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元宰相の異世界物語(仮題)  作者: 徳兵衛
第1章
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第5話   

次回は金曜日です

ドミトリーは結局、自分が過去の記憶を持っているということは言わなかった。





それを伝えたところで、意味があるとは思えなかったし、記憶があろうが今は今。過去の記憶は自分の心に刻みとどめるだけでドミトリーは十分だった。



パーヴェルの言う通り、かつての記憶はアルストライアの加護の一部に違いないのだから。





 絶対安静という巫女頭ソニヤの指示を両親ともどもしれっと無視したドミトリーだったが、マーシャの勧めもあって二日間は特に何もせず、安静という名目で部屋で日記を読み返していた。



「今後の事を考えれば、やっぱり捨てるしかないな。」



 日記は自身が思っていたよりも内容が詳細であり、この世界にはないであろう思想や理論が端的ではあるが記されていた。これを世に解き放てばこの世界は血と鉄に急速に染まっていくことは疑いようがない。


 魔術の存在と神々の積極的な干渉により、科学と医療の進展が遅れているこの世界でそのようなものを解き放てばどうなるか。民族や種族が元の世界の比ではないほどに多様なこの世界で、少数派がどのような目に遭うかは火を見るより明らかである。


 かつては戦争を躊躇わない指導者として名を知られた彼だったが、別に戦争が好きな訳でも世界をぶち壊してまで戦争がしたい訳でも無かった。ドミトリーは10年生きたこの世界を何だかんだで気に入っていた。



「母さん、竈を使っていい?」



...紙は貴重品だがまた新しいものを買える。高いけど。



ふと湧いた貧乏臭い躊躇いを振り払って、ドミトリーは日記を竈に投じた。











「法術大学の入試まであと一年もないけれど、ジーマはこれからどうするの?」



 北国とは言え夏は暑い。短く濃縮された初夏の風を感じながら洗い物を干していたドミトリーに、追加の洗濯籠を持ってきたマーシャが問いかける。



「今まで通り鍛錬と勉強。色々と試してみたいこともあるし。これからはたまに晩御飯とか作りたいと思ってる。」



 問いに答えながらドミトリーは洗い物を干し続ける。



井戸の脇に山盛りになった蕪が見える。これから洗うのだろう。



 それにしても、名前といい料理と言い、かつて彼を悩ませ続けた北方の大帝国そっくりである。手を変え品を変え、頑なに食卓に並び続ける蕪を見ながらドミトリーはマーシャに答える。既に調理台の上に待機しているところところを見るに、やはり今日も蕪まっしぐらな食事は避けられそうにない。



 この世界、技術や文化の水準は産業革命前の欧州を彷彿とさせるものがある。香辛料は全く無い訳ではないようだが、高級な嗜好品扱いのために見たことが無い。保存食は燻製以外には乾物ぐらいのもので季節によって食生活は大きく変わる。新鮮な野菜を食べられるのは短い夏の間だけなのだ。蕪以外。




新鮮だから美味いとは限らないが。





 当然ながら生水も飲めないし、下水道らしきものもない。決してきれい好きだったわけではないが、なまじ記憶があるせいで要らぬところまで気になるのだ。


 必要以上に頑健な竜種の体ならば問題なくても気になってしまうのだ。  精神衛生的に。



「あら、じゃあお母さんも気合入れないとね。」



気合を入れて何をするかはあえて訊かず、ドミトリーは物干し場を後にした。







 パーヴェルから教わった体術は型と言うものがなく、足癖の悪いケンカ殺法じみたものだった。要は殴って蹴ってやった後にはやられない。 法術士とは本来、戦場に於いては遠隔攻撃を主とした支援役であるはずだが、パーヴェルのそれは常識を完全に無視した超攻撃的な戦い方である。恵まれた膂力と術式の組み合わせを以て戦場を蹂躙するのだ。ドミトリーとしては別に法術士でやらなくてもいい気がするが。


 既に体に染みついたケンカ殺法をいまさら改める気はないが、考えれば考えるほどに竜種と言う存在のでたらめさに呆れてしまう。守りを気にせずとも問題ないのだから。

 

 子供が授かりにくいこと以外は弱点がない。


ならば、3人の子供を儲けた両親はもはや弱点がないのではないだろうか。






実際のところ、二人が結婚して子供ができるまでに10年かかっている上、2回の流産を経た上での3人である。

 パーヴェルもマーシャも、決して楽をしていた訳ではない。望んでも迎えること難しいのは他の竜種と全く変わらない、竜種の宿命である。



 ハーブ畑の草をむしりながらそんなしょうもないことを考えていたドミトリーだったが、通りから聞こえてきた騒ぎにその手を止めた。








「アスビョルンさん、何かあったんですか?」



 家から少し離れた大きな通りに人だかりができていた。何かの布告の様で、役人らしき人間種の男が大きな声を張り上げている。集まった人々はざわついており、婦人たちが不安げに顔を見合わせたり、若い男衆が苦虫を噛み潰したような顔を浮かべている。


 雰囲気は良くない。



「おう、サムソノフさんとこの坊主か。なんでも軍役が変わって2年から3年になるんだとさ。税も上がったまんまだってのによ。」



近くに立っていた近所に住む狼種の男性に声をかけると、彼は人だかりの原因となった布告の内容を教えてくれた。



...増税と兵役の延長...よろしくない兆候だな。

兵役義務から外れる法術大学も決して安泰ではないか。



「近く、戦争でも起こるんでしょうか。」


「さぁね。最近はあっちこっちで戦争が起きてるからな。何時巻き込まれてもおかしくは無いだろうさ。」



 各地で戦乱が起きているのはドミトリーにとって初耳だった。

北方の片田舎で世界の情報を得られるとは思っていないが、あまりにも情報が少なすぎて判断どころか分析のしようもない。

 


...そもそも新聞すらない時点で気付くべきだった。



 この国は民衆の識字率が低い。

ドミトリーは己の祖国が自身が思っている以上に遅れていて、なおかつ不安定な基盤の上にあることに愕然とした。



 今すぐではないかもしれない。だが、宰相としての経験が警告する。



この国は極めて危険な綻びを持っている。無視も軽視も許されない、すべてを破壊し尽くす呪いを孕んだ綻びを。



人間種ならともかく、長命な竜種であれば生きている間にそれが引き起こす狂乱に巻き込まれるかもしれない。



 人混みの何処かから陛下は俺らの事をわかっているのかと声が上がる。

その声を聴いた役人の警備をしていた憲兵らしき兵士が警棒を構えて威圧する。



...悪手だ。あんなことをすれば余計に火に油を注ぐ事になるぞ。





雰囲気の悪化は止まらない。



「なんか雲行きが怪しくなってきましたね。早いうちに帰りませんか。」


「あぁ。そうだな。ごたごたに巻き込まれる前にさっさと帰るか。 おい、帰るぞ!」



 アスビョルンはドミトリーに同意すると、婦人らしき女性に声をかけた。夫妻とともに人混みを離れると暫くして増援らしい兵士たちとすれ違った。



「危なかったですね。」


「そうみたいだな。坊主、気を付けて帰るんだぞ。」


「ありがとうございます。そちらもお気をつけて。」



 夫妻と別れた直後、通りに一際大きい騒ぎ声が聞こえてくる。捕り物が始まってしまったようだ。

難を逃れたドミトリーは振り向かずにそのまま小走りで家に帰った。










 帰宅後、布告を伝えると案の定マーシャは不安そうな顔を浮かべ、しかしその後すぐに微笑んでドミトリの頭を撫でた。



「ジーマが心配するようなことなんてないわ。そう言う問題は大人に任せちゃいなさい。」



 まさか中身が枯れたおっさんなどとは言えず、撫でられながら頷くしかないドミトリーだった。






 だが、すべての大人が心配事や面倒事を任せられても平気であるはずがなく、肝心の家長であるパーヴェルが著しく機嫌を害して帰宅してきた。ぼそりと低い声でただいまという声が聞こえて玄関に迎えに行ったドミトリーは、不機嫌極まりない顔の父親を見て、引き攣りながら迎えの一言を言うので精一杯だった。



竜種って怒るとあんな感じになるのか...



 髭はともかくがっしりとした角と開き気味の縦長な瞳孔のせいで、パーヴェルの顔はどう見ても物語に出てくる魔王にしか見えなかった。



ダイニングに逃げ込むとマーシャと鉢合わせたが、マーシャの迎えの言葉にぼそりと答えるだけだった。

言葉少なく自室に向かったパーヴェルの普段と全く異なる様子に、家長を迎えた母子は顔を見合わせるほかなかった。


 夕飯が始まってもパーヴェルの不機嫌は治まらず、サムソノフ家の食卓は極めて居心地の悪い空間へと変貌した。当然、パーヴェルの食べ方も荒い。


散らばるパン屑を見かねたマーシャに窘められるといかれる竜人は少し気を和らげたが、それでも普段の彼からは想像もつかない怒り様だった。



 食後、井戸のそばで母と食器を洗っていたドミトリーがちらりと中の様子を覗くと、怒れる家長は居間でぶつくさ言いながら何か手紙を書いていた。


「全く、あの馬鹿どもは...!」



今日の布告の事で何か問題でもあったのだろうか。そう言えばあの兵士たちは警備部隊とは異なる制服を着ていた。そこらへんに理由がありそうだが...


気になるが、怒れる竜の相手など冗談ではない。







 覗きをやめて皿洗いに戻ろうとしたところ、母からの父の怒りの理由を探る『おつかい』を頼まれてしまった。



「ジーマ、あの人に聞いてらっしゃい。」



 ドミトリーはチラつく小遣いの誘惑に負け、居間で何かを書いているパーヴェルに内心恐れながら近づく。



「父さん、今日はなんでそんなに怒っているの?」



 応えづらい質問では火に油を注ぐと判断し、ドミトリーは務めて冷静にかつ単刀直入に問う。



「無茶な布告をゴリ押しした馬鹿共とその取り巻きが不快極まる輩でなぁ...」



 油は注がなかったが、風を起こしてしまったドミトリーは結局炎に巻かれる羽目になった。






 要約すると、中央から派遣された貴族と取り巻きの役人が露骨な賄賂用の要求と引き抜きをしたらしい。


 幸いなことに賄賂は申し訳程度の心づけで済ませることができたが、引き抜きはかなり強引かつ非礼な形で行われ、断られた際に相手と領主を侮辱するなどその振る舞いは目に余るものだったようである。


 中央でも名の知れた法術士だったパーヴェルに対しては特にしつこかったようで、殺気を抑えるのに必死だったと据わった目でパーヴェルに言われたドミトリーは、食事までにその殺気をどこかにぶつけて来れば良かったのにと思わずにはいられなかった。



 腐敗した貴族と役人、不満を募らせる民衆。重い税と長くなる軍役。

初夏の爽やかさとは裏腹に、この国が垣間見せた現実は重苦しいものだった。







 一通り吐き出したのが功を奏し、パーヴェルは帰宅時よりもはるかにその身に纏う空気が軽くなった。

精神的に大やけどを負いながらもおつかいを果たしたドミトリーは、小遣いをしっかりと受け取って自室へと戻った。




過去の経験が盛んに警報を発している。この国は危険だと。

貴族でなくとも知識階級である法術士が、敵視される可能性は高い。



ぐったりとベッドに身を投げ出してあれこれ思案しても、碌な結末が思い浮かばない。




「ままならないなぁ...ホント...」




あれこれ見えてもどうしようもない自身の立場に、もどかしさを感じるドミトリーだった。



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