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元宰相の異世界物語(仮題)  作者: 徳兵衛
第1章
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第33話

 時間が...足りない!

1/17 誤字修正しました。


 いまだ雪解けの始まらない帝都の外れ、法術大学の一角にある屋外訓練場で二人の竜種の男が対峙する。

 


「本当に久しぶりだなジーマ。見ない間にまた背が伸びたか。」


「父さんこそ少し縮んだ?年甲斐もなく無理しちゃだめじゃないか。」



 感動の親子の再会だが、諸事情により両者は間合いを取り、半身になって身構えている。



「ジーマ。なぜそんなに距離を取る。お父さんは悲しいぞ。」


「子離れの時期はとうに過ぎたはずだよ、父さん。」




 雪深い演習場でじりじりと間合いを詰めながら睨み合いする親子を、オーケルマンが蜂蜜酒ミード片手に見守る。

 だが、ドワーフの彼にはどう見ても竜種の親子は果し合いをしているようにしか見えず、(実際その通りだが)来訪者の付き添いでしかない彼は誰ともなく呟いた。



「なんだ。あの二人は何をしたいんだ?」


「久し振りですもの。積もる言葉もありますから。」



 傍らに立つサムソノフ夫人の言葉にも要領を得ないオーケルマン。子供がおらず、目下娶れそうな女性の伝手が無い彼にとって、親子のやり取りは理解できない点が多々ある。

 それらを加味しても、やはり目の前の親子のやり取りは普通とは異なるものとしか思えなかった。



「そういうものなのですか?儂には解らんのですが。」



 唸り声と罵声が飛び交い、激しい親子の殴り合いが繰り広げられる中、オーケルマンは困惑しながら目の前の乱闘を見遣る。


 積もる言葉を何故拳に込めるのかが理解できない。



「昔から気になっとりましたが、随分と、こう...直接的なんですな。」


「竜種ですから。」



 何食わぬ顔で血みどろの殴り合いをする家族を見守る夫人に、種族の違いは自身が思っている以上に大きい事をオーケルマンは痛感したのだった。







 久方ぶりの親子のレクリエーションは、パーヴェルの判定勝ちという結果に終わった。


 術式の使用の制限が無ければドミトリーも勝ち目があったのだが、親子で殺しあう事になるために単純な殴り合いだったためである。例え額を切り、口角から血を垂らしてもあくまでレクリエーションである。



「腕を上げたな。だがまだまだ拳が軽い。」


「...。」



 一矢報いたものの、結局袋叩きにされて息も絶え絶えなドミトリーにパーヴェルが厳しい評価を下す。



「先生方に対しても随分な物言いをしたとのことだが、目上に対する礼を忘れた訳ではあるまい。話せ。」



 どうやらドミトリーとは別に、ゴロバノフからもパーヴェルに手紙が届いたらしく、手紙にあえて書かなかった事情を問い質される。



「わかったよ。でもここじゃあれだから中に入ろう。ついでに治癒術式掛けてもいい?」







 卒業式を5日後に控え、学内では荷造りや式典の準備が進み雑然としている。


 法術大学に通って実感したのだが、法術大学は学問の殿堂というよりは世俗的な高等教育機関である。学問を究めるよりも学生に知識を叩き込むという面が強く、究めるのはごく一部の教授とその助手たちに限られていた。ちなみに、ゴロバノフはともかく、オーケルマンは知識を叩き込む担当の教授である。


 それとなく夢見ていた学問のサロン的な要素は一切なく、蓋を開ければ生前のそれととさして変わらぬ大学生活だった事は少なからぬ落胆をドミトリーに与えるものだった。


 もっとも、ロマンより実益を重んじるドミトリーにとっては多少の落胆は全く問題ではなかった。かえって大学生活にある種のお手本があることで、右も左もわからないような状況となる心配は不要となっためである。 


 結果として自由に動き回り過ぎたことで父親の逆鱗に触れる事とはなったが、どこか俗なこの大学にドミトリーは愛着を持っていた。






 廊下のあちこちに木箱やら樽やらが無造作に置かれ、来客を迎える気が無い様にしか見えない中を面会用の部屋へと歩くサムソノフ一行とオーケルマン。

 この場からは離れているが、特に最上級生の引き払いを控えた学生寮は目を覆わんばかりの惨状であり、寮監のワシリーサの血圧を高止まりにさせている。


 ドミトリーは勿論の事、パーヴェルも慣れているのか気にした素振りは一切見せなかったが、マーシャは興味深そうにそれらに目を向け、オーケルマンが少しばかり居心地の悪そうに先導する。


 卒業式を控えた大学の例年通りの光景なのだが、知らない者が見れば大学に抱く印象を変える事は必至であるため、通常ならばこの時期の訪問は無い。



「学部長殿もお待ちです。こちらへ。」



 旧知の仲であるが故の融通以外の何物でもないが、卒業生でもあるパーヴェルの訪問をゴロバノフは受け入れていた。



「親子の親睦は確認できたようだな。何よりだ。」


「待たせたか。すまんな。」



 治癒術式を掛けたとは言え、チュニックに残る血痕と痣はゴロバノフの目にも映っている筈なのだが、全く気にするそぶりを見せない。



「君のおじいさんもそれは激しい方でな。私はサムソノフ家のそういう面は見慣れているのだ。」


「という事は父も?」



 だが、ドミトリーの質問にはパーヴェルが答えた。



「何かあるとボコボコにされたぞ。当時は当時で厳しい時代だったからな。それはさて置き、説明してもらおうか。」



 厳しいしつけは伝統らしいが、どうやらドミトリーはかなり手加減をされていたらしい。そんな内心はともかく、マーシャと共に並んでソファーに腰かけたパーヴェルに促され、ドミトリーは実習での経緯を改めて説明し始めた。






「...そうか。‟諦めなかった”彼はそう言ったのか。」



 パーヴェルはそう呟くと、それっきり瞑目し黙り込んでしまった。ゴロバノフもマーシャも何も言わずに俯く。



「そう伝えてくれと言われたよ。事情は知らないけど。」



 ドミトリーも、長くなった説明を終えてやっと一息つくことができ、応接室に何とも言えない沈黙が広がる。



「...ジーマがした事が良いか悪いかの判断はできん。だが、‟我々”が出来なかった事をしてくれたか...」



 パーヴェルの目元が赤くなり、鼻をすする音が部屋に響く。



「諦めなかったか...そうか...」


「両大陸戦役での話だよね。そう聞いたけど。」


「...そうだ。帝都の戦いも終盤の頃の話だ。」



 帝都近傍の山林に古くから暮らしていたオークの集落は、両大陸戦役最大の激戦地となった。


 戦闘に先立って避難の準備が進められてたオーク達だが、先に戦場になった西部からの難民が押し寄せたことでその進展は深刻な遅れが生じた。

 同じ亜人種の誼でパーヴェル達が用意していた避難先にも難民が溢れ、街道は糧秣を運ぶのにも難儀するほどに混雑したからである。


 遅々として進まない避難と攻め寄せる諸国軍との板挟み状態となったパーヴェル達は、オーク達の脱出までの時間を稼ぐために陽動と攪乱を繰り返したのである。


 アリスタルフの指揮の下、同胞を見捨てないという指針を守り続けた探検団だが、帝国本隊が敗走を繰り返したことでいよいよ追い詰められた時も、里には戦闘が始まるまでに逃げ切れなかったオーク達が多数残存していた。


 現在、槌聖ついせい吶喊とっかんと記録されるアリスタルフの絶望的な反撃は、オーク達や難民たちの脱出の支援という目的の元に敢行されたものである。

 探検団の事実上の壊滅と引き換えに、本隊の立て直しと難民の退避の時間を稼いだアリスタルフは諸国軍の司令部まで到達し多数の指揮官を道連れに壮絶な戦死を遂げた。

 

 戦争終結を待たずにアリスタルフは列聖され、吶喊に同道した探検団の面々も出身地に祠が作られた。醜態をさらし続けた帝国軍に対する亜人種や聖堂側の当てつけでもあったが、現在いまも彼らによって命を救われた人々、その子孫の畏敬を集めている。


 "諦めない”のやり取りは、最後のオークの一団と離脱中のパーヴェル達がアリスタルフの死を目の当たりにした際、当時若頭だった里長がパーヴェル達と交わしたやり取りに由来するものだった。

 激しい戦闘で建物は焼け、井戸には毒が投げ込まれた。家畜は悉く徴集され、男手は根こそぎ徴兵され、女子供や老人との逃避行をする中で当時の若頭がパーヴェルに言い放った一言である。


 有らん限りの理不尽と絶望を突き付けられた若頭が、それらに絶対に屈しないと宣言したのだ。



「誰もがボロボロで着の身着のままの逃避行だったが、その目に強い意思を宿していてな...」



 130年前のやり取りだが、記憶が強烈だったためかパーヴェルもすぐに思い出し、応接室は悔恨と安堵で満たされたのである。


 言った側も言われた側もよく覚えていたものだと感心するドミトリーだったが、長命種が高い記憶力を持っている事を思い出してげんなりする。


...良い事も悪い事も記憶に残り続けるのは嫌だな。


 そんなドミトリーの内心は関係なく、大人たちの会話が進む。



「...ソニヤにも伝えておかねばな。」


「そう言えば、彼女は息災ですか?」


「えぇ。すっかり元気になりましたよ。」



 ゴロバノフ学部長とソニヤ女史の関係も気になるところではあったが、ドミトリーは両親の経験した戦争の記憶をまた一つ聞くことが出来たこともあり、それに関してはそれ以上の追及はしなかった。


 だが、なぜ5日も前に帝都に来ているのか、大学側が顔を見せているのかは確認せねばならない。



「学外実習での流れは説明したし、族長からの伝言も伝えた。で、なんで5日も前に呼び出したのか聞いてもいい?」



 声色に猜疑を全力で滲ませて息子は父親に問う。



「卒業後の事だ。ジーマ、軍から招聘されとるぞ。」


「召集?兵役のために軍に入るけど?」


「いや、召集じゃない。招聘だ。軍がお前を指名しとる。半年前に家に手紙が届いた。」



 ドミトリーの顔から表情が消え、目から光が失せる。



「...は?」



 能面の如き無表情で、ドミトリーはパーヴェルを見据えた。



「大学側には一切連絡は無かった。我々も寝耳に水だった。」



 ゴロバノフが大学の関与を否定すると、ドミトリーはゆらりと立ち上がる。



「困るなぁ、父さん。もっと早くそれを教えてくれないと...。」



 外の銀世界が眩いばかりに日を照らし返し、一層強烈な光となって窓に差しこみ、微かな雪解け水の音が響く中、ドミトリーの纏う雰囲気はどす黒く染まった。


 急に変化した息子の空気にパーヴェルは気圧され、反射的にゴロバノフとオーケルマンは胃をさする。



「そういう大切な事、なんでもっと早くに言わないかなぁ...。」


「か、隠していたわけではないぞ。ただ、実習中だと聞いていて...」


「そういう気遣いは要らないんだ。...もう一戦しようか、父さん。」



 ここ最近、何かあるたびに許容範囲を超える気がするドミトリー。別に沸点やキャパシティーが減っているとは思わないのだが、将来が絡む話でこのような事をされるのはドミトリーには耐えられなかった。


 何よりも、前世を彷彿とさせる理不尽がすぐそばまで迫っている気がしてならない。ドミトリーにとって許容できない不愉快だった。







 まさにドミトリーが血圧を高めていた頃、ベックマンとランナルは卒業式終了後に大学を離れることが出来る様に荷造りに勤しんでいた。

 卒業後にだらだらと大学に留まるのは好ましくない。寮の費用は出て行くまでずっと発生し続ける上に後輩からの目線も気になるからである。


 法術大学男子学生寮では、卒業したら速やかに、可能ならばその足で立ち去るのがある種の不文律だった。


 問題はそういった爽やかさを実現するのが法術大学に入るような者にとって困難であるという事である。


 ごく一般的な帝国臣民であるランナルはともかく、裕福なベックマンはどうしても荷物が多くなっていしまい、部屋の中はうず高く積まれた旅行用トランクと衣装ケースに占領されていた。



「ベックマン、もう少し荷物減らせないのか?クソ狭いんだけど。」


「これでも大分減らしたんだ。明日にはオルストラエに送れるからそれまで我慢してよ。」



 6年も同じ部屋に住んでいるといろいろと物が集まる。配布されたり買い集めた資料や、個人実験用の器材から下らない悪戯で作った代物まで様々である。下らない物の方がなぜか手元に残るの事に頭をひねりつつ、2人はせっせと荷造りをしていた。


 思うように捗らず、前日になってもまだ終わっていない荷造りに苦戦するベックマンが、オーケルマンからの呼び出しを受けて席をはずした友人を気に掛ける。



「そう言えばドミトリーは...」



 そうベックマンが言いかけた次の瞬間、窓の向こうで赤黒い光が走り、連続した轟音と共に衝撃が宿舎を揺さぶって、部屋中に積み重ねていた荷物が音を立てて崩れ落ちた。








「ジーマ、今のは何だ。」



 かろうじて直撃を回避したパーヴェルがふら付きながら土煙の中から姿を現す。咄嗟の回避と身体強化、どちらもお座なりであれば重傷は免れない一撃だった。

 全身が煤けて髪も髭も乱れてはいたが、その目はしっかりと相手を見据える。油断すれば一撃で戦闘不能にさせる程の威力。


 だが、何よりも‟全く読めない”


 一般的な攻撃術式は投げつける、もしくは蹴り上げるなどの身体能力の延長上にその効果を発動させる。雑な例えだが、火の玉や氷の槍をを‟投げつける”のである。風ならば‟扇ぎ”、土ならば‟突き出す”

。 

 絶対に必要なわけではないが、発動させる際に立ち回りを合わせ易いためにほとんどの法術士がそうしており、予備動作と術式の発動がほぼ同じ速度なのが一般的な術式である。だが、ドミトリーはそういった常識から外れた予備動作なしでの不意打ちに近い発動させてきた。


 文字通り掌や指をこちらに向けるだけで、弓矢の比ではない速さでやたら眩い火の玉が飛んでくるのである。


 唯一救いがあるとすれば、発動時に盛大に土煙を上げるためにどこから飛んでくるのかが解り易いことだろうか。



「ただの火炎術式。ほら、次行くよ。」



 それに加え、術式の連続行使の頻度も異常だった。通常は行使するごとに術式は終了するために行使するごとに展開し直すが、爆炎の隙間から見た限り術式が終了した気配は無い。両腕と足元に構築式を幾重も浮かべ、一頻り連発した現在も構築式は浮かんだままである。

 どう考えても‟ただの”火炎術式ではないのだが、術者は現在激怒しているために尋ねるどころではない。


 パーヴェルにとって極めてまずい事に、一撃一撃が強烈な上に連発してくるために距離を詰められない。詰めてもまだ隠し玉があるかもしてないために迂闊なことも出来ない。手詰まりだった。



「お父さんはそんな風に育てた覚えぁっ!おい!待て!」



 次々迫るやたらと尾の長い火球から逃げ回り、パーヴェルは息子の相手は金輪際しないと心に誓う。


 パーヴェルは何が息子をそこまで怒らせたのかいまいち理解出来ていないが、とにかく今は逃げ回るしかない。足を止めれば理解する機会を永遠に失いかねない崖っぷちの追いかけっこである。



「ぬおおおおおああああぁぁぁ!」








「やはり厳しいようだな。」



 得意の近接戦闘を圧倒的な火力で封殺されたパーヴェルを見て、ゴロバノフが溜息をついた。


 実習でその片鱗を見せていたが、ゴロバノフにとっても威力と手数が多すぎて手の付けようがなく、元々戦闘向きではないオーケルマンは言うまでもなく対処不能。パーヴェルならばもしかしたらと思ってはいたが、結果は残念な意味で的中だった。


 元々の保有魔力が抜きんでて高い竜種だが、それに輪にかけて多い魔力量と本人才能が合わさった事で火力が常軌を逸した水準に達している。


 旧友の野太い断末魔が響く中、髪が焦げそうな熱気で演習場は黒々とした土が剥きだしになり、ドミトリーの足元に至っては湯気が立ち上っている。



「そろそろ止めねば校舎が危ない。お願いできますか?」


「えぇ...。」



 マーシャもマーシャで自分の産んだ子供の火力の高さに呆気にとられていたが、夫のもとい校舎の危機を訴えられて父子の激突を収めるべく息子に声を掛けた。



「ジーマ、そろそろお父さんが泣いちゃうからそのくらいにしてあげて?それにお昼まだでしょ?」


「...なら、話の続きは昼の後で良い?腹減ったし。」



 ごねるかと思いきやあっさりとドミトリーは矛を収め、続きは昼食後と指定するとさっさと立ち去ってしまった。

 雪が解け、泥濘と化した屋外訓練場に残されたパーヴェルは、煤けた服を叩きながら立ち上がると何も言わずにただ茫然と立ち去る息子の背中を見る。



「手も足も出なんだか...」



 風に乗って微かに聞こえたパーヴェルのつぶやきにオーケルマンが肩をすくめる。


 距離を詰める事すら叶わずに自分の子供に遠距離から完封されたパーヴェルは、思い描いていたのとまるで異なる追い抜かれ方をしたことで、身体面はともかく精神面をしたたかに打ち据えられたのだった。






 両親と別れて食堂にドミトリーが戻ると、額に大きな痣を作ったベックマンとランナルが待ち構えていた。



「ドミトリー、随分と盛り上がったみたいだね。親御さん?」


「あぁ。おかげさまで元気いっぱいだ。親父をあぶってきた。」



 文句の一つでもぶつけてやろうと思っていたベックマンは、思っていた以上にドミトリーの様子が険呑だったために手控えた。6年の付き合いでお互いが学んだことは多い。



「それより、2人ともどうしたんだ?痣だらけだけど。」


「宿舎のすぐ近くで爆発があって部屋で纏めてた荷物が荷崩れした。」



 爆発したのは無論誰のせいか解らないドミトリーではない。



「あー、すまん。親父と喧嘩しててさ。この後はもうないから心配しなくていいぞ。」



 ドミトリーの父親が‟血濡れのパボ”と恐れられる武闘派法術士であることも知らない2人ではない。ごく一般的な法術士である2人にとって、むしゃくしゃして石造4階建ての学生宿舎を揺さぶるほどの爆発をするなどもはや災害でしかない。



「腹立てたら爆発とか勘弁してよ。あと、竜種の常識とか世間で通用しないから。」


「悪いな。常識から足を踏み外している自覚は無いんだが気を付けるよ。」



 ベックマンが心底げんなりした表情でドミトリーを窘めると、まるで信用できない返答が返ってくる。



「気を付けてくれよ。誰もが竜種みたいな怪物じゃないんだ。」



 ベックマン達は勿論ドミトリーも知る由はなかったが、他の一般的な竜種にとって不幸な事にこの場に於ける竜種は、マーシャも含め揃いも揃って戦闘種族としか表現のしようのない破壊力を持っていた。

 だが、竜種が皆そうであるかと言われれば断じて否であり、サムソノフ家が戦闘力に特化しているだけに過ぎない。


 ごく一部の突出した例外も、相応の比較対象がなければ普通と扱われるのである。


 

「それはそうと、なんで親父さんが来たんだ?」



 ランナルの問いに、ドミトリーが渋面を作る。実のところ、卒業式に家族が出席する事は無い。ドミトリーはそのつもりだったし、ベックマンもランナルも家族が出席する予定は無かった。



「軍からの招聘だってさ。ベックマン、済まないが兵役後の計画は分からなくなった。」



 ドミトリーの言葉にベックマンは目を見開き、ランナルが溜息をついて気の毒そうに両者を見遣る。



「軍から...なら仕方ないね...」


「すまん。」



 ドミトリーも寝耳に水だったが、実家に戻りたくないベックマンにとってはこの上なく悪い知らせでもあった。



「招聘って言ってるけど、断ること出来ないよな。軍相手じゃ。」



 ランナルの言葉通り、招聘を断ったとしてもどの道兵役がある。断っても遅かれ早かれ軍に身を置かねばならないのである。



「軍相手じゃ逃げようがない。もっと早く知ってればなぁ...」



 知っていてもどのみち逃げ場はない事に思い当たるが、いきなり突き付けられた不本意な進路に腹が立って仕方がないドミトリーにとっては些末な事である。親友ともいえるベックマンに対する裏切りとなった事は



「本当にすまない、ベックマン。でも、いつか必ず俺たちの店を作ろう。」



 心の底から落胆する友人に、ドミトリーはただ謝り、慰めるほかなかった。







 不思議な事に、昼食を終えて両親のいる部屋に戻るとパーヴェルの身なりは元通りになっていた。どうせならもう少し強火で焼き目を付けてもよかったかと後悔しつつ席に着くと、すぐさまオーケルマンが切り出した。



「ドミトリー、悪い事は言わん。不満はあるだろうが受けるべきだ。召集ではなく招聘、待遇は確約されているのだぞ。」


「軍からの申し出よりもそれを今まで止めていた父に不満があるだけです。元より選択肢なんてありません。受けますよ。」



 当然だがドミトリーは自身に選択の余地が無い事は承知している。


 誰が手を回したのかは大体想像がつくが、元凶とは後日〝対話”するとして取りあえずは受諾するつもりだった。

 どうせならば直接自分の元に連絡が来ればまだすんなりと受け入れることが出来たのだが、正直なところこの流れではわだかまりが生じることを防ぐのは無理だった。


 パーヴェルが良かれと思ってやってくれた事も理解出来る。納得できるかは別だが。


 居心地が悪そうに正面に座る父親をじろりと見てからドミトリーは一息置いて告げた。



「どのような理由でかは知りませんが、自分が必要とされるならば自分は努力を惜しむつもりはありません。お気遣いは無用に願います。ただ...」


「ただ?」



 今まで黙っていたマーシャが聞き返す。



「自分は殺したり殺されたりするのは性に合いません。した事はありませんがしたいと思ったことは一度もありません。今回の件、自分にとっては不本意な選択事である事を覚えておいていただきたいと思います。」



 部屋にいる大人たちはそれぞれが瞑目し、ドミトリーの言葉を反芻する。



「承知した。先方にはそう伝えておく。」



 最後にゴロバノフがそう締めると、ドミトリーは立ち上がって一礼して部屋を出て行った。パーヴェルにもマーシャにも目を向けず、声もかける事も無く。



「ジーマ...」



 寂し気な母親の声が零れ、応接室には後味の悪い空気だけが部屋に残った。




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