第25話
内容を詰め込み過ぎたかもしれない...
ベックマンたちと別れてドミトリーが訪れた時、ウラジミールは干し肉を齧りながら携帯用の机に乗せられた地図らしき絵に目を通していた。
「帰って来たか。待ってたよ。」
焚火のそばに腰かけるウラジミールは、身に纏う上品な軽装鎧も相まって随分と様になっている。
生前もそうだったが、地図とは軍事的、政治的な意味でも極めて重要な存在である。隠匿した拠点や城、川や丘陵地帯などの情報はこの世界に於いても宝石よりも高い価値を持っている。世界が違えどやっている事に大差がない以上、求められる事柄にも大きな違いが無い。
作り方も高いところから眺めたり、見晴らしの良い場所から観察するのが主な手段である。魔法や法術の存在するこの世界に於いても自由に飛行が出来るのは妖精や魔獣くらいのもので、泳げば沈み飛べば落ちるのは種族に関係なく平等な法則だった。
地図というには余りにも漠然とし、子供向けの絵本のようなにぎやかさのそれを横目で見つつ、ドミトリーは情報収集で手に入れた石器と骨を机のすぐ脇に置いた。
「ほう、石器と頭骨。これは二角獣か。何かしら得るモノがあったようだね。」
「周囲の森を東から北回りで半周してきましたが、この石器と頭骨を見つけたので持ってきました。」
ウラジミールは石器を手に取りそれを興味深そうに眺める。そして、頭骨の傷に目を向けて眉をひそめた。
「直接の接触は避けましたが、気配から確実に複数。道具を用いて二角獣を集団で狩猟する程度の能力を持つ存在。自分達は小鬼だと考えています。」
「小鬼か。少数ならばそこまで手を焼くほど強くは無いはずだが...引っ掛かるな。」
...意外と堅実だな。それともこちらが素か
密かにウラジミールの再評価をしながら、ドミトリーは彼の考えを阻害し無いように鍵となる情報を出してゆく。
「まず、ここは昔から無人の森では無かったようです。あちこちにその痕跡もあったのでそう当たりを付けていましたが、ここには以前、オークの集落があったとオーケルマン教授から聞き出しました。」
「確かに気にはなっていたが、オークの?一体いつの話だ?」
残念ながら、彼の持っていた地図にはそう言った情報は含まれてはいなかったらしい。
そもそも地図自体が国家の重要機密である。まして皇室領の詳細な地図など、勝手に作ったり持ちだそうとすれば籠に入って餓死するまで晒しものにされる。この世界では価値を理解していても、それらを詳細に記す方法は今だに確立されていなかった。
「今から120年前だそうです。恐らくは両大陸戦役後の混乱期かと。そちらの地図には?」
「いや、これは当てにならないよ。書かれたのが50年前だし、それ以前に情報が少なすぎる。おまけにこっちにはトロールもいるとか書いているからね。」
初耳な上に不穏な情報だったが、そう言って憂鬱そうに地図を見下ろすウラジミールを見る限り嘘をついているようには見えない。
「何かあってからでは遅いですから、念のため警戒はすべきでしょうね。」
...問題はその警戒に一番向いている亜人種が少ないことか。
実習に参加している亜人種は全員で6人。その中で五感が優れているのは5人である。5人全員で交代制にしても負担は重い。ドワーフであるベックマンは地中に潜れば発揮される強みがあるために別枠としても、前線を張れる獣系亜人種が少なすぎた。
「とにかくもっと情報が必要だな。哨戒は何とかなるにしても偵察は君たち以上の適任者がいない。頼りにしていいかい?」
「可能な限りは。ただ、限界がありますからそこは理解してもらえればと。」
ウラジミールに対する返事はやや突き放した感があったが、安請け合いして後でボロを出すよりは遥かにマシとドミトリーは考えていた。
...大丈夫という言葉ほど信用できないものは無いからな。悪く思わないでくれ。
その表情に微かながらも落胆が浮かんでいたが、ウラジミールはそれをハッキリと表に出すことなく告げた。
「相変わらず控えめだな。まぁ、この状況では頼り過ぎてしまいそうだからな。気を付けるとしよう。」
彼がぼろを出して同期達の団結がバラバラにならないよう、出来ればこのまま大過なく実習が終わればと、ドミトリーは願わずにはいられなかった。
「おい、止まれよ」
「あー...何か?」
ドミトリーがウラジミールの元から退出して間をおかずに、とび色の髪をした取り巻きが声を掛けて来た。
「何かじゃない。お前、調子乗るなよ。トカゲの分際で偉そうに何語ってんだ。」
「ちゃんとした報告だ。なにもおかしいことはしてないだろう。」
「その言い回しが気に入らないんだよ。澄ました態度取りやがって。」
澄ました態度に見えても別に不都合はない。むしろ今の段階で見苦しく取り乱せば、それは目も当てられないような事態になるであろう事は想像に難くない。
「見苦しい態度で場を乱すよりはマシだな。」
「ほう、言うじゃないか。」
...子犬のようにキャンキャン吠える犬だ。躾がなっていないな
不穏な空気を察したのか、筋肉質な取り巻きが間に入って来た。
「アルチョム、夕食が出来ましたよ。味見をするのでは?」
「あー、もうわかったよ。...おい、もう行っていいぞ。」
...アルチョムと言うのか。覚えておこう。
乱入者にペースを乱されたのか、アルチョムと呼ばれた取り巻きは大人しく仲間たちの元へと戻っていった。後には名も知らぬ筋肉質な人間種の取り巻きと、同じく筋肉質である竜種のドミトリーが残される。
「初めまして、自分はアレクセイ・セミョーノフと言います。平民ですがウラジミール閣下の護衛を任じられています。セミョーノフと呼んでいただければ。」
「初めまして。自分はドミトリー・パブロヴィチ・サムソノフ。見た通り竜種だ。」
自然とお互いに自己紹介をする。先ほどまでの険悪な空気は既に消えているあたり、鍛えた外見よりも相手に対して細やかな配慮が出来るその内面が輝いて見える。
...優秀な従者だな。護衛よりもしっくり来る。
だが、セミョーノフはドミトリーに釘を刺すのも忘れなかった。
「...お気持ちは察しますが、彼に対してはどうかお手柔らかにお願いします。」
そうドミトリーに声をかけるセミョーノフの表情は苦々しいものだった。
「無茶言うな。わざわざ噛みついてくる狂犬に愛想を見せろと?」
「彼にはそう言った配慮が出来ません。ですが、我々が閣下を支えるには彼の力が必要なのです。」
放たれた言葉に意外さを感じ、ドミトリーは問いかけた。
「彼には貴族の嫡子が必要とする何かがあるのか?」
「彼自身というよりは、彼に掛けられた術式です。あまり愉快な話ではありませんので説明は勘弁を。」
本能的に知ったら後悔しそうな予感がしたため、ドミトリーはそれ以上掘り下げることは避けた。
「...わかった。だが、周囲には彼を危険視する者も居る。大切ならば尚更しっかり手綱を握っておくべきだ。少なくとも実習中は周囲に敵を作っていられるほどお互い余裕はないだろう。」
「忠告、感謝します。」
若者が背負ってはいけない類いの哀愁を漂わせる彼に、ドミトリーは追い打ちをかけるような真似がどうしても出来なかった。ドミトリーの魂に染みついた宮仕えの心は今だに健在だった。
「そちらの同僚には他に貴族はいるのか?」
「継承権をお持ちなのは閣下以外ではメニエ子爵家のローベルト様だけです。一番背の高い方です。他は庶子もしくは平民です。」
「わかった。情報提供、感謝するよ。」
別れ際、セミョーノフにドミトリーはその場で思い付いた提案をした。
「そうだ、お互い平民同士だ。敬語も丁寧語も使うのはまどろっこしいからナシでいこう。此方も手間が省けるし、そちらも周囲との距離も変わるはずだ。」
セミョーノフは一瞬ドミトリーの意図を飲み込めずにキョトンとしていたが、すぐに理解したのか笑顔を浮かべて会釈を返してきた。
...立場も種族も異なるが、中身はそう変わらないか。
自分の天幕へと歩きながら、ドミトリーは考える。
セルゲイから聞いた貴族たちの横暴も、こうしてその血を引くものやその取り巻きを見れば彼らなりの思考の結果である。彼らの声を直接聞いたわけでもなく、当事者でない以上安易な印象で判断はできない。舌禍が死に至るこの世界では知らぬことを語ることは許されない。
まだ身の振り方を決めるには早すぎたのではないか。前世も抱いた後悔を、今世でも繰り返すているのではないか。
...セミョーノフのような人間もいる以上、貴族という存在をもっと知る必要があるか
学外実習という機会が、半ば偏りつつあったドミトリーの思考に新たなベクトルを与えていた。
「遅かったね。引き留められた?」
「色々と熱心な取り巻きの方々にね。」
石でクルミの殻を割りながら、ベックマンが声を掛けて来た。ランナルはベッドロールに横になっており、今日一日で溜まった心労を癒していた。
「学部長が来るまでクルミ割ろうよ。保存食になるからさ!」
そう言って差し出されたクルミを受け取ると、ドミトリーは焚火のそばに腰かけてクルミを握り始めた。クルミ割り機が無くとも、石か力の強い亜人種がいれば事足りる。竜種の身体特性に慣れてはいたが、未だに自身の身体能力の規格外ぶりに困惑することは多い。
中でも実家でクルミの割り方を母から教わった時、言いようの無い気持ちになったの今でもよく覚えていた。事もなげにクルミの殻を素手で割っていく手際の良さに、自分が人間では無い事を痛感したものである。
“にぎにぎ”しながら記憶に思いを馳せていると、ネストルがひょっこりと顔を出してきた。
「おう、お裾分けの徴収に来たぞ。」
「来たな、徴税請負人め。今ちょうど仕上げ中だ。自分でやるなら持って行っていいぞ。」
「クルミか!いいな!」
炒り終わったクルミが香ばしい匂いで腹を刺激する。ドミトリーが炒ったクルミをネストル達のメンバー分も袋に詰めると、彼は悪徳商人のような笑顔を浮かべて帰っていった。
「今のところ平穏だけど、どうなるのかな...」
西日が差す中、炒ったクルミをつまみながらベックマンがぼそりと呟く。
「なるようになるさ。出来る事を出来るだけやる。」
日が落ちて暫くしてから、野営地にゴロバノフによる招集が掛けられた。
「おい...学長の腕が!」
集められた全員の前に現れたゴロバノフは血塗れになって腕を吊っていた。目が爛々と輝き、表情からは戦闘後の興奮の余韻がまだ冷めていない事が窺える。
紳士然とした普段の印象とはまるで異なる様子に、学生たちはざわめいた。
「諸君、今回の実習は今まで諸君が学んできたありとあらゆる要素が求められる。何度も言ってきたが、熟練した術士でも油断をするとこのような事になる。」
そう言ってゴロバノフは布を巻いて処置した右腕を掲げた。濃厚な血の匂いが鼻を衝く。止血はしていたようだが、吸血種の魔獣を誘引をしかねない。まして魔力の豊富な血である。怪我を追って血塗れになった学部長を見て、ドミトリーは野営地の周囲が気になって仕方がなくなる。
「諸君らがこれから主に相手をする事になるであろう敵、今回の討伐の対象は小鬼である。私に手傷を負わせたのも彼らだ。」
学部長に手傷を負わせた相手が小鬼であることに、学生たちは顔を見合わせたり頭を捻っていた。
小鬼は魔獣と亜人種の中間とも言える特殊な存在である。
神話によれば人を作る際に生まれた失敗作や、神々の怒りを受けてその身を変じた元人間であるなど、いくつかの違いはあっても魔獣とは異なる存在であると伝えられている。
実際に、トロールやラミアなどのような魔獣とは異なり彼らは高度な階級社会を築き、初歩的なの農耕牧畜や道具の製作を行う事が知られており、その生態は極めて人間に近い。
1個体での戦闘能力は低いが、集団戦をこなす彼らは確かに脅威ではあるが、対多数を得意とする法術士を相手に手傷を負わせるほどの力は無い筈だった。
「既に、彼らの存在を察知している者も居ると思うが、この森はゴブリンが多数生息している。」
ゴロバノフがオーケルマンに合図をすると、オーケルマンは1メートルほどの石槍とゴブリンの死体を持って来た。
身長は100cm程。授業で学んだ個体よりもかなり大きい。
肌は青みの強い灰色で頭は大きく長い耳と大きな目、下顎から伸びた牙が頬まで届くほどに伸びている。ゴブリンの中でも高位な個体だったのか、首には魔獣の牙らしき物できた首飾りを掛けていた。背丈は低いが筋肉質でごつごつとした印象を抱かせる。
その傍らに置かれた石槍は昼間に拾った矢じりとそっくりなものが先端に縛り付けられ、原料の解らない紐でしっかりと固定されていた。工作技術は決して侮れるものでは無い。
死体は毛皮を縫い合わせた腰巻と肩掛けを着込んでいたが、かぶっている兜は見覚えのある物であり、ドミトリーはそれが何かを思い出して思わず鳥肌が立った。
...あれは帝国軍の兜ではないか!
それはランナルの父親も着用していた頬当て付きの兜だった。飾り羽は抜け落ち、錆び付いてはいたが
紛れもなく帝国軍正式装備の兜だった。
「これが私に手傷を負わせた個体だ。ミツメヤギの毛皮は術式による効果を減衰させる力があるのは学んだだろう。この個体もそうだが、私を襲撃した個体は全てミツメヤギの毛皮を纏っていた。」
ゴロバノフは静まり返った中で続ける。
「この個体は見ての通り帝国軍の兜を被っている。いつ手に入れたのかは知らないが、少なくとも鍛えられた兵士を相手に勝利する程度には強い事は理解できるだろう。」
「怪我自体はそこまで重いものでは無いが、この槍には何らかの呪いらしきモノがかかっていた。お蔭で止血に手間取って出血が嵩んだ。」
傷ついた腕をさすりながら語る学部長に、教え子たちは何も言えず圧倒された。ゴロバノフの技量は長耳族の混血であることを加味しても抜きん出て優れたものであることは誰もが知っている。
その彼が手古摺るほどの面倒な敵を相手に自分たちがどう立ち回ればよいのか、それぞれが全力で知恵を巡らせる。
この世界の戦場に於いては良くある事ではあるが、貴族や精鋭部隊にはこの手の耐性がある装備を持っている事が多い。物理攻撃はその技量で、術式攻撃はその装備で防ぐ。戦禍から遠ざかって久しいこの国でも、兵士崩れの野盗の討伐ではそう言った装備を持つ者を相手にする事は十分にあり得た。
熟練し、経験豊かな法術士でも不意を突かれれば傷を負う。
法術大学法術学部長と言う亜人種や平民出身者が上り詰められる最高位の公職に就く者でも例外では無い。目の前に立つ傷ついた法術士はそれを身をもって示していた。
緊張する学生たちを見ながら、オーケルマンがゴロバノフのに続いて説明する。
「知っての通り法術士の血肉が魔獣を誘引する。負傷した際は速やかに処置を行い、拠点へと退避せよ。決して慢心せずにだ。舐めてかかると死ぬ。術式への耐性がある事を常に念頭において対処すること。」
俄かに不穏さを増してきた説明に、学生たちは顔を引き締める。法術大学で学ぶ者に、術式耐性を持つ敵を相手にするという事の危険さを理解できないものはいない。
治癒術式には限界がある。原形をとどめぬほどに損壊したり、致命傷を負ってしまうとその回復は不可能となる。切り落とされた腕は生えないし、潰れた目は元に戻らない。身体の持つ自然回復幅以上の回復は不可能なのである。
この世界は、そしてこの国は障害を持つ者に対して例外なく苛烈である。少なくとも将来への期待を一身に背負った皇太子が廃嫡される程度には。
「例年であれば移動しながらの討伐だが、今年は対象の脅威が高い。故に、今年度は拠点構築の上での防衛戦とする。駐屯軍の到着までの持久を主目的とし、可能であれば巣の殲滅もしくは壊滅が副次目標となる。」
オーケルマンが声を張り上げて課題を発表する。学生たちが傾聴し、引率責任者が締め括った。
「危険かつ困難な課題だが、諸君らであれば可能と判断した。諸君らが今日まで磨き上げて来た実力に期待する。」
「...と言う訳で拠点の守りを固めるまでの間、君たちに夜間の見張りを任せたい。頼めるかい?」
課題発表の後、班決めの為に集まった一同の前でウラジミールはいつの間にか集まっていた亜人種組に向かって依頼してきた。ドミトリーはいつの間にか背後にライサ達が居たのには驚いたが、事情を聞けば彼女たちも彼女たちで考えた末の行動だった。
各班に分散することも考えたそうだが、頭数が足りなすぎるという事で断念。特に単独では消耗が激しくなることが予想されたため、亜人種は亜人種でまとまった方が良いとなったらしい。
同意できる点が多かったため、ドミトリー達もライサ達と合流すことで班を結成することとなった。かくしてドミトリー達の班は結成に至ったのだが、一行は早々に面倒事を押し付けられる事となった。
他の班は地域ごとの繋がりや授業での面識を頼る者や、同じ得意分野を持つ者同士で集まっている。防衛戦のためか全体的にバランスよりも分野特化を志向していた。班ごとに人数のばらつきは大きかったが、極めて幸いな事に班編成にあぶれる者はいなかった。
「了解です。ただ、即応に限界があるので最低でももう1班は欲しいのですが。」
「なら、俺たちも見張りをやるよ。6人だけじゃキツいだろ。」
ドミトリー達にとっては夜目が利く面子が二人しかいないのが悩ましかったが、それでも人間種よりは遥かにマシと説得され、ウラジミールの提案を受ける事にした。ネストルの班が志願してくれたことで、その負担は軽くなる。ネストル達の気遣いに頭が上がらないドミトリー達だった。
「ありがとう。恩に着るよ。」
「気にするな。それ以上に助けてもらうからな!」
彼の取って付けた打算が身に染みる。例え種族も世界も違っていても、持つべきものは信頼できる友人である。ネストル達の班は5人。男子だけの班や女子だけの班が大多数を占める中、数少ない男女合同の班であり、女子2名男子3名で編成している。
全員が変性術式に長けているとのことで、照明術式や付呪術式が中心でどちらかというと術式効果を直接ぶつけるような戦闘には向かない彼らだが、この状況ではむしろ頼もしかった。
ただ一人、ランナルがいかにも面倒くさい雰囲気を出していたが、彼の個人的な事情を勘案していられるほどの余裕はなかった。“許嫁と一緒にお出かけなんだから、喜べよ”というベックマンの言葉に凝縮された思いの前に沈黙していた。
女性関係に一家言ある彼の前でランナルは地雷を踏むことを避け、ドミトリーもベックマンを宥めつつも内心はベックマン側にあった。予想外に浮かれた話が周囲に悪影響を齎すことをドミトリーは心底恐れていた。痴情の縺れは当人だけでは無く周囲にも災厄となるからである。
「では、拠点構築までの間は自分たちが夜の見張りをします。構築はお任せしますよ。」
「わかった。では構築を早く済ませてしまおう。魔獣の襲撃も有り得るからな。」
ウラジミールの判断が下された直後、森の方から不気味な雄叫びが轟いてきた。
その雄叫びに急かされるように、集まっていた一同はそそくさと拠点を固めるべく動き出した。
「あの二人、一緒にして良かったの?」
「君が間に入ってくれるならそうしたけど。」
月が辺りを照らす中、野営地からは術式で造成する音や掛け声が聞こえてくる。
間違いがあっても面倒なため、ドミトリーはベックマンと二人で野営地から少し離れた岩に腰かけて周囲を見張っていた。
役得なはずのランナルが渋る中、ドミトリーはベックマンを連れ、ライサはエリサを連れてそれぞれ見張りに着いていた。何故渋るのか釈然としなかったが、いずれ本人の口から利くべき事柄である。
許嫁の存在など、隠すような事柄ではないだろうにと、ドミトリーもベックマンも半ば呆れていた。
「同族だし親御さんも本人も納得したからこその許嫁だろ。竜種なんてそもそも同族探すの大変だからな。」
「ま、同族じゃなくても神殿行けば混血は回避できるそうだけど、そう考えると学部長って珍しいよね。」
7人存在する大神の一柱である地母神ヘレノアは、その伴侶である天空神との間に多くの神々を生み出したが、それ以上に多くの神々と愛を育んでご落胤を産み落とした困った女神でもある。
それだけ愛されたと言えばそうなのだが、彼女と同格でありながら神話時代から男日照りのアルストライアが気の毒に思えてくる。
生前の世界の神話においても素行不良な神々の逸話に事欠かなかったため、神々はそう言うモノだという半ば諦めに近い感想をドミトリーは抱いている。
神代からのお局様の加護を授かった者としては、余計な世話とは言っても自分の主神の今後を心配していた。何せドミトリーは長命種。付き合いは呆れる程に長くなるのである。行き遅れた神のとばっちりは勘弁願いたいかった。
「どういう仕掛けで混血回避できるのか大いに気になる所だけど、地母神の神殿って男子禁制だからね。違う種族の嫁さん貰ったら信じて任せる他ないよなぁ。」
初めて聞いたときは驚いたものだが、神々の存在がハッキリとある以上そのような奇跡があってもおかしくはない。むしろ、都合の良いことが出来るからこその信仰心なのだろうとドミトリーは考えていた。
かつて、猫系亜人種の母親と長耳族の父親の間に出来た子供が全員父親の形質を全く持たない猫系の子供であったと聞き、生前に学んだ遺伝の法則は何処に行ったのかと発狂しそうになったのは良い思い出である。
神殿で何をしたかは知らないが、そう言ったある種の産み分けが出来る事が種族の保護にもつながっている以上、ドミトリーは現実を受け入れる他なかった。そして、この情報を知ってからはゴロバノフがクォーターである事が極めて特殊な事例であることに気づき、ドミトリーは彼の苦労をそれとなく察していた。
ヘレノアには多産と安産のご利益を与えてくれるそうだが、それでも長命種の子供の授かりにくさは変わらないらしく、パーヴェルもマーシャも子供を授かるのに非常に苦労したとのことである。あのおしどり夫婦が思い返しても苦労と言い切る程には努力したのだ。
「ま、それは将来考えることだな。おしゃべりはこのくらいにして仮眠取っとけ。」
結局、その晩は特に何事もなく過ぎ去り、ドミトリー達は眠気を堪えながら2日目の朝日を迎える事になった。
ご意見ご感想等、お待ちしています。
11/07 誤字修正しました




