第3話 当事者なき三者面談 下
この地方の春特有の強い風が窓を鳴らす。真っ暗な窓から時折雨が打ち付ける音が聞こえる。オルトスラエの春は天候が崩れやすく、大風による被害が毎年のように出る。この様子では今年も何らかの被害が出るだろう。
夜更けの神殿の応接室。ランプに照らされながら、書いた本人のすぐ脇でソニヤ発案のドミトリーの日記の読書会が粛々と行われていた。
年頃の少年には酷な仕打ちではあるが、その少年を守るために保護者と助言者は情報の共有を優先させた結果である。
「それにして、この文字は何処の民の文字なのだ。」
解読という名目で息子の日記を回し読みをしていたパーヴェルは疲れた目元を揉みながらぼやいた。
ドミトリーの夢日記は彼自身の注釈があるのは後半の一部だけで、他は見たことのない文字が混じりあっており、解読は困難を極めた。それに加えて自分たちの言葉とは組成が異なるらしく、深夜の読み物としては荷が勝ちすぎるモノでしかなかった。
「不思議よね。 少なくとも私はこんな文字を使っている民族は知らないし、もし彼自身が考えた文字と言われても納得できないわよ。間違っても6歳の子供が考え出せるモノじゃないわ。」
「だとしたら、それはジーマが『知っていた』と?」
「まだ寝とるし、肝心なところが判らんせいでよくわからんがな。」
この日記、本人以外には肝心なところが読めないのである。
読めない内容はともかくとして、「ドミトリーの夢日記」は書き手が執筆当時6歳であったことを考えれば異常としか言いようのない代物だった。
パーヴェルもマーシャも現物を自身の目で確認すると、改めて息子の特異さを痛感せずにはいられなかった。子供の書き物では済ませられないほどにびっしりと書き込まれていた。
身近であったことは言い訳にならない。そぐそばに『加護』に繋がるかも知れない証拠があるのを知っていて放って置いたのだから。
「今回の一件、業を煮やした彼女が何らかの手を下したと考えるべきか。今まで大人しかっただけで、やはり神は神か。」
何をさせようとして何をしたのかは定かではないが、息子が厄介ごとに巻き込まれるのは親として心中穏やかでいられるものでは無い。
ましてその結果昏倒したのだから、パーヴェルとしては親として一言言わずにはいられなかった。
竜種は家族の絆を重んじる。家族の為ならば命を懸けると言われるほどであり、集団としての結束力もこの世界で一般的な人間種とは比較にならないほどに高い。
竜種がその出生率の低さにも拘らず今も生き残っているのは、この気質によるところが極めて大きいのである。
余談ではあるが、約束や契約を重んじる姿勢は病的とまで言われる。
例え世渡りが下手であっても、その義理堅さからくる信頼は厚いのである。
己の主神がそれとなくこき下ろされた巫女頭は、まったく気にしないどころかむしろ賛同した。
彼女にとって神との関係はオーナーと雇われ店主のそれと変わらないものである。
『加護』が原因で婚約者を失った彼女にとって、神への信仰は自分がするものでは無く他人にさせるモノでしかない。
深入りせずに仲介するのが巫女たちの役割なのだ。
「とにかく、この日記は危険ね。 帝都に行かせるならば焼き捨てさせた方がいいわ。内容は解らないけど、他の人間の目に入ったらどんなトラブルになるか分からないわ。」
興味本位で少しだけ解読を試みたソニヤだったが、やはり手掛かりのない未知の文字はどうしようもなく、ほとんど読み進められなかった。
「天才か怪物、どっちでしょうね。」
「どっちにしたって私たちの家族だ。自分の子を信じるのは親の責務だろう。これをどうするかは息子に決めさせる。女神アルストライアの考えていることは知らんが、あの子が自分で結論を出したならば。それを見守るだけだ。」
「...あの子はもうすぐ独り立ちだもの。信じてあげなきゃ。」
ソニヤに、夫妻の結論に異を唱える気は起きなかった。
それ以上に腹立たしいほどに家族の絆を見せつけられ、彼女は色々と堪えるので必死だった。
「今までもそうだった。これからも変わらない。私たちはあの子を信じるだけだ。」
結局パーヴェルに止めを刺され、ソニヤは少し顔を洗ってくると言って部屋を出て行った。
既に窓の外は白み始めていおり、風は強いが雨は止んでいた。雲の切れ間からは透き通った青色がのぞいている。
パーヴェルはテーブルに置いていた日記をドミトリーのカバンに戻した。何もかもが今更ではあるが、幸いなことに遅すぎたわけではない。今からでもできる事は多い。
自分の息子が家を出て行くまであと1年弱、自分に何ができるだろうかと思いを巡らせる。
「親としてしてやれることに気づく前に独り立ちされそうだな。」
「独り立ちしてからもしてあげられることはありますよ。」
息子の髪を撫でながらマーシャは答える。
竜種としては年若いマーシャだが、パーヴェルはいつも彼女には頭が上がらない。
「...そうだな。」
窓から見える街は煙突から細い煙を上げ始めている。
そろそろ戻らなければ仕事に差支えが出る。そう思った彼がソニヤを探そうとしたところで、彼女はちょうど応接室へ戻ってきた。
ソニヤは少し眼元が赤かったが、敢えてそれを指摘する二人ではない。
パーヴェルがそろそろ帰宅する旨を伝える。
「待たせて悪いわね。 大丈夫だとは思うけど、念のために今から探査式張るわ。」
ソニヤはそのままソファーの近くに歩み寄り、屈んでドミトリーの額に手をかざす。
「特に問題なさそうね。 例の痕跡は完全に消えてるわ。沈静術式の方も効果は切れてるから普通に目覚めるはずよ。一応、今日と明日は安静にしてあげなさいな。」
そう言うと彼女はドミトリを頭をひと撫でして立ち上がり、用は済んだとばかりにドアに向かって歩き出した。
「ありがとう。世話になった。」
「本当にありがとうございました。」
ソニヤの背中に声がかかる。
「頑張ってね。応援してるから。」
ドアの前で立ち止まり、ソニヤは振り向かずにそう言うと、答えを待たずに部屋を出て行った。