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元宰相の異世界物語(仮題)  作者: 徳兵衛
第1章
51/65

第38話

 全く筆が進まなくて難儀。おまけに多忙のダブルパンチで遅れました。


3/5 脱落部分を加筆修正しました。

3/25 一部タイプミスを修正しました。

 人気のない閑散とした宰相府にて、帝国宰相シェルバコフは時季外れの新人官吏を自らの執務室へと呼び出した。


 

「ドミトリー・パブロヴィチ・サムソノフ。出頭しました。」



 出頭早々に白煙に巻かれたドミトリーは老人のふかすパイプに忌々しさを覚えるも、かくいう自分も生前は愛煙家であったことを思い出す。


...自分の吐く煙は臭くは無い、か。


 前世において熊崎は妻の前では我慢していたが、彼女の死後は色々とたがが緩んでしまい自宅をヤニ色に染めていた。思い出の品々が急速に不潔なセピア色に染まって行く事も気にせず、何処か投げやりな日々を過ごしていたのである。

 そして白煙で容姿が良く見えないが、ドミトリーには目の前の彼もまた同じく何処か投げやりな心情であるように思えた。


...それはそれとして、この煙は竜種の鼻には堪えるな。


 頭では理解してもドミトリーの嗅覚が悠長な考えを阻む。煙に触れた鼻と目が痛い。


 目を赤らめ鼻を啜る新人を気にしてか、シェルバコフは立ち上がって部屋の窓を開けながら問いかける。



「君が殿下のお気に入りの竜種か。」


「...恐縮です。」


...何がとは言わないが、見事だな。


 術式によって室内が急速に晴れ渡るとシェルバコフの容姿が明らかとなったが、ドミトリーは彼の容姿に対して身も蓋も無い上に上品とも言えない感想を抱いた。


 顔つき自体はそこまで老いてはいないものの、心労の為か毛と言う毛が真っ白に染まっていた。髪に至ってはその気配すらない。見事に禿げあがった頭とふくよか極まりない体格のせいで後ろから見るとゆで卵にしか見えない。



「...座れ。」



 不機嫌を絵にかいたような顔でシェルバコフが顎で促し、ドミトリーは執務机の前に置かれた丸椅子に腰掛けて軽く周囲を見まわした。


 煙が晴れたシェルバコフの執務室は閑散としており、その雰囲気はかつての自身の執務室を連想させるものがあった。最低限の家具と書類だけを手元に置き、既に身辺の整理を終えているようにも見える。

 ヴァシリーからこの老宰相が何度か慰留されていると聞いてはいたが、当の本人は慰留されても辞める気を隠す気も無いらしい。


 窓辺から晴れやかな空模様を忌々しそうに眺めた後、シェルバコフは睨み付ける様にドミトリーを見据えた。



「好き好んでこんな糞のような仕事に志願するとは...竜種とは物好きな種族なのかね?」


「自分が物好きである事は事実ですが、不可抗力によってここに参りました。」



 心底不本意そうな新人にシェルバコフはその小さな目を見開いたが、程なくしてその顔にゲスい笑みが広がる。



「不可抗力か。それはすまん事をしたな。」



...こう言う手合いか。まぁ、自然と言えば自然だが。


 同情の欠片も無い表情でこちらを見る上司に、新人は憐憫の情を覚えた。


 人を疑う仕事故に、政治家は何処かに必ず歪さを持つ。仮に持っていなくとも自然と身に着いてしまう。無知な新人や御人好しでは務まらないのはその職務の過酷さとエグさに起因する。


 マトモな感性では耐えがたい重さの責任とやり直しの利かない決断を強いられ続け、退任後も知り得た機密を墓まで持っていくことが出来る人間は少ない。


 ”人を食った”とはかなり穏やかな表現であり、宰相という存在の実態は化け物以外の何物でもない。生前の友人曰く”模範的外道にして人間の屑”。言葉の響きと否定できない事実に二重に凹まされた記憶がよみがえる。


 転生しても基本的に中身は変わらないために目の前の男の思考が理解できてしまうドミトリーは、あたかも鏡で自分を見ているような気分になり内心で不愉快さを募らせる。 


「儂としてはガキが1人駄々を捏ねようが知った事ではない。精々殿下の不興を買わぬように励むことだな。」

 

「...微力を尽くします。」



 図らずも本質が似通ってしまっているが故に、両者の間には何とも言えない微妙な距離が開く。同族嫌悪でしかないのだが、同族でも自分はこれ程饐えてはいなかった筈だとドミトリーは内心で取り繕う。


 当然、本人が思っているほどの差は無い。



「...微力程度で何とかできるのならやってみれば良い。」


「...。」



 シェルバコフの呟きは短く微かなものだったが、込められた想いはドミトリーの背筋を泡立たせるには十分すぎた。


...彼も潰えたという改革の生き証人か。


 レオニートが外部協力者だとすれば、シェルバコフは改革の基幹人員だったのだろうか。どちらにしても潰えた改革の実態を知る数少ない人間であることは、ドミトリーには容易に察し得た。



「殿下は貴様が必要だとお認めになられた。努々(ゆめゆめ)、殿下のご期待に背くことの無いように。」


「はい。」


「儂からは以上だ。雇用に関する具体的な契約内容については担当の者と話をして決めたまえ。」



 シェルバコフはそう言うと手で退出を促し、ドミトリーは立ち上がって一礼し執務室を後にした。






 卒業以降、すっかり司令部暮らしが板についてたドミトリーだったが、実のところ今まで正式に宰相府に籍を置いていた訳では無かった。


 原因の半分はドミトリーにあり、何とはなしに感じ取っていた不穏な気配を警戒し正式な契約を延期していたのである。

 そして今日、残り半分の理由である緩慢極まりない事務手続きの末、ドミトリーは正式に宰相府に身を置く運びとなったのである。


 アバウトな祖国らしいといえばらしいが、待たされる側は堪ったものではない。勿論、慣れてしまえばそうでもないのだろうが、そういった意味での大らかさに未だに馴染み切っていないドミトリーにはやきもきさせるものがあった。

 もっとも、図らずも熟慮の時間が与えられたことで自身に有利な条件と担当者を説き伏せるだけのネタを準備出来た為、ドミトリーにとっては痛し痒しであった。


 給料を抑えて週休二日をもぎ取ったのは決して銃兵隊の仕事が嫌だったわけではない。

 独立後の商売のタネを作るのと同時に、薄れつつある生前の記憶が完全に失われる前に、少しでも多くの知識を形にしておく必要があったからである。

 商売の元手が減るのは確かに残念ではあるが、どうせ金をつぎ込む趣味も無い。金よりも時間の方が遥かに重要だった。


 ただ、週休二日と言うドミトリーの条件は宰相府の担当者にとっては前例のない要求だったらしく、交渉に当たっては給料を押し付けてでも休日を一日に留めようと躍起になったせいで場が荒れてしまったが。



「ところで家を探しているのですが、何処かに良い物件を紹介してくれる業者は有りませんか?」



 雇用契約を済ませたドミトリーは担当の役人にそう問いかけながらチャイを口に運ぶ。


 

「...宰相府と懇意にしている者の紹介なら出来るが、物件に関しては各人の自由な裁量に任せられている。だが、安くは無いぞ。」



 直前まで雇用契約の交渉で散々やり込められたジェルジンスキーと言う官吏が苦々しい表情でドミトリーの問いに答える。若手だが人事を担当している以上はその実力を認められているらしい。


 典型的な帝国人らしい金髪碧眼で長身の彼が委縮する姿に、セルゲイはドン引きしながら背景と化して己の身を守っている。



「構いません。」



 ドミトリーにとって、有事でもないのに職場に住み込みと言うのは決して気分の良い物ではない。丁稚奉公ならともかく、寝ても覚めても借りぐらしは精神衛生上非常に不健康なものだった。



「分かった。ならばこれを持っていけ。」



 相変わらず苦々しい表情のジェルジンスキーは、手元の羊皮紙に走り書きをしてドミトリーに手渡す。



「手頃な物件がある事を祈る。」



 そう言うとジェルジンスキーは席を立ち部屋を出て行き、背景に溶け込んでいたセルゲイが存在感を取り戻しながらドミトリーに問いかけた。



「ドミトリー、給料より休暇を取るのか?」


「使う時間が無ければ金の持ち腐れですよ。」



 セルゲイの胡乱気な目線をものともせず、ドミトリーは手にした言伝をしげしげと眺める。どう見てもメモの類にしか見えない代物だが、然るべき場所へ持っていけば相応の効力を持つ公文書である。



「金は回してなんぼのものです。溜め込むのは悪手です。」


「いざというときに困るだろう。」


「...いざというときに役に立つのは金じゃないんですよ。」



 経験上、金で物事が解決できるのは平和な時に限られる。飢饉や疫病、戦乱などを前にして金の持つ力などたかが知れているのだ。



「そこら辺についてはまた後日聞かせてもらうよ...ところで、シェルバコフの爺さんをどう見た?」


「茹でた卵。」



 本人のいない事を良い事にドミトリーはストレートにシェルバコフの容姿に言及すると、不意打ちを喰らったセルゲイは腹を抱えて机に突っ伏し、苦しそうに痙攣し始めた。



「ち、ちがう...見た目じゃない。中身。」


「...やはり卵では?かなり傷んでいる様子ですが。」



 息も絶え絶えなセルゲイに追い打ちを掛けつつ、ドミトリーはつい先ほど見かけた老人の印象を反芻する。どうにも過去の自分を見ているようで気持ちの良い物ではなかったが、理解できるところが有るだけになおさら質が悪い。

 知れば知る程身につまされる思いをしそうで、ドミトリーは彼に関する情報を集める気が湧かなかった。



「大分お疲れのようですね。見た感じではいつでも辞められるように準備万端と言ったところでしょうか。」


「まぁ、今まで親父に何度も引き留められてるからな。思う所もあるだろうさ。」


...思う所で済ませられるほど軽い物ではないだろうに。


 ゲスなゆで卵にドミトリーは心から同情する。恐らく、否、間違いなく皇帝もとい皇室は信用できる有能な人材が枯渇している。老いさらばえた彼に代わる人材が居ないのだろう。

 辞めたくても辞めさせてもらえない。いた筈であろう子飼いの部下の気配も無く、ドミトリーの目には彼は孤独に見えた。どう考えても大国の宰相の放つ雰囲気ではない。



「...あれは正直、見ていて痛ましいですね。先輩が宰相殿に弟子入りして喜ばせてあげたらいかがですか?」


「...お前も親父と同じこと言うのな。」



 聞き飽きたとばかりにしかめっ面を浮かべるセルゲイに、ドミトリーは苦笑いを零す。同じような考えに至ったのはドミトリーだけではなかったらしい。



「まだ未練を断ち切れませんか。往生際の悪い。」


「お前、ホント良い性格してるよ。見誤ったかなぁ...」



 俗世からの強制退去処分となったセルゲイが、女々しく後悔をにじませる。



「ナニがついてるならもっとシャキッとしてください。皇帝の血を引いているのでしょう?」


「...お前は王侯貴族をどう見てるんだ?」


「国家の奴隷。」



 統治システムに組み込まれる存在は押しなべてシステムの従僕に過ぎない。ある時は羊もしくは羊飼いとして、ある時は捨て石あるいは死兵として。それぞれが己の待遇に応じた働きをしなければならないのだ。言った本人が言うのも何ではあるが、セルゲイの境遇は全く持って気の毒としか言いようが無い。


 セルゲイもドミトリーの言わんとするところへの理解は速いために口角が引き攣る。全てを投げ捨てて逃げ出すのを躊躇う程度には責任感のあるセルゲイにとって、それは己の中途半端さを突き付ける言葉であった。”お前は骨の髄まで国家の奴隷だ。だから逃げられずにそこに居る”と言われたようなものである。



「...お前だってそうじゃないか。」


「もちろん先輩の手伝いをしている限りは自分も奴隷ですよ。まぁ、期間限定ですが。」



 色々と堪えながら言い返したセルゲイだが、ドミトリーの犬歯の目立つニッコリ笑顔でついに爆発した。



「この畜生めぇ!」



 万感籠めたセルゲイの叫びは真理である。程度は違えど種族問わず生きとし生けるものは皆畜生なのだから。






「すみません、言い過ぎました。」


「いや良い。事実だからな。」



 セルゲイの心の叫びは使用人たちを少なからず動揺させたらしく、飛び込んできた老いた侍従は顔面蒼白だった。

 廃嫡された皇太子が叫ぶほどの不満を溜め込んでいるという事実は周囲から見れば地雷以外の何物でもない。常日頃のセルゲイがにこやかおだやかに過ごしているだけに、そのらしからぬ叫びはインパクトのあるものだったらしい。

 飛び込んできたのは以前会った侍従とはまた違う人物だったが、セルゲイが笑いながら何事も無い事を彼に告げると露骨に胸を撫で下ろす姿に、ドミトリーはそれとない違和感を覚えた。


...ただの侍従とは毛色が違うな。


 もっとも、老執事はセルゲイの様子を見た後程なくして退出していったため、ドミトリーは彼が何者なのか聞きそびれた。

 入れ替わりに入って来た若い女性の使用人が怯えながら持ってきたチャイとウィシュケを前に、セルゲイもドミトリーもその矛を収める他なかったのだった。






「やはり窮屈なのでは?」


「まぁな。だが、お前が来てからはだいぶ楽になった。何せお前には遠慮が無いからな。」


「光栄です。」



 ほんのりチャイの匂いがするウィシュケのカップを口元に運びつつ、ドミトリーの問いに対してセルゲイが笑う。良くも悪くも皇族らしからぬ擦れた印象は今も変わらないが、その目と表情には以前ほどの影は無く彼の言う”楽になった”と言う言葉には嘘は無いらしい。

 手元のチャイに目を落としながら、ドミトリーは気になっていたことをセルゲイに尋ねた。



「それはそうと、先輩の今後の立ち位置はどうするのですか?」



 気の毒なゆで卵の去就にもかかわる重大な案件である。ドミトリーは彼の進路に敢えて口出しする気はなかったが、せめて情報だけはしっかりと把握しておく必要がある。



「銃兵隊の運用が始まるまでは様子見だ。ある程度実績を作ってからじゃなきゃな。」


「では、匪賊相手に暴れると?」


「そうだ。んでもって実績手土産に親愛なる弟の支えになろうと考えているのさ。素晴らしいだろう?」



 言葉には多分に自嘲が混じっているが、それを加味しても実に素晴らしい兄弟愛である。貴族から孤立しているが故に、兄弟の絆が強くなったのだろうか。

 面倒な立場に生まれなければ仲の良い兄弟として事業で成功を収める姿が目に浮かぶ。


...この兄弟の仲が引き裂かれた時、東大陸は西大陸と同様に戦乱に塗れた本当の地獄となるだろうな。


 そうなれば十中八九は亜人種の生き場のない世界になる事は容易に想像がつく。ドミトリーには全く持って受け入れがたい未来でしかない。自身は勿論、家族や親友たちの未来がかかっていると言っても過言ではない。

 帝国が遅かれ早かれ通らねばならない試練である以上、ドミトリーに逃げるという選択肢は相変わらず与えられていなかった。



「えぇ。素晴らしいですよ。文句なしに。」



 惜しむらくはその道筋が険しいどころの話ではない点だが、それを支えるのも悪くは無い。むしろ望む所であると言い切れる程度にはドミトリーはこの世界に染まっていた。

 若い肉体と濃ゆい脳筋の血を持つ老人ドミトリーは、自覚も殆ど無いままに維新志士的な人生に足を踏み入れていたのである。



「となると、素晴らしい夢に水を差されるのは気分の良い物ではないですね。」


「だろ?残念なことにこの国にはそういう無粋な輩が多くてな。だからちょいと悪知恵を借りれそうな後輩に声を掛けたのさ。」


「...そういう事なら初めからそう言ってくれればよかったんですよ。」



 ドミトリーが腹を立てたのはそういった説明なしに引き込まれたからである。説明があったところで選択の余地が無ければそれはそれで腹を立てただろうが、それでも納得度合いも違ったことは想像に難くない。


 そもそも、明確な身分制と長命種や短命種の違いなど、まだまだ把握しきれていないこの世界特有の事象は多い。知らぬ間に致命的なトラブルに巻き込まれることを恐れていたドミトリーにとって、昔取った杵柄とは微妙に言い切れない世界に飛び込むのは非常に不本意な事だった。

 結果としてセルゲイの心をやすり掛けにしてしまう程度には腹を立てたのも、ドミトリーが基本的に慎重な姿勢を取っていた事が原因である。


 勿論、生前と勝手が違う事に対する戸惑いがどうしても心の隅で足を引っ張ってしまい、結果的に行動や決断の遅れにも繋がっていることはドミトリー自身も把握はしていた。

 それでも本人の意思を完全に無視して来ることを予想していなかった辺り、ドミトリーが生前の”甘さ”を未だに捨てきれていない証拠でもあるが。


 自分がそうだから他人もそうであるとは限らない。理解はしていてもまさかここまで容赦が無いとはさすがにドミトリーの予想外だった。

 蓋を開ければ予想と違い過ぎる上に知れば知る程難易度が高い事が浮き彫りになり、ドミトリーは色々と荒んだ訳だが、その矛先は他ならぬ自身に向けたものである。


 他にも色々と腹立たしい事はあったが、何よりも己の優柔不断さが耐えがたいほどに不快だったのだ。


 

 



「...確かにそうだな。考えてみればお前に直接話してない。」


「もし誰かを引き入れるなら、これからは出来るだけ直接足を運んだ方が良いと思います。直接話をした方が面倒も少ないですし、断りづらいですから。」


「あー、うん。肝に銘じるよ。」



 暴れ竜の惨禍プッツンドミトリーを一身に受けたセルゲイとしては、気づかなかったとはいえ自身の横着は結果ともども何度も繰り返したいものではない。ドミトリーのような人物バケモノがこの国にそうたくさんいるとは思えなかったが、それでも下手を打って痛い目に遭うのは是非とも勘弁願いたいものである。

 



「シェルバコフの爺さんには悪いが、立場に関しては今しばらくは宙ぶらりんだろうな。何せ元が元だ。」


「ある程度は仕方ないでしょうね。ただ、陛下と宰相閣下の健康状態が気になるところです。今倒れられては困りますよ。」



 皇子達の計画の始動に割ける時間は決して多くは無い。分水嶺はとうに過ぎたが、せめてこの国が決壊点を超える前にどうにかしなければならないのだ。無理無茶無謀の三拍子揃ったろくでもない未来予想図を思い浮かべ、ドミトリーはその背筋に何度目かの鳥肌を立てる。



「それは大丈夫だ。二人とも見た目以上にタフだからな。」


「...なら、良いのですが。」



 後にドミトリーの心配は思いつく限り最悪の形で現実のものとなるが、この時点ではドミトリーもセルゲイも、当の皇帝と宰相自身もそれらの予感は有れど正確な予想など出来るものではなかった。







「銃兵隊?」



 帝国東部のオゴロフにある虎種の同族兵団駐屯地で、新人従軍法術士のライサ・ダニーロヴナ・ルバノヴァは上官にして父親であるダニールに聞き返す。


 法術大学を卒業後は特に深く考えずに同族兵団へと籍を置いていたライサだが、ここ最近の兄たちの振舞いに何処か浮ついたものを感じていた。

 ルバノフ家の4人の子供はその悉くが同族兵団に籍を置いており、特に彼女の3人の兄は若くして兵団の部隊長を務めるエリートである。ライサ本人も身体強化術式や治癒術式は勿論、各種の攻撃術式のセンスに優れ、次代を担う人材として周囲から既に周囲から一目置かれている。

 容姿に優れるために見合いの話や異性からのアプローチの絶えないのが悩みの種ではあったが、充実した日々を過ごしていた彼女にとって、兄たちのらしからぬ浮つきはいささか以上に目に余るものだったのである。



「そうだ。今年、皇太子殿下が新たな武器を主軸とした部隊を編成するとの事でな。その部隊の名前だよ。」


「兄さんたちはそっちに行くの?」


「面白そうだと騒いどるよ。止めても無駄だろうから好きにさせるさ。」



 父親であるダニールがそう言って苦笑いしながら愛娘の頭を撫でる。


 サムソノフ家と同じく根っからの武闘派であるルバノフ家らしいといえばらしいのだが、ルバノフ4兄妹それぞれの社交性には共通する問題点としてジッとしていられない落ち着きの無さがある。


 別に病的なものではないのだが、本能的に戦の気配を嗅ぎ取ると言っても差し支えないその嗅覚がもたらす誘惑に抗うことが出来ないのである。

 近隣で魔獣の大規模襲撃があったと聞けば、いそいそと剣を研ぎ直し理由を付けては外に繰り出す程度には仕事熱心な彼らにとって、ヴァシリーの出した人材募集の通知は放置できないものだった。



「...ねぇ。」


「気になるだろうが、ライサはもうしばらくここで経験を積んでからの方が良い。通知は”経験者”募集だからな。」



 将来を嘱託されても今のライサは新人でしかない。ダニールはライサの機先を制してそう告げた。


 窓辺から駐屯地の片隅でむさ苦しい虎種の男衆が何やら話し込んでいるのを眺めながら、ライサは遠く帝都で編成されるという新しい部隊に思いを馳せる。



「良いなぁ...」


「焦らずとも機会はあるだろう。今は己を磨け。」



 ほぼ同じ時期、帝国各地の同族兵団では志願者募集の告知に伴い、若手の士官や腕に自信のある者が名乗りを上げていた。

 獣系亜人種は勿論のこと長耳族や果ては竜種に至るまで、各地に届いた通知は種族を問わないものであり、それに応えようとする者の出自もこれまた多様を極めるものであった。



「それに、ボロボロと若手に抜けられては兵団の運営に差支えが出る。我々とて余裕が有る訳では無いからな。」


「...うん。」



 志を抱いた者の大半は現実との折り合いを付けられずに断念したが、それでもそこそこの数の志願者が帝都へと向かっていた。残念ながら各地でキナ臭い空気が広がっていたために絶対数こそ少なかったものの、各人が己の実力に自信を持ち、新しい何かに挑戦する意気込みを持つ者であると言える。


 そもそも同族と言う名を関している事から明らかではあるが、各兵団の規模は大きくはない。種族の頭数に比した規模に留まるために長命種の兵団は特に少数精鋭となっている。



 ダニール自身も各地の兵団関係者とのやり取りで銃兵隊の前評判は集めていたが、剣や弓と言った今までの得物とは無縁の部隊と聞いてある種の不気味さを抱いていた。

 血気盛んな若手とは異なり、銃兵隊と言う存在に対する年長者達からの目線は決して好意的な物ではない。見る者から見れば子供のお遊びに過ぎず、銃などと言う玩具で何をするのかと言う考えが大勢を占めている。



 

「どのような部隊かも分からんからな。加勢するにしても、もう少し様子を見てからでも遅くは無いだろう。」



 興味が無いと言えば嘘になるが、銃と言うモノがどれ程のものなのかがまるでわからないダニールは、事態の静観以外の選択肢を選ぶ気は無かった。



「せっかく帝都から帰って来たのだ。もうしばらく故郷で過ごしても罰は当たるまい。」


「...。」



 すっかり可愛げが無くなった息子たちはともかく、一人娘を再び帝都に送り出す勇気は今のダニールには無かった。

 虎種の同族兵団が居を構えるオゴロフはまだそれほど荒れてはいなかったが、近隣の地域では蜂起や騒乱が相次いでおり決して気を抜ける情勢ではないためである。

 法術大学の入学時とは打って変わって帝都への道中は危険になっており、屈強な息子たちはともかく容姿に優れる娘が道中で万が一の事が有っては亡き妻に申し訳が立たない。



「とにかく今はダメだ。良いね。」


「わかった。」



 外から響く兄者弟者という息子たちの呼びかけあいが妙に暑苦しく響く中、口をとがらせる愛娘の頭を撫でつつダニールは頬を緩ませた。


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