第2話 迷える竜の子 中
男の信義を投げ捨て、苦労の末にパーヴェルから魔術の手ほどきを受けることになったドミトリー。
だが、加護があるにも拘らず彼の成長は平均よりも多少早い程度で、普通のそれと大差ないものだった。
上手くいく時もあれば全然ダメな時もある。新人特有のムラっ気はあったが、ドミトリーはひたすら反復を繰り返した。
パーヴェルはドミトリーが失敗しても全く気にせず、むしろ進んで失敗するように指導した。試行錯誤こそが成長への近道であり、正解だけを教えても本人の為にならないという自己の経験に基づいた確信が彼にあったためである。
「できる限り繰り返せ。何度も試して失敗するんだ。」
何度も失敗を繰り返し、毎日疲労困憊するまで練習を続ける日々は少しずつだが確実にドミトリーの能力を高めていった。辛かったが上達しているのが自分でも感じられて、ドミトリーは楽しくて仕方なかった。やればやっただけ明日には何かが変わる。
魔術を学び始めてからそのような日々がしばらくの間続いていた。腕が上がってからは姉たちと自主的に練習をしたりすることも増え、以前の引っ込み思案な少年は快活さを手に入れていた。
しかし、ここ半年ほどドミトリーの躍進は完全に止まっており、彼は壁にぶち当たっていた。
脇目を振らない鍛錬漬けの生活を初めて既に4年。ドミトリーは今年10歳になる。両親はドミトリーが伸び悩んだことを機に、両親は社会の常識やルールを教え込んでいた。
パーヴェルとしては、ドミトリーが法術大学に入れるかどうかは試験を受けなければ判らないが、たとえ入れなくともいずれ必ず役に立つと考えていた。。残念ながら自分に似て堅苦しいマナーや教養は不得手だったが。
ドミトリーが志望する帝都の法術大学は国内でも数少ない若年者に対する教育機関であり、法術学校は貴族の子弟も多数在籍している。最低限、教養もなければ大学でやっていくことはできない。
ドミトリーの二人の姉は既に法術大学の入学試験に合格し、現在は家を離れて大学の女子寮に住んでいる。
時折家に届く二人からの手紙には、大学だけでなく帝都の様子も細かく綴られていた。彼女たちは竜種には珍しい双子の姉妹のため、時折それをからかわれる事があったらしく、それを愚痴る内容のものが届いたこともある。
無論読み手は揃って相手にしていなかったが。
色々と苦労もあるようだが、生家で一人鍛錬を続けるドミトリーにとって姉たちが羨ましくて仕方ない。
既に法術士として実践もこなせる程度の力が身についていたが、ドミトリーにはその自覚はなく大学に落ちたらどうしようと不安で仕方がなかった。
現在パーヴェルは高等法術士としての経験を買われて、オルトスラエの警備部隊で部隊の訓練と街道沿いの魔獣退治に精を出している。決して貯蓄に余裕がない訳では無いが、足掛け3年に渡る無職生活は勤勉であった彼の心を蝕むものだっただけでなく、家庭内における父の威厳を傷つけた。
「父さんははなんで働かないの?」
紛れもなくドミトリーに十分な説明していなかったパーヴェルの落ち度だが、パーヴェルにとって息子の放った一言は破壊力が強すぎた。
自業自得とは言え、息子からの素朴な質問に深く心を傷つけられたパーヴェルは、既にドミトリーが自力で鍛錬できる水準になっていたこともあって、彼は速やかに職務復帰することを決意した。
それも既に1年間の話である。
今のドミトリーは母であるマーシャに一般的な教養を教わる以外、自主鍛錬と家事の手伝いをしている。試験まであと1年ほどしか残っていないが、内心はともかくドミトリーは以前に比べて落ち着いた日々を過ごしていた。
そんな大陸暦第14紀31年の春。
「ジーマ、明日街まで行って手紙を出してきてくれないか?」
「いいよ。街に行くのは久しぶりだし。」
久しぶりに神殿に行ってみようかな。ソニヤさんに相談...相談料は払えないから無理だ。
行くだけ行ってみるのもいいかもしれない。
先払いで小遣いを受け取って、ドミトリーは翌日に備えて早めに寝ることにした。
寝る前に日記帳に一言書き込む。鍛錬が始まってからはしばらく書く余裕が無かったが、魔術の練習が始まったのを機にかつての日記をつける習慣を復活させていた。
書き終わって日記帳を机の中にしまった時、ふと思いついて彼は昔夢の事を書いた古い日記帳を肩掛けカバンに入れた。
そういえば、もうずっとあの夢を見ていない。
翌朝、あいにくの雨模様だったが雨脚は強くなかったので街へ行くことにした。
パーヴェルから譲ってもらった外套に最近やっと身の丈が追いついたため、ドミトリーは密かに雨の日の外出を楽しみにしていた。
傍から見ると外套に包まれているようにしか見えないが、本人は気付いていない。
春の生暖かい雨を受けながら乗合馬車から周りの風景を眺めれば、既に道沿いの木々は黄緑色の芽吹きに染まっていた。
北国であるオルトスラエの夏は短い。長い冬を耐え抜いた春の息吹が満ちている。
4年前のあの日も春だった。
街に到着し、乗合馬車から降りたドミトリーは久しぶりの雑踏に圧倒される。街の活気は4年前と変わっていない。
雨に濡れながらも街は活気に満ちていた。
途中の守衛に場所を聞いて地元の配達ギルドで郵送の依頼を済ませると、既に雨は上がり暖かい日差しが差していた。
特に理由もなく本殿にはいるなと釘を刺されていたドミトリーは人のまばらな広間をぐるっと回り、日にあたって乾いていた石の長椅子に腰かけた。
遠くで狼種の巫女が他の巫女たちと祭壇の掃除をしている。
ソニヤの補佐をしていた人だったはずだが、すぐに名前を思い出せなかった。
せっせと掃除をする巫女たちを遠目に見ながらドミトリーはぼんやりとこの場所から始まったことに思いを馳せた。
今から4年ほど前、ここに来た日からドミトリーの日常はガラリと変わった。
魔術を初めてこの目で見て、自分に女神アルストライアの加護があることを知った。自分に何かすごい力があると言われ、
以来、何かに追われるような勢いでひたすらに鍛え、磨いてきた。
「竜種としても、人としても、お前は受け身ではない生き方を目指しなさい。」
受け身な生き方は解るが、そうではない生き方とは何だろう。
今までの分をやり返すのは違うだろう。間違いなくパーヴェルに半殺しにされる。
今は父と組み手をしても一方的にボコボコにされることはない。魔術も一通り修めた。
近所のいじめっ子はもうドミトリーに手出しできなくなった。
しかし、それは自分が頑張って手に入れたものに他ならない。
では自分の凄い力とは、アルストライアの加護とは何だろう。
解らないことも多く、次第に思考が堂々巡りになってゆく。
次第に日が傾いてきたた。
遅くなる前に帰ろうと立ち上がり、畳んだ外套を抱えて振り向いたドミトリーの前に、どこかで見覚えのある女性が佇んでいた。