第32話
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
「やはり血濡れ殿のご子息だったか...」
「隠すつもりはありませんでしたが、言うべき事でもなかったので。」
ドミトリーが里長に身バレしたのは撤収前夜の事だった。
ゴロバノフやオーケルマンもそうだが、オーク達にとってはパーヴェルも里を荒らしたよそ者でしかなかったため、ドミトリーは彼らの過去の話を努めて避けていた。理由や経緯はともかくパーヴェル達が彼らの里を戦場にしてしまった事実は変わらない。何が彼らの逆鱗に触れるのか見当が付かず、ドミトリーは身の上話を半ば恐れていた。
「...何を恐れているかは解るが、要らぬ心配だ。何の負い目も持つ必要はない。」
顔に刻まれた深い皴が歩んだ道のりの険しさを物語る。長命種といえども不死ではない。何もなければ長生きするだけで死ぬときはあっさり死ぬ。
年を重ね、下顎の犬歯が著しく伸びた口元を皮肉気に歪める表情は悪役にしか見えないが、その目に宿す光が経験に裏打ちされた深い洞察を見せる。
一見野趣に溢れたオークだが、下手な人間よりも遥かに豊かな情緒と共に、それらを暴走を戒めるだけの理性を持っている。森の民やら音無き狩人などおっかないあだ名を多々つけられてはいたが、実際に関わった身としてはただの村人以外の何物でもない。ごく普通の農作以外を生業とする村人であった。
「彼らが最後の戦いに赴いた日を今も覚えておる。非力な儂らは見ているしか出来なんだ。」
「はぁ...」
情けないことに、ドミトリーは自身が生まれる前に生起した戦乱をほとんど知らない。わずかな断片をかき集めても、明確な記録に触れる機会が無かったために推論で語らざるを得ず、それはドミトリーが生前から忌んでいる行為に他ならない。IFを求めて思いを馳せるならともかく、推論で歴史を語る輩をドミトリーが蛇蝎の如く嫌っているからである。
結果、要領を得ない返答になってしまう訳だが、里長は気にするでもなくどこか遠いものを見るような目でドミトリーを見るだけだった。
「父君によろしく伝えてくれ。我々は諦めなかったと。」
「諦めなかった...?わかりました。父に伝えます。」
事情の知れない伝言を託され、ドミトリーは里長の元を辞した。すでに説教箱を送り付けられる程度にはお冠の父親に、さてどう説明したものかと頭を悩ませながらではあったが、支援の形式にも一応の目途と承諾が得られたこともありドミトリーの気は幾分かは楽になっていた。
まだ生木の濃厚な香りが立ち込める小屋を出ると、小屋の入り口でライサが待っていた。
風呂に入れるようになったことで肌艶が大分回復しており、髪も輝きが戻っている。暗闇でもよく目立つために彼女は気に食わないらしいが、傍から見ている分には珍しい髪色でしかない。
いろいろと試行錯誤しているのか編み込んだり結んだりといろいろ変化があるが、もともと髪が短めのためにどうにも収まりが悪いらしい。朝晩は後ろ結びでおとなしくまとめているが、昼過ぎには編み込みや三つ編みが現れる。
最近は子供たちのおめかしの練習台になりあれこれされているためか、髪型の変化が特に著しい。
今も頭が三つ編みだらけでドレッドヘアの如き有り様である。
「晩御飯、ヘレンとエリサが頑張ってくれた。」
「それは良いな。最後の晩くらいは美味いもので〆られそうだ。」
ドミトリーはそう言うと、まともに見て噴き出さぬように駆け足で天幕へと向かった。
たき火を囲んで久しぶりの全員集合での夕餉で、ドミトリーはシカ肉のシチューに舌鼓を打つ。
風は肌寒く全員しっかりと外套を纏っているが、袖まくりをしたり前を結わえずにはだけるなどそれぞれが過ごしやすいようにしていた。
「あっという間だったな...」
「もう少し残って手伝いたかったんだけどね。」
ランナルのつぶやきにヘレンが答える。ドミトリーもそうだが、叶うならば今しばらく残留してオーク達の手助けをしたいという気持ちを誰もが抱いていた。
作業の合間にその旨を提案されることは多く本心ではドミトリーも賛同していたが、実際の問題点として長期の作業のための準備などなく、予定以上の滞在はかえってオーク達の負担となると判断し、それらの意見を却下し続けていた。
だが、進言が余りにも多かったために却下した理由を全体に説明した後、族長に呼ばれて話し合いをしていたのである。
「パン焼き釜や燻製釜も作った。現時点で出来る事はやり尽した。そう考えないとキリがないぞ?」
ドミトリーが手にしているのは焼きたての"黒パン”である。粘土を乾かす手間とは無縁な土練術式を利用し、ドミトリーとベックマンは大人数をさばけるだけの大きな焼き釜と燻製釜をこしらえていた。
素人作業のために作りが甘く、手元の黒パンはやや過剰な香ばしさを漂わせてはいたが、小麦粉のお湯割りに比べれば遥かに優れた食料である。
指揮から抜け出して何をしていたかをネストルに問われた際、ドミトリーは満面の笑みで嘘偽りなく自己申告をし、申告を受けたネストルも満面の笑みでドミトリーの不在を無かったことにした。
食の力は偉大である。
「予定通り明日の昼にはここを出立する。各自、荷造りは済ませておけよ。」
「分かってるよ。」
ランナルが名残惜しさを振り払うように答えると、ヘレンが肩をすくめる。
女子は女衆と共に子供の面倒を見たりと、オーク達とのかかわりが特に深い。髪や耳、尻尾を引っ張られたりとやんちゃ盛りな子供の相手は骨が折れたようだが、慣れない子供の面倒を見る姿は何度か見かけていた。
「皆、ちゃんと冬を越せればいいけど...」
ドミトリーは子供との接し方がわからずに微妙な距離を取っていたが、意外な事にライサは子供達の扱いが上手く、作業の傍らで子供たちに囲まれても戸惑うことなく自然に対応していた。
日頃から強さ云々でそれ以外はからっきしな上、そっけない口調とどこか冷めた目つきで回りとぎくしゃくしがちな彼女だったが、蓋を開ければ誰よりも子供の面倒を見るのが上手かった。
子供たちに囲まれて髪を弄られたり尻尾を弄られたりと好き放題されていたが、それを嫌がる様子を見せずに為すがままにさせるなど、子供に対しての寛容さは群を抜いている。
生真面目なエリサが子供たちに逃げられたリ泣かれたりと散々な目に遭う傍らで、ライサが何食わぬ顔でそつなく面倒を見る姿に思わず噴き出してエリサに愚痴られたのは良い思い出である。
実習を通して日頃関わりの薄い同期たちの様々な面が見れた事だけでも、ドミトリーにとっては極めて大きな収穫だった。
「それは里長と若頭を信じるしかない。今の俺たちに出来る限りの事はしたからな。心配なのはわかるが彼らの力を信じるのも立派な応援じゃないか?」
「うん...」
劇的な食料事情の改善が図られたとはいえ、それでも大学の食堂で供された食事とは雲泥の差がある。ささやかな会話の後、一同は言葉を交わすことなく黙々と匙を進めた。美味い飯はすべての不満を制するただ一つの解決策である。
まるでカニ鍋を囲んだかのような静寂の中、ドミトリーは何故炊事の担当を変えなかったのか今更ながらに思い当たり、本気で残念な気持ちになった最終日だった。
翌朝、天幕をたたんでベッドロールを包んでいると、ライサが話しかけて来た。
「ドミトリー、卒業したらどうするの?」
「どうもこうもないさ。兵役済ませたらオルストラエで一旗揚げようかなって考えてる。」
「反乱?」
なぜそうなるのか理解に苦しむ。ライサの思考回路が相変わらずよく理解できずに内心で頭を抱えつつ、ドミトリーはライサを窘めて誤りを訂正する。
「反乱起こしてどうすんだ。商売だよ、商売。お金を稼ぐの。」
「軍に入らないの?強いのに。」
「従軍法術士は向きじゃない。」
興味が無ければ充実した生活にはつながらない。前世で長期に渡り宰相を務められたのも、“行政”に関わる仕事が楽しかったからだった。
図らずも政治の頂点に立ってしまったが、熊崎源之丞は何処まで行っても行政側に立つことを止めなかった。宰相府に召された時点で党首の座を降りて離党までする徹底ぶりに、友人知人からはその真意を問い質され翻意を求められたものである。
結局、死ぬまで党籍に復帰することなく引退した形となったが、そのスタイルを最後まで辛い抜いたことは熊崎源之丞としての誇りだった。
高位の将官達との付き合いや自身の兵役経験上の結論として、自身の性格が鉄火場向きではないことを理解しており、その人格を引き継いでいるドミトリーもまた自身の性格が戦争向きではないと判断していたのである。
「殺すのも殺されるのも御免だ。強さ云々以前の問題だな。」
「勿体ない...」
どうせならば殺したり殺されたりよりも生かしたり生み出したりする方が良い。そう考えてしまう以上、やはり軍人向きではないという結論に変わりは無かった。
「ほら、まだなら天幕畳むの手伝うぞ。さっさと荷造りを済ませよう。」
すっかり秋模様になった空の下、人の進路になぜか興味津々な虎娘をせっついてドミトリーは帰還の荷造りに勤しんだ。
野営地の引き払いに際して、形式ばった式典は無かった。誰ともなく挨拶を交わしそれぞれが誼を深めた面々と別れの時を過ごしている。
遠目にライサが再び子供たちに囲まれている姿が見え、ヘレンとランナルがオークの若夫婦と語り合っている。ベックマンとエリサは荷造りした荷物の傍で何事かを話し、ネストル達がオークの若者たちと何やら騒いでいた。
ここにいる面々で再び彼らと出会う機会がある者がどれだけいるのか。旅という行為それ自体が命を懸けた危険なものであるこの世界で、出会いと別れはドミトリーの思っている以上に心に深く沈み込むものがある。
早めの昼食として干し肉を口に頬張り、野営地の隅で呆けていたドミトリーの元に若頭が近づいてきた。
「疲れが出ているな。流石の竜種も疲労はするか。」
「そりゃ疲れますよ。」
誇張なしにドミトリーの疲労は濃い。身体面の疲労はともかく精神面ではずっと気を張りっぱなしの上、目の前の実習以外の事柄にも気を配り続けていたことによる負担は決して軽くは無かった。
とにもかくにも準備不足が諸悪の根源と言えるが、途中から強引に方向性を変えてしまった手前、文句を零す訳にも行かずグッと堪えてきたのである。
「言い出しっぺは最後まで責任がありますから。」
「そうか...」
皆まで言わずとも若頭も察してくれるのが有難い。
ゴロバノフの召集の号令が響き、ドミトリーが立ち上がると若頭が語り掛ける。
「感謝する。君がいたから我々は里を取り戻すことができた。」
「このような中途半端な形でしかお手伝いできませんでしたが、それでも少しはあなた方の力になったならば幸いです。」
「機会があればぜひ来てくれ。歓迎する。」
その言葉にドミトリーは破顔すると、固い握手を交わしてその場を後にした。
たとえ社交辞令だったとしても、誰かから感謝されることは悪い気にはならない。生前は心の奥底でひねくれていた自覚があったが、第二の人生ではそういった歪みは鳴りを潜めて素直な受け答えが出来るようになった気がしないでもない。
強烈な生前の記憶に引きずられるかと思いきや、意外とそういったしがらみは弱いのではないだろうか、そう思えて仕方のないドミトリーだった。
お互いが名残惜しげに手を振りあい、夏の余韻と共に別れの時が訪れる。
実習の期限を迎えた実習生たちは帝都へと帰還し、オーク達は再建途上の里で冬に備えた活動を再開する。実習生とは異なり、オーク達には終わりはない。飢えを防ぎ、渇きに備え、寒さから身を守り怪我や病に怯える日々がこれからも続いてゆくのである。
「ベックマン、言っただろ?ここから先は彼ら自身で切り開くべきだ。」
「分かってるよ。でも、やっぱり気になるじゃないか。」
ここ数日の往来ですっかりと踏み固められた獣道を歩きながら、名残惜しそうに零すベックマンをドミトリーが諫める。
厳しい言い方をする内心では心配で仕方のないドミトリーだが、優しい彼の素直な発言のおかげで精神的な均衡を保っていた。
オーク達の道のりは決して平坦でも安穏なものでもない。
「卒業したらまた様子を見に来ればいいさ。兵役申請は帝都でも出来るから召集されるまでの間に顔出しは出来るからな。」
「それはそうなんだけどね。」
苦笑いをしながら頭を掻くベックマンも、理解していない訳ではない。
「そういえば、あなたたち3人は卒業後はどうするの?」
「僕もドミトリーもオルストラエに帰るよ。」
エリサの問いかけにベックマンが答える。
「あら、そうなの。残念ね。私は当面は帝都に留まるつもりよ。」
「ソルミスには帰らないのか?」
「帝都にいる姉さんの家に住み込んで薬師を目指すの。」
いつの間にか周囲が確固たる進路を決めている事実に、内心で焦りに近い感情が湧かない訳ではない。
「薬師かぁ。ま、帝都にいる時に何かあったらよろしくな。」
「任せてとは言えないけど、少しは力になれるといいわね。」
「なぁ、助けt...っつ!痛い!」
穏やかな会話の陰で、ランナルがヘレンにがっしりと腕を固められているのを一行は華麗に無視している。
あえて目を背けていたが、ヘレンのランナルを見る目にどこか偏執的なものを感じたのはドミトリーだけではなかったようで、当初は楽しく弄っていたが早々に二人の関係に関してどうこういう事は無くなっていた。
ベックマン曰く“女性とのかかわり方に関する貴重な事例”だそうで、当初は賛同者はドミトリーだけだったが、現在は実習生の皆が見解を一致させている。
要は面倒なので許嫁同士で上手くやってくれという体の良い切り捨てである。
「2人ともオルストラエで何をするの?」
「「商売。」」
法術大学で学んだ事とはまるで関係のない将来の夢にエリサが驚いて目を見開き、すぐに表情が呆れに染まる。
「...頑張ってね。」
何とも言えない微妙な雰囲気になったが、ドミトリーもベックマンも全く気にしない。作ってみたいもの、やってみたいことは山ほどある。
ちなみにランナルは兵役後は同族の多い帝都の衛兵隊に入るとのことで、許嫁もいるためにあえて強くは誘わなかった。
ドミトリーもベックマンも寿命が長いために結婚を急ぐ理由は無いが、ランナル達はそういう訳にも行かない。あえて不安定な事業に誘う事を二人とも避けた結果だった。
ドミトリーは計算尺や術式給湯器など、大学の勉強の傍らで薄れる記憶を頼りにいろいろと図を書き起こしているため、その気になればそこらの商会に持ち込めばある程度の金を入手するのは難しくないのである。
「頑張るさ。やりたいことだからな。」
枯れ枝を踏みしめながらドミトリーは力強く答え、ベックマンも深く頷いた。
「そう言えば、ライサはどうするんだ?」
ふと気になったドミトリーが前を歩くライサに問いかけると、ライサは何処かあいまいな表情で頷いて答える。
「家に帰ってからは考えてない。同族兵団に入ろうかなとは思ってるけど。」
帝国内に種族ごとに存在する同族兵団は、種族間の対立を解決するために両大陸戦役の後に帝国で発足した経緯がある。
特に頭数の不足している種族以外は基本的に編成されており、数少ない例外に竜種も含まれている。
1兵団当たり5千から8千程で、中には兵団を複数編成する種族もあるらしい。
悉く前線であてにならないために戦場で武勲を発揮することが難しいドワーフも、同族兵団を編成できない数少ない種族である。頭数ならば長耳族と並ぶが、彼らは戦わせるよりも価値のある役割を見出されていた。
「同族兵団かぁ...前線張れる種族は良いよなぁ。」
「でも、兄さんたちは腕力以外はからっきしだから。」
思う所があるのか、ライサは兄という言葉を口にすると顔をしかめた。
「食っていけるなら問題ないし、誰かを養っていけるなら万々歳だろ。」
身も蓋もないドミトリーの見解にエリサが苦笑いを浮かべ、ベックマンが声を上げて笑う。
「男から見ればそれでいいかもしれないけど、私から見たらあれはダメ。」
「ダメなのか。」
「絶対ダメ。」
ドミトリーの言葉に鼻息荒く言い返すライサに、顔も見たことの無い彼女の兄弟とはいったいどのような人物なのかと少し気になったが、あえて他人様の家庭事情に口を挟む気は無かったためにドミトリーはそれ以上深くは聞くことは避けた。
後に少しは聞いておくべきだったと後悔する事になるが、この時点で彼女やルバノフ一族との関わりが深まる事になるとは考えてもいなかったドミトリーだった。
「馬車の数が少ない。先に女子から乗り込め。男子は済まないが耐えてもらうぞ。」
森を抜け、来た時と同じ広場に出るとオーケルマンから指示が出る。
「じゃぁ、ここでお別れだな。」
「お疲れさま。また会いましょうね。」
エリサ、ライサ、ヘレンの3人と握手を交わし、ドミトリー達は彼女達を見送る。
ヘレンはともかく、エリサもライサも実習を通して大分雰囲気が変化しており、表情も柔らかさが増していた。誰かとかかわる事、誰かを支える事。全力で何かに打ち込む事。誰かと協力する事。日常とは異なる環境で考え、行動する。
実習を通してそれぞれが何かしらを学び取り、その身に刻み付ける事が出来た。
企画、引率担当者とっては不本意な展開ではあっただろうが、自分も含めてそれでも学生たちは多くを学ぶことが出来たと実感している。
「じゃぁな。体に気を付けて。」
大学に戻れば残り少ない授業以外で顔を合わせる事は無い。この場にいる同期の中には再び出会う事の無い者もいるかもしれない。
「また会いましょう。」
エリサが馬車から顔を出し、声を掛ける。
ドミトリーもベックマンも、ランナルも何も言わずに笑顔で手を振って見送る。
短い間ではあったが、良き友に巡り合うことが出来た事に感謝しつつ、ドミトリー達男子はは大ぶりの荷馬車にすし詰めとなって学校を目指す羽目になった。
卒業まであと半年の夏の終わり、ドミトリーは新たな出会いと別れ、そして自らの意思で行動することを学んだのだった。




