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元宰相の異世界物語(仮題)  作者: 徳兵衛
第1章
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第12話

 名前も知らない先輩にドミトリーが案内されたのは、前回とは違う事務窓口だった。



 建物こそ他とあまり変わらないしっかりとしたものだったが、内部は全体的に雑然としていて、何より受付にいた女性が絶大な破壊力を持つ容姿...言葉を選んで言うなら非常にふくよかだった。


 正直に白状するならば、事務の受付よりも市場の青果店と言った方がしっくりくる雰囲気である。寮から離れた事務室の受付が彼女との初対面だったため、ドミトリーがこの女性が事務の人ではなく寮母と言うべき立場の人物であることに気づくのはしばらく後の事になる。



「新入生ね。合格証明書を見せて。」



 性別を疑いたくなるほど男前な声をしていたせいで、彼女から簡潔な説明を受ける間、ドミトリーはどうしても違和感に苦しめられた。


 拙い表現だが、肝っ玉母ちゃんから母性を抜いた感じだろうか。



「ドミトリー・パブロヴィチ・サムソノフ。部屋は501号室。何か質問はある?」



 質問を許さない雰囲気を出しておいてよく言ってくれると内心毒づく。



「卒業まで同じ部屋なのですか?」



「同じ部屋よ。気に入らなければ諦めて。他には?」



「いえ、ありません。」


...諦めるのか。 

 別に今更気にはしないが、せめて良い部屋であることを祈るしかないドミトリーだった。






 意外なことにドミトリーの祈りは通じたらしい。


 生前はくじを引けばはずれ、賭ければ必ず負けたのだが、今世は神の加護があるのを実感せずにはいられない。どうせなら授かった『加護』もその程度のささやかな幸運で十分だったのにと思わなくもないが。


 ドミトリーに宛がわれたのは屋根裏部屋だった。

 4階建ての学生宿舎の屋根裏に設けられた部屋は採光用の窓が大きくとられ、屋根の傾斜で生じる息苦しさを和らげている。見晴らしも風通しも良好な素晴らしい一部屋と言える。

 惜しむらくは下からの熱気が上がってくるために何とも言えない熱さになっていることぐらいか。


 備え付けの棚や机も上等なもので、ベッド周りも実家で使っていた寝具よりもはるかに上等で、ベッドには藁ではない何か別のクッションが使われている。

 不自然なほど良好な待遇が逆に居心地が悪くなりそうである。


 

「運がいいな。屋根裏は人気なんだぞ。」



 持ち込んだ荷物を下ろして一息ついていると、先ほど声をかけてきた上級生がドアから覗いていた。

持ち込み品らしい小さな樽を脇に抱えている。慌ててドミトリーは立ち上がり、案内してくれたことへの感謝を告げた。



「先ほどはありがとうございます。案内していただいて助かりました。」


「堅苦しいのはよしてくれ。俺は貴族ではないからな。」



 備え付けのマグに先輩が持ち込んだ手持ち樽の中身を注ぐと酒気が部屋に広がる。樽を見た瞬間想像はついていたが、早々に自室で酒盛りをすることになるとは。



「いける口か?」


「一応、竜種ですので。」



 好む好まざるは別として亜人種、特にドワーフ種や竜種は酒に強い。ドミトリー自身は好き嫌い云々の前にこの世界の酒にあまり興味がなかったが。

 

 生前の法規的にはどうしようもなくアウトだが、この国にはその手の制限をする法は無い。加えてそもそも種族が異なる。そして竜種の種族法にもそんなことは書いていない。要は自分次第なのだ。


 内心葛藤しながらも、断るのも非礼と考えてドミトリーは酒の入ったマグを受け取った。



「西大陸のウィシュケだ。ようこそ法術学院へ。乾杯。」


「乾杯。」



 少年は親元を離れたその日のうちに酒を覚えてしまった。



「そう言えば名前をお伺いしていませんでした。自分はドミトリー・パブロヴィチ・サムソノフ。オルストラエ出身の竜種です。」


「竜種のサムソノフ...どっかで聞いた気がするなぁ。俺はセルゲイ。セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・エルマコフ。これでも一応皇族だ。」



 ドミトリーは崩れ落ちた。



「...確かに貴族ではありませんが、先ほどの仰り方では周囲は誤解してしまうではありませんか。殿下。」


「そう言う堅苦しい話し方はやめてくれ。」



 入寮早々にいろいろと逃げ出したくなったドミトリーだったが、当のセルゲイが非常に気さくだったために話は意外なほどに盛り上がった。

 酒の影響も無視はできないが、話してみれば皇族とは思えないほどに親しみやすい人柄。奔放だけども憎めない。そのくせ物事をよく見通している。



 未来が楽しみな人だが、何故法術大学にいるのか。



 皇族は普通家庭教育を受けた上で男子なら士官学校、女子なら嫁入り修行に入る。差別ではないが、皇族の家庭生活に必要な知識は大学で学べるものでは無い。


 特に、統治者に不可欠な帝王学は王侯貴族だけが学べるモノの筈。



「セルゲイ先輩は士官学校には進まなかったのですか?」


 

「小さい頃の怪我で剣が握れなくてな。もともと軍への興味が薄かったからこっちで学ばせてもらってるのさ。俺の代わりに弟が頑張ってくれてるよ。」


 そう言いながらセルゲイは右手の手袋をはずしてドミトリーに見せた。



 セルゲイの答えにドミトリーは己の質問を激しく後悔した。




 皇族は勿論、貴族をはじめとする特権階級は戦時には前線に立たねばならない。特権の引き替えの責務であり、名誉ある義務である。


 帝国においては貴族が重要な知識階級を構成しているが、責務を果たせなくなった一族が没落するのは少なくない。貴族から権益を取り上げ、中央集権を進める口実としても使っているため、皇帝はそれらの徹底に非常に気を使っている。


 故に、当然セルゲイも皇族として従軍が求められるのだが、彼の右手がそれを許さなかった。 


 セルゲイは幼少期の事故で右手の薬指の先半分と小指を失ってしまったのだ。


 彼は剣も弓も扱えない。軍人としては致命傷である。利き手指2本の欠損で人生が変わるのがこの世界。権利に応じた責務を果たせなければ、例え本人に非が無くとも例外はない。


 まして、貴族たちに責務の遂行を求める皇帝の一族においては訊くのも野暮と言うもの。



「配慮の足りない質問でした。申し訳ございません。」


「だからそういう固いのはやめてくれ。気にしてないからさ。」



 結局、周囲の目がない場所では敬語は不要という約束をドミトリーに取り付けて、セルゲイ皇太子は屋根裏部屋から出て行った。



「初日の初対面の人間がまさか皇族だとは...」



 唐突に現れ、好き放題をして唐突に去って行ったこの国のVIPに、ドミトリーはどう反応すればいいのか分からずにベッドに座り込んだ。



 皇帝一族ともなれば例え本人に権力争いの意志がなくとも、周囲がそれを許さない場合も大いにあり得る。個人として関わるならば非常に楽しい人柄だが、その引っ提げている肩書きはドミトリーにとって悩ましいどころではない。


 その後入学式までの間、何度か突撃酒盛りを繰り返し受けたドミトリーだったが、何だかんだでセルゲイとの会話は考えさせられることも多く、話していて普通に楽しんでいた。



 どうしても政争に巻き込まれるのではないかという不安は付きまとったが、少なくとも馬が合った良き先輩である彼を避ける理由をドミトリーは持たなかった。








「...諸君らの奮闘に期待するや切である!」



...いかん、全然聞いてなかった。


 ドミトリーが入寮してからちょうど7日後、帝国中央法術大学の入学式がささやかに行われた。セルゲイ曰く卒業式は派手との事だったが、今後脱落者が出るであろう入学式は盛大に祝わずに、達成者のみがいる卒業式にウェイトが移るのも仕方ないのかもしれない。この大学は貴族も挫折して中退するほど厳しいのだ。



「ドミトリー、この後どうする?」


「授業始まるのは明日だし、食堂に行ってから図書館に行こうと思う。エルランドはどうする?」



 ドミトリーは入学式でドワーフの少年と知り合った。


 一般的なドワーフと異なり、気弱そうな顔つきをしたもやしっ子である。そう言えば試験で見かけたような気がしないでもなかったが、試験の面子をよく覚えていなかったためにあえてそれを口に出すことは無かった。


 恥ずかしいとは思わないが、印象に残っていたのは胸の立派な虎娘と貴族らしき少年程度である。


 

「そうだな。僕は先に図書館に行くよ。 向こうで合流しようか。」


「わかった。じゃ、また後で。」



...後で名前を聞いておかないと。




 入学式までの1週間の生活はものの見事に女っ気がなかった。勿論、これからも当分無い。

 既に授業が始まる前の課程説明で、高学年の授業の一部は女子との合同があるという話が出ただけで講堂がざわつくぐらいには女っ気に飢えている。


 前世では男女共学の公立学校で学んだが、果たして男子だけではどうなることやら。


 始まったばかりの学校生活はドミトリーにとって未知の世界である。何処まで学べて、どこまで出来て、どれほど出会えるのか。



 在学できる6年の間に得られるものを片っ端から手に入れよう。



 大学で学びたいという一心でパーヴェルの厳しい扱きに耐えてきたのだから。

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