第1話 賢しき子供 下
「ジーマ、最近何かあったのかい? 依然と雰囲気が変わったが。」
パーヴェルはこの問いを以前からしたいと思っていたが、なかなか言い出すことができなかった。
確かにドミトリーの最近の変化には違和感を感じるものの、問い詰めるようなことでもなければ矯正するほどの事とも思えなかったからである。
特に何か働きかけることをせず、このまま見守っていても大過ないのではないか。
気になる気持ちもあったが、このまま見守りたい気持ちもあった。
彼は自他ともに認める子煩悩ではあったが、子煩悩だから子育てが上手い訳では無いことを理解している。
似た様な悩みを抱えているのはよく飲みに行く同僚も同じだが、彼の同僚は殆どは普通の人間種であり、サムソノフ家は法術士では少数派の亜人種の中でもさらに一風変わった竜系の種族だった。
種族特性に由来する気質はともかく、知能は人間と指して変わらない。だからこそ何か参考にならないかそれとなく同僚たちに尋ねたが、結果として参考になる意見はなかった。
程度の違いはあれど皆似た様なものだった。
先人の決断により、竜種でありながら市井に混じり暮らしてきたが、彼自身も種族特性に起因する悩みがない訳では無い。
とりわけ、種族的に子供が授かりにくいことが最大の悩みの種だった彼にとって、息子を見守り続けることは自身の予想以上にもどかしいものだった。
同僚の投げやりな後押しを受け、少し早いと思いながらも親子二人で話をすることにしたのである。
一方のドミトリーはすぐに答えられなかった。
周囲の子供たちとの付き合いが薄めの彼でも、自分の夢が普通ではないことは薄々気づいていた。だが、今の今までそれを強く意識してこなかった彼にとって、父親からの言葉はそれらを強烈に意識するに十分すぎるものだった。
自分は何かおかしいのだろうか。
種族的なものが問題ではない。尖った耳もこめかみから生えた角も、似たものを持っている者はいた。
そう思うと自分の内面、具体的に言うと書き記してきたあの夢が、何かとても重大なものに思えてくる。
まるでどこかで自分が経験したような。あの夢はいったい何なのだろう。
「父さん、父さんは夢って見てる?」
パーヴェルは一瞬自分の人生の選択の事を言われたのかと思い、そしてすぐにそうではないだろうとかぶりを振った。
パーヴェルは正直に言うとあまり夢を見ない。
飲みすぎた夜は夢見が悪くなる気がしないでもないが。
「寝ているときの夢ならたまに見ることはある。あまり覚えていないけどな。ジーマはどんな夢を見ているんだ?」
父も夢を見ることに安堵しドミトリーは続ける。
「不思議な夢を見るんだ。見たことない人たちの世界で、偉い人になる夢。」
...これは神殿の巫女に聞いてみた方が早いかもしれない。夢見や神託の専門家に頼んでみるか。
夢が意味するものを推察するのは彼女たちの十八番だ。
部下の若い女の部下はよく占いの話をしていたのを思い出す
「見たことのない人たちの偉い人か。 ジーマは偉い人に憧れるのかい?」
出世願望ならば男は誰しも持っているものだ。パーヴェル自身にもある。
もっとも、自分の能力的にこれ以上出世することはないだろうとも思っていた。
長命な種は組織の人事を硬直させるためによほど優秀でなければ長期の奉職はできないのだ。
「ううん。 夢の中でね、頑張って偉くなって、でもお仕事辞めたら殺されちゃうんだ。」
さて、あまり夢見が良い訳ではなさそうだ。
自身が誰かに殺される夢はこんな小さなうちから見てよい者ではない。
やはり神殿に連れて行こう。詳しい者なら何かわかるかもしれない。
それにしても...殺される夢か。
「恐ろしい夢だな。そんな夢をよく見ていたら怖くて眠れなくなるんじゃないか?」
ドミトリーは普段見守るだけのことが多い父とこうして話を出来ているのが、心配してくれているのが嬉しかった。
夢の話をしても笑い飛ばしたりしないで聞いてくれるのは父親が初めてだった。
「うん。だけど、すごく楽しいこともたくさんあるんだ。おっきな船を作ったり、馬車みたいなの作ったりさ。」
ドミトリーは思ったよりも辛いとは感じていないようでパーヴェルは内心安堵したが、疑問は解消していない。むしろ想像以上に根の深いものに思える。
「では、ジーマはその夢を日記に書いているのかい?」
ドミトリーは日記に言及されたことで没収されるのではないかと身構える。
大切な宝物である。読まれるのも嫌だが書けなくなるのも嫌なのだ。
「...そうだよ。」
種族は違えど、いけませんと言われるとあれこれ屁理屈を言い始める年頃。
つい苦笑いを溢しながらパーヴェルはそう思いだす。
「取り上げたりなんかしないよ。ただ、見せてほしいんだ。ジーマの夢について何かわかるかもしれない。」
これはパーヴェルの本心である。
ドミトリーの口から告げられる内容は端的でいまいち要領を得ない。彼は直接日記を見た方が早いと判断した。
「...お母さんは内緒だよ。」
妻のマーシャはドミトリーの夢を笑い飛ばしてしまったのだろう。
身近だと気づきにくいこともある。あとで話をせねばと考えながらパーヴェルは頷いた。
ジーマが部屋から持ってきた日記は書きかけを含めて4冊あった。意外と多い。
年相応のささやかな小遣いをすべて日記につぎ込んだのだろう。
しっかり書き込んだのだろう。手帳の背はくたびれ、インクの染みだらけだった。
日記帳を開いてパーヴェルは驚いた。
日記の中身は彼のの想像を超える量の記載だった。自分の子にこれほど根気があるのにも驚いたが、それらの内容、特に夢に関するものは見たこともない文字で書かれていたからだ。
ルーンとも違うこれらの文字はいったい何なのか。
この子は夢の内容を書く際にこれらの文字を使っている。
どこでこの文字を覚えたのだろうか。
明日にでも神殿に行かねばなるまい。
確認しなければ。息子の見た夢は自分の知識では理解できない。
ドミトリーは日記を見て急に黙り込んだ父親を見てやはり見せなければよかったと後悔した。
何か悪いものを見つけたのだろうか。大切な日記を没収されるのだろうか。
父の言葉を待つ。
「ジーマ、明日神殿に行こう。父さんじゃお前の夢の事はわからない。でも、神殿にはこういうのに詳しい人がいる。 日記はこれからもつけて構わない。ただ、夢に関しては別の日記帳に着けるんだ。 いいね?」
ドミトリーは頷くしかなかった。
「日記は返すよ。 しっかり仕舞っておきなさい。 さて、よいこはそろそろ寝る時間だな。今日はもうお休み。」
時間は意外と経っていなかったが、ドミトリーには一晩中のように感じた。
ただ怒られなかったことに心の底からほっとしていた。
姉たちは既に寝入ったようだ。
神殿に行く途中でお菓子を買ってもらえるか期待しながら、ドミトリーはベッドに入った。