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元宰相の異世界物語(仮題)  作者: 徳兵衛
第1章
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第27話

 ニュースを見て唖然としていました。他人事では無いですね。物騒な世の中になったものです。


11/16 誤字修正しました。

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 大学生活の最後を飾る学外実習。


 専門分野が異なる者同士が力を合わせ、試練を克服し、逆境に打ち勝つ。法術士が単なる金食い虫の学者では無く、その知識と技術を実際に行使できる存在であると証明し、一朝有事の際には祖国を守る盾として“役に立つ”法術士を世に送り出すための仕上げ作業である。


 教授達は、あの手この手で学生達の足並みを乱し、疲弊させて消耗を強いる。学生たちは精神をすり減らさせ、判断力を奪われる。


 限界状態での不屈の精神を養う事こそが、この実習の最大の目的だった。


 言うまでもなく学生たちにとっては過酷なのだが、教授達にとっては社会出て経験するであろう理不尽の体験版でしか無い。大人たちの善意に塗り固められた鞭が情け容赦なく学生たちの“甘え”を打ち据えていった。



 度重なる戦闘をくぐり抜け、昼夜問わずの厳戒態勢を維持しながら、実習は8日目の朝を迎えた。



 合計8度の大規模な小鬼の襲撃と、二日目の夜から繰り返される魔獣の襲撃によって、実習生たちの体力と気力は大きく削られている。

 当初は元気を持て余していた亜人種班の面々も、ここ2、3日は夜の見張りが終わると死んだように仮眠を取るようになっていた。体力で抜きんでている亜人種班にも徐々に回復しきれない疲労が蓄積し始めており、このままでは早晩限界が来ることは誰の目にも明らかだった。

 昨晩も狼のお化けのような巨大な魔獣を相手に予定外の大立ち回りを強いられたために、亜人種班は後方支援のベックマンを例外としても、ドミトリー以外が完全にダウンしてしまっていた。


 身体的なポテンシャルのお蔭で一見ケロリとしている様に見えるドミトリーも、周囲の疲弊した空気に引きずられる様にじわじわと疲労が溜まっている。魔力の消費量的には全く問題が無かったが、精神的な疲労の蓄積は無視できなかった。



「かなり消耗してるな。」



 すべてが死に絶えた様に静まり返る野営地を一人歩きながら、ドミトリーは独り言ちる。


 真夏とは言っても北国である帝国の朝は冷える。朝靄で周囲が霞む中、見上げれば雲一つない快晴。既に秋の気配を感じさせる空模様である。


 夏の終わりを肌で感じながら井戸に向かう。道すがらに無防備に寝顔を晒す女子生徒が目に入ると、この世界に於ける学外実習の異質さを改めて実感する。



 通常、婚前の娘の寝顔を晒すことはあり得ない。


 勿論、望んで傭兵になる女性もいるこの世界に於いて全くあり得ない訳では無いが、本人の意思なしにこういった状況になることはまず無い。このような状況下で下心のある輩が居れば、何があってもおかしくは無い。


 にも拘らず異性間のトラブルもなく雑魚寝じみた振る舞いを出来ているのには理由があった。


“18歳前後の少年少女たちが化け物が棲む森でサバイバルをする。”


 この文面を見ただけでやたら危険に感じられるのが普通だが、ここに法術と言う概念が加わるとその中の一部の危険はほぼ完全に排除される。


 勝利の女神アリギナの巫女謹製“しろがねのペンダント”。


 無節操な地母神とは対照的に、彼女の娘である女神アリギナは勝利と貞操をつかさどる。血の滾りやすい職場、特に戦場に立つ男達のお目付け役とも言える。職務上その手の信用が極めて重要な各都市の警備隊は、全員が彼女達お手製のペンダントを身に着けて職務に当たっている。

 ちなみに、女性の守護者とされる女神は3人存在する。俗に守護三女神と呼ばれる彼女達は、長女カテイアが旅と幸運、次女アリギナが勝利と貞操、末娘のモクシアが薬と家庭を司っている。


 各国の衛兵たちも愛用するこのペンダント、恐ろしい事に着用者の性欲を著しく減衰させる付呪が施されている。

 身に着ければ女は恋を忘れ、男は心を去勢されるこのペンダントの効果は絶大であり、4年次の合同授業の際に初めて登場して以来、異性との関わる場面に必ず登場しては思春期の若者たちを枯らしてゆく。


 乙女の純潔と貞操を守らんがための半ば狂気じみた付呪は、厳しい世の中を知らない若者たちに深刻な悩みを齎すほどの代物だった。



「若い男としての自信が無くなった。」


「相棒が信用できなくなりました。本当に残念な気持ちでいっぱいです。」



 身に着ける前から中身が枯れていたドミトリーには効果は皆無だったが、ベックマンやランナルはこのペンダントを身に着けると付呪が強すぎて色々とペースが乱れる程の物らしい。身近な使用者の感想には困惑と恐怖、そして自信喪失が多分に含まれていた。

 

 ここ数日は碌に風呂にも入れていないため、首に下げたペンダントも垢にまみれてくすんでしまっている。猛烈に湯船を張った風呂に入りたい衝動に駆られる。


 井戸からあふれ出す水で顔を洗い、髪を濯ぐと一層体の汚れが気になり出す。今のところノミもシラミも湧いていないが、不潔であるという事実がドミトリーを穏やかならざる気分にさせる。



「風呂が欲しい...」



 ドミトリーの切実な願望を孕んだ呟きが、誰もいない井戸端に消えていった。






 顔を洗い終えて天幕に戻ると、ベックマンが朝食の支度をしていた。


 小麦粉をお湯で溶いたものと干し肉。申し訳程度の木の実と山菜である。調味料は申し訳程度の塩のみ。見た目はともかく味が落第点のそれを準備しながら、ベックマンがドミトリーを呼び止める。



「ドミトリー、みんなを起こしてくれるかい?」


「わかったけど、食事の改善が必要だな。匂いだけでも気が滅入る。」



 心の底から嫌気のする朝食を横目で見つつ、ドミトリーが答える。



「次の補給まであと3日もあるんだ。節約しないと持たないよ。」



 作っている本人ですら食えたものでは無いと認めている一品である。これが軍の野戦食であるからなおさら質が悪い。こんな飯で戦わせるこの国に愛国心が湧くのだろうかとドミトリーは不思議でならない。


 兵役の間は食事待遇の改善を目指そうと密かに誓う。



「おい、起きろ。朝だぞ。」



 天幕を覗いて躊躇いなくベッドロールを足で揺さぶる。


 ここ最近急に雑になって来たモーニングコールで、ランナルがベッドロールから這い出してきた。



「あぁ...まだここなのか...」


「どこだと思った?」


「実家...」



 ランナルは幸せな夢もとい、叶わぬ夢を見ていたらしい。


 どう足掻いても卒業すれば兵舎行きである。現状では法術士の待遇が応集兵よりもマシであることを祈るしかないが、大国ゆえの大雑把さでは期待はできそうになかった。



「ヘレンはまだ起きてないのか?」


「今日は全滅。まだ寝てる。」



 バリバリと頭を掻きながら天幕から出ると、ランナルは特大の欠伸をしながら井戸へと歩いて行った。毛並みが乱れ、艶を失った尻尾を引きずるように歩く様は野犬にしか見えない。体力はともかく、魔力のストックに乏しいランナルにとっては、回復のままならない日々は過酷以外の何物でもなかった。


 すっかりやつれた友人を見送ると、ベックマンから空いている平鍋を受け取ると女子の天幕へ起こしに向かう。

 現在、亜人種班は野営地の外れにまとまって天幕を張っている。当初は男女別々に分かれていたのだが、ゴブリンの襲撃で野営地全体が戦場になって以降は亜人種班は男女に分かれずに野営していた。



 とびぬけて寝起きの悪いライサの天幕を素通りして比較的マシなエリサの天幕の前に立つと、ドミトリーは平鍋を棒で叩く。



「朝だぞ。起床だ起床。起きないと飯が冷めるぞ。」



 小麦粉のスープは冷めると豚の餌と名付けられる程に不味くなる。


 寝坊して朝食に間に合わないと、雄豚さんもしくは雌豚さんと日没まで呼ばれることになる。

 ライサが2度にわたって大寝坊したために定められた罰則だが、当の本人は豚扱いされてもさほど気にしておらず、むしろエリサとヘレンに効果を上げていた。



「今日の豚は誰だ?」


「...私...以外です。」



 天幕から幼子が見たら泣き出しそうな目をしたエリサが出て来た。起きたばかりらしい。ヘレンの天幕からもごそごそと音がし始めたのを確認し、ドミトリーはライサをエリサに任せる事にした。


 この長耳族の少女は気立てのよい人物なのだが、どうしようもなく目つきが悪いために取っ付きづらさが尋常では無かった。向うも向こうで慣れない異性との会話に緊張していたらしく、班の結成当初は上手くやっていけるのかとベックマンと真剣に悩んだものである。


 蓋を開ければライサよりも遥かに“普通”だったため、ドミトリー達は内心胸をなでおろしたが。


 ルバノフ家のご令嬢は寝起きが極めて麗しくなく、ランナルの許嫁曰く寝顔も寝相もいろんな意味で危険らしい。聞けばライサとヘレンは同室だそうで、6年間の学生生活では同じ女として色々と思う所があるとの事である。


 視力はドミトリーが一番だが、鼻と耳は狼種や虎種には勝てない。噂話で団結を乱すのは本意では無いためにそれ以上は聞かなかったが、遠くからライサがこちらを見ているのを遠目に気づいたドミトリーは密かに冷や汗を流す羽目になった。



「おはよう。彼女が豚になる前に起こしてくれ。」



 覚醒しきらない頭でエリサが頷くと、ドミトリーはベックマンの元へと戻る。


 寝ぼけ顔は見られて楽しいものでは無いだろうという配慮だが、ここ最近はあまり意味が無い気がしてならない。誰も彼もが疲労をため込んでギリギリでそう言った面に気が回っていなかった。



「お疲れ様。朝飯、出来たよ。」


「まだ時間かかりそうだし、先に食べようか。」



 食前の祈りの文言を軽く唱えて、ドミトリーは息を止めて一気にスープを飲み干す。不快感が五臓六腑に染み渡り、猛烈に目が覚める。すかさず干し肉に食らい付いて口直しをしながら、こちらを窺う調理担当者に出来栄えを伝えた。



「うん、今日も不味いよ。」


「知ってた。」



 今日は勿論のこと明日も不味いであろう食事に、内心挫けそうになる。早急な食事改善が無ければ士気が下がるだろうが、その改善に割く余力が無いのが悩ましい。



 困った事に、ウラジミールはそのあたりの状況を把握はしても理解ができていなかった。


 彼なりに配慮をしているのは伝わるのだが、彼の育ちはこの国の普通とはかけ離れている。彼にとっては召使いが居るのが当たり前であり、自分で何かをする事を知らずに育ってきた。学外実習を通して、彼なりに多くの事を学んでいるようだが、元々の前提が違いすぎるために徐々に周囲との距離が広がってきていた。



 非常に宜しくない傾向だったが、かといって代わりになることが出来る人物がいない。



 誰かが名乗り出れば、それが同時に彼のリーダーシップを否定することになる。同位、もしくは名のある貴族であればともかく、この場には彼と同位の貴族などいなかった。


“お前には荷が勝ちすぎる。身を弁えろ”


 平民が大貴族の嫡子相手に言外にそう告げる勇気があるはずも無く。ドミトリーも要らぬ風波を立てる気は無かったために、実習生たちは半ば惰性で彼の指示のもとに纏まっているのが現状だった。



 もっとも、度重なる小鬼や魔獣の襲撃で精神的に最も消耗していたのはウラジミールも同様であり、ねぎらいも早々にしなくなり、日を追うごとにその指示は雑になっている。リーダーである彼が一言声をかけるだけで全く変わってくるのだが、今の彼にはそこまでの配慮を示すだけの余裕は既に失われて久しい。


 意外なのが取り巻の一人であるアルチョムで、影に日向に相変わらずドミトリーに当たり散らしてはいたが、垢まみれになっても全く意に介さず、周囲と同じ粗食に堪えていた。

 セミョーノフや他の取り巻きが機嫌取りや周りの世話で目に見えて消耗してゆく傍らで、アルチョムだけはそう言った気配は殆ど見せていない。


 何よりも貴族の取り巻きにしては不自然なほどに肝が据わっており、一体何者なのかという興味が湧くものであった。



 口直しと言う名のメインディッシュである干し肉を味わいながら、ドミトリーが考えを巡らせているとランナルが戻って来た。



「飯、もらうぞ。」



 顔を洗って幾分精悍さを取り戻したランナルだが、昨晩の戦闘後にはひどく腹を立てていた。


 亜人種班は見張りは勿論、戦闘でも前衛を張れる数少ない面子であるため、その負担は日に日に重くなっていた。

 昨晩の戦闘は本来ならばドミトリー達以外が撃退する筈だったのだが、手古摺った挙句に陣地まで踏み込まれてしまったため、非番だったドミトリー達が火消しをする事になったのである。


 困った事に、ウラジミールは一切戦闘に手を貸さず傍観を決め込み、戦闘終了後に手際の悪さを逆に詰ってきたのである。これには今まで自重に自重を重ねて来た亜人種班も我慢の限界だった。


 当初、散々主席だと言っていたウラジミールが役立たずであると亜人種班の中で断じられるまでに、そう時間はかからなかった。



「しんどいな。ホントにしんどい。」



 ランナルのボヤキが飯の味か折り返しを過ぎた実習のどちらを指すのかは判然としなかったが、既に彼が限界であることは明らかである。ただのキャンプ地で周囲を警戒しながら過ごすのはもはや不可能だった。




「おはよう。」


「おはよー」


「おはようございます。」



 男衆の3人が食後のクルミをつまんでいると、身支度を整えた女子たちが戻って来る。


 かなり気を使っていても、野外生活が続いているために身なりは良くは無い。エリサはともかく、ライサやヘレンに至っては魔獣や小鬼相手に近接戦を強いられる事も多く、服の汚れが乙女の矜持を深刻に傷つけていた。


 相変わらずライサは外套マントを身に纏っていたが、裾はボロボロになり、血の痕や落としきれない泥が残ったままである。顔が見えなければ流民に見えてしまう程だが、やはり外套を脱ぐ気はないらしい。


 彼女達が痛いほどの沈黙に支配された朝食を済ませると、一同が焚火の周りに車座に座ってクルミをつまむ。

 揃いも揃って身なりも顔色も悪い集団が黙々とクルミを頬張る様はもはやカルト宗教じみていた。 



...この班も限界だな。ウラジミールには悪いがそろそろ動くか。



 陣地の防護術式の維持と修繕を担当しているベックマンに、まだ余裕が残っているうちに行動せねばならない。やつれた戦友たちを見ながら、ドミトリーは密かに覚悟を決めた。

 


「提案があるんだが、聞いてくれるか?」







 半刻後、ドミトリーとライサは森の中を歩いていた。ランナル達の消耗は激しく、森に連れて行くことはできない。消耗らしい消耗の無いドミトリーと、比較的消耗の少ないライサが仕掛けた罠を確認する事になった。



「せめてウサギぐらい掛かっていてくれないと困るなぁ。」


「小鬼に横取りされているに1リーブル。」



 大物がかかったのか、壊れてしまった罠も散見される中、淡々と仕掛けを直して設置し直す。



「ベックマンには悪いが、三食がアレじゃさすがに萎える。君だって肉汁滴る串焼きシャシリクを食べたいだろ?」


「...うん。」



 美味しいは真理。満腹はすべての悪を滅ぼす正義である。



「なぜ今まで動かなかったの?」


「公爵様の顔を立てるためだ。曲がりなりにも彼が音頭を取ってくれていたからな。」



 仕掛けた罠を確認しつつ歩きながら、ドミトリーはライサの問いに淡々と答えてゆく



「初めからちゃんと出来るか怪しかったのに?」


「そうだ。彼も、初めはちゃんと出来てただろ?」



 そう。出来ていたのである。これで初めから支離滅裂ならば早々に動いていただろうが、彼は自身が消耗するまではまともな指示とリーダーシップを発揮していた。これからという時に力尽きたのが残念でならない。

 ライサもそこは理解したのか、頷いて同意を示す。



「でも、今はもう駄目。そうでしょ?」


「駄目と言い切るのは良くないな。今だって曲がりなりにも纏めてるじゃないか。」



 足を止め、ライサに向き直ってドミトリーは言う。



「人を纏めるのは大変なんだよ。一人が状況をすべて把握して的確な指示を出し続けるのは不可能だ。だから彼がすべきだったのは周りの人の力を発揮させる事だったんだよ。自分だけで抱え込む必要なんてなかったのさ。」


「抱え込んでいたの?」



 貴族の矜持がそれを阻んだであろうことは容易に想像できる。気の毒ではあるが、恐らくは彼以外の貴族も似たり寄ったりなところがある筈とドミトリーは考えていた。

 ちなみに出会った当初、セルゲイがかなりの見栄っ張りに見えたのだが、後に元のスペックが高いだけで本人はいたって自然体だった事に気づき、ドミトリーは何とも言えない劣等感を抱かされた。

 持て余し気味な魔術の才能のよりも、どうせなら人間的な成長をしたかったと女神に愚痴ったのは良い思い出である。



「周囲に見栄を張るなら自分で抱え込むしかない。見ろ!自分はこんなに優秀なんだ!ってアピールするには自然とそうなる。」


「...何かかわいそう。」


...俺をそんな目で見るな。目が沁みる


「面と向かって憐れむなよ。男の心はそういう打たれ方に弱いんだ。」



 思わぬ言葉の短剣に心を切り裂かれつつ、ドミトリー達は森を歩く。

 獲物は掛からず、罠は悉く外れているが、一縷の希望を胸に確認を続ける。

 


「つまり、彼は上に立ち続けられる器では無い?」


「辛辣だなぁ。」



 慣れない事をいきなり要領よく出来る者はいない。何度も失敗して学ぶのだ。ウラジミールにはその機会が不足していたに過ぎない。



「さてと、これ以上はただの彼の悪口になるから止めとこうか。」


「...わかった。」



 どうにも彼女はウラジミールの事が嫌いらしい。平行線の話が嫌いなドミトリーは早々に話を終わらせる事にした。悪口が必ず自分に跳ね返ってくる事は身を以て経験済みである。愚者は経験に学ぶのだ。



 

 しばらく無言で歩くと、聞き慣れた小鬼たちの声が聞こえてくる。



 姿勢を低くして足音を消しながら進み、茂み越しに様子を窺うと、小鬼たちが吊るされた牡鹿の周りで何やら騒いでいた。


 牡鹿はドミトリー達の仕掛けた罠に掛かってぐったりとしてはいたが、まだ生きており時折身じろぎをしている。

 かなり高く吊り上がったために小鬼たちには手が届かず、木に登ろうにも幹が太くまっすぐであるために苦戦しているらしい。



「さて、獲物に盗人が手を出しているな。」


「奪還する。あれは私たちの食糧。」



 音もなく氷の矢が小鬼に降り注ぎ、竜種の青年が小鬼たちの集団に飛び込む。

魔力任せの身体強化が小鬼たちの槍を防ぎ、ドミトリーは勢いのままに周囲の小鬼たちを豪快に投げ飛ばした。

 急襲された小鬼たちは荷運び用のもっこ擬きや通じない得物を放り出して逃げだした。最後に殿になった小鬼が捨て身の攻撃を仕掛けてくるが、ライサの氷柱がその頭蓋を貫いて戦闘は終了した。



「こいつらも戦闘が手慣れてきたな。今度の襲撃は気を付けようか。」


「鹿肉!鹿!」



 戦闘の所感を伝えようとしたドミトリーをスルーして、ライサが鹿の元へと駆ける。食事に不満を覚えていた脳筋虎娘は鹿まっしぐらであった。



「先に血抜だけするぞ。解体は野営地に着いてからだ。...そんな目で見てもダメだ。みんな敵になるぞ?」



 取らわれた牡鹿に手を合わせて一礼。雷撃術式でぶら下がった鹿の意識を刈り取ると、ドミトリーはナイフでその首を斬った。


 血が首から勢いよく吹き出して周囲に濃厚な匂いが広がり、体温の低下から宿主の死を察した虫たちが慌てて逃げ出してゆく。



「あまり血の匂いが濃いと魔獣が寄ってきそう...」


「寄って来たら追い返すだけだよ。」



 血の切れたのを確認し、ドミトリーは縄から鹿を切り離した。冷たくなった鹿を背負子に結び付けると、ドミトリーはそれを背負って野営地へと歩き始めた。



「今晩はシャシリクだよね。」


「...みんなに配ったら一瞬で無くなるだろうから、鍋だな。」



 仕上がりが週末の駅前にぶちまけられるアレのような見た目になりそうだが、ただの小麦粉よりは遥かにマシであると割り切る。せめて塩と胡椒が欲しいところだが、生憎どちらもこの世界では高級品。塩はともかく胡椒は庶民の手に届くようなものでは無かった。


...アレが有れば干し肉が劇的に美味くなるんだがなぁ


 現状では叶わぬ夢を見ながら、ドミトリーはシカを背負って歩く。背負子が壊れないように足並みは穏やかだったが、晩飯の改善で心が躍り足取りは軽い。

 勿論、それはドミトリーだけでなく大型獣種であるライサや野営地で待機しているランナル達狼種も同様である。野菜よりも肉類を好むのは決して好き嫌いでは無い。種族由来の体質だった。


 満たされてもいないのに穏やかな気持ちになるドミトリーの耳に、怪訝そうなライサの声が届く。



「あれ、何?」


「あ?」



 荷物の重さで返事が雑になるドミトリーだったが、ライサは気にせずにそれを指さす。視線を向けると獣道の脇から灰色の毛玉が此方をじっと見つめていた。

 見るからにフワフワの羽毛と、つぶらと言うには目力の強い橙色の瞳。太く力強い足と鋭いくちばし。大きさは中型犬程で、鳥類の雛にしては明らかに大きい。かなりの大型種である。


...やたら大きいが...可愛いな


「フクロウ...いや、ミミズクかな?雛にしてはかなり大きいけど。」


「フクロウ...鳥なら...食べら「れません。」...はぃ。」



 予想通りの単語が出て来そうだったために遮る。この雛の前で言わせてはならない言葉である。



「悪食は腹を下すから止める。いいね?」



 余談だが、肉食性及び雑食性の鳥はその食性上感染病の危険がある。腹に変な虫を飼っている可能性があるため、変な冒険をするよりも大人しく街で鶏を買った方が安全である。



「...残念。」


「残念って...食べるも何もどう見ても雛じゃないか。近くに親鳥が...あー...」



 ドミトリー達の立つ獣道の少し先に、おびただしい量の羽が散らばっていた。どうやら狐か何かに襲われたらしい。

 親がこの雛を守ろうとしたのか、それとも雛が親を追ってその最期の場に居合わせてしまったのか。どちらにしても放置するのが忍びない。

 散々小鬼や魔獣を殺しまわっておきながら言える事では無いが、ドミトリーはこの雛を放置すると何かを踏み越えてしまう気がした。



「保護してやりたいが、そんな余裕も知識も無いからな...」



 ため息をついて背負子ごと鹿を下ろす。


 脅かさないようにそっと近づくが、逃げるそぶりは見せない。試しに触ってみたが、触られている間もじっとドミトリーの目を見たまま視線を逸らさなかった。


...怪我をしている訳では無いみたいだな。


 傷つけないように右腕を足に廻し、左手で雛を抱える。そのまま身体強化を掛けて近場の木の幹を一気に駆け上ると、その枝の上にそっと雛を放した。


 放された雛はやはりじっとこちらを見たまま目を離さない。いらぬ庇護欲を掻きたてられる前にドミトリーは退散する事にした。野生に干渉することは好ましくない。



「強く生きるんだぞ。」



 そう言って頭をひと撫ですると、ドミトリーは逃げるように枝から飛び降りた。



「ごめん、待たせた。」



 背負子を背負い直して服に着いた葉を掃うと、ドミトリーはライサに詫びる。



「あの雛、気に入ったの?」



 この虎娘は人の表情をよく読みとる。人物眼と言うべきか、見る目が確かだった。



「使い魔にしたいくらいにはね。でも、今は養ってやれないからな。今回は仕方ない。」



 日が傾いて森が薄暗くなってゆく中、ドミトリーとライサは野営地に向けて再び歩き始めた。








 西日と鹿を背負ってドミトリーが野営地に帰還すると、出発時には無かった険悪な緊張感で満ちていた。すれ違った面々はドミトリーが背負う鹿に驚き喜んだが、何があったかを問われると顔を背けたり黙り込んでしまう。


 

「ネストル、何があったんだ?」


「ケンカだよ。法術工学科の連中と公爵様がやり合ってね。あれよあれよという間に大騒ぎさ。」



 切っ掛けは野営地の警戒態勢に関する打ち合わせだった。


 打ち合わせの場で、度重なる襲撃で業を煮やしていたウラジミールが結界術式の更なる強化を求めると、今までの術式の維持で既に回復薬を使い果たすほどに消耗しきっていた法術工学科の面々が反発した。口論を聞きつけ、同様に消耗し不満を抱いていた回復術式科の面々が参戦して大喧嘩になったのである。教授達の介入で一度は沈静化したものの、衝突を止めに入って怪我をしたベックマンにウラジミールの取り巻きの一人が暴言を吐いてランナルが激昂。教授達を巻き添えにした第2ラウンドが先ほど終わったところらしい。


 ネストルも乱闘に巻き込まれ、目の上に大きな痣を作っていた。



「...遅かったか。すまない。」


「ドミトリーは悪くないさ。でも、もう駄目だな。アイツの下ではやっていけないって皆が言ってる。」



 フクロウとのふれあいタイムの裏で、事態は思いの外一気に悪化していた。曲がりなりにもここまで纏っていた実習生は、ここに来て一気に結束が乱れてしまった。



「この様子じゃあこれを持っていくだけで3回戦が始まりそうだな。ランナルは?」


「公爵の取り巻き達と一緒に説教中。アイツ、捌くの上手いから俺からも頼みたいんだけどな...」


「ヘレンの様子を見てくる。また後で。」



 ネストルの言葉を聞いたライサはそう言って天幕へと走っていった。その後姿を見送ると、ドミトリーはネストルに問いかけた。



「その傷は2回戦目の?」


「1回戦だ。久しぶりに脳味噌が揺れたな。あののっぽ、良い腕してるよ。」



 限界状態が遂にその牙を剥き、学生たちを引き裂きつつある。



「...ネストル、今夜が正念場だ。力を貸してくれるか?」


「何をするんだ?」



 逆光で目を細めるながら問うネストルに、西日を背負ったドミトリーがニヤリと嗤って告げる。



「革命だよ。」




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