第37話
知ってたけど、酷い国だ。(竜並感
2/11 誤字修正しました。
12/03 設定齟齬を修正しました。
セルゲイが逆鱗を踏みぬいた翌朝、まだ日も登り切らない時間から会議室の窓に人影が揺れる。
「そう言えば、人員はどうやって集めるのですか?」
「それで悩んだからお前を引き込んだんだ。」
...自分たちと同じ社会に出たばかりのヒヨっ子を頼りにしてどうする気だ。
身も蓋も無い上に聞かされた側が色々と心配になる回答がセルゲイから齎されるが、既に腹をくくった以上、ドミトリーは逃げ出すつもりは無い。
あれだけの啖呵を切ってやっぱり出来ませんでしたで終わらせれば、せっかくの第二の人生を開始早々にふいにしてしまう。
訳が分からない程長い余生を惨めに生きる位なら、いっそのことのっけから全力投球で引っ掻き回してしまった方が楽しいのではないか。
せっかくの2度目の人生である。無駄に頑丈な体と過剰な火力を振りかざすのも悪くは無いが、それだけでは勿体無い。
分不相応に思える程大きな志を抱くこの兄弟が、どこまで登ることが出来るのか見てみたい。
この問題だらけで”伸びしろだらけ”な国をどのように導くのか、見てみたい。
そんな好奇心をくすぐられたからこそ、竜は二人の皇子の願いを聞き入れたのだ。
「分かりました。では、遠慮なくやらせてもらいます。」
...もはや出し惜しみなど不要。この国を、この世界を引っ掻き回してくれよう。
借りた部屋で一晩中悶々とした結果、納得して出した結論がこれである。
頼られると弱いのは昔からだが、最近は悪乗りに近い遊び心が本格的に牙を剥き始めたドミトリーであった。
「...確保する人員に必要な条件は大まかに3つ、仕事が出来る事。職務に対する責任感を持っている事。そして、この国に対して忠誠心を持っている事。」
ドミトリーの示した条件にヴァシリーが疑問符を浮かべる。
「皇帝に対してでは無く?」
「個人に対して忠誠を誓うのは危険を伴います。主君の死後、忠誠を向ける先を失った者達が迷走すれば国は乱れます。」
組織としての代謝とは別に王の交代という要素が入ると、先王の崩御に伴い組織に不必要な代謝が生まれる場合がある。
場合によっては乱れによる反動が新王に対して好ましくない形で押し寄せてしまう。
「あ...」
「そんなに危険なのか?」
ドミトリーの言葉に思い当たる節の有り余るヴァシリーが表情を強張らせ、いまいち理解しきれないセルゲイが問いかける。
「先代の方が良かった、誰それと比べてお前は頼りないなどと陰で言われれば誰だって苦悩します。まして比較対象が血の繋がった家族ならば。」
「あっ...」
「ドミトリーはホント容赦がないよね...泣いて良いかい?」
今度は遅まきながら気づいたセルゲイが固まり、ヴァシリーの目から輝きが消える。淀んだ目を向けられたドミトリーだが、そんな皇太子を一顧だにせず切り返した。
「幾らでもどうぞ。泣けるならばまだ人間としてまともな感性を持っている証拠です。なおさら支え甲斐が有るというもの。殿下がそういった屑共を見返す手伝いをするために、自分は此処にいるのです。」
「...いや、やっぱり泣かなくて大丈夫だ。...そうだ...見返さないと楽しくないよね...!」
「...。」
皇太子の仄暗いオーラが部屋を満たす。
セルゲイが心から逃げたそうに二人を見比べるのが、この部屋の日常になりつつある。
「それにしても、こうして書き起こすと本当に壮大な計画ですね。間違いなくお二人の存命中には完了しないでしょう。」
羽ペンを置いたドミトリーがぐったりと椅子にもたれ掛かった。
皇子達が立てた計画を一言でまとめると、”ぼくのかんがえたさいきょうのくにづくり”である。
”分散した権力を再び皇帝の元へと集約させ、旧態依然とした帝国の政治体制の改革を断行。官僚制度の再編と強化。法律の見直し、教育の拡充、軍の再編などを含む改革と国家主導の殖産興業を以て、停滞した帝国の再興を目指す。”
その全てが既得権益層に対する宣戦布告と同義である香ばしさ。その癖大方針としては間違っていないだけになおさら困った計画だった。
「これは酷いね...」
「何て計画だ...」
「...鏡見ます?」
瞳を閉じると処刑台が見えそうな気がして、ドミトリーは頭を振ると皇子達に向き合い告げた。
「一度に全部は不可能ですが、どれか一つでも手を付けたら最終的にすべてを並行して進める必要が出てきます。今の帝国には非常に厳しい改革案ですよ。」
「でも、絶対に必要になる。それは間違いないんだ...」
ヴァシリーが険しい表情で食い下がる。
その様子を暫く見た後、ドミトリーは再びそのメモに目を落として考え始めた。
「最終的にこれを目指すとして、いきなり全土で施行する前に何処かで実験的な運営がしたいですね...」
「え...。」
「対立する可能性のある各勢力の情報。それと、味方に引き入れる事が出来そうな勢力も確認する必要がある...情報収集が出来る人物が欲しいな...」
「あ...あのさ、ドミトリー...」
「...?何ですか?」
「計画、否定しないの?」
恐る恐る問いかけたヴァシリーに、ドミトリーがあっけらかんと答えた。
「否定も何も、全て帝国に必要でしょう。問題はその進め方では?」
兄弟がそろって言葉を失う。
その様子を見て、ドミトリーは憮然とした表情を浮かべる。
「何度も言いますが、その為に自分は此処にいます。ですが取り敢えず、この夢いっぱいなメモは一旦破棄しますよ。誰かの目に入ったら大変ですから。」
ドミトリーはそう言うと、皇子達の返事を待たずに羊皮紙を丸めて掌の上で焼き尽くした。
「...お二人には悪いですが、当面はこの夢は心の奥に仕舞って置いて下さい。お互いの身の為に。」
「わかった。」
「...うん。」
芽を枯らしてはならない。世界に誇る大樹と成り得るその芽を枯らしてはならないのだ。
「今は心の奥底に。なれど絶対忘れずに。計画を練りに練って少しずつ同志を増やし力を蓄え、時を待ちましょう。」
ドミトリーはそう言うと立ち上がり、ドアに施していた消音術式を解いて外に控えていた使用人に声を掛けた。
「あ、チャイもらえます?」
「っ!承知しました。」
何故か怯えられたことに内心で首をかしげつつ、ドミトリーは部屋の二人に呼び掛ける。
「ひとまず休憩にしましょう。少し落ち着いてからの方が頭も冴えます。」
その一言で、皇子達は糸が切れたかのように机に突っ伏した。
「それはそうと、銃兵隊の指導官はどうしましょうか。」
「指導官?」
「いずれは銃兵隊生え抜きの指揮官が育ちますが、まずは兵に基本を叩き込む訓練担当者が必要です。」
チャイを片手に銃兵隊の編成を考える3人だが、ドミトリーは誰かを指導できるほどの訓練の経験が無い。
サムソノフ式戦闘術は素手ゴロのヤクザな喧嘩以外の何物でもなく、竜種の身体能力を最大限に利用しているせいで他の種族の参考に出来ない。
可能ならば人を鍛えた経験のある人物に担当してもらいたいのがドミトリーの正直なところであった。
「出来れば槍兵隊か弓箭隊の出身であれば良いんですが...」
「軍は日和見だ。借りを作れば足元を見られる。」
セルゲイがげんなりした表情で吐き捨てた。
「なら、同族兵団に声を掛けてみようか。」
そんな二人の会話を聞いていたヴァシリーが提案する。
「同族兵団は軍とは別個の組織だからそこまで妨害されないと思う。この先しばらく銃兵隊の任務は魔獣退治と治安維持だからね。」
「では各種族筆頭に書簡を出しましょうか。」
「一応銃兵隊自体は皇帝直轄だからな。多少の箔は付くだろ。」
「...先輩の名前が十分な箔になる日が待ち遠しいですね。」
ドミトリーの不意打ちでセルゲイが沈み、ヴァシリーとドミトリーの笑い声が部屋を満たす。
目元が潤う自虐的な笑いではあったが、笑うだけで元気が出るのだから馬鹿に出来ない。
「そう言えば、運営要員はどうするんだ?」
「事務方はそれほど多くなくても大丈夫です。商売の経験者かその見習いを確保できればやりやすいのですが、伝手とかは有りますか?」
「すまん、融通が利きそうなのはベルジン商会くらいしかない。」
「では、ベルジン商会に依頼と言う形で打診してみますか。」
やり取りを見ていたヴァシリーがセルゲイに問いかける。
「兄さん、宰相府から人を借りないの?」
「爺さん以外は十中八九は何処かの貴族の紐付きだ。まだそいつらを取り込めるほどの力は俺達には無いぞ。」
「あっ...。」
今度はヴァシリーが沈んだ。
盛り上がったり盛り下がったりと忙しい会議室だが、参加者がそれだけ強い思い入れを抱いている事の証左でもある。
盛り下がりの理由は殆どが自己嫌悪とやるせなさだが、それも皇族としての責任感があればこそと言える。これから自信を付けて行けば良いとドミトリーは考えていた。
「望む所です。まぁ、当分の間は雌伏の時間になりそうですが。」
そう言って深い溜息を吐き出すドミトリーだが、その顔には笑みがあった。
「訓練と運用のための拠点?」
チャイの優しい香りが部屋に広がる中、三人は和やかな雰囲気で羽ペンを進める。時折笑い声や唸り声に満たされるも常に頭脳は常に回転を続け、書き進める手は止まらない。
「この間、すぐ近くにある騎士団の駐屯地を譲り受けたからそっちに移ろうと思うんだ。兵士用の宿舎もあるし、どうせ移動するなら早い方が良いよね?」
「えぇ。どちらかと言うと何故ここで頑張っているのかが不思議なくらいですね。」
「使用人たちの準備もあるからな。今は煩いのも居ないし。」
相変わらず手元からウィシュケの瓶を離さないセルゲイが資料に目を通しながら言う。しっかり考えた上での結論だからこそ、より一層その理由の情けなさが際立つ。
「なるほど。では、用意が出来次第そちらに移動するというという事で決定ですね。ちなみに収容人数は?」
「”騎士”が100人駐屯してたからかなりの広さだよ。もっとも、騎士団が管理しきれなくなったから宰相府が引き取ったんだけどね。」
「炊事場に鍛冶場、厩もあるから、使い勝手は悪くない筈なんだがなぁ...」
帝国における騎士団とは地方の小領主などが中核となった集団であり、厳密には貴族でも職業軍人でもない。身も蓋も無い言い方すると地元の名士が集まる同好会の様なもので、騎士団に参加するかは各領主次第である。強制力がない上に実戦では職業軍人ほど役に立たないため、帝国内近年では衰退が著しい。
ドミトリー達が譲り受けた騎士駐屯地は、元々は西部地方の領主達によって運営されていたのだが、セルゲイ達の母親であるアンナ皇后の崩御から程なくして西部地方の治安が悪化。西部地方の領主や貴族達から維持する余力が失われたため、皇室に献上されたものである。
放っておくと流民の溜り場になるために宰相府が引き取ったのが実態であるが。
「鍛冶場があるならドワーフも呼んでおきたいですね。後、火薬の研究と兵の治療のための薬師も。」
ちらりと学友の顔がちらつくが、ドミトリーは今の彼らに声を掛ける気は無い。
今呼んだところで彼らの知識は卒業時と大差がない。いずれ経験を積んだ頃に声を掛けるつもりだった。
「鍛冶師と薬師ね...よし。彼らは募兵とは別に募集した方が良いか?」
宰相府の官吏こそ受け入れなかったが、三人はそれ以外の人材については積極的に宰相府の力を借りるつもりだった。
現宰相のシェルバコフが引退してしまえば、宰相府すら当てに出来ない可能性がある。
「そうですね。あと、鍛冶師はともかく薬師は最優先でお願いします。自分は薬師の伝手が有りませんので。」
ドミトリーには薬師の卵との伝手があるが、一人前の薬師との伝手は無い。
怪我や病気と無縁な生活故に医療に関して知らない事柄が多いことに気付き、ドミトリーは内心でこの世界の医療とは一体どういう物なのか密かに興味を抱く。
「分かった。それも併せて確認してみよう。」
今の所正面戦力は200だけしか用意できないために小さな組織だが、将来的な銃の量産を見越して後方の支援体制をしっかりと組織するのが現在のドミトリーの主な仕事である。
後方支援と言っても、前線への補給から後方での兵士たちの福利厚生までその範囲は幅広く、将来的には駐屯地に小さな町並みの機能を持たせるのが目標だった。
「...そう言えば、兵士達の服はどうします?」
「確か、視界が悪くなるから派手な色が良いって話だったよな。」
試し撃ちをした際に三人が懸念したのが、銃を撃つとかなり激しい白煙が出たために視界が悪くなるのではないかと言う点だった。
術式で煙を吹き飛ばし騎兵用の喇叭を使えば部隊への指示は何とかなるが、それでも全体の把握は困難になる事が予想されたのである。
「一応は考えてはみたんですが、どうでしょう。」
「「おぉう...」」
ドミトリーには絵心が無い。
作詩はともかく歌も下手糞だったため、もし大学に芸術系の科目がもっとたくさんあったなら、次席にはなれなかったかもしれない。
なけなしの感性を振り絞って描いたデザイン図に、セルゲイが何とも言えない声を出す。
長靴を履き、明るめの紺色で長めの上衣と太腿部分が幅広の赤いズボン。腰をベルトで締め左肩から白い襷を掛ける。
当初はドミトリー自身が前世で身に着けた軍服の造りをベースにしようと考えたが、何度思い出しても黒か褐色だけしか記憶になく、派手とは無縁だったために断念。
結局、記憶を頼りにフランス軍の軍装を参考に適当にでっち上げた結果がこれだった。
「まぁ...確かに良く目立つけど...赤いズボンは何か嫌だな。」
「目立つことが目的だけど、赤は汚れたら見栄えが悪いだろうね...」
指揮官として自分が着る事が念頭にあるため、ヴァシリーは色々と思う所があるらしい。
帝国だけなのかは定かではないが、社会全体が全体としてどこか彩に欠ける印象があるため、ドミトリーの提案した派手な軍服は中々のインパクトを皇子達に与えたようだった。
ドミトリーは軍属である事を盾にして派手な軍服を着ないで済むように立ち回るつもりだったが、革製の編み上げ靴と幅に余裕のあるズボンはそれとは関係なしに欲しいと考えている。
手に入る靴が毛皮か木製という究極の二択の為、雪の日はともかく濡れるような使い方をすると痛むのが早く、足回りで難儀していたドミトリーにとって、革製の編み上げ靴は個人的に激しく物欲を掻き立てるものだった。
「靴以外はお二人でお好きに決めて頂ければと思います。ただ、寒さに耐えられて動きやすい事が前提ですよ。」
ドミトリーはそう言って不細工な兵士が描かれたイラストを二人に手渡すと、ベルジン商会宛ての手紙の文面を考え始めた。
「ありがとう。後はこっちで決めておくね。」
後にドミトリーはヴァシリーの意外な才能を目の当たりにすることになる。
「では、ベルジン商会に手紙を渡してきます。」
正午過ぎに手紙の書き上げと両皇子の署名、封蝋を済ませたドミトリーは昼食がてらにベルジン商会へと赴く事にした。
と言うのもこの世界、手紙を配達ギルドに託さずに直接手渡すのが相手方に敬意を表する事になるため、手紙のくせに手渡し推奨というドミトリーにはいまいちピンとこないルールがあるからである。
「商会の皆によろしくね。」
「ついでに何か摘みを買ってきてくれ。」
かくしてドミトリーは皇子の名代と言う大げさな役職を命じられた。それはもうこの国らしい雑さで。
ドミトリーも転生して長いが、この国の何とも言い難いフランクさには相変わらず慣れない。上司と友人が混じり合ったこの雰囲気は嫌いではないが、礼儀知らずと謗られかねないリスクがどうしても頭から離れないのだ。
「平民の給料で買えるものなどたかが知れてますよ。」
ドミトリーはそう言って外套を身に纏った。
極めて幸いなことに、ベルジン商会への道中に封蝋が乱れるような事態には遭遇しなかった。
道中にスリを仕掛けられてからの尋問がいつもの流れだったが、帝都中心街は雪解けの進む昼下がりにも拘らず閑散としていた。帝都全体が何処か不穏さを感じさせる中、ベルジン商会が店を構える通りにドミトリーは足を進める。
「これは帰りだな。昼飯には気を付けないと...。」
無論、何がとは言わないが。
警戒心を新たに商会のドアを押し開くと、以前訪れた時には見かけなかった顔が居た。
「ベルジン商会にようこそ。ご用件をお伺いします。」
落ち着いた声色でダークブラウンの髪に淡い緑の瞳の若い女性が来客者を出迎える。どちらかと言うと西部地方出身に多く見られる色彩だが、ドミトリーはどこか懐かしさを感じる髪の色に目を奪われた。
身近な人々は金髪碧眼かそれに類する容姿が多く、ドミトリーの知る例外と言えばオルロフ公の跡継ぎくらいのものである。
「あの...ご用件は...。」
「あぁ、失礼。あまり見かけない髪色だったもので。ヴァシリー皇太子殿下より手紙をお預かりしています。会頭殿にお取次ぎいただけますか。」
「っ!承知しました!」
いつの間にか不躾な視線を向けていたことに気付き、ドミトリーの内心に申し訳ない気持ちが湧く。赤子と目が合うと泣かせてしまう程度には威圧感のあるこの容姿、見られた側は落ち着かないであろうことは容易に想像できた。
...あぁ、確かにこれは怖いだろうな。
壁に掛けられた鏡に映った縦長の瞳孔に、ドミトリーは溜息をついた。
「突然の訪問に応じて頂き、感謝します。」
「いえいえ、態々足を運んでいただき光栄の限りです。」
6年ぶりに会ったレオニートは、ドミトリーが戸惑うほどに老け込んでいた。
...一体何があった。
以前会った時に抱いた脂の乗った壮年と言うイメージとは似ても似つかない、色褪せた髪とやつれた顔がそこにはあった。
「近いうちに此方からお伺いしようと考えていた所でしたが、丁度良かった。」
「それは何よりです。では先にこちらを。」
ドミトリーは前回とはがらりと印象の変わった商会に困惑を隠すのに苦労しながらも、手紙を読み進めるレオニートを見守る。
軒先から響く雪解けの音と薪の爆ぜる音が入り交じり、応接室が不愉快な程の騒々しさに満たされる中、時折目を細めつつ手紙を読むレオニートの表情は何かを悼む様な沈痛さが時折滲みだす。
...この人もこの人で何やら重いものを持っているな。
この国の大人たちがチラつかせる重たい昔話は、共感できるところが多いだけにドミトリーを大いに萎びさせるものがあった。
萎えてもやる事に変わりはないが、それでも気分の良い物ではない。
「なるほど。やはり殿下はお二人とも御母堂によく似られた様子。いやはや...」
「皇后陛下に?」
先帝の死に伴い若くして即位した皇帝アレクサンドルは、自身の伴侶に西部貴族の名家として知られたクラスニコフ候ローベルトの娘アンナを迎えた。
彼女は赤みの強い金髪に加えて、あがり症で人前に出ると顔が赤くなった事から人々に赤姫と呼ばれて親しまれた。だが性格は激しかったようで、皇帝としての経験の浅い夫を時に厳しく叱り飛ばしながらもその執務を良く支えていた事でも知られている。
「はい。ですが、今の帝国をあの方がご覧になったら怒り狂うでしょうね...」
そう言ってレオニートは自嘲じみた笑みを浮かべた。
皇后アンナは女性でありながら政治面で非凡な手腕を持っていた。匪賊の積極的な討伐や各種関税の整理と全体の減額。各領地の独自法に制限を加えて領地毎の量刑の格差を抑える等、帝国内の格差の是正と経済発展を推し進めた。
アレクサンドルもまた官吏の汚職の撲滅に尽力し、宰相府に気鋭の官吏を集めて古い法の改正などを検討させるなど、当時の帝国上層部には現在からは想像もつかないほどの活発さがあったのである。
夫妻は力を合わせ、停滞していた帝国を再興すべく精力的に活動した。
アレクサンドルの治世前半から中盤にかけての時期、帝国社会には活気が満ち溢れていた。
それは両大陸戦役以降、長く停滞と言う名の緩やかな衰退を続けていた帝国において数少ない、中興の時代と賞するに値する時代だったのである。
「ご要望は確かに承りました。ですがしばらくお時間を頂きたい。ご覧の通り、今は少し立て込んでおりまして。そうですな...半月ほど頂ければ十分かと。」
「...了解しました。よろしくお願いします。」
...その間は一人で捌くしか無いか。
即決で人を送ってもらえるほど世の中そんなに甘くは無い。出来る人材は万金に勝るのだ。
「それにしても...随分とお疲れのご様子ですが、何かあったのですか?」
「最近、西街道がいよいよ使い物にならなくなってきましてね。今までもあちらの大陸との交易はもっぱら海路頼りだったのですが、それも港の関税が上がった事で難しくなりまして。」
...嫌な国だ。
踏んだり蹴ったりとはこの事だろう。帝国は既にまともな商売をしていられる状況ではなくなっていたらしい。
「それは...大変ですね。」
「大変ですよ。まるで商売になりませんからね。」
かなりの苦労を重ねたのだろう。レオニートの表情は憂いよりも諦めの色が濃い。
ドミトリーの視線に弱弱しい笑みを浮かべた後、レオニートはチャイの満たされたカップを口に運んだ。
「今の帝都を見て、どう思われますか。」
「前よりも人が減りましたね。何とも言えない嫌な感じです。」
カップを片手にレオニートはドミトリーの言葉に頷いて告げる。
「年明けから一気に景気が悪くなり各地で治安が乱れています。西部や帝都だけではなく、東部も。帝国全体が真っ当な商売のしづらい環境になりつつあるのです。」
「...。」
「身辺にはくれぐれもお気を付け下さるよう、両殿下にお伝えいただきたい。」
「承知しました。」
その後、気の滅入るやり取りを暫く続けて帝国の現状の把握に努めたドミトリーだったが、聞けば聞くほど帝国を潰してしまった方が早いのではないかと思えてきた。
改革はその後、皇后アンナの急死と皇太子セルゲイの重傷と廃嫡を境に急激に減速した。力を取り戻すかに見えた帝国は結局その兆しを少し見せただけで再び停滞と衰退へと逆戻りしてしまったのだ。
タイミングが良すぎるためにドミトリーは宮廷内で何かがあったのだろうと推察していたが、何にしても迷惑以外の何物でもない。
改革に対する反動勢力の存在がチラつくが、それ以上に問題だったのは改革が中途半端に終わった事で帝国の箍のゆるみが加速した点だろうとドミトリーは考えている。
何より、改革派のその後が全く知れないのが問題だった。
皇帝自身が集めていた気鋭の官吏の存在自体、話を聞くまでドミトリーは全く知らなかった。示されていた資料は一番古い物でも15年前程度で、改革が進められていた当時の様子を知る手掛かりは無い。
...無かったことにされてしまったのか、あるいはそうするまでも無く消されたのか。
どちらにしても己の仕事が想像以上に危ういものである事に気づき、ドミトリーはげんなりする。
「聞いた感じでは急に綻びが広がった印象ですが、兆候はあったのですか?」
「...改革に西部の諸侯は賭けていたのですよ。自身達の命運を。」
子飼いの有能な官吏の提供を始め各種の政策に協力した西部諸侯は、改革が頓挫した事でその体力を一気に削られた。皮肉な事に改革は西部諸侯の財政・行政共に大打撃を与えたのである。
資金的にも人員的にも余裕を失った西部諸侯は、街道警備などの重要な事業ですら維持することが不可能になりつつあった。
「...なるほど。」
...ホントどうしようもない国だな。
ドミトリーは遣り甲斐どころではない茨の道に内心で泣きそうになるが、それでも逃げだす気は起きなかった。
「うんざりしますね。心から。」
「それでも皇子殿下なら何とかしてくれるかもしれない。私を含め、皆がそう願っているのですよ。」
「...自分も微力は尽しますが、確約などできませんよ。」
...これは血が沢山流れるな。敵も、味方も。
脳裏に浮かんだろくでもない上にやたらと鮮明な未来予想図を振り払い、ドミトリーは立ち上がるとレオニートと固い握手を交わす。
「またお会いしましょう。くれぐれもお気をつけて。」
「健闘をお祈りします。」
応接室を出て、皇子達への手土産に受付に置かれていた”ウィシュケ”を買い取ったドミトリーは、見送りの為に店先に出て来たレオニートに小声で告げた。
「死なないでくださいよ。殿下には”あなた方”の力が必要です。”まだ”あきらめられては困る。」
「!...承知しました。」
...それとなく示唆はされたが、我ながら鎌かけとは悪趣味だな。
気の重い話をしたばかりではあったが、ドミトリーの目にはレオニートの顔に少しだけ生気が戻ったように見えた。
...やはり情報が足りんなぁ。彼にはもっと話を聞かねば。いっそのこと引き込むか。
なまじ今まで無関心だっただけに、ドミトリーには帝国の情報が不足していた。
資料だけでは見えてこない世相、過去にあった事件や政変。頓挫したというかつての改革の全貌も確認する必要がある。
叶うならば現宰相のシェルバコフと直接会って話を聞きたいところだが、取り敢えずは過去の断片を集めながら進むしかない。
「やりたい事からどんどん遠ざかってるな...。」
一礼をして商会を後にしたドミトリーはすっかり食欲も忘れて考え事をしながら軍司令部へと足を向けたが、程なくしてレオニートの忠告を思い出す事となる。
「誰か、あいつを止めてくれ!」
市場を過ぎたあたりでその叫びを聞いた時、ドミトリーは無意識に懐に抱えていた酒瓶を庇った。
酒瓶を庇ったのか自分でも理解できずに声のした方を見れば、幾重も襤褸を纏った少年がホールチーズを抱えてこちらに走ってくる。
...またしても俺に牙を剥くか!帝都よ!
だが、少年の後ろに見慣れた顔を見たドミトリーは、無視する素振りで少年の歩む先にそっと右足を差し出した。
「あうっ!」
足を引っかけた少年はチーズを取り落として、激しく転び泥に濡れる。道端の水たまりに飛び込むホールチーズに目もくれず、痛みに蹲る少年に追いかけて来た衛兵たちがとびかかった。
「確保ォ!」
もがき逃れようとする少年を取り押さえた若い狼種の衛兵が手際よくその手を術式で縛る。なおも逃れようと暴れる少年に沈静術式を打ち込んで大人しくさせて、衛兵は捕り物の協力者に声を掛けた。
「協力に感謝すr...」
「やぁ。」
だが、感謝の言葉を掛けようとした衛兵は見慣れた顔と出会ったタイミングに言葉を失なう。てっきり訓練に明け暮れているかと思いきや、友人は既に現場に駆り出されていた。
言葉に詰まった同僚をベテランらしき猫種の衛兵が訝しむ。
「新人、知り合いか?」
「...親友です。」
...なかなかどうして、世間は狭いもんだなぁ
親友の初仕事に居合わせたドミトリーはそう思わずにはいられなかった。
「という事で、商店主から感謝の印だそうだ受け取ってくれ。」
エドヴァルドは以前よりも少し疲れた様子だったが、相変わらず元気だった。部屋の隅に親友が居心地の悪そうに立つ中、ドミトリーの前にホールチーズを奪われた商店主からの謝礼金が現れる。
「足を掛けただけでこんな額を?」
銀貨1枚。ホールチーズの金額としては破格である。まして泥に濡れて商品価値を落としたはずだが、ドミトリーの手元に現れた謝礼は平民の月収に迫る額だった。
「あの少年には今までも何度か取られていたそうでな。これで安心できると喜んでいたよ。」
「なるほど。でしたら受け取らせていただきましょう。」
ドミトリーは銀貨を受け取り、部屋に溶け込みつつある親友に向かって告げる。
「なぁ、今日は初めての捕り物を成功させたらしいな。親友として鼻が高いぞ。」
「...なんだよ。」
父親をチラリと見ながらランナルが答える。
「泡銭は手放すに限る。激務の続く衛兵隊にささやかな差し入れを申し出たい。」
「”隊長”に聞いてくれ。訓練生の俺は受け取れない。」
...さすが狼種。しっかりしてるじゃないか。
「エドヴァルド隊長。お受け取りいただけますか?個人的には”傷物のホールチーズ”がお薦めですよ。」
「...なるほど、素直じゃないね。だが助かるよ。」
暗に商店主に返せと言われ、苦笑いしながらエドヴァルドが銀貨を受け取る。
ドミトリーが見た限り、捕り物で泥にまみれてしまったホールチーズは衛兵隊が買い取っていた。当然ながら購入費用は衛兵隊の予算である。
衛兵隊の人数でもそう悪くない夕食代程度にはなるだろう。
「まだしばらくの間は帝都で過ごす予定ですからね。衛兵隊の皆さんには頑張ってもらわないと。」
「...。」
少し見ない間にエグい問答をするようになった親友に、ランナルは自身の職場がまだ恵まれている事を本能的に悟る。
「ランナル3等衛視。もう少し落ち着いたら休日も取れるようになるだろう。職務に励み、旧交を温められるよう励むことだ。」
「はっ!」
親子とはいえ職務中のけじめはしっかりつける二人にドミトリーは内心で安堵する。どちらかと言うと双方が距離を測りかねているようにも見えたが、それはそれである。
「衛兵隊として心苦しい限りだが、今後も気を付けて過ごしてくれ。」
「ありがとうございます。では。」
春先とは言っても帝国では十分すぎるほどに寒い。皇子達が宮殿へと帰る日没までに帰らなばならないのだ。友が元気である事を確認したドミトリーに、もはや長居をする理由は無かった。
「善き友に恵まれたな。」
「はい。」
ドミトリーが去った後、あっさりと突き返された銀貨を見ながら呟いたエドヴァルドに、ランナルは間髪入れずに答えた。
「あ、しまった。買うの肴の方だった...」
ドミトリーの帰還後に酒の肴に酒という斬新な発想を目の当たりにしたセルゲイは、己が酒にかけて来た情熱が未だに不足である事に愕然とし、深い慟哭と共に膝を突いた。
「俺のォ!愛はァ!足りていなかったッ!」
「先輩、冗談抜きで飲み過ぎは体を壊しますから程々にしてください。ヴァシリー殿下は飲まれますか?」
「いや、遠慮しとくよ。今夜は父さんたちと会食あるから。」
自弁で買ってきた舶来物のウィシュケの瓶を開けながらドミトリーが問いかけたが、酒瓶は結局セルゲイと半分ほどを空けたところで時間となり、皇子達は宮殿へと帰って行った。
「家、借りるかな...」
一人職場に寝泊まりする日々に、ドミトリーは流石に寂しさを覚え始めていた。
ご意見、ご感想等お待ちしています。




