第23話
サクサクススム
かつて大学に入学したての頃、右も左もわからぬ己を導いてくださった偉大なる先輩はこう宣った。
「伸びた鼻はちゃんと折らないとね」と。
大学生活6年目。卒業後すぐに兵役が控えているとは言っても、それはあくまで平民に限っての話であり、貴族には貴族で別な形で義務がある。領地を持つ者は領軍に入るし、領軍を編成できるほどの領地がない者やそもそも領地を持たない法衣貴族はそれぞれ法によって定められた従軍義務を果たさなくてはならない。
残念ながら真面目に義務を果たしている貴族というのはごく少数であり、あれやこれやと理由を付けてそれらの義務から逃れている輩が大半を占めているが。
目の前に立つとび色の髪をした青年が誰なのかは知らないが、その身なりと言動から察するにそう言った類いの人間、あるいはそれに連なる人物であることは容易に想像がついた。
「もう一度言う。オルロフ様がお呼びだ。付いて来い。」
「あー...失礼ですが、どちら様で?」
そして、そんな輩を心から嫌う者の一人が、ドミトリー・パブロヴィチ・サムソノフである。
「つべこべ言わずについて来い、トカゲ野郎。」
麗らかな春の風が吹く廊下で、唐突な『横柄』との出会いは穏やかだったドミトリーの機嫌を一気に悪化させた。
無粋にして実に不愉快な物言いである。歪で気泡交じりの味わい深い窓ガラスを染める爽やかな新緑も、目の前の『横柄』のせいで青汁色に映る。
...オルロフという家名に覚えは無いが、これからは不愉快な存在として記憶しよう。
生前、まるで金にならないがその類い稀なケンカの商才を誰もが認めた男が牙をむく。
「オルロフが誰かは知らんが躾がなっていない飼い主だな。召使いなら言葉遣いを学び直してから来い。そしたら話くらい聞いてやる。」
売り言葉が簡潔なら買い言葉も簡潔だった。
迷惑な事に先方は極めて熱効率のよろしい頭の持ち主だったようで、何やらその右手に術式を展開させながら掴みかかって来た。逆上からの実力行使は主人の品格を貶めてしまう。交渉役としては落第点と言える。
どのような術式かは知らなかったが、黙ってそれを受けるのも癪に障るため、ドミトリーは術式が発動する前に相手の手首を手刀で打ち足を引っかけると、勢いをそのままに相手の右腕を掴んで投げ飛ばした。
「よいしょぉ!」
「かっ...!あぐっあっ!」
背中から石畳に叩き付けられ、肺の中の空気を絞り出された青年は痛みと苦しみに悶える。豚のような声を漏らし、転げまわる姿を一瞥したドミトリーは拍子抜けした。
「なんだ。随分偉そうな口を聞いてたが、トカゲ相手に手も足も出ないのか?」
唸るだけで答えない相手が面倒になり、ドミトリーは騒ぎになる前に首筋に沈静術式を打ち込み廊下脇の長椅子に座らせ、傷や痣を残さないよう治癒術式を掛けた上でその場を立ち去ることにした。
ケンカは勝ってなんぼである。相手を知らずに負けるケンカを挑む輩はただのバカなのだ。
「オルロフ...どっかで聞いた覚えがあるような...」
「オルロフ?」
食堂でランナルと合流して泥臭いスープをつついていると、食堂の入り口が急に騒がしくなった。
よく見ると、普段の食堂では見慣れない集団が何やら周囲とやり合っている。
「あいつ等は何やってるんだ?」
「あ、居た居た!」
入口の喧騒をすり抜けて配膳台から黒パンとスープを受け取り、ベックマンが2人の掛けているテーブルに合流する。
「お疲れ。オーケルマン教授はなんて言ってた?」
「小柄だから実習では無理しないようにだってさ。」
ヨアキム・ベックマンの身長は今だに150に届かない。ドワーフも長命種の為、身体の成長は遅いが彼の成長は輪に掛けて遅かった。
ドミトリーもランナルも180前後のかなり大柄な体躯であるため、彼の小柄さは余計に目を引きやすかった。努力ではどうしようもないが本人は気にしており、間に挟んだり並んで歩くのを嫌がり、それをネタに弄られるのがいつもの流れだった。
ちなみに最近のトレンドはゴブリン王である。無駄に傅いてチヤホヤするのだが、その意図に当人も気づいており、傅かれる度にバラエティー溢れるキツイ折檻を申し付けるという半ば様式美が出来ていた。
「無理しないようにって言っても、内容がアレじゃ無理以外の選択肢なんてないだろう。」
ランナルの言う通り、既に発表された学外実習の要綱の最後には『各自、死んで悔いのない準備をする事』書いており、あまりの不穏さに発表直後は全員がお通夜のような空気に包まれるという一幕があった。どのような人間も、覚悟があっても堪えるものは堪えるのである。
ドミトリーにとっては生前も遂に完遂が叶わなかった身辺整理の機会だったが、冗談でもする気にはなれなかった。
「まぁ、そうだけどさ。教授から言ってもらえると安心するよ。逆立ちしたって2人の体力にはついていけないからさ。」
学外実習の要項発表の後、ドミトリー達は集めた情報から実習時の立ち回りをどうするか、幾度も作戦会議を繰り返していた。実習地域に棲息する魔獣の資料を集めたり、従軍経験のある人間に手紙で問い合わせるなど、目前に迫った黙示録に抗うために労を惜しまなかった。
最高学年になってからは夜更かしを咎められることも無くなり、忙しさは増したもののその気になれば時間をより多く捻出できるようになっていた。授業に影響を出さないギリギリまで時間を使い、3人は協力して情報を集めて検討を繰り返していたのである。
「回復薬の使用制限は痛いよな。ま、取り寄せるにしても自分で煎じるにしても、金がかかるから限界あるけどさ。」
芯の残ったニンジン擬きをフォークでつつきながらランナルが愚痴る。3人の中で一番保有魔力の少ない彼にとっては、回復薬の使用制限は死活問題だった。
ランナルもそうだが、術式自体は問題なく使えても長時間の連続使用になると出来る人間は限られてくる。相性の良い相で上がるのは効果であって効率では無いのだ。
学外実習は2週間に渡る。実習後半になれば魔力の回復が追いつかなくなるのは明らかであった。
ドミトリーにはおよそ無縁な悩みだったが、それは竜種自体が(特にドミトリーが)例外であるからに過ぎない。普通はそんな簡単なものでは無いのだ。
「ま、いざとなったらドミトリーが何とかしてくれるよ。あんなエグイのポンポン出すんだからさ。」
「おい。最低限自分の面倒くらい自分で...」
煽るベックマンに物申そうとしたドミトリーは、背後から掛けられた声に遮られた。
「此処に居たのか。探したぞ。」
帝国では珍しい黒髪、灰緑色の瞳と彫りの深い顔立ちをした青年が立っていた。
彼の背後には5名ほどが立っており、ドミトリーが先ほどのしたとび色の髪をした青年もいる。しっかりこちらを睨んでいる。
宝飾品こそ身に着けていなかったがいずれも身なりは良く、ベックマンはともかく着古した寸足らずのチュニックを着ているドミトリーとランナルに用事のあるような人種には見えなかった。
「「「誰?」」」
そしてこれが一番問題だったのだが、ドミトリー達は彼らが何者なのか知らなかった。
面倒事を察したのか、いつの間にか周囲から人気が無くなり孤立してしまっている事に気づき、ドミトリーは眉をひそめた。
薄情者どもめ...。
ランナルも周囲の様子が変わったのを感じ取り、椅子を引いた。一人ベックマンが頭に疑問符を浮かべてキョロキョロしていたが、それでもすぐに周囲に漂う不穏な空気に身構えた。
「そう身構えるな。君と話がしたくてわざわざここに来たんだ。サムソノフ君。」
見るからに女たらしな風貌に、あぁやっぱりなぁと思うような深みのある美声。例外も多いが、男女問わず美人はいい声をしている事が多い。
「僕はオルロフ公爵家嫡男、ウラジミール・アントノーヴィチ・オルロフだ。以後、よろしく。」
公爵家の嫡男から差し出された手を無碍にもできず、ドミトリーは握手に応じる他なかった。
食堂から彼の自室へと連行されたドミトリーは、居心地の悪さを感じずにはいられなかった。
そもそも普段は近寄らない宿舎であることに加え、室内は豪奢な調度品が置かれて学生の部屋である気配が微塵も感じられなかった。壁に掛けられた大きい鏡に映った竜種の青年の容姿がやたらと芋臭く見える。この部屋に居ると浮浪者と間違われても仕方なく思えてしまい、妙な敗北感に満たされる。
...他人の事はあまり言えないが、金はある所にはあるもんだなぁ。
呼ばれた理由とは全く関係の無い事を考えながら、ドミトリーは部屋の主に促されて部屋の中央に置かれたテーブルに着いた。
「茶はいるかい?」
「いえ、お気になさらず。」
入学式でも普段の学生生活でもこの手の『お貴族様』と絡んだことは無い。唯一の例外は規格外であり、あれをカウントすべきではないだろう。
「...単刀直入に聞かせてもらいますが、一体、何の御用でしょうか。」
「理由などわかり切っているだろう。もうじき学外実習が迫っているからだ。君の力が欲しい。」
予想通りここにも学外実習に悩む者が居たようである。だが、ドミトリーの答えは決まっていた。
「お断りさせていただきます。既にあなたには何人も仲間がおられる。今から亜人種である自分が加わっても内部の軋轢が増すだけかと。」
「即答だな。まぁ、他にも理由があるのだろう?」
にべもなく断られても気にした様子を見せず、ウラジミールはドミトリーの発言を促す。さすがに貴族の貫禄と言ったところだろうか。手下らしき者を投げ飛ばした事は伏せてドミトリーは答える。
「まず大前提として、実習中に組むパーティーはあくまで行動単位としてのものに過ぎません。加えて、入学当初に説明があった通り、種族や階級が異なっていても内輪揉めをしない事が入学の前提です。先輩方からはパーティー同士で競い合えるような生易しい内容では無いと聞いています。自分はいたずらに競い合うよりも、全体が一丸となって実習を乗り越えるべきだと考えています。」
ウラジミールは頷き、先を促す。目礼してドミトリーは続けた。
「周囲から孤立して、少数の集団だけが上手く立ち回るのは極めて困難です。種族関係なく一人でできる事などたかが知れていますから、少人数ではすぐに息切れして脱落するでしょう。少なくとも自分が知る限り、閣下以外の皆も実習開始に備えはしても根回しはしていません。」
特に申し合わせることも無く、皆がそう立ち回っている。ドミトリー達が周囲の様子を見てきた限りはそうだった。
殆どが人間種だったため言葉を交わすことは皆無だったが、講義で顔を合わせる女子生徒もその手の根回しをしている様子は無かった。もっとも、誘われていないのがドミトリー達だけなのかもしれないが。
「実習では女性も参加しますから、ただでさえ多すぎる不確定要素に振り回されないためにも、自分は行動指針の決定は慎重にすべきだと考えています。」
ドミトリーはそう言い切るとドアへと目をやった。ドアの外は取り巻きが固めており、ランナルたちと睨み合っていた。まだ暴発はしていないが、長く待たせればどうなるか分かったものではない。
「故に断ると...成程ね。君の考えは解った。だがそのような心配は杞憂だと僕は考えている。」
「と言いますと?」
一体何を考えているのか。ドミトリー達が考えもつかないような大胆な秘策でもあるのだろうかと訝しむ。
「僕はこの大学で、この学年で主席だ。主席で人間種である僕と次席で亜人種である君が組めば大抵の事態には対処できるだろう。戦鬼サムソノフの話は僕も良く知っているからね。」
「過分な評価、痛み入ります。父祖たちも喜ぶことでしょう。」
...あぁ、こういう手合いか。
貴賤問わずに失敗した事の無い人間が抱く典型的な楽観と、いわゆる貴種とされる人種が抱く慢心のハイブリッド。貴族制がある国では良くある話だし、生前も何度も手を焼いた手合いなのだが、関わって碌な目に遭った試しが無い。つまり、敵である。味方側にいれば尚更に。
「それに君のような優秀な亜人種がいれば人間だけでは補えない穴を埋める事が出来る。それに外にいる者達も無能では無い。僕らと君とで組めば実に簡単な話じゃないか。」
なぜ理解ができないのかとかぶりを振るウラジミールを見て、ドミトリーは暗澹たる気持ちに包まれる。
...帝国随一の大貴族の後継ぎがこれか。先が思いやられるな。
変な考えをせずにセルゲイの誘いを受ければよかったと激しく後悔するも、現状ではどうしようもない。ふと湧いた碌でも無い疑念を確かめるため、ドミトリーは問いかけた。
「そう言えば、入学試験や普段の授業でもお見受けしませんでしたが、普段はどちらに?」
「領地だけれど、それが何か?」
見るからにそれがどうしたと言っているウラジミールは続けた。
「帝国の大学が帝国公爵である僕を試験に掛けるとでも?国家の大藩塀たるオルロフ家の血筋に連なる者にそのようなものは不要さ。この身に流れる血がすべてを証明する。有象無象を相手にする選別など意味が無い。他の者達は知らないが、僕は毎日授業に出なくとも問題ないからね。」
誇らしげに胸を張るウラジミールを見て、ドミトリーはこの場にいないセルゲイに懺悔した。
...あぁ殿下、愚かなる臣をどうかお許しください。臣はこの国の貴族というモノを見誤っておりました...!
彼の実力は知らないが、言っている事にはついていける気がしない。ドミトリーは生理的な拒絶感を覚え始めた。
内心で血涙を流しセルゲイの御真影があれば土下座して詫びを乞いたい衝動に駆られたが、とりあえずは目の前のアッパラパーと話を終えねばならない。笑顔を張り付け内心を隠し、相手に負の印象を与えないように。
「なるほど、そうでしたか。確かに、優秀な者だけで対処すれば効率も高いでしょうね。」
誇らしげに頷くウラジミール。絵になるように完成された仕草であるために余計に腹が立つ。
「高く評価していただけて非常に光栄ですが、自分の実力は自分が良く理解しています。ウラジミール様のお心遣いには感謝いたしますが、やはり今回のお誘いは辞退させていただきたく思います。」
「ふむ、こちらに加わるのならば謝礼も用意するが?」
その知恵を他の所にも回せば良いものを...歪な思考だな
「正直に申し上げますと、自分は学外実習の様な形は今まで経験したことがありません。故に、自分の力では閣下のご期待に応える事が困難であると考えています。まして、謝礼を戴くとなれば生半可な覚悟では臨むわけには参りません。社会を知らないヒヨっ子が閣下を相手に傭兵まがいの振る舞いなど恐れ多い事ですから。」
ウラジミールは顎に手をやり暫しの間思案していたが、やがて頷くと柔らかな笑みを浮かべてドミトリーに告げた。
「残念だが、そこまで考えての事ならば是非もないな。さすがに次席になる程の者の言は良く通るものだ。うむ、仕方ないか。」
何が是非だと内心頭を抱えながら、ドミトリーはウラジミールの言葉を黙って聞き続ける。
「だが、僕の考えが間違っているとは思っていない。君が集めた先に経験した者達の体験談とやらも、語り手の程度が知れるものだ。僕と君、どちらが正しいかはその時になれば明らかになるだろう。後悔しないように励むといい。」
「お心遣い感謝いたします。では、これにて失礼します。」
部屋の外にはウラジミールの取り巻き達がたむろしていた。
彼らからかなり離れたところでランナルが腕組みをして壁に寄りかかって待っている。ドミトリーの心配をよそに、取り巻き達とランナルは武力衝突には至らなかったようである。取りあえずは平穏を保っていた廊下でドミトリーはため息をついた。
「その様子だと断ったか。這い上がる機会をふいにしたな。」
取り巻きの1人がドミトリーに声を掛けてきた。
「そうですね。でも、悪い選択では無かったと思います。あなたと共に力を合わせるなど恐れ多いですから。」
「当然だろう。生まれが違うからな。その殊勝な心掛けに免じて見逃してやる。さっさと行け。」
肩をすくめてドミトリーが彼の脇を通り過ぎると、足元に唾が飛んでくる。廊下に敷かれた絨毯にへばり付いた艶やかなそれを踏まずに避けて、ランナルにアイコンタクトを取るとドミトリーは宿舎を後にした。
「閣下、何故あのトカゲを放って置くのですか!」
「騒々しいぞアキム。閣下がそうお決めになった事柄に口出しをするな。」
「イシドールも俺と同じ目に遭えばわかるさ。あんな屈辱黙っていられるか!」
赤毛の青年がとび色の髪をした青年を窘め、両者が言葉をぶつけ合う。
取り巻き達が部屋に戻り、にぎやかさを取り戻したのを見てウラジミールは微笑みを浮かべながらカップを口に運ぶ。
芳醇な茶の香りが部屋に広まり、自然と視線はウラジミールへと集まる。
「アルチョム。あれは僕たちの役には立たない。それほど悔しいならば実習中に納得できる形で『解決』すればいいさ。」
「...わかりました。」
アルチョムと呼ばれた青年は主の言葉に大人しく従ったが、その眼には復讐の意志が宿る。穏便に済ませようとしたドミトリーの行動は完全に裏目に出ていた。
「しかし、惜しい気もしますね。彼もその友人達も実力は確かでしたから。」
「ローベルト!お前あのトカゲの肩を持つのか!?」
一番背の高い青年がそう漏らすとアルチョムが噛みつくが、ウラジミールは意に介さずにカップをソーサーに戻しながら記憶をたどった。
「“血濡れのパボ”だったか?130年近く前の人物だったはずだが...そうか、まだ生きていたのか...」
長命な種族も心は普通の種族とさして変わらない。名を馳せた長命種が表舞台から姿を消し、ひっそりと地方で余生を過ごすことは別に珍しくは無い事だが、栄華を手放すようなその行動は短命な種族にはなかなか理解されない面がある。
長寿を持て余していると言えばそれまでだが、社会の大多数が短命種であるために世代交代を鈍化させないための長命種なりの配慮とも言える。
「オルストラエにいるらしいとは聞いていましたが。ノーヴィク以外で活動する竜種はごく少数。その中でサムソノフと言えば彼の血筋であることは間違いないかと。」
細身の面々の中で一人だけ筋肉質な青年が記憶を辿りながら述べる。見た目通りの良く響く声が部屋に響く。
「もしかすると“血濡れ”とは直接血が繋がって居ないかもしれません。竜種は子供が授かりにくいですから。二年前に卒業した竜種も確かサムソノフ姓でしたが、どちらも女子だったはずです。」
「では養子の可能性もあるか」
「まぁ、仮に実子だったとしても今回は役には立たないさ。荷物持ちくらいはさせてやっても良いと思ったんだがな。無駄足を踏ませられたよ。」
そう言って再びカップを口に運ぶウラジミールの言葉が締めとなり、一同はそれぞれ動き出した。
「セミョーノフ。手合わせに付き合ってくれよ。」
「良いですが、あとで文句を言うのはナシですよ。では外に行きましょう。」
尺度こそ違えど、彼らもまた挑戦心溢れる若者であった。
「あー嫌だ。学外実習行きたくない。」
食べかけの昼食は既に下げられていたため、ドミトリーは料理長に頼み込んで残り物のパンを分けてもらっていた。口がパサつくが茶で誤魔化す。
目に見えて萎びて帰ってきたドミトリーを見ながら、ランナルが部屋でのやり取りについて問いかけた。
「で、公爵様のご要件とやらは何だったんだ?」
「引き抜き。使い走りが欲しかったんじゃないか?」
「次席を使い走りかぁ。お貴族様は考える事が違うね。」
ベックマンの言葉に全員が頷く。
「大学じゃ見かけなかったけど?」
既にランナルの眼は昏い。
「実家暮らしで試験の時だけ来てたみたいだな。」
「それで主席?」
ベックマンの眼も昏い。
「いやーすごいよなー。できるやつはできるもんだー」
色々とこみあげて、ドミトリーが紡ぐ言葉もぎこちなくなる。目頭が熱い。
話していると相応の努力を積み重ねて来た自分がどうしようもなく滑稽に思えてしまう。自覚は薄かったが、いつの間にか次席であることに少なからぬ誇りを持っていたらしい。
「...相手は公爵様だからな。で、見た感じどうだった?」
「どうもこうも無いさ。モノの見方が違い過ぎる。絶対問題になるだろうな。」
プレーンの学外実習だけでも相当に重いが、トッピングが凶悪過ぎて考えるだけで腹を下してしまいそうになる。何とかパンを食い切ったところで、新たな来訪者が現れた。
「よっ!災難だったな!」
にかにかと笑みを浮かべ、くすんだ金髪の青年がドミトリーに声を掛けて来た。
背丈は160半ば。この世界の基準で言えば十分に身長の高い部類に入る。ゲスな笑みで大分崩れて居はいるが、顔立ちも決して悪くない。周囲の平均値が高いために目立たないが。
ドミトリー達は亜人種ゆえに周囲に遠慮してはいたが、決して孤立をしていた訳では無い。特に貸ノートの商売で繋がりの出来た人間は多く、彼も顧客であり、同時に共同経営者でもあった。
慣れない者にとっては取っ付きづらい雰囲気があることに加え、種族の違いの為にドミトリー達と距離ある人間種の中で数少ない臆さない人間種の友人として、彼は他の同期達との繋ぎ役をしてくれている。
名前はネストル・エラストヴィチ。副都であり帝国最大の港町であるルニスク出身で、実家は帝国東部を商圏とする大手材木商であり、オルストラエにも支店を持つルスラン商会である。
その2男という境遇が生前の自分と似ていたこともあり意気投合。以来、お互いにもっと早く出会えばよかったと後悔する程度には良好な関係だった。
「本物の災難だよ。たぶん同期全員に降りかかるぞ。」
「あー、やっぱりそう見たか。」
ドミトリーの評価は控えめに言っても辛辣であり、バレればその場で決闘になりかねない。だが、ネストルはそれを正すことも無く頷いてさらに腹を痛めつける情報を告げた。
「だが喜べ。あれの得意分野は光魔法だぞ。」
勿論、『血筋の威光』で皇族以外のすべてを傅かせるそれでは無く、れっきとした攻撃系の術式である。特に魔獣相手に高い効果を発揮する強力な術式である。確かに学外実習においては無類の強さを見せる事は想像に難くない。
「虹色に光りそうだな。他には何かできるのか?」
「いや、得意分野は聞いたが、他に何かできるかは知らないな。だが、術式は全て人並み以上に出来る事は確かだ。」
あの気性ではまるで頼りにならないが、救いがあるとすればウラジミール自身の能力は高いらしいという事だった。
「その情報、信用していいのか?」
ランナルが胡散臭そうな目でネストルを見る。
「彼と彼の父君を毛嫌いするある人物からの情報だよ。ほら、教授棟の最上階にいる人。」
「「「あっ...」」」
隠しきれない大人の事情を察してしまい、ようやく上向いた空気はネストルの一言で再び下降線を辿る事となった。
...そう言う大人の事情はもう沢山なんだがなぁ
何が悲しくて生き返ってからも胃を痛めるような真似をせねばならないのか。不思議と笑いがこみ上げる。
「...うん。決めた。」
「何を?」
訝しげむベックマンを見て、そして全員を見回してドミトリーは宣言した。
「俺は成績無視して全力で野外生活を楽しむぞ。脱落さえしなけりゃ卒業は揺るがないんだ。野営に狩りに満喫しまくってやる。面倒事なんて御免だ。俺は楽しみまくるぞ。」
...なにが術式だ。神代の奇跡だ。使ってなんぼの代物ならば、やりたいようにさせてもらうぞ。
唐突に吹っ切れたドミトリーに呆気にとられた3人だったが、間を置かずにその宣言は満場一致のもとで可決された。程度こそ違えど、それぞれが現状に抱く想いは大差なかったのである。
...民主主義万歳!
かくして、ゴロバノフ渾身の学外実習を楽しいキャンプに仕立て上げるべく、一同は動き始めた。
ご意見ご感想等、お待ちしています。




