第14話
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「では、この続きは休暇明けになる。皆、復習を怠らないように!」
授業終了を告げる鐘が高らかに響き、学生たちは束の間の自由を手に入れる。
大学全体が熱気に包まれたのは夏の暑さのせいだけではない。親や家の意向で大学へと来た者たちは勿論、望んで門をくぐった者も祖国の短い夏を全力で謳歌するべく速やかに動き始める。一刻たりとも無駄にできないの。夏季休暇はより謳歌した者ほど短いのだから。
大学に、夏が来た。
「ドミトリー、いよいよだな。」
「あぁ。」
大学が浮かれた空気に包まれる中、寮の食堂の片隅で静かに、だが暑苦しく気炎を上げる亜人種の少年が2人。実家に帰るわけでもなく、街に繰り出すでもない。大学から学生たちが姿を消すのをひたすらに待ち続ける様はもはや暗殺者である。
そんな2人を見つけ、セルゲイがニヤニヤしながら声をかけた。
「手配したモノは明日の朝、管理棟の馬車置き場に届くぞ。」
セルゲイと言う強烈なスポンサーを得た2人の計画は爆発的な進展を見せた。
試作馬車の図面をドミトリーが書き起こし、加工の工程をベックマンが整理した。板ばねに欠かせない鋼の板は、軍で使用されていた使い古しの長剣を流用することにした。試作のベースとなる荷馬車は大学の出入りの商人から中古を確保。木板や角棒は屋外実習で余った廃材を拝借している。 既に材料入手の目途は立った。
子供が短期間でこれだけの準備を整えられたのは、元皇太子であるセルゲイの持つ豊富な資金とコネクションがあったからに他ならない。まさかここまで気合の入った自由工作になるとは思っていなかった二人だったが、セルゲイの悪乗りに近い支援によって瞬く間に計画は拡大してしまったのである。
ドミトリー達に監督を依頼されたオーケルマンが、少し目を離している間にいつの間にか計画が大規模になってしまって本気で焦るのを後目に、三人は一夏の自由工作のために準備を整えてきた。
「ドミトリー、ベックマン。楽しい休暇だぞ。」
待ちに望んだドミトリー達の初めての夏休みが、その幕を開ける。
早朝、寮監督のヴァシリーサは、まだ周囲が薄暗い中響き渡る騒音で目が覚めてしまった。低血圧気味の彼女にとって、不快な寝起きを齎すものは悉く根絶すべき敵である。
今年の休暇中は彼女が把握している限り校舎の修繕の予定はない。こんな早朝からいったい誰が何をしているのか。折角まどろみ楽しめると思った矢先に、そのささやかで怠惰な願いを妨げる作業音は、ヴァシリーサを怒りに覚醒させるには十分過ぎた。
「せっかく休暇が始まったのに、こんなに煩いと休めないじゃない...!」
愛想の無い顔を更に険しくさせながら、彼女はベッドを出た。作業している者たちに注意しなければ。朝早くからこんな音を出す不届き者を野放しにしてはいけない。
例え休暇中であっても、大学内の安寧と秩序を守るのが寮監督たる彼女の責務なのだ。
「思っていたよりも骨組みがしっかりしてるなぁ。」
車輪が外され、台座の上に載せられた荷馬車の下から木屑まみれの角がのぞいている。
日が昇る前に始めようというベックマンの提案で、2人は寮を抜け出して早くも作業を始めていた。工程をしっかりと計画していたお蔭で、第一段階の解体作業は順調に進んだ。しかし、荷馬車の作りが思っていた以上に頑丈な構造をしていたため、ドミトリー達は早くも計画の修正を余儀なくされてしまった。
「やっぱりこのままだと重すぎる。」
荷馬車の下からの声にベックマンの表情は曇る。調子よく始めたところで、所詮は素人の日曜大工。開始してから半日もたたずに早くも計画はとん挫してしまった。材料加工技術の未熟なこの世界で、軽くて頑丈な素材という都合の良いものは無い。騒々しかった作業音が途絶えるまでに、そう時間は掛からなかった。
うっかり寝坊した先輩が作業場として確保した馬車置き場を覗くと、後輩たちは早くも壁にぶち当たって意気消沈していた。今朝始めたばかりにも拘らず、作業場に諦めムードが漂う。
「何か問題があったのかい?」
「馬車の重量が重すぎて、板バネが持ちそうにないんですよ。」
立てかけられた車輪の脇に座り込んだドミトリーの説明を聞いて、セルゲイは腕を組んで考え込む。もっとも、その場ですぐに良いアイディアが出るならば苦労はしない。ベックマンも手を止めて三人で考え込んだが、彼らの思考は2人の大人の乱入で中断されてしまった。
「こんな朝早くから貴方たちは何をしているのですか?」
居心地の悪そうな法術工学の教授を侍らせてた寮監督の弾劾が悩める少年たちの心に突き刺さる。悪い事は続くとはよく言ったものである。泣きっ面に蜂とまではいかないが、早すぎる行き詰まりにお説教の連撃は十分すぎるほどの破壊力がある。
「...新しい馬車の研究です。」
不意打ちに近い絶対的強者の出現に、ドミトリーは何の捻りも無い返事を返すので精一杯だった。
「なんだ、もう行き詰っとたのか。」
作業音が聞こえたので様子を見に来たオーケルマンだったが、苦手な寮監督に捕まった上に馬車置き場についたときにはすでに作業は中断していた。てっきり小休止かと思いきや、開始早々に壁にぶち当たった教え子たちに苦笑いを隠せなかった。
「荷馬車はこんなに頑丈に組まれていたんですね。全然考えていませんでした。」
ヴァシリーサにがっつりと叱られたドミトリーとベックマンだったが、叱られている間も頭の中で発生した問題とその対策を練っていた。
改良の難易度は単純なものほど跳ね上がる。まして、古くから使われてきたものであれば尚更である。 荷馬車と言う人々の生活を支えるモノが、そう簡単に手を加えられるものでは無いのは当然であった。前世における大八車しかりリヤカーしかり。社会の要請と技術の発展によって姿形を変えても、その基本が変わらないのは、必要とされるだけの能力を最低限の構造で実現しているからに他ならない。必要とあらば大重量の荷物を積み、長距離の移動に耐えられる頑丈さ。最低限の手入れで修理し、長期に渡って使い続けられる耐久性。これらの運搬具は兵器とはまた違うベクトルで蛮用に耐えられることが前提であり、それを満たせなければ価値も失ってしまう。
「甘かったなぁ...簡単な改良だと思ってたんだけど。」
ベックマンの言葉にドミトリーもセルゲイも頷くしかない。必要は発明の母とは言うが、それが世に出るには洗練させて鍛え上げる父が居なければならない。
「これほど立派な荷馬車では手を加えるのは大変だろうなぁ。」
車輪を外されてなお大人の背丈ほどの車高がある荷馬車を見ながら、オーケルマンはやんわりと計画の見直すよう諭した。セルゲイが調達した荷馬車は国内でもかなり大型の部類である。離れた都市間の交易で使うような荷馬車ではどう見ても子供たちの手に余る。
「ところで、そこに山積みになっている長剣は何に使うのだ?」
「あれがこの自由工作の肝ですよ、教授。」
ひとまず作業場を片付けた3人は、昼食後にオーケルマンの教授室に行くことになった。初期の計画が不可能となった以上、それらの見直しをしなければならない。長剣の使い道の説明と合わせて、大人の意見も聞こうとドミトリーは2人に提案したのである。
意外な事にオーケルマンの部屋は几帳面に片づけられていた。微妙な酒臭さはあるものの、窓が開け放たれて風通しが良いために不快感は皆無である。ガサツそうな外見からは想像もつかない教授の一面にドミトリーとベックマンは意表を突かれた。
セルゲイが要件を告げながら手土産に持ってきた酒瓶を机の上に乗せると、オーケルマンは顔を綻ばせて快諾した。
「さて、解説してもらえるかな?」
酒瓶片手に対面の長椅子でゆったりと寛ぐこの夏の監督責任者に、ドミトリーは改めて自由工作の詳細な計画を説明し始めた。
「なるほど。ではまずそのサスペンションと言う部品を形にするところから始めた方が良さそうだな。」
説明しながら描いた図を見ながら、オーケルマンはそう纏めた。
動機こそ理解してはもらえなかったが、荷馬車に懸架装置を取り付けることの利点をすぐに理解してもらう事が出来たのは幸いだった。
オーケルマンに限らず、この国は非常に酒が良く飲まれている。
田舎はともかく、ある程度の規模の都市はその地下水をそのまま飲用に用いることができない。下水道が未発達である事から容易に想像できるが、川の水は勿論、井戸水もとても飲めたものでは無い代物である。故に、帝都をはじめとする都市では水の代わりに酒が水分補給の主力を担っている。煮ようが日に晒そうが、臭い水は臭い。水が悪いから酒を飲む。国民が飲兵衛なのには深い理由があるのだ。加えて、酒は清水を確保できる田舎の重要な交易品として、国内の富の循環にも大きな役割を果たしている。極端な言い方をすれば、酒がこの国の血。飲兵衛が国を支えているとも言えなくもない。
一般的な酒は木製の樽で運ばれるのだが、かなりの重量物になる上に衝撃に弱い。特に川などの水運を利用できない都市では、酒樽の運搬に多大な労力が掛かるために価格が跳ね上がってしまう。運送時の衝撃を緩和出来れば、遠方の酒をより安く手に入れられるかもしれないのだ。ドミトリーたちの計画は、生まれながらに酒浸りとも言われるドワーフにとって、放って置くことの出来ない可能性の卵であることに気づかないオーケルマンではない。
「全く、尻に優しいなどという言い方をしなければもっと早く手助けをしてやれたものを...」
その言葉にベックマンが思い詰めた表情で俯き、ドミトリーは気まずげに目を逸らす。説明中、教授室を歩き回っていたセルゲイは、部屋の隅で必死に笑いを噛み殺していた。
「いいだろう、明日からは私も手伝おう。」
既に日はその身を沈め、窓からは虫の調べが流れてきている。思いの外話が盛り上がってしまったせいで今日はもう作業はできない。
本来ならばオーケルマンは怪我をしない程度の監督にとどめるつもりだったが、ドミトリーの説明を聞いて実利に繋がる発明に先行投資をすることにした。
少なくとも人が乗って試せる程度にまで形を整えれば、利点と問題点を洗い出すことができるようになる。これはただの自由工作で終わらせるには勿体ないとドワーフの勘が叫んでいるのだ。セルゲイもそれと無く気付いたからこそ、ここまで支援を行ったのだろう。
「何処からこんな発想が出てくるのやら。」
周囲の理解力が優れているのか、それとも説明が上手いのか。少なくともセルゲイもベックマンもドミトリーの発想を理解できたからこそここまで行動したと考えれば、双方とも水準以上の能力を持っているのは間違いない。教え子が優秀ならば優秀で、教える側は苦労する。
3人が帰った後、新しい馬車の設計図を見遣りながら、オーケルマンは瓶に残った酒を最後に一気に飲み干した。
「よし、これなら何とかなりそうだ!」
翌日、馬車置き場は再び作業音に包まれた。周囲に配慮して早朝と夜間は作業を控え、周囲に配慮しながらとなったが、当初以上に作業場には熱気があふれている。
開始早々に躓いてしまったドミトリー達の自由工作だったが、運良く強力な助っ人を得た事で当初の計画を修正しながら再始動するに至った。
当初の完成目標の馬車は手頃なものに縮小され、4頭立ての大きな荷馬車は2頭立てになった。再び交易馬車として使う予定が無いのなら、完全なテストベッドとしてしまった方が制約を少なくすることが出来る。
ドミトリーもベックマンも変な欲をだして再び墓穴を掘る気はなく、目標の修正を素直に受け入れて作業を再開した。
スポンサーであるセルゲイも、せっかくならば確実に形にした方が良いとこの方針を支持。コンセプトを目に見える形で纏める事を目標に定めた。
「不思議なめぐり合わせもあるものだ。」
荷馬車に取り付き、作業に夢中になる教え子たちを眺めながらオーケルマンは自身の過去に思いを馳せる。
現在、大学にて教鞭を執っているオーケルマンだが、若い頃は工兵として従軍し、パーヴェル達と同じ戦場にいた。昔からドワーフは戦地で野戦築城や刀剣の修繕をしながら、最前線で戦う者たちを支えてきた。そして、オーケルマンも当然の如く軍の後方支援の道を選んだ。まだまだ新米だった彼に転機が訪れたのは、戦神の『加護』を持つ退役軍人が現役復帰した時だった。
その年、前例のない冷夏と水害によって世界は食糧不足に苦しんでいた。多くの穀物を輸出してきた帝国も例外ではなく、穀物の高騰で人々は困窮し街には捨て子が溢れた。国民の不満が高まり不穏な空気が広まる中、戦神の『加護』を持つ男が現れた。
政府は久方ぶりに現れた『加護』持ちに飛びつき、税収の悪化で積極的に行動できなくなった軍に代わって彼を各地の火消しに使った。オーケルマンはそんなピンチヒッターを支えるために派遣された部隊の一人だった。元探検者の彼を支える義勇兵たちもまた探検者であり、それぞれが優秀な狩人にして戦士だった。戦えば必ず勝利をもたらし、困窮した人々の慰撫や治安維持をそつなくこなす彼らは、オーケルマンにとってあまりに眩しい存在だった。
だが、戦闘があるたびに数を減らし、ボロボロになって帰ってくる彼らをただ見ているしか出来ないのが、まだ若かったオーケルマンには耐え難いものだった。戦場に出ても足手まといにしかならないことは理解していても、どうにかならないのかと思いを募らせる日々が続いた。
世界を襲った大凶作を原因として西大陸で始まった戦争は、以前から燻っていた宗教的な対立も加わって、気づけば帝国の生存をかけた大戦争に変貌していた。帝国が持つ東大陸随一の豊かな国土を手に入れるべく、西大陸の主要な国々が同盟を組み大挙して押し寄せて来た。
これで今まで抱いていた歯痒さをぶつけられるとオーケルマンは内心歓喜したが、戦況は後方を支えていたドワーフすらも前線に投じられるほどに劣勢となった。期せずして念願の最前線に立ったオーケルマンだったが、程なくしてかつての己の浅はかさを呪うことになった。
今でも、その時の戦場を夢に見て飛び起きる事がある。
アリスタルフ達が最後の吶喊を行って英雄へと昇り、その間隙を縫い壊滅状態になった亜人種の混成部隊も、パーヴェルの指揮の下で戦場を辛うじて離脱に成功した。辛うじてオーケルマンは地獄から生き延びる事になった。
その後暫くして、歌劇となった英雄の物語を偶然目にしたオーケルマンは、事実とはかけ離れた内容に大きな衝撃を受けた。正規軍の自分が義勇兵を見捨てて生き残ったという自責の念に堪え切れなくなった彼は軍を辞め、ゴロバノフと出会うまで流しの鍛冶として各地を転々とした。
何度思い返しても悔いばかりが残り、死んでいった義勇兵たちに会わせる顔が無い。
典型的なサバイバーズ・ギルトに陥った彼だが、この世界に戦場心理学など存在しない。幸いな事に大学での教員生活が彼の心を癒してくれたが、もしそうでなければ彼は今以上に酒浸りになっていただろう。例え理由は解らずとも、自身を救ってくれたゴロバノフに感謝してもしきれない。
あの地獄を生き延び、恩返しの機会に恵まれた自身の幸運には我ながら呆れてしまう。生き延びることの出来なかった者たちや、機会に恵まれなかった者たちの分まで果たさねばならない思えば、自然とその気は引き締まる。
そんな彼の内心など知らないドミトリーは、新たに生じた疑問を晴らすべく専門家に問う。
ここ数日で生前の知識など当てにしてはならないと身をもって学んだドミトリーは、出来ない事や解らない事は自分で抱え込まない事を心に決めていた。自分ほど当てにならないものは無いのだ。
「先生、この長剣はもしかして鋳造ですか?」
「もし、この手の長剣を鍛造のみで作ると、新しく開拓村が作れるぞ。」
差し出された長剣を受け取って一通り検めたオーケルマンは、その問いに苦笑いしながら答えた。
この世界における剣は打撃武器に近い。文字通り叩き切るために作られているために、繊細さや美しさとは無縁の実用一点張りである。その重量と量産性から鍛造は最低限に抑えられ、鋳造による物が大半を占めている。当然、耐久性などほとんど考慮されていない。
だがよく見れば、この長剣はオーケルマンが地獄を見た頃に作られた古い作品である。良くも残っていたものだと思いながら銘をみれば、今は無き戦友の遺作。思わぬところで過去の断片を見つけ、苦笑いはより深くなる。
「先生、この剣の加工をお願い出来ますか?」
かつて曲りなりにも官僚組織の頂点に立っていた少年の判断によって、自由工作の肝は専門家の手に委ねられた。自由工作と言うには大人の助力が多いと思わないでもないが、出来ない事をゴリ押しして失敗していられるほど、この世界は甘くは無い。出来ないなら任せてしまうのが一番である。
「いいだろう。ただ、この剣だけわしに譲ってはもらえんか。こいつは友人の遺作なんでな。」
断る理由の無いドミトリーは快諾し、ベテランドワーフによるサスペンションの試作が始まった。
本格的な戦記となるまではまだしばらくかかりそうですが、ジャンルを移動した方が良いのではないかと迷っています。




