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元宰相の異世界物語(仮題)  作者: 徳兵衛
第1章
36/65

第24話

 ストック備蓄中

大陸暦




「いつまで歩くんだろう...」



 ベックマンの弱音が森に響く。ドミトリー達は学外実習の為、実習地域である皇帝の森と呼ばれる山林の中を延々と歩いていた。


 まだ日の出ていない朝靄もやの立ち込める早朝、ドミトリー達は囚人のように馬車に詰め込まれて実習場所に出発した。現地に到着して軽い説明を受けてからはずっと山歩きである。

 集団の後方にはウラジミールたちも歩いており、単なる貴族の寄せ集めではないしっかりとした足取りを見せていた。体力を身に着けているあたり、単なる見掛け倒しのボンボンでは無い事が窺える。


 森への道中、かつて手掛けた馬車をちゃっかりと学長が使っているのを見つけ、困惑するランナルをよそにベックマンと共に何とも言えない満足感に包まれる一幕があった。


 もっとも、気づいてしまったことで馬車の乗り心地が気になり始めてしまい、快適ならざる旅になったが。



 学外実習が実施される森は、大学のある帝都から西に半日ほど馬車で揺られた場所にある。周囲は小高い山に囲まれ、彼方此方に沢が点在し、下草の生い茂る鬱蒼うっそうとした森である。

 油断すれば足を取られて転んでしまい、見通しは悪い。遠くからはキジのような鳴き声も響き、薄暗い森の中でオークの番人とゴロバノフの先導の元、初日の野営地を目指している。目視では見えないが、後方にはオーケルマンが、隊列の左右はオークの狩人が固めており、森の歓迎を警戒しながらの移動だった。


 森の中には神代の昔から根を下ろす古代樹も点在し、迂闊に手を出せば樹精エントの苛烈な歓迎を受ける事になる。大蜘蛛等の魔蟲や二角獣などの魔獣、妖精などが棲んでいるために、このあたり一帯は危険地域であると同時に薬剤の材料の宝庫でもある。


 自然が放つ濃厚な魔力を肌で感じながら、ドミトリーは周囲に意識を集中していた。ランナルも耳を立て警戒している。人間種の生活圏を出れば、獣系亜人種の本領が発揮されるのだ。こと野外活動に関しては、亜人種のもつ特性が無類の強さを発揮する。


 周囲の風の流れが変わり、草の匂いが薄くなる。



「もう少し歩きそうだ。でも、この先に少し開けた場所がある。遠くないぞ。」



 ランナルのもう少しという言葉に励まされ、ネストルの足取りは心なしか軽くなったようだった。



 この森の管理はオークが行っており、森に入る前に受けた説明にもオーク2名が参加していた。浅黒い肌に銀灰色の髪、黒目勝ちの眼に長睫毛と長耳という容姿は、やたらと頑丈そうな体躯以外は長耳族エルフの色違いにしか見えなかった。聞くところによれば種族的にも近縁らしく、彼らは長耳族よりもやや短命であるらしい。それでも人間種に比べれば十分長命だが。

 我慢強く身体は頑健。控えめな性格で森からほとんど離れずに暮らすため、人里で見かける事は殆ど無い。閉鎖的ではないが外部とのかかわりは消極的である。つまり、世間一般では影が薄い。


 ドミトリーが抱いた印象を強いてあげるならば、非常に礼儀正しく爽やかであることくらいだろうか。


 ちなみに、| 色黒な長耳族(黒エルフ)はオークとは別に存在し、帝国よりも遥か南方のリアドラ海沿岸で漁業を生業としている。南方系長耳族と呼ばれる彼らもまた長命だが、海棲魔獣が多く生息するために生活環境は厳しく、その長い寿命を全う出来るものは少ない。


 

 話は逸れたが、帝都の水源地であるこの森は皇室の直轄地である。

 オークたちは番人として各地に点在するこういった森林の管理を任されており、過剰な伐採や密猟に目を光らせているのである。ただ、森の名前の由来は別にあるとの事で、ドミトリー達は訝しみながらもそれらを詮索する余裕を持てぬままに歩き続けていた。



「皆さん、そろそろ到着しますよ。」



 前方から爽やかなバリトンが聞こえ、既に動きの悪くなっていた一団に 希望のひと踏ん張りバフがかかる。


 下草を踏みつけながら鬱蒼とした森を抜けると、長さが腰ほどもある草原が広がっていた。森の中にぽっかりと穴が開いている形だが、周囲には木の切り株や倒木が散らばり、かつては森だった事が窺えた。




 急に視界が開けたために皆が目をしたたかせる中、先導していたゴロバノフ学部長が一人前に進んで鼻を鳴らす。


 突如全員の目の前を猛烈な風が吹き、草が押し倒される。風が根元から草を切り払い、目算で周囲500メートルほどが綺麗な円形に刈り払われた。詠唱も構築式もなく、ただ目線だけであたり一帯を薙ぎ払う。

 術式行使後の余剰魔力の発露が無ければ気付かないほどの自然体だった。


 刈り取られて舞い上がった草がバサバサと降り注ぐ中、全員が緊張した面持ちでゴロバノフに視線を向ける。侮っていた訳では無かったが、彼の術式を目の当たりにして実力を測れない者はこの場にはいなかった。




「今日はここが野営地となる。日没までは行動自由だが、単独行動をした場合は命の保証をしない。日没後に班の編成を行う。各自必要となる準備をするように。」



 引率者の宣言の元、未明から延々と続いた移動は終わりを告げ、ドミトリー達は束の間の休息を手に入れた。







「で、野営地を設営をする前に誰と組んで行動するか決めようと。」



 転がっていた倒木に腰かけて一息ついていたドミトリー達は、ネストルから声を掛けられた。一度行動し始めると収拾が付かなくなるとのウラジミールの発案で、思い思いに疲れを癒していた面々は既に彼の元へと集まっていた。

 ドミトリーとしても異存はなく、ベックマンもランナルも既に移動のために背嚢バックパックを背負っていた。ドミトリーも背嚢を背負い直して人だかりとなっている一角へと足を向けた。




「やっと来たか。これで全員揃ったかな?」



 ウラジミールは金の縁取りがされた艶のある黒い革鎧を身に纏い、紺色の外套を肩に掛けて立っていた。取り巻き達の鎧もまたどれもしっかりとしたしつらえである。対照的に申し訳程度に胸当てを付けたベックマン以外は、ドミトリーもランナルも含めて防具らしい防具を身に着けている者はいなかった。



「話し合う前に君たちに告げておかねばならないが、僕はウラジミール・アントノーヴィチ・オルロフ。オルロフ公爵家の嫡男だ。帝国の藩塀たる貴族である僕には、諸君らを導く義務がある。」



 80人ほどの同期の前で、臆することなく堂々と彼は言葉を紡ぐ。誰も異論を挟ず彼の言葉に耳を傾けた。



「僕たちにとってこの実習は極めて過酷なものになるだろう。乗り切るためには一人でも多くの力を結集して対処する必要がある。」



 そう言い切り、ウラジミールは皆を見回す。唐突に現れたリーダーに困惑する者も居たが、さすがに公爵家の長男相手に張り合う者はいない。ドミトリーは言葉の距離感に引っ掛かりを覚えたものの、方向性は納得できた事もあってウラジミールの発言に異議を唱える気はなかった。



「彼は好きにさせておく。放置だ。下手に対立してトラブルになると面倒だから、火の子がかからない程度の距離を維持するぞ。」


 ドミトリーは実習前夜、ランナルとベックマンと共にそう決めていた。


 少なくとも、ウラジミールの特別扱いを見る限り大学側の援護は期待できそうにない。ババを引くのは自分以外であるべきとドミトリーは考えていた。身分の高い者の不始末は、その地位の高さと職責に比例して規模が大きくなる事をドミトリーは生前の経験で知っている。思い出しても笑顔で語れるほど生易しい経験では無かったが。




「僕としては、今後生起するであろう戦闘に不向きな者を参加させたくない。後方での拠点支援や治療が得意なものはこの場で申し出てくれ。」



 しれっとドミトリー達が挙手しているのを無視し、ウラジミールは続ける。



「僕としては本人の希望、特に女子の希望は優先したい。男子諸君に異存はあるかい?あぁそうだ、堅苦しい敬語は使わなくて結構だ。」



 結局、ドミトリーとランナルは戦闘も支援も両方出来るため、状況に応じて立ち回ることになった。自然な流れでベックマンが支援側に入っている事に2人は内心嫉妬したが、いざ戦闘が始まれば彼の居場所がなくなることは想像に難くなく、弄りはしても文句はなかった。


 一応、音頭を取ってくれている以上、ウラジミールに対してもドミトリー達は礼儀を持って接している。取り巻きの一部から放たれる不穏な目線が気になったが、いまさら気にしても仕方がないため無視していた。これから何が起こるかわからない以上、内部対立を煽るわけにはいかない。


 ウラジミールも特に問題もなく上に立つ器は持っているあたり、貴族の子弟らしい教養は見につけているようだった。相性はともかく、彼が余裕を失ってしまわないようにサポートをする事が出来ればとドミトリーは考えていた。


 唯一、彼の慢心と取り巻きの暴走が気がかりではあったが。








「薪を集めて沢で魚を釣って、上手く行ったら木の実と山菜と鹿肉でシチューだ。」



 天幕テントを張りながらのやり取りだが、ドミトリー達の方針は既に決まっていた。転がっていた石で杭を打ち込みながら、ランナルが返す。



「シカの捌きは任せろ。小さい頃に親戚から教わったんだ。」



 この世界にパック詰めの肉は無い。肉が食いたければ絞めて解体から始まるため、家庭では干し肉や燻製の肉を食べる機会が多かった。帝都やオルストラエにも肉屋が有るにはあるが、加工した肉の販売が主である。庶民の台所に保存がきかない食材の居場所は無い。

 そもそも、肉自体が流通量が少なく高価だった。加えて、生肉の加工は労力が掛かる重労働である。秋になると一家総出で庭先にスプラッタな光景を繰り広げるのは、そう言った負担を少しでも和らげるための知恵なのだ。

 ドミトリーも目の前で可愛がっていた羊が解体され、夕食で涙を浮かべながらシャシリクを食べたのはいい思い出である。

 容赦ない食育だが、それだけ食物に対する感謝の心は育つ。不便な事も一概に悪いとは言えないのだ。



「火の番なら任せてよ。この竈は自信作だからさ。」



 ベックマンが集めた石と土で器用に竈を作りながら言う。石組みに術式で綺麗に土を纏わせているが、この手の術式はドワーフの右に出る者は無い。ドミトリーが実家から調達した旅行用の大鍋が丁度嵌るように作られて、後ろに煙の吐き出し口まで付いた本格仕様である。

 ベックマンが竈に手をかざすと、土塊つちくれ混じりの歪な表面が粘土のように滑らかに整ってゆく。本当に器用な手先が羨ましくてならない。



 出発前、貸出された野営道具だけでは不足すると考えたドミトリー達は、あえて荷物が増えるのも許容してこれらの炊事器具を持ち込んでいる。飯を疎かにすると碌なことは無い。古今、飯の扱いを誤った者の末路は悲惨になると相場が決まっている。旨い飯は全てを解決するのだ。



「よし、天幕も張ったし、晩飯のタネを探すか。」



 周囲も思い思いに夜への備えを行っている。中には術式で簡易的な土塁を作る者もおり、それぞれが最善と考える対策を取っていた。目を向ければ実に多様性に富んだ野営地が広がっていた。



「ネストル! ちょっと辺りを探索してくる。」



 彼は彼で友人たちと食事の準備をしていたが、ドミトリーの呼びかけに振り向きながら答えた。



「はいよー 荷物を見とけばいいかい?」


「あぁ。上手くいったらお裾分けだ。」



 そう言って手を振る彼らに手を振り返しながら移動し始めたドミトリー達だったが、予想外の合流者が現れたことによってその約束は当初の予定よりもささやかな形で果たされることとなる。



「おや、君たちが行ってくれるのかい?」


「念入りに調べるのは明日しようかと考えています。今回は下見ですね。」



 ウラジミールに周辺の調査に出る旨を伝えに行くと、彼らは彼らでその準備をしていたらしく、ドミトリー達の申し出をすぐに受け入れた。何か言われるかと内心身構えていたが、伝えられたのは特に嫌味もない簡潔な連絡事項だった。



「女子も何人か出すそうだ。彼女たちと合流してくれるかい?淑女にはエスコートが必要だからね。」


「了解です。」






 周囲500メートルほどの草地は、その見た目とは裏腹に地表に数多くの人工物の痕跡があった。


 石垣らしき遺構や、傷だらけの石が突き刺さった大型魔獣の骨。沢の近くには橋げたのような石組みが見えた。どれも手入れされておらず朽ち果てるままになってはいたが、かつてここで何かがあった事を匂わせる痕跡に事欠かない。


...先一昨年も一昨年も昨年も実習場所は帝都の北だった。今年は西。やはり前提が変わってくるか...


 残された不穏な痕跡を確認しながら歩くドミトリーとベックマンだったが、現在の随行者は6人に増えていた。周囲の調査をしようと考えていたのはドミトリー達だけでは無く、女子の中でもそう言った方面に腕の立つ面子がその任についていた。

 


「それで、女子の方はどうなんだ?」


「男子がみんなラナーみたいなヘタレばかりだったらよかったんだけどねー。みんなやっぱり警戒してるよ。いいとこの子は坊ちゃんに夢中だけど。」



 入学試験の時の和気藹々さは何処へやら。女子からは警戒され、男子もいまいちまとまりに欠いている。リーダーは慢心が見え隠れし、取り巻きは取り巻きで何を考えているのか見えない。

 これで表面上は静謐を保っているのだからなおさらたちが悪い。


...仲良くしようよ。学生生活最後なんだから。


 取り巻きの一人をのして関係を悪化させた張本人は、自らの振る舞いを棚に上げて嘆く。 



「ウラジミールという人、あとで問題を起こしそうな気がする。特に取り巻き。」


「...」



 いつぞやに出会った虎娘と、ランナルと妙に親しい狼娘。そしてやたらと目つきのキツイ長耳族の娘。講義でも何度か見かけたがお互いに特に話すことも無かった亜人種たちが一堂に会している。何故か胃が痛む。

 ベックマンはわれ関せずと木の実を拾い集めては布袋に収め、ランナルは狼娘の口撃相手になっている。虎娘はマイペースにぼそぼそと文句を言い、長耳族の娘はずっと無言で周囲を警戒していた。



「まぁ、とりあえずは彼が音頭を取ってるんだ。全体がバラバラに動くよりはずっと安全だよ。」


「それ、血濡れの息子のいう事?」



 話を聞いていると130年も前のあだ名が今だについて回るパーヴェルが哀れに思えてならない。知らぬ間に自分がとんでもない化け物扱いされている事を父親は知っているのだろうか。もっとも、ドミトリーも生前は毒饅頭に人食い熊と散々な呼ばれ方をされていたが。



「親父はただ強いだけで荒事は好きじゃない。血濡れとか物騒だから止めてあげると喜ぶと思うよ。」


「戦場が授けた二つ名は戦士のほまれ



 家では妻に頭の上がらない不器用な父親である。強いことは知っていても、戦場で無双する様をいまいちつかめないドミトリーだった。


 6年近く前に出会った彼女だが、当時の彼女が冬毛だと思っていたドミトリーは現在、自分の見立てが誤っていたことを痛感していた。白地に黒が混じる髪は地毛だった。


 ライサ・ダニーロヴナ・ルバノヴァ。虎種の雄、ルバノフ家の4兄妹の次女である。


 虎種は獣系亜人種の中でも特に恵まれた体躯を持つ脳筋であり、度を過ぎた大らかさと自分への優しさを兼ね備えた猫系亜人種の問題児でもある。

 その雄であるルバノフ家もまたそう言った気質の家系だったが、どういう訳か突然変異があったらしく一風変わった脳筋が誕生していた。勉強が出来る知能派脳筋という、何とも言えないものだったが。



「ま、後でで本人に訊いてみるさ。ところで、その外套、暑くないの?」



 真夏である。森の中とは言っても、相応の湿り気と熱気はある。見ているだけで暑苦しい。



「暑い。死にそうなくらい。」



 嫁入り前の娘が滝のように汗を浮かべてなお脱がない理由があるのだろうと察したため、ドミトリーはそれ以上は聞かなかった。汗だくで脱がれてもそれはそれで扱いに困るのだ。

 だが、最低限の配慮はする必要があった。



「うん、ぶっ倒れる前に沢に寄ろうか。ランナル、次の沢で小休止をとろう。」


「あぁ、わかった。」



 女子たちと合流してからずっと背中にランナルからの救いを求める目線が刺さっているが、ドミトリーは無視している。同じ種族同士で話が弾むことは良いことなのだ。ドミトリーは家族以外と経験したことは無いが。

 人間種と比べると圧倒的に少数種族である亜人種は、一部を除けば同族と出会う機会はそれほど多くは無い。混血種が生まれる背景にはそう言った事情もある。


 ただ、ドミトリーはそんな狼種2人が何故か鬱陶しく、胃から砂糖を吐きそうな気分になっていた。



「ベックマン、木の実は集まったか?」


「クルミばっかりだ。クリやシイの木はあるのに実が全然見当たらないんだよなぁ。」


「クルミはあとで殻を割ってやるから気にするな。というか、そこら中にイガとか落ちてるけど、全然無いのか?」


「それがどうも...やっぱり先客がいたみたいだね。」



 ベックマンが拾い上げたのは黒曜石の矢じりのようなモノだった。もっとも、矢じりと言うにはあまりに大振りであり、ナイフに迫る大きさである。先に続く獣道も、よく見れば妙に広く違和感を感じる。



「さっきから視線を感じます。魔獣...とは少し違いますが。」



...なんだ、喋れたのか。


 キツい目線を更に険しくし、嫁の貰い手が無くなりそうな顔で長耳族の少女がドミトリーに告げる。後でちゃんと名前を聞いておかなければ物凄く失礼な事をしてしまいそうな気がしてならない。

 思っている事が口に出ると、思わぬ舌禍に見舞われる。生前の同僚や後輩、尊敬した先輩もそれが元で引退や辞任を余儀なくされている。



「...次の沢はやめておこうか。」


「良いよ。野営地にも小川があるから。」



 ぱきり、とはっきりと音が聞こえてドミトリー達は弾かれたように音のした方向を見た。


 ランナルが眉間にしわを寄せ、狼娘もおしゃべりを止めた。左手の下草の向こうで何かが動いている音が聞こえる。踏みつけられた枯れ枝が折れる音や、何かを引きずるような音もである。小柄だが確実に複数。耳を済ませると話声のようなしわがれた声がかすかにドミトリー達に届く。200メートルほど先だが、思っていたよりも近い。


 音のする範囲が徐々に広がってくる。



「戻ろう。囲まれる前に。」



 小声で発されたランナルの言葉で一同は互いに目配せをし、踵を返して来た道を一気に駆け戻り始めた。






「あ...あれは何だったの?」



 狼娘が薄い胸を上下させながら息も絶え絶えにぼやく。当初の砕けた雰囲気は何処かえと消え去り、耳もピンと立ったまま警戒を解いていない。


 獣道を一気に駆けたため、日頃運動不足であるベックマンは勿論、ライサや長耳族の少女も息を乱していた。

 狼娘の言葉に長耳族の少女が答える。



「わかりません。でも普通の魔獣とは違うと感じました。」


「魔獣の感じとは違うのには同意だな。直接見てないから確証はないけど。」



 ランナルの言葉の通り、直接見る前に撤退したため確証が無い。

 草原まで一気に駆け戻った一行は、魔獣の骨が転がる小川で休息していた。日は既に傾き、虫の鳴き声が辺りを埋め尽くして耳が痛む。

 ふと目に入った二角獣の頭骨に既視感を覚えたドミトリーはベックマンに問いかけた。



「ベックマン、さっきの矢じりみたいな石はどうした?」

 

「あるよ。結構重かったけど、これをどうするの?」



 受け取った石は大きさの割に重く、その刃は鋭利で指を掛けると鋭い痛みが走る。間違いなく刃物である。

 ふらりと立ち上がったドミトリーに視線が集まる中、ドミトリーは野ざらしの頭骨に穿たれた傷穴に石を宛がった。



「あぁ...やっぱりそうだ。」



 石が深く、そしてぴったりと嵌る。この二角獣の死因はこれで確定した。



「それって...」



 ライサの乾いた声が日の傾いた草原に響く。


 二角獣に致命傷を負わせるほどの強さを持つ、道具を使う何かが森にいる。野営地を取り囲む森の中に。ドミトリー達学外実習生たちは、既にそれの包囲下にある。そして、この森の『皇帝』とは誰の事なのか、ドミトリーは理解した。


 重苦しくなった空気を振り払うように石を骨から抜き取って立ち上がると、ドミトリーは振り向かずに問いかけた。



「問題、森に棲息。道具を使い、言語を持ち集団で行動。二角獣を討伐できる強さ。これなーんだ...」





 

 ドミトリー達が二角獣の頭骨を携えて野営地に戻ると、オーケルマンが野営地の隅に立ってドミトリー達を待っていた。



「その様子だと自力で気付いたようだな。流石、と言ったところか。」



 ドミトリーは念の為、浮かんだ疑念をハッキリさせるべく仁王立ちするドワーフに問いかけた。



「教授、確認したいのですが、ここは以前人が住んでいましたか?」


「あぁ、120年ほど前だな。以前はオークたちの集落があったそうだ。案内役のハーコンはここで生まれたそうだ。」



 ドミトリーの質問にオーケルマンはよどみなく答える。もはや知られても惜しくないらしい。



「そうですか。ありがとうございます。」


「先ほど中の連中にも忠告したが、今回は今までとは異なる。今回はここが『拠点』だ。」



 疑念は確信に変わった。そして同時に2週間、ここで耐え忍ぶ事を明示されたのである。転進不可能な完全包囲下の籠城戦であると。

 軍事教練じみた今までの実習とはまた違う、補給の無い山中でただひたすらにそれを凌ぐ。それが今回の実習だった。




 野営地に入り、女子偵察班との別れ際にドミトリー達はライサ達と遅ればせながらの自己紹介をしあった。今まで面識もあり、ごく自然に共闘していたにも拘らず、それぞれの名前を把握していないという体たらくだったが、課題がハッキリした事で亜人種同士、連携しようと言う流れになったのである。



「東部、オルストラエ出身のドミトリー・パブロヴィチ・サムソノフ。竜種だ。よろしく。」


「同じくオルストラエ出身、ヨアキム・ベックマン。見ての通りドワーフだよ。」


「西部生まれ帝都育ち、ランナル・ソレンソン。狼種。」



 もっとも、簡潔過ぎて紹介というよりは申告だったが。



「東部、オゴロフ出身、ライサ・ダニーロヴナ・ルバノヴァ。北方虎種。」


「北部、ソルミス出身、エリサ・ハウラ。北方系長耳族(白エルフ)。よろしく。」


「帝都出身の狼種。ヘレン・サムエルソン。ランナルの許嫁。よろしくね!」


「おい!余計な事を言うな!」


「だってー、もう決まってるじゃない。一応宣言しとこうと思って。」



「「「「ほう...」」」」



 1人の聞き捨てならない自己紹介で、場の空気は変わった。



「あぁ...うん、ヘレンとは付き合いが長い...というか、うん。」



「「「「ほほう...」」」」



 自然、ランナルに向けられる視線は冷たくなる。


 狼種以外の亜人種たちが不穏な笑みを浮かべる中、ランナルは『はなまるげんき』な幼馴染の起こした火を消そうと必死に知恵を巡らせる。

 だが、往生際の悪い抵抗を許さず機先を制したのは重量級の獣系亜人種の2人だった。隙を見せずに竜種が虎種に問いかける。



「判事。判決は?」


「有罪。雌には慎ましさが、雄には覚悟が足りない。特に臆病者の雄は存在が罪。」


「横暴だろ!おい!」



 男女とも、異性との関わりに飢えている。抜け駆けの罪は重く、若き陪審員から見ても情状酌量の余地は無かった。まして、6年もの間事実を隠匿した事は友情に対する裏切りである。


 かくして、被告ランナル・ソレンソンとヘレン・サムエルソンは学生生活6年目にして綽名、『ラナーちゃん』と『ヘネーちゃん』をそれぞれ授かる事となった。





 そんな一幕を挟み、報告の為ウラジミールの天幕へ向かう道すがら、オーケルマンの言葉を反芻しながらドミトリーは振り返って2人に問いかけた。



「ベックマン、ランナル。僕は予定通りの方針で行くつもりだ。ただ、さすがに気合入れないと死人が出るかもしれない。これは難しいぞ?」



 ドミトリーはそう言って不敵に笑うと、ベックマンは頭を掻きランナルは鼻を鳴らす。



「あー、うん。そうだね。参ったと言えば参ったな...」


「確かに。面倒そうだけど...」



 自然と2人の口角も上がり、女子に見られてはいけない類いの顔になる。



「「上等だ。」」



 今まで自分が磨いてきたものを試す機会、心が躍らないはずが無かった。




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