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元宰相の異世界物語(仮題)  作者: 徳兵衛
第1章
38/65

第26話

 ペースをあげれば雑になり、逆に下げれば進まない。限られた能力では色々と無理が出ますね。困ったな。


11/13誤字修正しました。

「ゆうべはおたのしみでしたかー?」


「おたしみどころではありませんでしたー...」


「あまり楽しまれちゃ困る。そう言う噂はすぐ広がるからな。実習が終わるまで我慢してくれ。」



 一夜明けると、目に見えてランナルが萎れていた。どうやら深夜に異性から受けたアプローチがよほど堪えたらしい。


 口では厳しい事を言っているドミトリーだが、正直なところ夜這い程度はかけてしまっても構わないと思っていた。ダメとわかっていて手を出してしまうのは人のさが。それを乗り切って一人前であるとは生前に世話になった先輩の遺訓である。自身は遂に真似できなかったが、ランナルがそれに挑む根性と能力を持っているならば、応援するのはやぶさかでは無かった。もっとも、その可能性は限りなく低い様子だったが。




 周囲を見ると、不安な一夜を過ごした実習生たちが寝不足の眼を擦る姿が目に入る。薪を集めたり、薬を煎じたり、それぞれが必要だと思う事をしながら過ごしていた。


 夜の間に野営地には結界術式がいくつか張られ、周囲には申し訳程度の濠が掘られている。男女ごとに寝床は別れ、その間には双方の視線を塞ぐためのこれまた申し訳程度の仕切りが木の枝で設けられていた。


 小鬼の数がどれほどのものか判然としないため、とりあえずは距離を詰められる前に追い払う事を目的としているらしい。その効果の程は襲撃を受ければ吹けば飛ぶ程度であろう事は想像に難くない。夜の間に急いで仕立てたため、陣地と言うにはあまりにお粗末な代物だった。

 かつて、重砲兵として兵役を過ごした経験から言えば、出来上がった陣地は気休め以外の何物でもない。



「あとどのくらい掘りそうだ?」


「もう少しだね。水気が増えて来た。」



 そして今、亜人種班が何をしているかと言うと、全員で井戸を掘っていた。



 事の発端は、ドミトリーが顔を洗いに近くの小川に行った際に見つけたモノだった。


 蠅がたかり臭気を放つそれを見つけた時、ドミトリーは物心ついたときから続けてきた習慣を途絶えさせてしまった。強いて言うならば出来なくなった。


...誰かは知らんが許さぬ、認めぬ、捨て置けぬ。絶対に!


 それは、転生して初めて抱いた怒りの感情だった。




 ドミトリーは潔癖症では無いが、防ぐことの出来る不快の原因は排除しなければならない。


 精神的に安心できる水を手に入れるため、ドミトリーは一同を招集すると思いの丈を語った。民主主義において、絶対多数とは全体の過半数以上を指す。嫁入り前の生娘たちの感性はドミトリーの意図するところを速やかに理解し、彼女たちと同時に男子の賛同を得たことでドミトリーの提案は全員の意見の一致を見た。数は偉大である。


 その後、土の中で本気が出る友人を先頭に野営地近くの集落跡を探し回った一行は、崩れた井戸の遺構を発見したのである。それから現在に至るまで、全員が交代で木製の円匙シャベルで井戸を掘り直していた。誰だって綺麗な水が飲みたい。幸いな事にベックマンの見立てでは水脈が近いらしく、ならばという事で、魔力を節約するため術式に頼らずに手掘りとなったのである。もっぱらドミトリーとランナルが穴掘りをする事になったが、ランナルはともかく、ドミトリーは何が何でも清浄な水が欲しかった。

 時折手を止めて周囲への警戒を挟みながら井戸掘りに邁進するドミトリー達を、周囲の者達も特に咎めることも無く、むしろ興味津々に眺めていた。



「来たぞ!水だ!」



 深さ3メートル程の井戸の底からベックマンが叫ぶ。覗き込んでいた面々からも歓声が上がった。


 すかさずエリサが飛び込んで水の精霊と使役契約を結ぶ。ドミトリーには見えないが、ベックマンとエリサには見えるらしい。この野生の浄水器と使役契約を結ぶ事で契約者が一定量の魔力を分け与えるのと引き換えに穢れ無き水が約束されるらしい。見えないので何とも言えないが。

 ありとあらゆる所に存在する精霊だが、使役契約を結べる人材が少ないために社会が活用している訳では無いのが惜しまれる。


 

「精霊って便利だよなぁ。本当、痒い所に手が届く。」


「別に契約しなくても井戸水ならそこまで心配する事無いと思うけど。」



 ランナルの言う通り、契約をしなくても井戸水は飲用に耐えられる質を持っている。だが、万が一汚染されていた場合を考えれば契約をした方が安心できた。この場で生活するという事は当然廃棄物も発生するという事である。し尿処理は文化のいしずえである以上、ドミトリーはそれを放置する気はなかった。



「気分の問題だけじゃないぞ。こういうのはきちんとしとかないと、後で大変な目に遭うんだ。」



 異なる世界の話ではあるが、この世界でも十分に通用するノウハウである。だが、それらに意識を向けられるほどに豊かな社会ではないのが残念で仕方がないと思うドミトリーだった。







「閣下、サムソノフ達が野営地のすぐ外で何かをしているようですが。」


「何かとは?」



 ウラジミールたちがドミトリー達の行動に気づいたのは井戸に続いてトイレの設営を終え、土壁で出来た天井に草を編んだ屋根を載せているときだった。


 精霊との契約は非常にうまくいったのだが、どこか加減を誤ったのか井戸から水が溢れ出る事態となった。井戸から湧き出す自重を知らない水流を見たドミトリーはこれ幸いと水洗便所を作り始めたのである。

 

 オルストラエもそうだったが、公衆トイレという設備はこの世界には無い。帝都には古代に建設された下水道があるらしいが、現在は流民たちの巣窟になっていた。当然、整備も滞ったまま放置されている。

 街を歩けば頭上注意という不衛生極まりないこの世界。ドミトリーはそう言うモノだと今まで耐えてきたわけだが、術式を学び何とかする術を身に着けた現在、我慢する理由は無かった。


 ドミトリーによる久方ぶりの熱意溢れる工作は、術式を惜しみなく使ったことで意図したとおりの出来栄えになっていた。



「湧き水とその下流側に小さな小屋が5棟。今は湧き水から近くの川に水路を引いています。」


「なんだそれは。」



 あまり勝手な事をされては困るため、ドミトリー達に文句を言いに行こうとしたウラジミールだったが、突如森から轟いた爆発音と接敵を示す赤の信号術式が打ちあがった事でそれどころでは無くなってしまった。


 

「うろたえるな!」



 例え念入りに打ち合わせたとは言っても、想像と現実では認識に大きな隔たりが生じる。荒事とは無縁の人生を送って来た者達にとって、この実習は未知に等しい体験なのだ。


 

「出払ったすべての班を呼び戻せ!セミョーノフ、接敵したのは誰の班だ!」



 





 突如響き渡った爆発音で、ドミトリー達は弾かれるように音のした方角へ顔を向けた。


 音は陣地からそう遠くない場所からのものであり、悠長に構えていれば最悪の場合孤立しかねない。接敵の信号術式は視角が悪く確認が出来なかったが、全員が身体強化の術式を掛けると野営地へと駆けだす。例え誤報でも確認せねば安心はできなかった。



「何があった!」



 野営地で見張りに立っていた同期に尋ねても要領を得ない。大きな音がして救援要請の信号術式上がったと聞いたドミトリーは、ウラジミールに確認しようと彼の天幕に向かおうとした。

 だが、再び爆発音が轟いて森から転がるように飛び出してきた同期達が、何が起きたのかを実習生たちに付き付けた。


 彼らを追って森から大量の小鬼が飛び出して来たのである。



「ドミトリー!」



 ランナルが手に構築式を浮かべながら叫ぶ。突然の接敵に浮足立つ野営地。


 逃げてくる同期の救援のため、ベックマンを除く5人が野営地を飛び出す。ベックマンはウラジミールたちと連絡を取るために野営地の中心部へと掛けて行く。彼の術式は戦闘向きでは無い。要らぬ危険を避けるためである。


 想像以上の数に



「牽制するぞ!デカいのをぶち込め!火炎!」



 ドミトリーの指示で、全員が一斉に術式を叩きこむ。白昼に火の玉が尾を引きながら戦友の背後に迫る小鬼たちの足元に落着した。

 詠唱省略のこけおどしに過ぎないが、小鬼たちの体躯では爆風に抗しきれずに吹き飛ばされる。


 背後で爆炎と吹き飛ばされる小鬼をバックに、ドミトリー達の前にさながら特撮映画のワンシーンのような光景が現れる。

 衝撃波によろめきながらも同期の実習生たちは全力でこちらに走って来た。



「脱落者は!?」



 次の牽制の為に構築式を手に浮かべながら大声でドミトリーが呼びかけると、向こうから怒鳴り声が帰って来た。



「いない!全員無事だ!」



 小鬼たちは突然の爆発に混乱して足並みを乱したようだった。現在は体勢を整えるているらしく茂みの向こうで槍の穂先がちらちらと行き交っている。草が邪魔で目視では判然としないが、地鳴りめいた足音が纏まりつつある。

 脱出してきた一行は息を乱し、泥と枝葉にまみれてはいたが、いずれも大きな怪我も見られない。何とか間に合ったらしい。



「助かった!数が多くて対処しきれなかった。」


「先に野営地へ戻ってくれ。オルロフ公に報告を頼む!」



 彼らは軽く頷くと、そのまま野営地へと駆けていった。



「ドミトリー、どうする。」


「立ち直られる前に叩き出す。今度は詠唱付きだ。その後に俺が打ち込む。タイミングは任せるぞ。」



 ランナルたちが頷き、それぞれが詠唱を始める。青白い構築式が肌に浮かび上がり、周囲が濃厚な魔力に包まれてゆく。



「「...穿うがち焦がすは怒りの火!」」


「...遍く掃え、薙ぎの風っ!」


「...冷槍冥府に刺し通る!」



 それぞれが利き手を大きく振りかぶりながら詠唱を終えると、光り輝く構築式が浮かびあがる。詠唱を終えて一拍の後、強烈な光を放つそれを渾身の力で振り下ろし、いだ。

 ランナルとヘレンの火炎術式、ライサの氷結術式、そしてエリサの風旋術式が小鬼たちでざわつく茂みに降り注ぐ様を眺めて、ドミトリーも追い討ちの一撃を放つために一歩前に踏み出し、半身に構える。


 必要なモノだと理解しても、この6年の間どれほど唱えてきても、ドミトリーは詠唱を激しく忌んでいる。理由は一つ、恥ずかしいからである。

 詠唱が術式の型を整える事を学んでも、安定したイメージを結び付けてくれても、術式の確実な発動が保証されても、ドミトリーは絶対に詠唱しないと心に誓っていた。無論、恥ずかしいからである。


 再び爆炎が上がり、焼かれ、氷の槍に貫かれ吹き飛ばされる小鬼たち。単なる野獣とは違う、意志をにじませるしわがれた叫び声がドミトリー達の鼓膜を震わせる。


...悪く思わないでくれ。こっちも命懸けなんだ。


 内心で小鬼たちに詫びながらドミトリーが叫ぶ。



「耳を塞いで口開けろ!」



 ランナルが直ぐに耳を塞ぎ、戸惑いながらライサ達も耳を塞ぐ。ドミトリーは半身のまま右手を脇を締めるように引き寄せ、その掌を正面に勢いよく正面に突き出した。


 ドミトリーのてのひらが一瞬閃光に包まれ、ほぼ同時に轟音と爆風が手から発されて一同の肌を震わせる。放たれた光の玉が異様な速さで茂みに吸い込まれると、ランナル達が打ち込んだものとは比較にならないほど巨大な土煙が上がり、腹に響く爆音が僅かに遅れて轟く。


 衝撃波でドミトリーの周囲から土ぼこりが舞いあがった。


 

「なに...今の...」



 呆気にとられたヘレンの声が、静けさに包まれた草原に響く。



「あいつのとっておきだ。言っとくけど、魔力を馬鹿食いするし威力は真似できないぞ。」



 既に見慣れたランナルが何ともない様子で告げた言葉に、ドミトリーを除く一同は言葉もなく土煙の上がる草むらを見つめるのみ。文字通りの瞬殺であった。





「君たちで片づけたのか。」



 ウラジミール達が駆け付けた時、既に小鬼たちは森へと逃げ帰っていた。逃げ帰って来た者達からの話を聞いているうちに戦闘は終わってしまったのである。


 現在、亜人種達が佇む着弾痕にはすり鉢状の窪地クレーターが現れ、小鬼たちの躯が周囲に散乱している。術式耐性をものともしない徹底的な破壊の痕跡に言葉に詰まるウラジミールだが、亡骸を焼くドミトリー達に問いかけた。



「襲撃の規模は?」


「目算で小鬼が50体以上。イノシシに騎乗した個体も居た様です。」


 見れば大きなイノシシの焼死体が転がっている。粗末な鞍がその背に乗せられ、騎乗していたことが判る。授業では勿論、今まで見た事も聞いたことも無いこれは小鬼騎兵とでも呼ぶべきだろうか。

 ウラジミールは淡々と言葉を返すドミトリーに気圧されるも、それを顔に出さずにやり取りを続ける。



「さっきの爆発は?」


「自分の術式です。魔力をかなり食いますが。」



 クレーターの縁に立って、集められた遺体を焼きながらドミトリーが答えた。幸運な事にウラジミールもそれ以上は深く問わず、ドミトリー達が現在している事に質問が移る。



「なぜ死体を焼く。」


「疫病と魔獣の誘引を防ぐためです。距離があってもこちらは風上。放置すれば野営地が悪臭に包まれます。」


「そうか。ならば僕たちも手伝おう。」



 ウラジミール達と死体を集めて焼くと黄ばんだ煙が立ち上る。取り巻き達は風向きが変わって煙に巻かれる度に避けていたが、意外な事にアルチョムは文句も言わずに黙々と参加していた。


 鼻を衝く悪臭だが、放置出来るものでは無い。ドミトリー達もウラジミール達も無言で燃える死体の山を見つめ続ける。



「彼らから大体の話は聞いたよ。クルミ集めの最中での偶発的な遭遇だったそうだ。彼らが擦り傷と打ち身だけで済んだのは僥倖だった。少し歩けば小鬼が50体では数が多すぎる。」


「夜間にはそれ以外の魔獣も出るはずです。いつ、どちらを向いても敵だらけですよ、ここは。今回が呼び水にならなければよいのですが。」



 セミョーノフ達が時折火炎術式を掛けて火の勢いを支えている。ランナル達は周辺から小鬼たちが見につけていた装備を集めて火にくべていた。



「楽しくないな。それは。」



 ウラジミールはこの先に起こるであろう襲撃を想像し、眉を顰めた。









「今頃はジーマも学外実習の最中か。」



 遠く離れてオルストラエのサムソノフ家。家長が落ち着かない様子で食後の茶を口に運んでいた。



「お父さん、ジーマが心配なの?」


「それはそうだ。お前達の時も心配だったし、今も心配だ。」



 レーマの問いに答える表情は渋い。


 パーヴェルはゴロバノフから今年の実習の場所を手紙で知らされ、思わず心臓を鷲掴みにされたような気分になった。忘れる事の出来ない苦い後悔の記憶が呼び覚まされる。



「今年の実習場所は、かつて激しい戦場になった場所だ。父さんたちが一緒に戦った最後の場所でもある。」


「お祖父さんやアリスタルフさん達の?」



 パーヴェルに強烈なトラウマを刻み込んだ最後の戦い。120年前に起きた両大陸戦役の事実上の決戦である。戦後、何度か訪れようとしたパーヴェルだったが、その都度足が震えるなどの精神的な後遺症が現れて森に入ることが出来ず、必死にこらえながら森の外れに移転したオークの集落に建てられた慰霊碑に花を捧げる事が精一杯だった。


 そして、子供を授かってからは一度も訪れてはいない。



「そうだ。昔は森では無く林程度だったし、周囲には畑も広がって長閑な場所だったのだがな。今では誰も寄り付かない土地だそうだ。」


「そう言えば、アリスタルフさんって神殿のソニヤさんの恋人だったんだよね。」


「レーマ、お母さんとお話ししましょうか。」



 自覚のないまま地雷を踏んだレーマが連行されるのを見送りつつ、パーヴェルは遠くはなれた息子に思いを馳せる。


 今でもあの時のやり取りを思い出すと動悸が早くなり、手が震える。


 子宝に恵まれてからは回数こそ減ったが、今も当時の事を夢に見てうなされる事はある。激しい後悔の念は今もパーヴェルの心を深く蝕んでいた。



「それにしても、あれは一体これから何を目指すのだろうか...お前達は聞いたのだろう?」



 息子が探検団の再建を目指している事をパーヴェルはまだ知らなかった。



「それは自分で聞くべきだと思う。ジーマも直接伝えたいって言っていたし。」



 愛娘が最近冷たくあしらうため、パーヴェルは密かに切なさを募らせている。そう言う時期なのだと理解していても、娘たちが6年の間に随分と擦れてしまったように思えてならない。

 息子に手紙で問うても直接会って話すの一点張りである。そう遠くない先ではあるが気になる事は気になるため、パーヴェルのストレスは連日ストップ高である。

 寿命はまだまだ先であるにもかかわらず、髪の毛が気になる今日この頃。誰が見ても幸せに満ちているパーヴェルだったが、その幸せを守るために不幸を背負う背中には癒えない疲労が滲んでいた。


 家長の受難が終わる日はまだ遠い。







 小鬼の洗礼を受けた実習生の様子を木の上から眺めながら、ゴロバノフは傍らに立つオーケルマンとパイプを燻らせていた。



「やはり動きは鈍いですな。サムソノフ達が唯一考えた動きをしている様子ですが。」


「いや、あれはそこまで考えての事ではないだろう。便所まで作ったのは予想外だったが、彼らもピクニック気分だな。」



 パイプの中身はタバコ葉では無く、自前で用意した薬草を煎じたものである。身体強化が使える者にはタバコは注射器の役割を担う。嗜好品では無く医薬品扱いのこの世界のタバコ、市販などされていないために手間がかかり高価なため、吸うものはごく少数だった。

 痛み止めと魔力回復強化の煎じ薬は塗れば激痛が走り、口にすると渋さのあまり涙が出るが、パイプにすれば体に煙が染みつく程度で済む。嵩張かさばる薬瓶を持ち歩くことが出来ない現状では最善の選択だった。

 もっとも、日常的喫煙者である2人がどの様に言い訳をしても、好きだから吸っているという事実に変わりはないが。



「ピクニックでは井戸は掘りますまい。種族の得意分野をよく理解していると思いますがね。」


「否定はしないよ。それにしても、非常識な威力の術式にあの着想。パーヴェルはとんでもない子供を授かったものだ。」


「オルロフ公のご子息とも上手くやっておりますからな。有難いことです。」



 オルロフの名前が出てゴロバノフは般若のような顔になるが、オーケルマンは気にせずに続ける。

 


「基本的に彼の顔を立ててくれていますからな。思う所はあるでしょうが表情に出さずに良くやってくれていますよ。」



 般若が諦観の色に染まり、元の紳士の表情に戻る。あのベズボロドフが防ぐことが出来なかった介入である。脳裏に春先のやり取りが浮かぶ。



「と言う訳で、捻じ込んでくれ。」


「無茶です。そう言う事が出来る程甘い課題ではありません。」


「だが、追い返すわけにもいかん。免除では外聞が悪いそうでな。」


「...」



 当初は、在籍するだけの幽霊学生の筈だった。


 ゴロバノフはそう言う前提で今まで扱ってきており、他の教授達も同様だった。癖のあるほこりたかい教授達がそう言うズルを許容してきたのは、“在籍だけ”だったからである。



「人を相手にしないだけであれは実戦です。にわか法術士では命の保証などできません。戦場に適応できる法術士を求めたのは陛下のご意思。都合の良い解釈で捻じ曲げてはその意味が失われるではありませんか!」


「...全て承知の上だ。頼むよ。」



 結局、ゴロバノフは“最低限の自衛手段を用意する”という条件を付けた上で承諾した。だが、公爵はゴロバノフの予想の斜め上を行く自衛手段を息子に授けて来ために、余計な面倒に見舞われることになった。



「なぜ認めたのです!偉大な先達と共に我々が守って来た伝統はその程度のモノなのですか!」


「あのような外法は術式とは認めん!絶対にだ!」


「あれを術式と呼ばれては、我々は職を辞さねばなりせんな。」



 自衛手段を用意することを条件にした以上、断ることはできない。

 

 あからさまな優遇と到底看過できない外法を持ち込まれた教授達からの猛烈な非難を抑え、ウラジミールの参加の準備を整えたのは他ならぬゴロバノフである。他学部の学部長たちからも同情と援護を受けつつ、彼は煮え滾る怒りを必死に堪えてこの実習に臨んでいる。懐に辞表を忍ばせて。



「...そうだな。彼らには悪いが、耐えてもらうほかあるまい。いざとなれば私と総長が責任を取るだけの事だ。貴様も他人事ではないぞ?」


「無論。覚悟の上でで引率に参加しとりますからな。」



 務めて明るい笑い声でひとしきり笑ってから、オーケルマンが答える。 


 今まで参加してきた教授たちの多くは巻き添えを恐れて参加を躊躇った。むしろゴロバノフは参加し無いように仕向けたのだが、オーケルマンは1人空気を読まずに志願してきたのである。


 オーケルマンにしても職を失う事に抵抗が無い訳では無かったが、自身の矜持を投げ捨ててでも今の職にしがみつきたいとは考えていなかった。そもそも棚ぼた式に得た職である。愛着こそあれ、執着と言えるほどのものは抱いてはいない。免職されたら工房でも作ろうと密かに画策していたが、現在は自分の職責を果たすことを最優先にしていた。

 職を問わずに出来る事に全力投球で臨むのは、彼が今も昔も変わらず通しているポリシーなのだ。



「泣いても笑ってもあと13日。今年も無事に終われるように見守りましょう。」



 オーケルマンが穏やかに告げた言葉に、ゴロバノフは無言で頷き返した。



 現状では戦記とするのは違うなと思う今日この頃。ファンタジーに一時移動すべきか...



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