第9話
かすむ主人公。 入学するまでの辛抱だ!
大陸暦第14紀32年
「...っし!!」
法術学部の校舎に掲示された合格者名簿の中に、自分の名前を見つけたドミトリーは無言でガッツポーズをした。
ドミトリー・パブロヴィチ・サムソノフは帝国中央法術大学に合格したのだ。
周囲には名簿に自分の名前を見つけ狂喜する者、泣き崩れる者、血眼になって探す者。掲示板の前は実に表情豊かな人々で埋め尽くされている。ドミトリーにとってはとても懐かしい光景だった。努めて表面には出さないように一頻り喜びを噛みしめたドミトリーだったが、実技試験の合格者数を見て首をひねった。
実技試験の全合格者は28名。1名増えている。
どうやら誰かが帝国随一の学府に子女を捻じ込んだ方がいるようである。貴族ですら試験を免れない学府でそのような事を成しえる一族を、ドミトリーは他に知らない。
皇帝一族
勿論、取り入るつもりは微塵もない。正直言って面倒どころの話ではない。かつてはその手の宮廷闘争と徹底的に距離を取り続けたが、それでも無縁ではいられずに何度も巻き込まれたり巻き添いを食ったものである。懐かしくも忌々しい思い出である。
前世ではお国柄か、他国に比べて比較的穏やかなものではあったが、死者が出ないだけで陰湿さはさして変わらなかった。例え名君であろうと寝室では派閥政治の駒に成り下がる。前世の祖国で人気を博した王の側室や愛人たちの愛と嫉妬に満ちたドラマは、立場上他人事でなかっただけに見ていて精神的にキツイものだった。
今世に於いてドミトリーは政治には関わる気はない。責任ある立場のものが相応しいものを行ってくれればそれだけで十分だったし、何より既に己の欲求に死ぬまで忠誠を尽くすと固く心に誓った身である。二心は許されないのだ。
閑話休題。
掲示から自分の同期にやんごとなき方々がいるだろうと推察したドミトリーだったが、だからといって何かが変わるわけでもない。せいぜい立ち振る舞いに慎重を期していく程度である。
ドミトリー個人としては皇帝一族よりもむしろその取り巻きの貴族の方がはるかに脅威なのだ。
合格証明書を受け取りに校舎に入ると、昨日のドワーフの試験官が受付に座っていた。周囲がそれとなく酒臭いのは気のせいではないだろう。眩い笑顔が暑苦しい。
「合格者か! おめでとう! 名前は!」
「ありがとうございます。名前はドミトリー・パブロヴィチ・サムソノフです。」
名乗るとなぜか真顔になって証明書を手渡してくれた。
「何か問題でもありましたか?」
「いや、君のお父さんを知っていてな。」
最近特に強く思うのだが、父親の交友関係が謎すぎて困る。探検団出身とか言っていたが、いったい何なのだろう。開拓調査でもしていたのだろうか。
「そうですか。失礼ですがお名前は?」
「オーケルマンだ。イェルハルド・オーケルマン。術式工学を担当している。」
工学...気になるな。
ドミトリーは前世に於いて製鉄業を生業にする家に生まれた。結局会社は兄が継いだため自身は政界へと足を踏み入れたが、工学分野に関して興味がない訳では無かった。
もし叶うならば、ここで工学を勉強し直してこの世界で会社を立ち上げるのも面白いかもしれない。
「パーヴェルによろしく伝えてくれ。期待しているぞ、ドミトリー君」
「こちらこそ、何かとお世話になると思うのでどうぞ宜しくお願いします。」
前世仕込みの丁寧な物腰で損をしたことは無い。礼には礼を以て接するべし。
傅かれるような立場の人間ではないドミトリーは、この手の礼節作法を母であるマーシャに特に厳しく教えられている。もし彼らに非礼な態度をとればどの様な目に遭うか分からない。地位も権力も財産も圧倒的な相手に対する接し方は細心の注意を払う必要があるのだ。
「入学に際しての詳細はこちらに書いてあります。出来るならば入学式の1週間前には各種準備を整えて、寮に入るようにしてください。」
合格証明書を受け取り、受付にいた女性から入学の案内冊子をもらったドミトリーは、2人に一礼してその場を離れた。
パーヴェルは合格発表の掲示板から少し離れた辺りで虎種の男性と話をしていた。ドミトリーが向ってくるのを見て男性はパーヴェルから離れて行った。
また知り合いや昔なじみなのだろうか。
「おう、戻ったか。」
ドミトリーはそう言いながら案内冊子をパーヴェルに手渡す。
「合格証明書を貰ってきたよ。遅くても一週間前には寮に入れだって。 今の人って宿で一緒だった人だよね?」
パーヴェルは懐かしそうにそれに目を通しながら答える。
「あぁそうだ...ほう。私の頃と変わっていない様だな。」
「父さんの時と?」
「...大昔の話だよ。」
パーヴェルが在学していたのはもう150年以上前である。
「お父さん、合格証明書と案内、貰ってきたよ。」
「よし、問題ないな。」
聞き覚えのある声がして振り向くと、昨日の虎娘が先ほどの男性と話をしていた。男性の方はパーヴェルよりもさらに筋骨隆々した体躯で、娘とまるで雰囲気が異なっている。獣系亜人種の特徴でもあるのだが、この親子は輪にかけてその差が大きく見える。
やり取りを終えた虎種の親子が竜種の親子と合流する。
「ジーマ、紹介しよう。虎種筆頭のルバノフ氏と彼の娘のライサ嬢だ。」
虎種筆頭ということは伯爵相当の権威を持つ。正式な帝国の貴族ではないがそれに準じる存在として扱われる。独自性の高い種族に相応の権威を保証して種族の取りまとめを行わせるための措置だが、筆頭の地位自体は世襲と決まっている訳では無い。種族によっては固定していたり、していなかったりとバラつきがある。ちなみに虎種は典型的な非世襲型であり、竜種や狼種は世襲型である。
「初めましてドミトリー君。試験での活躍はライサから話は聞いている。その歳で大したものだ。」
「初めましてルバノフ卿。自分はドミトリー・パブロヴィチ・サムソノフと申します。 試験に関しては受験者全員の力によるもので自分は提案しただけにすぎません。過分な評価、恐縮至極であります。」
圧倒的な体躯なのだが不思議と威圧感は無い。腕っぷしだけではなく明晰な頭脳も持ち合わせているのだろう。種族を代表した駆け引きや調整を任される程に優秀なのだ。
相変わらずこの国における父の立ち位置がドミトリーには理解できない。
「パーヴェル、お前と違って随分と丁寧な物腰の息子さんだ。一体どんな教育をしたんだ?」
「最低限の礼儀作法は教えたからな。 マーシャが。」
最後に付け加えた妻の名前で、全員から何かを察したような生暖かい目線で見られたパーヴェルだったが、彼はそれらを全く無視して引き攣った笑顔で告げた。
「誰しも向き不向きはあるのだ。」
ルバノフ父娘と一緒に昼食を取るという流れになり、一行はサムソノフ親子が先日訪れた食堂にいた。父親たちはスープやパンを食べながら、最近の兵役の話題で盛り上がっている。
ドミトリーも、ライサも、そんな保護者たちを見ながら、もっしもっしとシャシリクを噛んでいる。
食堂に入る前にライサ本人から丁寧語禁止の命令を受けたドミトリーは躊躇いながらもそれに従っていた。
「そう言えば、出身ってやっぱり東方なの?」
「うん。でもオルストラエほどは遠くない。街道もしっかり整備されてるし。」
居心地が悪い訳では無いが話すことが無い。ずけずけと質問をする気はドミトリーは無く、盛り上がる父親たちを後目に二人の被保護者の会話は短いやり取りに終始していた。
暫く昼食会は続いたが、女将がそれと無く勘定を求めてきたためにお開きとなった。
「次に帝都に来るのは3か月後だ。2人とも道中気ををつけてな。」
「オルストラエほど遠くはないさ。そちらも気を付けて。」
それぞれが思い思いに道中の無事を祈る。
「またね。」
「じゃあね。」
亜人種とて冬の旅は楽ではない。
帝都からの帰り道は船は使わずに乗合馬車と徒歩ということになった。
馬車に揺られながら、ドミトリはこの4日間の帝都での日々を思い出していた。始まりは唐突極まりなかったが、途中の展開も予想外のことが沢山あった。知らないことも知りたいことも沢山ある。
「父さんってさ、昔何をしてたの?」
「昔からいろいろしてた。話せば長いし面白くもない。」
「でもさ、名簿一目見て貴族の有無を判断するって相当だと思うんだ。」
宿に戻って荷造りしながらパーヴェルに聞いたところ、実技試験の合格者にはお貴族様はおらず、唯一挙げられるとすればライサ嬢ぐらいだったそうだ。
あの後にルバノフ父娘と昼食を取りながら情報交換した時も、その知識が片田舎の警備部隊のそれとは明らかに異なるのだ。長命故の博識ではない、経験に基づいた知識だった。
「父さん、教えてよ。昔の話、聞きたいんだ。」
乗合馬車の同乗者は今は2人だけである。
「楽しい話ではないが、聞きたいのなら話そう。」
パーヴェルの独白が始まった。
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