第28話
長くなりました。分割すればよかったかな...
「革命だよ。」
「...革...命?」
ドミトリーの告げた聞き慣れない言葉に、ネストルは本能的に自分の顔が強張るのを感じた。逆光で表情の見えないドミトリーに、底知れない不気味さを感じる。
ネストルはドミトリーとの6年間の付き合いの中で、こんな彼を見るのは初めてだった。
...こいつ、こんな雰囲気を纏うような奴だったか?
経験豊富な独立商人が持つ気迫や、実家の父親や番頭が時折見せる威圧感に近い。どちらにしても自分と同年の者が放つような空気では無かったが、何故かこの友人はそれを身に纏って目の前に立っている。
ドミトリーに気圧されたネストルだが、プレッシャーを振り払うように頭を振って問いかけた。
「公爵様を追い出しでもするのか?」
「そんな野蛮な事はしないさ。」
先ほどまでの圧迫感は何処へやら、コロッといつもの調子に戻ってドミトリーが答える。
「公爵閣下ひとりにすべてを背負わせるのはあまりに忍びないからな。彼と彼の取り巻きから実権を奪い取るだけだ。」
口で言うのは容易いが、国内屈指の大貴族相手にそれが出来るのか。ネストルは疑問に思い問いかける。
「あいつらがそう簡単に手放すのか?」
「さぁね。だが、俺が動いた時に即座に賛同してくれればそれで十分だ。」
ウラジミール達に融和的な立場だったドミトリーの変貌にネストルは困惑する。ウラジミールによって亜人種班がかなりの負担を押し付けられていたことは皆が知る所であるが、今までドミトリーはそれに対して不満を見せること無く、淡々と従っていた。
実習生同士の衝突を知り、彼が何かを決断したのだろうとネストルは察する。
「...わかった。根回しは?」
「いや、必要ない。夜を楽しみにしておいてくれ。本気出すから。」
ドミトリーはそう言うと、いつもと変わらぬ調子で鹿を背負ったまま自身の班の天幕へと歩いて行った。
茜色の空の下で残されたネストルが暫く佇んでいると、背後から彼の班のメンバーが声をかける。
「ネストル、鹿は分けてもらえたか?」
「鹿...あぁ。忘れてた。アイツ次第だと思う...多分。」
要領の得ない返答に首をかしげる友人を尻目に、ネストルは密かな高揚感を胸に抱く。学内では一度も本気を見せた事の無かったドミトリーが、今夜その本気を見せると言った。
種族は違えど気心知れた友人の本気を、同じ法術士としてその眼で見ることが出来るのだ。
「今夜、サムソノフが本気出すってさ。楽しみだな、ケリム。」
ケリムと呼ばれた青年が驚いたのかその目を見開くと、ネストルも自然と笑みが浮かんだ。
ドミトリーが鹿を背負って自身の天幕に帰還すると、ベックマンが横になり、その傍らにエリサが座り込んでいた。鼻を啜るヘレンの傍らでライサが寄り添い、焚火の傍に並んで腰かけている。
「ベックマンは大丈夫なのか?」
「怪我は大丈夫。どちらかというと他のメンバーが重症ね。」
ベックマンを侮辱したのはアルチョムだった。
彼の口にした“人もどき”という言葉が、一体誰に向かって放たれたものなのかは定かではないが、それを聞いたベックマンが激怒したのが2回戦の号砲の真相だった。
“人もどき”は亜人種に対する最大級の中傷であり、相手に嬲り殺しにされてもおかしくない言葉である。これを言われて口汚いで済ます者はいない。
ランナルが激昂し手を出したのも無理からぬものであった。
「ランナル...悪くないのに...」
...許嫁を泣かせるとは、娶る前から困った奴だ。
勿論、蓄積された不満があったからこその爆発である。お互いに精神的な余裕を欠いていたことが、今回の事態につながったのは明らかだった。
乱闘参加者は全員叱責されており、この中にはウラジミールも含まれている。部下の失言を咎められた彼が全員に対して謝罪をしたことから、とりあえずは小康状態となったに過ぎない。
だが、実習生同士の衝突という最悪の事態を誘発した事で、ウラジミール達に対して深刻な不信感が野営地に広がってしまった。
...気の毒だが、もう彼の元では纏まるまい。
「私達だって不満はあるわ。今までそれを我慢して頑張ってきたのに...」
エリサが悔しげに顔を歪める。
問題は、この騒動の主体が亜人種では無く人間種であるところにある。種族の違いが原因ならばともかく、同じ人間種同士の対立が騒動の原因であり、亜人種班は八つ当たりに反撃したに過ぎない。
実習生の中で孤立を深めたのはむしろウラジミール達の方である。現状では彼らが音頭を取っても、実習生が団結することは不可能に思えた。
「貴族様には平民の気持ちが理解できない...か。どうしようもないな。」
ドミトリーはうんざりしながら座り込み、焚火に当たりながら友の帰りを待った。
暫くして叱責から解放されたランナルは、天幕に戻って来るなりメンバーに頭を下げた。
「みんな、ごめん。どうしても抑えられなかった。」
「俺は気にしていないよ。他の皆はどうだ?」
そう言ってドミトリーは一同を見回すが、班の中にランナルを責める者はいなかった。程度の違いこそあれ、誰もが彼の怒りに理があると見ていたのである。
その様子を見て、ドミトリーはランナルに向き合うと静かに語りかけた。
「何を言われたか聞いたけど、やっぱり先に手を出したほうが悪い。どんな事を言われてもだ。」
ランナルが落ち着きを取り戻しているところを見るに、審判は公平な裁きを下したらしい。
ゴロバノフもオーケルマンも、確かな実力と経験があってもやはり亜人種である。貴族に盾突けばその職を失う事を覚悟せねばならない。まして相手は公爵。万が一報復された場合を考えれば自身の身を守る事を考えてランナルを一方的に裁いても可笑しくなかった。
...だが、それをしていない。
教授達の覚悟を見誤ったことを内心恥じながら、ドミトリーはランナルを諭す。
「止めに入ってくれた奴らに感謝しろよ?彼らも疲れている中で止めてくれたんだから。」
「あぁ。」
「その様子だと教授達は“全員を”公平に扱った。その意味は解るだろう?」
叱責をウラジミール達が屈辱と受け止めれば、教授達が報復の対象になりかねない。彼らは危険を冒して“全員”を公平に扱ったのである。ランナルはそれを理解できないほど察しの悪い男では無かった。
「俺は...報いる事はできるのか?」
俯いたランナルの声が湿る。この義理堅さがあるからこそ、ドミトリーはこの友人を捨て置くことが出来ない。そして何よりも、彼には泣きべそ顔は相応しいものでは無い。
故に、ドミトリーは断言する。
「できる。」
ランナルの眼に光が戻る。今すぐにでもやりたいとその目が訴えるが、ドミトリーはニヤリと笑って鹿を指さして告げた。
「だが、まずはこの鹿を捌いてくれ。その間に俺は今夜の仕込みをしてくる。」
「手伝わなくていいのか?」
意表を突かれたのか、ランナルがキョトンとしてベックマンを見る。
「いや、1人で十分だ。ベックマンが目を覚ましたらちゃんと一言謝っておけよ。」
「わかった。ありがとう。」
目標さえはっきりしていれば雑念を払うのは容易である。あとはドミトリーが方針を示して演出すれば良い。ここから先は元政治家の法術士であるドミトリーの得意分野である。
後は頼れる仲間たちに任せる事にして、ドミトリーは外套を手に取った。
「あぁそうだ。」
「?」
「もう許嫁を泣かすなよ。居心地が悪くなるからな。」
そう言って、ドミトリーは天幕を後にした。
夕闇に沈む野営地を遠目に見ながら、ドミトリーは懐から羊皮紙を取り出す。
構築式がびっしりと書き込まれているが、その内容は授業で習ったモノではなくドミトリーが自分で手を加えたものである。円に五芒星の基本式に条件指定を加えただけのものだが、どうしても煩雑な式になってしまうために羊皮紙一杯に書き込まれている。
木の棒に巻き付けて地面に差し込むと、発動条件が揃って構築式がぼんやりと青白い光を放つ。
実際に行使する術式の下書きに過ぎないため、この式自体はさして重要ではない。だが授業では扱われていない内容の為に、発動完了後は自動で燃え上がるように組んである。
...生前に学んだ論理学がこのような形で役立つとは。
記憶が大分薄れてきたためにあまり当てにはしていなかったが、その気になれば意外と思い出せるもので、講義では大いに助けられた。
ベン図やオイラー図を書いたとき、猛烈な懐かしさに涙が出たのは良い思い出である。
「これで最後だ。」
嗅ぎ慣れた夕餉の匂いが鼻を刺激する。手短に済ませたつもりだが、意外と時間がかかってしまったらしい。柔らかな光が野営地から伸びている。
「さて、今夜が楽しみだなぁ。」
背中に視線を注ぐ“何か”に声をかける。こちらの様子を窺っているようだが、不思議と動きは無い。
だが、準備を済ませた以上は夜間の単独行動をする理由も無くなる。夕食にあぶれないようにドミトリーは足早に陣地に戻る事にした。
「ドミトリー、鹿は捌き終わったから、ウラジミールのところに持って行ってくれないか。」
天幕に戻ると、ベックマンが鹿肉入りの小麦粉スープをかき混ぜていた。
「怪我はもう大丈夫なのか?」
「お陰様でね。心配かけてごめん。」
すっかり元気になったベックマンを見て、ドミトリーは安堵のため息をこらえられなかった。やはりいつもの不味い飯を用意する彼が一番である。
だが、同時に覗き込んだ鍋に申し訳程度の肉片が浮いているのを見て、ドミトリーは何ともさもしい気分になった。
...やはりこの量になるか。覚悟の上とは言っても残念だ。
「それはそうと、そこにある肉は?」
「ウラジミール達の分だよ。持って行ってくれないかい?僕らはあいつらに抵抗あるからさ。」
「仲間外れは良くないな。態度に出さないだけで俺だって抵抗はあるぞ。」
結局、多数決による裁定の結果、ドミトリーがウラジミールの元へと赴くこととなった。内心で民主主義の裏切りを罵りながらではあったが、最大多数の最大幸福を守らんがためである。
随員という名目でライサを道連れにした事で溜飲を下げたドミトリーの背中に、ライサが恨み言をぶつけてきた。
「私が付いて行く理由。一言で。」
「不幸のお裾分け。」
背後から繰り出されるローキックを軽やかに回避しながら、ドミトリーはウラジミールの元へ向かう。
ドミトリーは野営地の中心へと向かっているはずなのだが、どうにも中心の方が閑散としている。天幕の配置が以前と異なっており、比較的安全なはずの中心部は深刻な地価の下落に直面していた。
...これは露骨に過ぎるな。
野営地に吹き荒れた嵐は住民の心に深い爪痕を刻んだようである。
静まり返り居心地の悪さを増した野営地を歩くドミトリーの耳に、ライサ呟きが届く。
「...タマの小さい男。」
「そんな品の無い言葉、使うと貰い手が居なくなるぞ。」
二度目のローキックは回避し損ねた。
異性への期待値は往々にして高すぎるものである。良好な関係は、妥協と諦念によって結ばれる事を知るドミトリーにとって、この程度の恨み言はなんの痛痒にもならない。恨み言は。
“目的地”到着すると、ウラジミール達の“陣幕”から少し離れたところでライサを待たせる。
「夜番だから早めを希望。」
「手短に済ませてくるよ。」
陣幕をくぐると、ウラジミール達はまるで誰かの葬儀のような、沈痛な空気に包まれていた。
「夜遅くに失礼します。シカが獲れたのでお裾分けにきましたよ。」
「随分と遅いじゃないか。飯はもう終わったんだが、嫌がらせにでも来たのか?」
案の定、アルチョムが噛みついてくるが、ウラジミールが今までにない強い口調で窘めた。
「控えろ、アルチョム。これ以上恥の上塗りは許さん。」
焚火のそばに座り込むウラジミールは、出会った当初とは別人のように落ち込んでいた。
ゴロバノフの叱責が堪えたらしい。声にはいつもの覇気は無く、顔色は優れない。元々精神的な余裕を失っていた彼にとっては今回の騒動が止めになったのだろう。
窶れ果てた優男がそこには居た。
「有難く受け取るよ。だが、その様子だと君以外の亜人種班のメンバーは僕の事を見限ってしまったようだね。」
「否定はしません。あの騒動の後ではやむを得ない事かと。」
実の所、ドミトリーも見限ってはいたのだが、それを表情に出すことも無く答える。
「そうか...僕は...」
「元から条件が過酷過ぎたのです。貴方はこの場にいる皆の事を知らず、皆もあなたの事を知らなかった。」
鹿肉をウラジミールに渡しながらドミトリーは語りかける。
「誰が何をどの位出来るのか、どこまで頼りに出来るのか。あなた方は知らなかったんです。」
「...。」
「だから自分はあなたを責める気はありませんよ。」
そう言って言葉を切ると、ドミトリーは取り巻きたちに目を向けた。
慣れない野外生活で薄汚れ、度重なる襲撃で疲れ果てている。心労によって目だけが爛々と輝いている姿は、もはや敗残兵にしか見えない。
そこまで意識が向いていないのか、ドミトリーの非礼を咎めることも無く俯いている。
「では失礼します。」
重苦しい空気に包まれる中、ドミトリーは早々に退散する事にした。
「おかえり。どうだった?」
「葬式状態。気の毒だがあれはダメだな。」
今回の衝突で周囲が彼を避けた事で孤立が酷い事になってしまった。彼は纏め切る自信を失い、自信を喪失した指導者に着いて行く者は居ない。
「...飯食ったら始めるか。」
自分の非協力も原因の一つではあるが、ここまで事態を悪化させた取り巻き達ははっきり言って目に余った。状況も危険な上に、何よりも楽しくない。
...あの雛、持って帰ればよかったな。
心の安らぎが欲しいドミトリーだった。
天幕に戻って夕食を済ませると、ドミトリー達はいつも通りに見張りを交代した。連絡要員としてベックマンがネストル達の元に向かう。
月明りで周囲が良く見える中、ドミトリーは単独で周囲を警戒に立つ。どの様な魔獣が来るかはその日視台だったが、既にここに野営地があることは知られており、同時に組みしやすいと思われても仕方ない程度にはしてやられていた。
出来れば大物か、規模の大きい襲撃が来ればいいが...
「はーやくこい、こっちの見張りはあーまいぞー」
半分ふざけた替え歌だが、効果はすぐに現れた。
遠方に松明らしき火がちらちらと見える。今までは昼間だけだった小鬼たちの襲撃だが、今夜は夜間の襲撃らしい。
徐々に数を増やしながら野営地の方へと向かってきている。ドミトリーは右手を掲げて赤の信号術式を打ち上げると、照明術式を連発して周囲を真昼の様に照らし上げた。
「ドミトリー! 敵は!?」
「北西から小鬼の大規模な集団!」
食後のまどろみを台無しにする訪問者に、にわかに野営地が殺気立つ。ただでさえ内紛で空気が悪化していた実習生達は、その不満のはけ口を求めて動き出した。
野営地のあちらこちらから敵襲を知らせる声が響く。そう時間を置かずに、皆が起き出すことは明らかであった。
そんな見慣れた“いつもの”野営地の様子を見て、ドミトリーは満足気に微笑んでベックマンに告げる。
「ベックマン、予定通り始めるぞ。ネストル達にそう伝えてくれ。」
ドミトリーはそう言うと、ベックマンの返事を聞かずにゆったりとした足取りで小鬼たちの群れへと歩き始めた。
野営地の明かりを背にして、ドミトリーは小鬼達の集団に近づいてゆく。
腕まくりをしながら身体強化を掛け、肩を回してほぐす。足を止めて一息つくと、面前には夥しい数の小鬼たちが槍を構えてこちらを窺っていた。
今まで8回あった襲撃では多くても3桁に届く程度の数だったが、今回は桁が一つ増えている。どうやら今まではあくまで斥候に過ぎなかったらしい。この森のどこにそんな数を養うだけの食糧があるのか謎だったが、ここに押し寄せてきている以上の数がまだこの森に潜んでいる可能性は高い。
祖国の豊かな大地はそこに棲む者を分け隔てなく育む博愛精神そのものである。問題があるとすれば育むだけで別に慈しんでいる訳では無いところだろうか。
「女神アルストライア。見ているなら後で教えてくれ。長い者に巻かれる生き方ではダメなのか?」
鳴り物入りで現れた貴族に実習を引っ掻き回され、面と向かって好き放題言われたことは一度や二度では無い。それでも上手くいくように心を砕き、重い負担に不満を募らせる友人達を宥めて来た。
肝心の貴族たちの自爆ですべてが台無しになったが。
これで完全に自業自得なら割り切りも出来るものの、そうとも言い切れない中途半端な英明さを持っているために同情が湧いてしまう。
「惜しいんだよ。何もかもが。あと少しだけなのに、何故か届かない。」
その結果が気が滅入る夏休みである。しんどいだけで目標も無い。挙句の果てには内輪揉めである。
誰も彼もが悪ではないのなら、一体誰が原因なのか。
「気を回し過ぎだとか考え過ぎとか自分でも思うけどね。いい加減うんざりした。」
グッと手を握ると、その拳を中心に幾重もの構築式が現れる。
「...よし、行くぞ。」
敵襲の知らせを受けた時、ウラジミールは仮眠を取っていた。
今までとはベクトルの異なる疲労が、食後の彼に強烈な睡魔となって襲い掛かったためである。大貴族である彼に取っては、例え教授とは言っても平民からの叱責は未だかつて経験した事の無い屈辱であり、これまでの自分の努力が全否定されたような徒労感に包まれていたからである。
屈辱はともかく、全否定に関してはそんな事は無かったのだが、彼も彼の取り巻きも思いを巡らせる余裕を失ってしまったことで余計にドツボに嵌っていた。
1人夜番をしていたセミョーノフの元にネストルが知らせを持って来た時、平民出の生真面目なセミョーノフすらも焚火のそばで舟を漕いでいた。
「敵襲だぞ!おい、起きろ!」
怒鳴りつけて慌てて起き出した彼らの姿を見て、ネストルは遣る瀬無さに包まれるも、いつもの通りに見張り番からの報告を伝えた。
「小鬼の夜襲...わかった。此方も準備出来次第すぐに向かう。」
疲れ果てた彼らに、初日に切った啖呵を貫き通す力は完全に失われていた。
ネストルが亜人種班に合流すると、奇妙な沈黙が周囲を満たしていた。亜人種班だけでは無く、他の班の面々も黙って草原の一角に視線を注いでいる。
「ドミトリー単騎か?」
「あぁ。」
ランナルが穏やかな声色で答える。この一週間で彼の実力を良く知っている亜人種班の面々は全く動じずに佇んでいる。
ネストル達をはじめとする全員がもおぼろげながらもその実力を知っており、敵襲下であるにもかかわらず奇妙な穏やかさが漂っていた。
「術式光。始まるわ。」
エリサの言葉に一同は闇へと目を凝らし、直後に閃光と腹に響く爆音が野営地に届いた。黒煙の入り混じった火柱が天高く吹き上がる。
「うわぁ」
ネストルは改めて友人の規格外さを目の当たりし、驚きと呆れの混じった表情で見つめ続ける。
次々と閃光が走り、爆音はドロドロと連続したモノになってゆく。一撃の威力もそうだが、連射力が尋常では無い。火炎系の爆砕術式とは異なる異様な爆音と衝撃波が草原を満たす。
...それにしても、一体何の術式なんだ。
ネストルが今まで学んだ術式にはない、明らかに異様な破壊力だった。
ネストルは知る由もなかったが、その正体は15cmクラスの重榴弾砲の射撃を術式で再現した攻撃であり、生前のドミトリーが兵役中に慣れ親しんだ兵器へのリスペクトとも言えるものである。
小鬼相手は勿論、例え法術士が相手でもその火力は過剰な代物だったが、ストレスをため込んだドミトリーは演出も兼ねて全力での砲撃を行っていた。
砲兵としての経験のせいか、射撃時には爆音と衝撃波を周囲にまき散らしてしまうために周囲と連携した攻撃には使えなかったが、単騎での対多数の戦闘ならばその配慮も不要である。
唯一の欠点は一撃当たりの消費魔力が非常に多い事で、抜きん出て保有魔力の多いドミトリーでも全力砲撃は30分程度が限界である。スケールダウンした76mmクラスや57mmクラスでも魔力の使用量は高く、一体多数の強力な攻撃の必要が無ければまず使う機会のない術式だった。
前に突き出した両の掌から、爆炎と共に次々と魔力の砲弾を打ち出されてゆく。着弾の衝撃波がそこにある物を悉く吹き飛ばし、地面を抉る。
撃っても爆炎、着弾しても爆炎。
身体強化の術式を重ね掛けしてなお、肌が焼けるように熱くなる。
ドミトリーは黙々とその面前に次々と紅蓮の花を咲かせ続けた。
「あれは...サムソノフなのか...?」
「そうですよ。」
押っ取り刀で駆け付けたウラジミール達は、圧倒的な火力による殲滅戦を目の当たりにして、言葉も無く立ちすくんだ。法術を嗜む者にとって、目の前で行使される術式の威力でその力量を推察する事は容易い。
かつて、主席であると浮かれていた自分が、あくまでリップサービスに踊らされていたに過ぎないという事実を突きつけられ、ウラジミールは己の振る舞いを後悔した。
座学だけでは主席にはなれないが、実技だけでも主席にはなれない。座学に定評のあったドミトリーの術式展開を見て、主席の座が譲られたものだと、彼自身もその取り巻き達も認めざるを得なかった。アルチョムですら、自身が散々挑発し、愚弄してきた相手の実力を目の当たりにして顔色を失っている。
亜人種班は勿論、ネストル達をはじめとする周囲の者は、そんな彼らの様子を見て密かに溜飲を下げた。程度の違いこそあれ、彼に対して不満を抱いていた者にとってそれは実に痛快なものだった。
程なくしてドミトリーの放つ術式が変わり、草原が炎に包まれ始める。
火柱が伸びた先が炎に包まれ、激しく黒煙を上げて月明りを遮ってゆく。巨大な炎の壁が煌々と草原を照らし上げ、見るもの全ての顔を闇夜に浮かび上がらせた。
一人砲兵連隊と化した竜種の蹂躙は当初の予定よりも早く終わり、10分も掛からずに完了した。
それはまさに、文字通りの一方的な殲滅戦だった。
戦闘を終えて野営地に戻って来るドミトリーに亜人種班の面々が手を振ると、ドミトリーはそれに笑顔で手を振り返す。泥臭さの欠片も無い圧倒的な戦闘の立役者に歓声が上がる。
野営地から少し離れてその様子を見ていたゴロバノフは、どうしたものかと頭を抱えていた。
「オーケルマン。今の彼を止められると思うか?」
「無理ですな。」
ゴロバノフはともかく、オーケルマンは戦闘向きの法術士では無い。もし一戦交えればあの瞬間火力で完封されかねない。
その破壊力を正確に見抜いたゴロバノフは、この場にいないパーヴェルに対して内心であらん限りの罵詈雑言をぶつけていた。
「親も大概だったが、子はさらに化けたな。これは流石に手に余るぞ...」
当初から予定を悉く乱され続けて来た引率者たちは、この後に待ち受けるであろう事態を思い、深いため息をつかずにはいられなかった。
野営地全体が熱気に包まれている中、ドミトリーはウラジミール達の元へと歩を進める。
「ご苦労様。流石は竜種だな。」
「ありがとうございます。お陰様で久しぶりにスッキリしましたよ。」
周囲が遠巻きにこちらの会話を窺っている。今まで静謐を保って来た亜人種班のリーダーの動きに、全体が注目している。
先ほどまで破壊の限りを尽くしていたとは思えない穏やかさで、ドミトリーはウラジミールに語り掛ける。
「ここ2、3日は特にやきもきしていたので、良い気晴らしになりました。小鬼たちには悪いですが。」
ウラジミールが顔をわずかにこわばらせるが、ドミトリーは気にせずに続ける。
「見たところかなりお疲れのご様子でしたので、今回は僭越ながら自分一人で迎撃をさせていただきました。事後承諾となってしまい申し訳ありません。」
「いや、迅速な対処に満足しているよ。」
言葉とは裏腹にウラジミールの表情は硬い。
「そう言っていただけるとは、光栄です。」
ドミトリーはそこで言葉を切ると、俯いて愛想笑いを決してウラジミールを見た。
「前置きはこのくらいにして。もう限界ですよ。貴方も、私を含めた皆も。このままではまた乱闘が起きます。今度は殺し合いになりかねません。」
「何を言うんだ。今回明らかになった問題に対処すれば...」
予想外に物騒な発言に、ウラジミールは語尾を濁しながらも答えたが、ドミトリーは首を振ってそれを否定した。
「無理です。それでは何も解決しません。不満またすぐに高まりますよ。」
そう言ってため息をつくと、ドミトリーはウラジミールに諭すように語り掛けた。
「今日の騒動で明らかになりましたが、貴方は1人で抱え込みすぎる。此処に居る全員が抱いている不満は、あなたの指揮に対してではありません。貴方が皆を信じてくれない事に不満を抱いているんですよ。」
「...っ! ではどうすれば良かったと!?」
ウラジミールは今までの穏やかな仮面をかなぐり捨てて、ドミトリーを怒鳴りつけた。出会ってから初めてぶつけられる生の感情。ドミトリーが待ち望んでいたものである。
「簡単な事です。任せてしまえば良かったんですよ。出来る者、得意な者。それぞれ程度は違いますが法術大学に入学し、所定の成績を達成してここまで喰らい付いてきた者達ばかりです。」
そう言ってドミトリーは周囲を見回す。疲労の色は濃いが、誰も彼もが自信に満ちている。薄汚れ、傷ついていても、その誇りに陰りは無かった。
「皆の為にやってくれるかと一言添えるだけで、我々は誇りを持ってその任に当たります。もし不得手ならば自分よりも得意な者を推挙したでしょう。此処に居るのは互いに潰し合う敵では無く、切磋琢磨し合う学友です。ライバルの事を知らない訳が無いのです。」
ドミトリーは湧き上がる激情を表に出さぬように堪えながら続ける。
「慣れない環境、展開の読めない状況下で尻込みしかけた我々を、貴方が音頭を取って纏めてくれた。その恩を忘れるような輩など此処にはいません。だからこそ、悔しいんですよ。自分たちが信用されていないとしか思えないから。」
ウラジミールは俯き、握られた手が震えている。周囲からすすり泣く音が聞こえ始める。
「神様だって全知全能では無いんです。出来ない事、不得手な事があっても恥じる事なんて無いんです。本当に恥ずべきはそれを誤魔化してしまう事です。自分に嘘をつく事ですよ。」
周囲の人垣を割ってゴロバノフが現れる。彼もまた心労のせい顔色は優れない。だが、彼はドミトリーを止めることは無かった。
「自分に嘘ついて、無理して全て抱え込んで。誰もそこまでして欲しいなんて思っていません。貴方一人が抱え込むからすべての不満はあなたに、あなたの友人達に向かうんです。それは器量とかそう言う以前に、ただのお人よしですよ。」
そう言い切るとドミトリーは取り巻き達を見た。顔を真っ青にしているセミョーノフ以外はいまいち理解しきれておらず、アルチョムに至ってはドミトリーや他の亜人種班の面々を睨み付けている。
...あー、だめだ。我慢できん。
ドミトリーの頭の中で、ブツリと何かが切れた音がした。
「いったい何をしていた!友人としても、従者としても失格だぞ! 知らないならば情報を集め、知られていないならば知らしめる事で彼を支えるのがお前達の仕事じゃないのか?何よりも友が、主君が道を誤ったなら正すのがお前らの責務では無いのか!」
唐突な雷に一同がビクリと身を震わせる。
「ずっと見ていた。慣れない環境に悪戦苦闘していたのは仕方ないにしても、何時までたっても動かないお前達を見るのは歯痒かったぞ。こうでもしないと他人の言葉では届かない。だが、身内であるお前達ならばこうなる前に届けられた言葉があったはずだ!」
静かに貯め込んでいたドミトリーの怒りが炸裂する。この時点ではドミトリーは知らなかったが、ゴロバノフの説教はこれよりも遥かに穏便で言葉を選んだものだった。
歯に衣着せぬドミトリーの言葉が致死毒を纏った矢の雨の如く降り注ぎ、穿たれたセミョーノフ達を縮み上がらせる。
「挙句の果てに乱闘騒ぎ。“人擬き”だぁ?碌に役目も果たしていない輩が良く言えたもんだな!主君一人に責任おっ被せて、挙句の果てにその面に泥の重ね塗りをした貴様らは一体何だ!?」
そして、ドミトリーの怒りの矢は周囲にも降り注ぐ。
「それに、だ。どう考えても皆も遠慮しすぎだったよなぁ。確かに貴族様相手に尻込みする気持ちは良く理解できるが。だが、問題があるのにそれをしっかりと伝えなけりゃ、リーダーはどうやって正しい判断を下すんだ?」
周囲も居心地が悪そうに俯き、身じろぎする。
「逃げたよな。押し付けたよな。やっぱり面倒だもんな! だが、俺は無礼討ち覚悟で公爵様に諫言をして、貴族様に説教をしたぞ。さぁ、皆はどうする?」
だが、急にどうすると問われて簡単に答えを出せる者は居らず、それを見たドミトリーはウラジミールに向き直って告げた。
「お願いがあります。」
「...何だ?」
「自分が今後の、野営地内の戦闘以外の雑務を預かりたいと思います。今まであなたの行動を縛ってきた雑務を任せてほしいのです。」
ウラジミールはドミトリーの提案の真意が読めず、困惑した表情を浮かべている。だが、あと一押しが有れば彼も受け入れるであろうことは明らかだった。何より、喧しい外野は既に叩き潰してある。ウラジミール自身の見識ならば、ある程度の信頼が出来るとドミトリーは判断していた。
「俺は賛成だ。」
すかさずネストルが賛同する。
当初の予定通りではあったが、ネストルにとっても渡りに船の提案である。細々とした雑務さえなければウラジミールの判断力は頼りになる上、取り巻きの介入を防ぐことが出来る。
常に戦闘し続ける訳では無い以上、各班がその無造作な介入に頭を悩ませる必要は無くなるのである。
「正直、こいつと一緒に戦うのはキツイ。ペースは乱れるし誤射は怖いし。俺は公爵様の戦闘指揮の方が安心できるんだが。」
加えて、飛び抜けて高いドミトリーの継戦能力に着いて行ける者が居ないことも問題だった。そして今宵明らかとなったその破壊力。他の実習生の出番を完全に喰ってしまう事はネストル達にとってさらに大きな問題と言えた。
「皆はどうだ?俺は良案だと思うんだけど。」
ネストルに続いて集まっていた者達も次々と賛同を示し、ドミトリーの提案は周囲の賛成多数によって可決された。
多数の同意を前にしてはウラジミールもそれを認める他ない。元より他に解決策を見いだせていなかった彼は勿論、圧倒的な実力を示したドミトリーによる説教で萎縮してしまった取り巻き達も、その決定を覆すことは無かった。
貴族の専決ではなく、多数の平民たちの合意によって実習生たちの方針は決定されたのである。
...気付くかな?
熱気に包まれながら、ドミトリーは周囲を窺う。
ドミトリーの真意、絶対的な身分に対して否と宣言した事を。階級では無く、実力と専門性に重きを置いた事に気付いたのは見たところ誰もいなかった。
...いや、気付かないのならばそれでいいか。
どこかから歓声が上がり、深夜の野営地が騒々しさに満ちる。
ウラジミールも周囲を気にしていたものの、自身の努力を否定されなかったためにその表情は徐々に元の優男へと戻ってゆく。
取り巻き達は次々と主に膝を着いて詫び、主はそれを快く許してゆく。
それを目にした周囲も、彼らを咎めずに今後への期待の言葉を掛けて寝床へと戻っていった。
「大変な無礼、申し訳ありません。自分には他に考えが思い付きませんでした。」
「いや、いい。僕も手詰まりだったからね。」
「ありがとうございます。自分は見張りに戻りますのでこれにて。」
最後まで残っていたドミトリーも、泥を被せる形となってしまった取り巻き達に深く礼をすると、足早に見張り場所へと戻っていった。
「アルチョム、分かっていると思うが、もう彼に手出しする事は許されないぞ。」
「はい...。」
「お互い、耳が痛くて仕方が無いな。」
相変わらずのアルチョムに苦笑いを溢し、残されたウラジミール達も天幕へと戻って行く。
かくして学外実習は8日目にして“自主的”な組織の再編を達成し、実習生たちは再び実習の完遂を目指して活動を再開するに至ったのだった。
ご意見、ご感想等お待ちしています。




