第7話
「法術学部の受験者かね?」
人気のない受験会場で、ドミトリー初老の男性に声を掛けられた。試験官だろうか。いかにも学者然とした雰囲気で、ロマンスグレーという表現がしっくりくる風貌である。
「はい。法術学部志望のドミトリー・パブロヴィチ・サムソノフです。」
「サムソノフ...そうか。ではこちらに来たまえ。」
サムソノフの名前で引っかかるのか。親父殿はこの男性に一体何をしたのだろう。
内心はともかく、ドミトリーは努めて冷静に試験官らしき男性の後をついて歩く。国内唯一の法術を専門的に取り扱う大学として知られている筈だが、この校舎に入ってから他に受験生らしき人間の姿はない。校舎内を歩くこと暫く、マカボニー調の重厚な扉が見えてきた。
「ここが受験会場になる。中に入って時間まで待機していたまえ。教壇以外、好きな席に座って構わない。」
ドミトリーの返事を待たず、そう言うと男性は中には入らずに来た道を戻っていった。
教壇に座った勇敢な先人がいたのだろうか...
扉を開けるとそこは円形劇場の様に席を配した講堂だった。床は赤いカーペットが敷いてあり、その雰囲気は講堂というよりも劇場や映画館といった趣だった。窓は少なめだったが、それを補う術式照明があるのか暗くはなかった。
講堂に一歩踏み入れたドミトリーに、20組ほどの視線が突き刺さる。
少ない。法術大学の法術学科と銘打って僅か20人程。魔術もとい法術を扱う才能は貴重であるとは聞いていたが、ここまで少ないものとは思っていなかった。比較的早めに来たのが理由かと考えたドミトリーだったが、例えそうであるとしてもやはり少なすぎると内心かぶりを振る。
実技一発の試験がどのようなものかは知らないが、相当敷居が高いものではないのか。父のニヤリとした笑いに騙されたかもしれない。
そう思わずにはいられないドミトリーだった。
席に着いてから行動を見渡すと宿屋で見かけた冬毛の虎娘も来ていたので、想像以上に少ない受験者に少し不安を抱きつつあったドミトリーはホッとした。
だが結局、ドミトリーが来た後に試験開始時間までに来たのは5人だけだった。受験者は30人に満たず、講堂は閑散としたまま時間を迎えた。
「時間になったので試験を始める! 試験内容は実技だ!ここではなく屋外で実施する!全員ついて来い!」
試験官として現れたのはロマンスグレーの男性ではなく、厳ついドワーフの男性だった。腹の奥が震える程大きな彼の指示に従い、ドミトリーたちは講堂を出た。
そのまま校舎を出て、すぐ近くにある屋外訓練場へと連れていかれた一行だったが、訓練場は雪に深く埋もれたままだった。
「諸君らにはこの訓練場を道具を使わずに使用可能にしてもらう! 時間制限は正午まで!以上!はじめ!」
そう言うや否やドワーフの試験官は校舎の中に戻って行ってしまった。
雪原に残される受験生。
呆気にとられて誰もが立ち尽くしていた。
与えられた条件下での状況対処能力を測るということか...ならば
試験内容はドミトリーとしては望むところだったが、一人で強引に進めるのは御免だった。この中にお貴族様がいるかもしれない。全く目立たないが。
「皆、提案があるんだ。聞いてはくれないか?」
「今年は動きがいいねぇ。」
課題を出して早々に校舎内に帰ってきたドワーフの試験官を一瞥して、ロマンスグレーの男性が言葉を放つ。
「この分だと正午前には片付きそうですな、学部長殿。おっと、失礼。」
ドワーフの試験官が言葉を返しながら茶に酒を垂らす。芳醇な香りが室内に広がり、学部長と呼ばれた男は苦笑交じりに呟く。
「あの竜種のはパーヴェルの息子だよ。娘達は法術学部を選ばなんだが、息子は法術学部を選んだ。」
「パーヴェルの! どこかで見覚えがあると思ったが、あれは彼の息子だったのか。」
茶交じりの酒を煽り、何かを思い出すようにしみじみとつぶやくドワーフ。2人が立つ職員室は屋外訓練場をよく見渡せる位置にあり、外では竜種の少年が音頭をとって受験者全員で雪を吹き飛ばして周囲に激しい雪煙が立ち込めている。
「彼から手紙が来てね。息子が大学を志望していると。色々と面倒も抱えているそうだ。」
「竜種と言うだけでも十分面倒だろうに。難儀なことだ。」
そうつぶやくドワーフの目には悔やみ、憐れむような光があった。それを見た学部長と呼ばれた男は受験者たちに視線を戻した。
「オーケルマン。今年の受験者は優秀だ。あの様子では全員合格になってしまう。」
「実技は問題なさそうですが...あの小僧、完全にこちらの観点を見抜いとるな。これは入学しても手が焼けますぞ...」
2人の目線に気づいているか、全員の技量を一目でわかるような配置で除雪を進めるドミトリーたちを見て、ドワーフがため息をつく。
学部長と呼ばれた男はそれを聞いて楽しげに笑うだけだった。
屋外訓練場はその分厚い雪化粧を吹き飛ばされ、湿った地面を剥き出しにされつつあった。
全員で一気にやってしまえば早いし楽というドミトリーの目論見通り、作業は急速に進んでいる。終了は近い。
昼までにかなり時間の余裕ができそうだな。
呼びかけに応えてくれて助かった。
「一人ではこれを全部片づけるのに時間がかかりすぎる。そしてこの屋外訓練場で同じ課題を与えられたのは俺を含めて27人。全員で工程を揃えて掛かればすぐに終わらせられる。」
普段よりも少し口調を荒くして手短に呼びかけた。
「全員で? 競合者同士、手を組むということか?」
目つきのキツイ人間種の少年がドミトリーに問いかける。
「与えられた条件は正午までにこの訓練場から雪を排除すること。全員でやってはいけませんとは言われていない。風で雪を吹き飛ばしたところで、地面の状態によっては地面の乾燥までしなきゃならないなら、全員でやった方が早いと思う。」
「その方が効率が良いと。」
「俺はそう考えてる。」
ドミトリーがそう答えると、彼は周囲に立つ受験生を見回して全体に問いかけた。
「みんなどう思う? 俺は彼の意見に賛成だ。」
...立ち回りが上手いな。完全に持っていかれてしまったな。
だが、彼の一押しで、流れができた。もうひと押し。
「もしかしたらこの後も実技試験があるかもしれない。ここで無理して消耗するのは避けたいと思わないか?」
幸い、積もっている雪はそこまで水気を吸っていないサラサラした状態だった。風で軽い部分を吹き飛ばし、下の重い雪は肉体付呪が出来る面子で地肌ギリギリまで取り除く。日差しがあっても外気が低すぎるために炎系の術式は効果が薄く効率が悪い。見えてきた地面は歪な形で凍っており、いったん地面を溶かして風で乾燥させる事になった。
はじめはお互い警戒しながらの作業だったが、この場にいるのは全員が12歳。入学試験で委縮気味だったとはいえ、健全な子供たちがこの手の作業でテンションを上げないはずがなかった。
風で雪を吹き飛ばしているうちに、徐々にだが呼びかけや連絡のやり取りが明るくなっていく。雪玉が彼らの手に姿を現すまでにそう時間は掛からなかった。
「...あれは雪遊びだな。」
「雪遊びですな。」
校舎から見守っていた学部長は、少し目を離していた隙に雪玉の投げ合いになっていた試験会場を見て、驚きも呆れもせず呆気にとられていた。
よく見ればちゃんと雪玉を訓練場の外に投げているあたり、作業を放り出して雪遊びに興じているのでは無い。息抜きを兼ねた作業ともいえる。楽しそうに訓練場ではしゃぐ受験生たちの声が窓越しにも聞こえてくる。
「ふむ、どうしたものか。」
「注意しますか?」
余りにも騒ぎ声が大き過ぎるならば、他学部の試験の邪魔とならぬように注意をしなければならない。だが、一方のオーケルマンは外の様子を笑いながら眺めるだけである。
「いや、このままもうしばらく見守ろう。度が過ぎたら注意する。」
結局、ドミトリーたちは試験官に注意されることはなかった。
レクリエーションは地面がはっきり見えてきた辺りで自然と終わり、受験生全員が横一列に並び、後ろに下がりながら凍った地面を焼き溶かして作業が終了となったからである。途中息抜きを挟みながらの作業だったが、27人もの法術使いの力は伊達ではない。数こそ最大の魔術である。
湯気を立てる地面を皆で眺めながら試験官を待つ間、ドミトリは羞恥心を押し殺しながら、これからどうしたものかと内心頭を抱えた。
基本的にドミトリーは術式を展開する際にイメージを浮かべるだけなのだが、他の受験生が術式の発動の為に丁寧に詠唱しているのを見て、見様見真似でそれっぽいものを唱えてごまかしていた。
これは...恥ずかしい...‼
習い始めの頃しか詠唱の経験がないドミトリーにとって、我が主神アルストライア云々などとてもではないが恥ずかしくて唱えられたものでは無い。だが、詠唱なしでの発動は明らかに年齢不相応の技量である。悪い意味で目立つのは避けたい。
12歳の少年がノーモーションかつイメージのみで術式を発動するなど周囲から見れば凶悪に過ぎる。それを何の躊躇いもなく人前でしようとしてしまうとは!
あろうことかそれに試験中に気づく己のうっかり具合に、困惑どころか恐怖すら抱くドミトリーだった。
焦土と化した屋外訓練場を眺めながら思い思いに過ごしていた受験生たちだったが、すぐに憩いの時は終了した。
「諸君! 試験ご苦労! 終了予定時刻よりもかなり早いが、課題の全行程は完了したと判断する!」
相変わらず声が大きいドワーフの試験官の発言に全員が傾注する。寛いでいた面々は立ち上がり、発言者を見据えた。
「入学試験は現刻を以て終了! 結果発表は明日の昼前! 全員、自身の目でしっかりと確認するように! 以上!」
開始も唐突だったが、終了もまた唐突だった。
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