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元宰相の異世界物語(仮題)  作者: 徳兵衛
第1章
14/65

第4話   昔と今と   上

丁寧さを意識するとしつこくなる。書き始めて気付く難しさ。


2015/12/05 誤字修正しました。

 結局、ドミトリーが目覚めたのは、その日の昼前の事だった。



 点滴などといった便利なものはその世界に存在しないため、目が覚めたとき、倒れてから一切口にしていなかった彼が感じたのは猛烈な喉の渇きだった。



「水...」



 ガバリと起きた彼は寝ぼけた目で周りを見回し、枕元に水差しがあるのを見つけ、コップをも使わず水差しをラッパ飲みをした。


 一頻りの渇きを癒し、ドミトリーは再びベッドに倒れ込んだ。



「夢なんかじゃなかった...」



 以前、日記に書き残していたそれは夢ではなかった。


 それは自分だった。



 自分の生きた軌跡だった。





 ドミトリーに自覚はなかったが、幸いなことに彼の記憶の混濁は極めて小規模ななものに留まっていた。これは錯乱して目を覚ました直後に沈静術式で眠らされたことで余計な混乱や動揺をしなかった事もあるが、ひとえに彼の記憶を呼び起こした例の女性の技量が、比類ないものであったからに他ならない。


 二度と会いたい思わないが、神殿前の広場で出会った女性はみんな知っていたのだろう。ドミトリー・パブロヴィチ・サムソノフが異なる世界で熊崎源之丞として生きていた事も、死後にこの世界に来て今の自分として生まれ変わった事も。そして、異なる世界の知識を持っている事も。


 ドミトリーには自分があの女性に何をされたのかはわからない。

だが、夢で見た熊崎という男がかつての自分であり、その記憶が今も自分の頭に残っていることを彼女が思い出させたということは理解できた。


 魔術も亜人も無い、血と鉄によって彩られた世界で激動の人生を送った。平民として生まれて、宰相にまで上り詰めた人生。


 疲れ果てボロボロになりながらもひた走り、やっと後を託せる後進に恵まれたと思ったら見届けることができずに退場させられた人生。

 

 それこそが自分だった。

 あそこで生きて、あそこで死んだはずだった。






 転生してから10年。ドミトリーと名を変えて生まれ変わっていた男は、やっとかつての「自分」を思い出したのである。



「夢なんかじゃない...! ...なんで気付かなかった...!」



 ベッドから出てカバンから取り出した日記には、途切れながらも確かな証がつづられていた。食い入るように字を追えば溢れる涙が邪魔をする。



 ずっと前から知っていた。



 ずっと夢だと思っていた。



 出会いも、別れも、成功も、失敗も。


 みんな夢物語だと思い込んでいた。深く考えたことも、疑ったこともなかった。



 あれは知らない誰かの物語だと〝思い込んでいた"。



 全力で生きた自分の軌跡を、知らぬ間に否定し続けていた!



 あれほど必死で駆け抜けたのに。



 あれほど喜び、悲しみ、怒り、笑ったのに。






 ...あれほど愛したのに。





「すぐそこに...手元にあった...!」



 こうして手元に書き残してさえいたのに。



「何をしていたっ...!」



 手を携えて、幾多の困難を乗り越えた仲間。



 幾多の舌戦を繰り広げた戦友。



 持てる総てをつぎ込んで育て上げた後輩。





 己を置いて先に逝ってしまった最愛の人。




 掛け替えの無いものすべてから引きはがされ、何もかも忘れ果ててこの地で新しい人生を歩んでいた。引きはがされたことすら気づかずに、過去の断片をあろうことか夢物語などと切り捨てて。



...何たる不覚か!



 懐かしさとそれ以上の悔しさに涙が溢れて止まらない、ドミトリーは手で顔を覆い声を押し殺して泣いた。


 大切な思い出が次々とあふれ出て、ドミトリーは声を押し殺して泣き続けた。









 湧き出る感情が落ち着いてくるころにはすでに夕方になっていた。



 いつもであれば夕餉の支度をする音が響き、腹を空かせる香りが漂う時間である。だが、今日に限ってはそのどちらもなかった。




「そう言えば、いつの間に帰ったんだろう。」



 ベッドから出て立ち上がった彼は部屋を見回すが、どう見ても自分の部屋である。

 神殿に行ったところまでは覚えているがその後がさっぱり記憶にない。



「母さん、いるのかな。」



 育ちざかりな少年の腹の虫が鳴る。そう言えば何も食べていない

ドミトリーは部屋を出て、眠り過ぎてだるくなった体を引きずるように台所へ向かった。



 


 結論から言うと母はいた。台所ではなく居間だったが。



 朝早くパーヴェルと帰宅したマーシャは、ドミトリーをベッドに寝かせた後しばらく家事をしていたが、息子を無事に見つけた反動もあったのだろう。昼前に一気に眠気が押し寄せて居間で眠りこけていた。


ドミトリーは食料部屋に吊るしてあった鹿の燻製肉を失敬して小腹を満たすことにした。



 窓からは近所の家の煙突から炊事の煙が上っている。



「晩御飯作んないと...」



 寝ている母を起こすのも忍びなく思い、ドミトリーは台所に向かった。






「今帰ったぞ...」


 パーヴェルが帰宅したとき、婦人用のエプロンを身に着けた息子が台所に立っていた。妻が居間で爆睡しているのを見てパーヴェルは思わず天を仰いだ。



マーシャよ、力尽きたか...




「ただいま。   ...ジーマ、体の具合はどうなんだ?」


「あ、お帰り。父さん。」



 見慣れない料理をする息子の背にパーヴェルは呼びかけたが、昨日失神していた当人はケロリとした様子で手を動かし続ける。



「全然なんともないよ。 起きたら昼だし家にいるし、昨日何があったの?」



 寝不足のパーヴェルは億劫になり、あとで話すと答えて妻を起こしに居間に入っていった。



 居間から奇声が聞こえた時、ドミトリーは調理を終えて盛り付けをしている最中だった。ありあわせの野菜を使った、チーズとクリームを使ったシチューもどきである。



 なぜか母に抱きしめられて困惑したドミトリーだったが、ちょうど腹が鳴ったため晩御飯を済ませることにした。





「凄いな。」



 パーヴェルは食卓に並ぶ見慣れない料理に困惑した。今までマーシャが作っていた家庭料理とはだいぶ雰囲気が違ったのだ。味付け自体は竜種好みの淡白な素材を生かしたものだったが、彩りや盛り付けは高級な宿のような雰囲気だった。



「これって全部ドミトリーが作ったのよね?」



 マーシャも同じように困惑しているようで、息子にどうやって作ったのか聞きながら興味深そうに食べていた。



 黒パンを齧りながらパーヴェルは内心落胆していた。ドミトリーはやはり以前と違う。振る舞いもだが、雰囲気が変わった。あの日から何かが始まったのだろう。


予想も覚悟もできてはいたが、今まで料理を教えたことのない息子が何食わぬ顔で食卓を整えたのを見て、今までの日常が終わったと感じずにはいられなかった。



「その様子なら今夜話をしても大丈夫だな。」



 パーヴェルは後回しにする気はない。



「いいよ。2人とも僕に聞きたいことがあるんだろ? 僕も2人に聞きたいことがある。」



マーシャも頷く。



「そうだ。後回しにはできない。 居間に行くぞ。」





「自分」を思い出した少年は両親と向かい合う。

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