石材によって築かれていた。



「見事な建物だが...ここが兵舎なのか?」


「はい。」



 アレンスキーが戸惑いを隠さずにドミトリーに問いかける。


 法術大学で過ごしたドミトリーにとってはさほど驚くほどの建物では無かったが、慣れない者にとっては簡単を禁じ得ないほどの大きな建築物である事に変わりは無い。

 ふと、ドミトリーはオルストラエの代官府も半木造だった事を思い出し、帝国内の建築様式とはどのような物なのか興味が湧く。

 


「窓が少なく薄暗いですが、冬の寒さは勿論、夏の暑さにもかなりの耐性があります。」


「いや...そういう話ではないのだが...。」


「下手な建物で体調を崩されては本末転倒です。贅沢である事は否定しませんが、皆さんには後ろ指を指されないように働いて貰いますので全く問題ありません。相応の待遇です。」



 最後の一言でアレンスキーは本能的にドミトリーを”敵に回してはいけない”人物であると悟り、他の屈強な牛種たちも穏やかで丁寧な口調とはかけ離れた苛烈な言葉に閉口する。


 傍から見れば、剥がれた化けの皮を襤褸のように身に纏う大魔王以外の何物でもない。



「では中に入りましょうか。そこの干し草で靴の泥を落としてください。」


「あぁ。分かった。」



 アレンスキーの声色が変わった事を内心で訝しみながら、ドミトリーは兵舎の扉を押し開けた。







 兵舎では既に狼種を筆頭とする犬系、虎種などの猫系は勿論のこと、牛種や馬種を含むてい族や、森鬼族や南北の長耳族が共同生活を送っている。

 種族の違いから小さなトラブルは絶えないが、皆が志を同じくする事もあって当初のドミトリー達の悲観的な予想とは裏腹に、兵舎内の空気は悪くは無かった。

 


「おや、新入りですかい?」


「あぁ。今まで一番の大所帯だ。」



 兵舎に入ってすぐにドミトリーは気さくなオークに声を掛けられ、表所を崩しながら答えた。



「南方牛種のアレンスキーだ。よろしく。」


「森鬼族のビゼムだ。こちらこそよろしく。」



 ゴツイ男同士の熱い握手を眺め、ドミトリーは自然と笑みがこぼれた。


 学生生活最後のやんちゃが原因で、ドミトリーはオーク達の間で名が知れている。自分の面の皮の厚さには自信があるものの、身に余る高評価に晒され続けるのは好ましい物ではない。どうしたものかと悩んだが、解決策はセルゲイの一言によってもたらされた。



「お前は”基本”事務方だし、変に距離を取らなくていいだろう。友達くらいの意識で良いんじゃないか?」



 考えすぎだよと笑いながら言っている人物が人物なので、その説得力は尋常ではなかった。



「ビゼム、先に彼らに兵舎の案内をするから話はまた後でな。」


「はいよ、旦那。」



 ビゼムはそう言うと、食堂でたむろする同族の元へと歩いていった。


 森鬼族オークは口調こそ粗っぽさがあるが、強面な外見に反して基本的に穏やかで気さくな人々である。

 そもそも同族兵団を持たない森鬼族オークだが、何処かから銃兵隊が志願兵を募っているとの情報を聞いたらしい。下手な布告よりも噂の方が素早く広まるのは世界が違えど変わらない。


 志願者の中にはドミトリー達が手を貸した里の出身者もおり、今言葉を交わしたビゼムもその里の出身だった。



「では、此方になります。」



 砕けた雰囲気を一瞬で消し去り、ドミトリーは再び案内を再開した。


 兵舎は4階建てで、一階部分は食堂と洗い場などの各種共同設備。2階部分から上は兵士の寝室に宛がわれている。


 兵舎は元々は騎士たちが駐屯していたこともあり、部屋が非常に広く取られている。

 改装に伴って不必要な調度品は撤去され、代わりに個人用のチェストとベッドがかなりの密度で置かれていた。

 ちなみに、未だ実用的なスプリングの無いこの世界では基本的に寝具は布と麦藁むぎわらであり、兵舎のベッドも麦藁が詰められている。麦藁ベッドは作りが簡便とは言っても手入れが煩雑であり、角がある種族は特に注意する必要がある事に変わりはない。


 一階の食堂を通り抜け、洗い場を見て回ると、一行は上階へと足を向ける。


 



「清掃は毎日行いますが、シーツは2日に一度の交換になります。」


「清掃は...我々が自分でやるのか?」


「はい。基本的に自分たちの使った物は自分たちで片付け、整えて貰います。貴族様とは違ってあなた方は一人では何もできない訳では無いでしょう?」


「あ、あぁ。」

 

「この部屋と隣の部屋があなた方の寝床となります。兵舎内は禁酒禁煙です。飲酒は食堂で、喫煙は屋外に喫煙所が有るのでそちらでお願いします。」


「承知した。」



 一応、酒類と武器の類も持ち込みが禁じられていたが、護身用の短刀ナイフも酒も手放せるような人間が帝国では生きていける筈も無く、この規則は早くも空文化していた。



「兵舎内では節度を持って過ごしてください。特に、近隣住民との付き合い方には細心の注意を払っていただければ幸いです。今の時点で他に何かご質問は?」


「いや、今は無い。」


「では施設の案内はこれで終了となります。慣れない環境だとは思いますが、正式編成までの間はくれぐれも体調に気を付けてください。」


「お気遣い感謝する。」


「では、自分はこれにて失礼します。」







「...あの事務の竜種、相当な腕だぞ。」


「あぁ。俺は術式は不得手だがそのぐらいは理解出来る。何だあの事務員、おっかなすぎるだろ。」



 部屋割りを終え、荷物を整理しながら若い牛種達が言葉を交わす。


 元々竜種という種族自体の頭数が少なく、北部の同族の本拠地から出てくることも稀なため、帝国内でその姿を見る機会は極めて限られている。

 彼ら南方系の牛種が普段見かける長命種と言えば南方系の長耳族ダークエルフ位のものであり、竜種と言う種族がいる事は知っていても、実際に目にした事の無い者が大半だった。

 そして不幸にも、彼らの竜種とのファーストコンタクトは例外中の例外である。普通の竜種にとってはいい迷惑でしかない。


 新しい環境に興奮して話に花を咲かせる男たちだったが、リーダーのアレンスキーが忠告にしたことで話は途切れるどころかさらに盛り上がる。


 

「お前たち、先に忠告しておくが、彼を怒らせるような真似は絶対にするなよ。庇ってやれんからな。」


「薄情だなぁ。漢気見せて下さいよ。」


「牛が竜に勝てるわけあるか。漢気以前の問題だ。」



 苦笑いを浮かべて話に加わったアレンスキーだが、内心では今後の展望に要らぬ不安要素が出来た事で頭を抱える。



「あの竜種は丁寧な物腰だが、その身に纏う雰囲気はお前たちの様な若輩者のそれでは無い。下手な騒動を起こせば何をされるのかまるで予想がつかんぞ。」



 長命種は見た目以上に年を食っている事が多いが、アレンスキーの目にはドミトリーと言う名の竜種がどうにもちぐはぐに見えた。

 もっとも、ちぐはぐであろうと確固たる何かを持っている事は一目で理解できるため、どちらにしても何の慰めにもならないが。


 

「まぁ、御法に触れるような振舞いをしちゃいかんのはどこに居ても同じっすから。いつも通りで良いんじゃないですか?」

 

「あぁ。だが気を付けるに越したことはあるまい。」



 同族の言葉にアレンスキーはそう返し、ベッドに腰掛けて懐から酒瓶取り出した。








「ホント反則よ!何あの胸!」


「うるさいなぁ...牛相手に何を張り合ってるのさ。」


「あんたも牛じゃない!」


「戻ったぞー...と、何だ。随分と騒がしいな。」


「あ、お疲れ様です。」



 ドミトリーが戻ると、事務室には理不尽な格差に対する怨嗟の声が満ちていた。牛種の女性を案内した事で、アデリーナには思う所が”また”現れたらしい。

 遠巻きにやり取りを眺めていたフェリクスがドミトリーに声を掛けると、


...己の見聞をまた一つ広めたか。結構な事だ。



「どうした、続けないのか?」


「いえ...もういいです...」



 上司ドミトリーの前では委縮しがちな彼女だが、同僚には割と容赦の無い啖呵を切るため、何かがあると大抵被災地ないし震源地となっている。

 若者らしい反骨精神と貪欲な出世願望が眩しいが、ともすれば呼吸するルサンチマンと化して周囲に噛みついてしまう悪癖は早いうちに直して欲しいのが正直なところだった。


 近い将来、彼女が部下を抱えた時に果たして上手くやって行けるのか少し気掛かりではあったが、彼女自身が向き合うべき問題である以上、今から要らぬ節介をする気も無かった。

 


「北方系の牛種が来た時も騒いでいたが、そんなにみてくれが気になるのか?」


「...。」



 雄弁な沈黙に溜息を吐き、ドミトリーは自身の机にうず高く積まれた書類を片付け始めた。


 アデリーナは身寄りを無くしてすぐに神殿に身を寄せていたため、栄養失調などは無く健康体そのものである。

 だが、基本的に栄養状態の良い帝国人の平均から見ると発育不良の感は否めず、平均身長170の中で150代は流石に目立つものがあった。まして胸の比較対象が牛種では比べるだけ酷である。

 小柄な上に好事家を集めそうな体形の彼女だが、契約のために法術を齧った経験を持つため、意外なほど腕が立つ。


 キツめの性格も相まって現在は色事とは程遠い日々を送っているが、彼女自身はは色事に関しては人並み、あるいはそれ以上にに興味を持っている。


 今年で数えで16歳。多感な時期なのだ。

 


「そもそも比較対象がおかしいんだよ。胸で牛種と張り合って、長耳族の髪を羨んで、猫系の亜人種相手の...」


「っうるさい!うるさい!」


「フェリクス、彼女はどうせあったらあったで文句言うんだから放っときなよ。」


「あああああ!」



 彼女よりも2つ上のフェリクスは良く物事を見ることが出来るが、ほとんどの場合一言多い。

 基本的に大人しいが、口を開くと論理的に相手をねじ伏せてしまうため思いの外言葉の攻撃力は高く、時折事務室を不毛な戦場にしてしまう。

 3人の中で最年少であるボリスもフェリクス同様の優れた観察眼を持っているが、此方はやや感情的な上にムラがあり、ノッている時とそうでない時とでの落差が激しい。典型的な牛種らしく集中力は高いが、熱が入ると殆ど周りが見えなくなるために扱いの難しい所があった。


 

「アデリーナ、元気を持て余しているな。”ひと山”いけるか?」


「あ、いえ、今はまだ余裕が無いので...」

 


 勿論、書類は山単位である。別に仕事が滞っている訳では無いが、ドミトリーがせっせと新しい仕事を用意するため、事務室の片隅には処理待ちの仕事の山がうず高く積まれている。



「なら、全員口より手を動かせ。明日に仕事を残さないようにな。」


「「「はい!」」」



 年若く一癖も二癖もある部下だが、ドミトリーはそんな彼らとの仕事を楽しんでいた。







「皆、少し良いか?」



 午後、事務室に顔を出したヴァシリーとセルゲイに呼び出され、残した仕事に後ろ髪を惹かれながら4人は事務室を離れた。

 道中で何人かとすれ違いながら、一行は駐屯地の端にある倉庫へと向かう。



「銃兵隊の軍服の試作品が出来たんだ。良かったら試着してみないか?」


「出来には自信があるよ!」



 道中、セルゲイが呼び出した理由を伝えると、ドミトリーは軍服の件を完全に丸投げして忘れていた事を思い出した。



「拙いな、すっかり忘れてた...」


「おいおい、呆けるには早すぎないか?」


「少し疲れがたまっているのかもしれませんね。」


...今週末は休日出勤せずにしっかり休むか。


 人も増え、気を配る事も増えてきたため、特に問題が無くても疲労が嵩むようになって来た感は否めない。今の所は疲労の自覚は無いが、経験上疲労を感じてから休息を入れても手遅れな事が多い。


 相変わらず砕けた雰囲気でセルゲイと接するドミトリーだが、最近は部下や周囲からの目線が痛いのが悩みの種である。本人きっての希望によるものではあるが、傍から見れば皇太子のお気に入りと言うとびきりの爆弾でしかないのだ。

 今更態度を改めても不興を買うだろうし、かと言ってこのまま誤解が広まっては不愉快どころか実害が出かねない。


...どっちを向いても損ばかりだ。やはり宮仕えなど面倒極まりないな。


 気疲れする思考を強制的に断ち切り、ドミトリーは何度目か分からない深い溜息を吐き出した。






「こ、此方になります。お確かめください。」



 哀れなほどにガチガチに緊張した仕立て屋が手を震わせながら布を解くと、こげ茶色に艶のある黄色のモールのしつらえられた厚手の軍服が姿を現した。



「うわぁ...」



 薄暗い倉庫内にどちらとも取れる声が広がる。


 ドミトリーが以前提案した3色の軍服とは印象が全く異なるが、基本的な造りはほとんど変わっていない。


 詰襟で長めの上衣に、腿に余裕を持たせたズボンと長靴。そのまま礼服としても通用するような整った印象はそのままに、帝国の既存の衣類とは一線を画する機能性の高さが光る。

 想像し、覚悟をしていたよりも大人しい色調だったが良く目立つという点は抑えられているためにドミトリーとしても文句のつけようが無い。


だが、六角形に双頭鷲の徽章が縫い付けられた耳当て帽ウシャンカがすべての印象をあっち方面に持って行ってしまっていた。


 

「先輩は服屋を開いたら儲けられると思いますよ。」


「マジか!どうしよう、店を出した方が良いかな...」


「兄さん、逸れてる逸れてる。」



 ドミトリーは取りあえず思いついたことを適当に口にしたが、セルゲイはそれを褒め言葉と受け取って真剣に出店を考えはじめ、ヴァシリーがあわてて話の軌道修正に入る。



「凄い...これを我々が着て良いのですか?」


「もちろん。銃兵隊”全員”がこの制服に袖を通すよ。階級によって微妙に変わるかもしれないし、所属や分担は徽章か何かで区別するけど、基本的にこの服がベースになるね。」



 感動しきりのフェリクスの問いに、誇らしげなヴァシリーがにこやかに答える。


 しかし流石に無理があったらしく、軍服を手に取ってよく見ると染色のムラと縫製の粗さが目立ち、製作者達の苦労の跡が垣間見えた。

 いくつかサイズの異なる包みもあり、そちらには女性向けの仕立てらしい。



「見事な仕上がりですが、数を揃えられるのですか?」


「何分、手間がかかりますので、現状ではかなりの時間を頂く必要があります。」



 すっかり和やかになった場の空気もあってか、ドミトリーの問いかけに対して仕立て屋からは落ち着いた返答が返って来た。



「ドミトリー、せっかくのお披露目なんだ。まずは着てみてよ。」



 いつも通りの夢の無いやり取りをし始めたドミトリーをヴァシリーが窘め、一同は新しい服に袖を通し始めた。






「凄い!凄いカッコいい!」



 弾むようなボリスの声が倉庫に響き、倉庫の物陰から歓声が上がる。


 歓声こそ上げなかったが、袖を通したときの安心感と股座の収まりの良さに、ドミトリーは久方ぶりの安心感を抱いた。


...いいな。これ。


 肩を回しても突っ張った感じは無く、腰をひねっても窮屈さは感じない。獣系亜人種向けのズボンには尻尾を通す穴まで用意されており、一々手作業で穴を設ける必要も無かった。

 おさがりでも無ければ基本的にオーダーメイドの服しかないため、既製品に袖を通すと言う行為が新鮮に感じてしまう。


 長めの上着を腰のベルトで締めて一通り整えて仕立て屋の元に戻ると、着替えの速い部下たちがお互いの服を見て盛り上がっていた。



「こういう仕立ての服は初めてだけど、凄く良いね。動きやすいし。」


「カッコいいよね!」


 2人の言葉は微妙に噛み合っていないが、大層気に入ったという点では違いは無い。



「...ボリス、こっちに来い。このベルトはこう締めるんだ。」



 バックル付きの皮ベルトで器用に蝶結びをしていたボリスを直しながら、ドミトリーは遅れて現れたヴァシリー達と、股を抑えて顔を赤らめたアデリーサに目を向ける。



「ズボンには抵抗があるみたいだな。」


「当たり前です!男の履くものですよね!?」

 

「さっき来た牛種はスカートを履いてないかったじゃないか。実用性を考えたらこっちの方が良い。それとも、スカートを履いて戦場に行く気か?」



 実際は防具の一部だが、ズボン的な造りをしている以上は間違いではない。


 ドミトリーの言葉に言い返せず、ぐぬぬと声が聞こえてきそうなくらいに顔を強張らせるアデリーナだが、スカートタイプの軍服を安心して導入できるほどこの世界は甘くは無い。要は慣れである。

 


「茶色と黄色か。何かこう...蜂みたいだな。」


「そう!ご名答!でもただの蜂じゃないぞ、スズメバチだ!」



 しっかり着こなしたセルゲイが首元の徽章を弄りながら物陰から現れ、フェリクスの呟きに心底嬉しそうに答える。



「銃のイメージって何だろうて考えたら、蜂ってなってね...僕は刺された事は無いんだけど、蜂って刺されると痛いらしいから。小さいけど、必殺の一撃を放つイメージが銃と繋がったんだ。」



 そのセルゲイの更に後ろから現れたヴァシリーが、気恥ずかしいのか顔を赤らめながら説明し始めた。




 セルゲイがまだ廃嫡される前、王宮の一角にスズメバチが巣を作った事があった。


 帝国のスズメバチは魔獣相手にも容赦なく攻撃を加えるため、庭師たちも近寄る事を恐れ、時間が経つにつれて蜂は増え、巣はどんどん大きくなっていった。

 よりにもよって宰相府との渡り廊下に巣を作られたため、当時の宰相府の役人たちは仕事をするのに大変難儀したのである。


 当時はまだ髪の生えていたシェルバコフは業を煮やし、自ら術式で巣を焼き払ったのだが、蜂たちの決死の反撃によって体中をボコボコにされるまで刺されてしまった。

 見事蜂を全滅に追い込んだものの、顔を含め体中が腫れ上がり高熱を出した彼は執務所ではなくなってしまう。

 皇帝直々に療養を申し付けられた彼が半月の療養を経て復帰した時、彼の頭に髪は無かった。


 当人曰く”熱さましの薬の副作用で髪が抜け落ちた”らしい。


 彼は自身の容姿の激変を歯牙にもかけずに職務に復帰したが、周囲はそれを許さなかった。

 堂々たる体躯と見事な総髪を兼ね備え、厳めしい容姿から誰もが一目置いていたシェルバコフは、この日を境に弄られ役と化したのである。



「今でもよく覚えてるよ。皆で年甲斐も無く張り切るから痛い目に遭ったんだって笑ってね。」


「”先生”にもその方が頭も冷えて丁度よかろうなんて言われてさ!」



 一頻り笑った後、ふいに訪れた静寂の中、セルゲイが穏やかに言葉を紡ぐ。



「あの頃は母さんがまだ生きていて、父さんも尚書や将軍たちと毎晩遅くまで頑張ってた。皆が今日より明日が良くなると信じていたんだ。俺たちにとっても黄金のような日々だった。」



 別に誰もそこまで理由を求めてはいなかったが、セルゲイの独白を誰も遮ることなく耳を傾ける。



「シェルバコフの爺さんはへそを曲げるだろうが、蜂は俺たちにとって幸せの象徴なんだよ。」


「なるほど、では裏方の我々はさしずめ巣箱の管理人ビーキーパーですか。骨の折れる仕事ですね。」



 最後に少しおどけた口調でセルゲイが締めると、ドミトリーがいつもの調子でセルゲイに絡んだ。


 

「良いじゃないか。生憎と蜜を集めるような殊勝な蜂じゃないが、お前なら上手く躾けられるだろう?」


「躾けって...いよいよ本性を隠さなくなってきましたね。」



 セルゲイな余りの言い草に、倉庫の中は再び笑いに満たされる。



 シェルバコフの復帰から程なくして、皇后の急死を切っ掛け守旧派の反撃が始まった。


 改革の旗頭でもあった皇后の死は改革派の人々に激震を走らせ、その隙を突いた守旧派の攻撃は手段を択ばず苛烈を極めた。

 だが、改革の中核となった者達が”事故”や”病気”によって命を落とす中でも、皇帝はシェルバコフを宰相に就けて改革の路線を曲げようとはしなかった。

 妻を失い、多くの同志を失い、皇帝は絶望的な状況下で抗い続けた。


 皇帝側の旗色は加速度的に悪化を続け、遂には現場の官吏にすら守旧派の凶手が伸び始めたのを受け、統治機構の崩壊の危機を感じた皇帝は守旧派との妥協を決意する。

 だが、交渉の最中に嫡男であるセルゲイが事故で重傷を負い、交渉の場はセルゲイの廃嫡を求める声で埋め尽くされてしまう。皇帝もシェルバコフもこの流れを止めることが出来ず、セルゲイは廃嫡された。


 事ここに至り皇帝は改革を断念し、関係する記録は全て焼却された。


 それまで重ねて来た努力全てを自らの手で封印した皇帝は、それ以降積極的な行動を起こす事も無く、帝国は再び長い停滞と衰退の道を歩み始めている。

  


「なに他人面してるんだ。お前だって俺たちと同じ”目線”を持ってる癖に。」


「...お前たち、本気にするなよ?」



 そういう目線を持っているのは事実だが、ドミトリーはそれを判断の基準にする気は皆無である。


...その目線に引きずられて俺の人生はミソまみれになったんだ。冗談ではないぞ。


 無意識に自身のソウルフードを扱き下ろしつつ決意を新たにしたドミトリーだったが、3人の無辜な後輩たちは既に目線に恐れが浮かんでいた。



「...先輩、困りますよ。皆が怯えてるじゃないですか。」


「編成と練成が始まれば絶対誤魔化せないんだから、諦めよう?ね?」



 ヴァシリーがニヤニヤと兄そっくりの笑顔を浮かべるのを見て、ドミトリーは両手を上げて脱力し心にもない忠言を諳んじ始める。



「臣は殿下の将来をを心より憂いておりますれば、何卒その様な”はしたなき”口振りを御止め戴きたk...」


「あああ!その言い回し駄目だって言ったじゃないか!」


「ん?では違う文言にしますか?なら...」



 唐突に始まった太々しい程に芝居がかった言い回しを前にセルゲイが噴き出し、つられた3人と仕立て屋もそれに続く。

 被り気味にヴァシリーが噛みつくが、ドミトリーは追及をかわして別な文言で諳んじる。


 倉庫には再び笑い声が満ち溢れ、騒ぎを聞きつけた外野が倉庫の扉の前に集まるまで、そう時間はかからなかった。



 翌日、駐屯地に最後の志願者の一団が到着し、銃兵隊は正式に活動を開始した。

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