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7 穢れ

 話を終えると、「日が落ちるまでには里に着きたい」というエカルドさんの指示でピーちゃんを走らせた。

 ピーちゃんはエルフの灰色馬と同じくらい速かったけど、時々走る事に飽きるみたいで、木にぶつからないように羽を広げて飛んでいたりもする。振動が無いなと思うと、十センチくらい浮いているのだ。


 そうやって長い時間走り続けていると、徐々に周囲の空気が変わり始めた。

 元々この森は幻想的で美しく、空気は澄んでいるのだが、奥に行くにつれ、それがより顕著になったような気がするのだ。

 警戒して姿を現さなかった小鳥やリスなどがちらちらと視界に入るようになり、動物の気配が増えた。静かな森だと思っていたのに、結構賑やかだったみたいだ。

 木々も手前の森のものよりほんの少し大きく、生命力に満ち溢れている感じがする。


(気持ちいい……)


 ピーちゃんと一緒に走りながら風を浴びると、心の底からリフレッシュできる。

 

「すぐそこに泉があるから、少し休もう」


 前を走っていたエカルドさんが振り返って言う。私は二度頷いてそれに応えた。喉が乾いていて、ちゃんと声が出そうになかったからだ。

 そういえば、そろそろお腹も空いてきた。エルフの里に着いたら何か食べ物を分けてもらえるだろうか。嫌われているからそれくらい自分で確保しろと言われるかもしれない。


 食事の心配をしているうちに泉についた。速度を落として木が密集しているところを抜けると、一気に視界が開ける。

 泉はそこそこ大きくて、驚くほど透明度の高い水で満たされている。太陽の光をきらきらと反射していなければ、そこに水があると認識できないほどだった。

 泉の周りには背の低い草が生えていて、時々可憐な野花も混じっている。


 エカルドさんとサイーファスさんは馬から降りて泉の淵へ誘導し、愛馬に水を飲ませ始めた。

 それを見たピーちゃんも私を乗せたまま泉に近づく。


「降りないのかい?」


 エカルドさんが不思議そうな顔をして訊いてくる。

 今の私は、ピーちゃんが頭を下げてごくごくと水を飲んでいるその背中に、手持ち無沙汰に跨ったままの状態なのだ。


「……降りられなくて」


 蚊の鳴くような声で言った。聞こえなければ聞こえないでよかった。恥ずかしいから。

 けれどエルフは耳が良いようで、エカルドさんは表情を崩して笑う。


「その子は調教されていないんだったな」

「元の世界では可愛がられて愛されるのが仕事でしたから。でもこれだけ大きくなってしまったので、ちゃんと私が制御できるように、これからは色々教えたいと思ってます」


 最初はお座りを教えよう。そうしたら背中への乗り降りで恥をかく事もない。

 抱えてくれるつもりなのか「降りるの手伝うよ」とエカルドさんが近づいてきたが、喉を潤したピーちゃんがタイミングよく腰を落ち着けてくれたので手を借りずに済んだ。

 ――と、


「あなたのその穢れですが……」


 唐突にサイーファスさんがこちらを見て話し始めたので、私は『穢れ』という単語に過剰反応しつつ、ビクビクと続きを待った。


「里に入る前に少し落としておきましょう。他のエルフたちが驚かぬように」

「はい……」


 私の穢れってそんなに酷いのか。

 なんだか自分の体が汚いもののように思えてきた。こんな清々しい場所にいてはならない気がして、肩身が狭くなる。


「私の穢れって、エルフの人たちには皆見えるんでしょうか?」


 私自身には見えないし、人間の兵士さんたちも見えていないようだったが。

 答えてくれたのはエカルドさんだ。


「ほとんどの者は何となく感じる事ができるくらいだと思う。僕もそうだ。君の周りに、何か嫌なものが漂っているのが分かるだけ。だけどサイーファスは神官だからそういうものを見る能力に長けていて、もっとはっきり視覚できるんだよ」

「ねっとりと黒く淀んだ霧のようなものが、あなたにまとわり付いているのが見えるのです」


 サイーファスさんは嫌そうに言った。


「清く正しく謙虚に生きている者には、そんな穢れはつかないのです。しかしそれだけの穢れが生まれた原因について、私はあなたに詳しくは訊きません。どうやらあなたは自分の犯した過ちについて、よく自覚しているようですから」

「……はい」


 泣きそうな声で言った。

 仕事に関しては、私がいなくても代わりの人員はいくらでもいるという事もあって、実はそこまで申し訳ないとは思っていない。

 だけど親を捨てて逃げてきた事は、これでよかったんだと思う一方、もっと他にやり方があったのではないかという気持ちが消えない。

 そしてこんなふうに聖人君子のような外見の人から「穢れがある」と言われ続けると、やっぱり私の選択は間違っていたんだと、罪の意識は膨らんでいくばかりだ。


「しっかりと悔い改めればいいのですよ。まだあなたは若い。いくらでもやり直せます」


 極悪非道な重罪人になった気持ちで頷いた。ピーちゃんが心配して顔を寄せてくれるが、触れるとピーちゃんすら汚してしまいそうで撫でられない。


「だけど本当に奇妙だな」


 エカルドさんが顎に手を当てて思案しながら、私を見ている。


「サイーファスもそう思うだろう? 彼女の言動と、その酷い穢れは一致しない。僕には彼女は善人に思えるが……だが確かに穢れも感じるし」

「同感ですが、見るからに善人でも、心の内には他人への妬みや憎しみでいっぱいという人間もいるのです。穢れが見えている以上、払うだけです」


 そう言うと、サイーファスさんは馬に取り付けていた小さな鞄から、銀色のドーナツみたいなものを取り出した。

 植物の彫刻が施された金属製のもので、外側にはぐるりと細い溝がある。サイーファスさんが動かすとチリチリと軽い音がなった。どうやら輪状の鈴のようだ。


「そこに膝をついて立ってもらえますか?」


 サイーファスさんが敷いてくれた厚手の布の上で、言われた通りに膝立ちする。「目をつぶって。手は重ねて胸に」という指示にも、これから何をされるのか分からないまま従った。


「では始めますので、そのままで」


 シャンシャンという清らかな鈴の音が頭上から降り注ぐ。と同時にサイーファスさんが意味の理解できない呪文のような言葉を唱え始めた。詩を読み上げているみたいに心地いいリズムだ。

 鈴の音も最初は頭の上から聞こえてきていたが、今度は左耳の横、また頭の上を通って右耳の方へと動いていき、以降はそれを繰り返している。


 何だか神妙な気持ちになる。絶えることのない鈴の音と、サイーファスさんの低く涼やかな声を聞いていると、確かに浄化されている気分になった。穢れが流されていくような感じだ。


「ピ」


 とそこへ、ピーちゃんの鳴き声らしき控えめな声が混じり始める。シャンシャン「ピ」シャンシャン「ピ」と鈴の音について回っていた。

 ピーちゃんは私の隣にいたはずだが、ゆっくりとした足音はサイーファスさんの背後をうろついている。

 ピーちゃんが何かするのでは心配になって、うっすらと目を開けてみた。

 

「ピ」


 私の愛鳥は、「なにしてるの?」「それなに?」「そのおとがなってるやつ」「みせて」「きになる」「それみせてよ」「ねぇ」とでも言いたげに短くお喋りをしつつ、サイーファスさんの後ろからにょろにょろと首を伸ばしてドーナツ型の鈴を取ろうとしていた。

 サイーファスさんはそれに気づいているだろうが、ごく真面目な顔をして上手くピーちゃんのくちばしを避けながら、私の穢れを払う事に集中している。


「……っ」


 真剣なサイーファスさんにまとわり付いているピーちゃん、という状況がおかしくて、私は吹き出しそうになった。

 舌を噛んで、痛みで面白さを紛らわせる。

 最近は色々な事に疲れて、仕事で作り笑いを浮かべる以外はあまり笑顔になる事もなかったけど、本当は笑い上戸なのだ。特にこういう笑っていはいけない真面目な状況でおかしな事が起きるとダメ。

 どうしてサイーファスさんはピーちゃんが気にならないんだろう。彼がそれについて突っ込んでくれたり、僅かでも困ったような顔をしてくれれば、私もこんなに笑いたくならないのに。


 って、ああああああ! 

 ピーちゃんがサイーファスさんの髪をもしゃもしゃ食べている……!


 ひーっ、とプルプルと震えながらエカルドさんを盗み見ると、彼も私と同じように歯を食いしばって耐えていた。


「くっ……」


 エカルドさんの顔を見て吹き出てしまった息を咳払いでごまかす。目をつぶってピーちゃんを見ないようにするが、面白い場面を想像してしまってあまり意味がない。

 苦しいッ……。




「終わりましたよ」


 サイーファスさんにそう言われると同時に、私は大きく息を吐いた。耐え切った! 

 胸の辺りと頬がひくひくと痙攣している気がする。エカルドさんは途中からこちらに背を向けていた。

 

「ですが効果はありませんでした」


 サイーファスさんはピーちゃんに舐められていた自分の髪の毛を無表情でさらりと奪い返しながら、真面目な話を続ける。リアクション取ってよー!

 私はピーちゃんをこちらに引っ張って、どうしても口角が上がってしまう唇をそのふわふわの首に埋めながら、くぐもった声で言った。


「効果が……、なかったとは?」

「穢れがちっとも払えなかったという事です。私の力不足でもありますが、あなたの穢れの深さも凄まじいと自覚していただいた方がよいでしょう」

「そんなにですか」


 私は顔を上げた。ショックでおかしさが吹き飛んだ。

 やはり親を捨てたという罪は、そう簡単には消えないのだろう。


「私、こんな状態であなた方のお世話になっていいんでしょうか? サイーファスさんほどでないにしろ、他のエルフさんたちも穢れを感じるんですよね。きっと嫌な思いをさせてしまいます」


 私がしゅんと肩を落とすと、


「本当に、不思議ですね」


 独り事のようにサイーファスさんが呟いた。


「今のも演技とは思えません。あなたはそうやって他人の気持ちを考慮できる人物であるのに、どうしてそこまで黒く穢れてしまっているのでしょうか」


 そんな事を言われても何て返せばいいのか分からない。

 私が黙って困った顔をしていると、サイーファスさんは気を取り直すようにまぶたを伏せた。


「私の仲間たちは、確かにあなたの存在を快く思わないでしょう。しかしあなたを世話する事が神託によるものだという事も知っています。我々はスーラに従うのみ。あなたも里では居心地が悪いかもしれませんが、この世界で生きていけるだけの知識を得るまで辛抱するのです」

「辛抱だなんてそんな……ひたすら有り難いと思うだけです、私は」


 元の世界を捨てて逃げてきた最低な私を、少しの間だけでも里に置いてもらえるなんて。迷惑をかけて申し訳なく思う。


「もう独り立ちしても大丈夫だと思えたら、僕が人間たちの町まで送っていこう。人間は基本的に穢れが見えないから、変な目を向けられる事もないよ」


 エカルドさんの言葉にも「ありがとうございます」と感謝する。


「じゃあそろそろ出発しようか」

「あ、ちょっと待ってください。……私も喉が渇いていて。ここのお水は人間が飲んでも大丈夫ですか?」

「ああ、気がまわらなくて悪かった。もちろん大丈夫だよ」


 やった、と心の中で喜びながら泉に近づいてしゃがんだ。両手で水をすくって飲もうとしたが、泉に手を浸す直前にサイーファスさんに止められてしまう。


「お待ちなさい。泉の水に手を触れてはいけません。あなたの穢れが移ってしまう」


 鋭く言われて、ハッと手を引っ込める。


「す、すみません」


 ほんと、バイキンみたいな存在になってしまったんだな私。ろくに水も飲めないなんて。

 元気づけてくれているのか、ピーちゃんがガジガジと頭を甘噛みしてくる。痛い。

 

「これを」


 飲むな、という意味で止められたのかと思ったが、サイーファスさんは鞄から木製のコップを取り出して、それに水を汲んで渡してくれた。

 今の私は自己卑下の気持ちが強くなっているので、「こんな汚れたわたくしめに、清らかなエルフ様が水を恵んでくださった! ご自分のコップで、水を! わたくしめに!」と土下座で感謝を表したくなる。


「ありがとうございます!」


 サイーファスさんの手に触れないよう注意しながら受け取る。

 このコップ、私が口をつければもう二度とサイーファスさんは使いたくなくなるだろう。もしお気に入りのものだったら申し訳ない、そう思いつつも、私は喉の渇きを抑えきれなかった。

 コップに口をつけ、ぐいっと一気に傾ける。

 泉の水は何の臭みも雑味もない、見た目通りに澄んだ味がした。ごくごくと引っかかりなく飲めて、喉越しがいい。食道を通って行くのが分かるくらい冷たく、干からびた体が潤うようだ。


 一瞬で飲み干して、その美味しさに感動しながら息をつく。

『もっと飲みたい』なんて言ったら厚かましいと思われるだろうか、と心配しながら濡れた唇の端を指でぬぐい、控えめにサイーファスさんを見上げた。


「あの、もう一杯頂いても……」


 そこでふと、コップを持ち上げる動きを止める。

 サイーファスさんが不可解な生き物を見るような目でこちらを見ていたからだ。片眉を上げて眉間にしわを寄せつつも、目を見開いて驚いている。

 

「駄目、ですか? 水……」


 この反応何なの怖いよ私また何かしたの? と混乱していると、サイーファスさんは無言で私からコップを奪い、水を汲んで、また渡してくれた。

 

「あ、ありがとうございます」


 こちらを検分するような、僅かな変化すら見逃さないというような強い視線を向けられていて、非常に飲みにくい。


「飲んでください、早く」

「ごめんなさい」


 急かされて、私は慌ててコップに口をつけた。エカルドさんの「どうしたんだ、サイーファス?」という疑問の声が隣から聞こえてくる。

 半分くらいを一気に飲むと胃がタプタプし始めたが、サイーファスさんがこっちを注視しているので、残りも喉に流し込んだ。

 

「……」


 すごい見られてる。遠くにある小さなものを見るように、目をすがめて。


「私、何か――」


 堪らず理由を訊こうと思ったら、サイーファスさんはくるりと体を反転させて森の中に消えてしまった。

 解説を求めてエカルドさんを見るが、首を振って肩をすくめられてしまった。彼にも意味が分からないようだ。

 ピーちゃんを軽く撫でながら待っていると、一分ほどでサイーファスさんが戻ってきた。

 マンゴーみたいな果物を五つほど抱えている。


「ちょっと持っていてください」

「どうしたんだ? オットムなんて採ってきて」


 サイーファスさんはエカルドさんの質問に答える事なく、オットムというらしい果物を彼に押し付けた。しかし一つは手元に残していて、それを私に手渡してくる。


「食べなさい」

「え?」


 今ですか?

 私の手のひらほどあるオットムを眺めて逡巡する。お腹は空いているけど、サイーファスさんたちは一緒に食べる気配もないし、一人でかぶりつくのも……。

 迷っている内に、同じく空腹だったらしいピーちゃんが私の手元を覗きこんできた。

 そして、


「ピャッ!」


 と嬉しそうに鳴いた瞬間、オットムはピーちゃんの口の中へ吸い込まれていた。私のものは自分のもの、という認識がピーちゃんにはあるらしい。

 あ、とは思ったが、美味しそうにオットムを咀嚼しているピーちゃんを見ると「よかったねぇ」とナデナデしてしまう。


「私はあなたに食べなさいと言ったのですが?」

「はい、すみません」


 サイーファスさんに冷たく言われると同時に、我関せずのピーちゃんが器用に種だけ吐き出した。

「仕方ないですね」と呆れた顔をして、エカルドさんの持っているオットムをもう一つ取ると、その黄みがかった赤色の皮を剥き始めるサイーファスさん。

 ピーちゃんに食べさせてくれるのだろうか?

 皮は薄くて、包丁など使わなくても手で綺麗に剥けるみたいだ。てっきり中身もマンゴーのようにオレンジ色なのかと思ったら、地味な白い果肉が顔を現した。

 半分を剥き終えると、皮が残ってる方を手で持って、白い果肉が覗いている方を私の口元へ差し出してきた。


「え、私?」

「早くしてください。鳥が狙っています」


 寄ってくるピーちゃんのくちばしを片手で払いのけながらサイーファスさんが言う。


「じゃあ、あの……ありがとうございます」


 受け取ろうとしたが、サイーファスさんも手を離してくれない。私が持つとピーちゃんが奪うと思っているらしい。

 仕方なく、サイーファスさんが持っていない部分に両手の先をちょっとだけ添えて、みずみずしいオットムにかじりついた。

 マンゴーのような濃さはなく、ほんのりと爽やかな甘味を感じる。どこかで食べた事のあるような舌に馴染む味で食べやすい。

 だけど状況的にはすごく食べにくい。

 サイーファスさん、そんなに見ないでほしい。自分で持てるからオットムから手を離してほしい。二口目を迷っていると、ぐいっと唇に寄せてくるのやめてほしい。ちゃんと食べるから!

 この人、意外に世話焼きなのかな。


「ピャアア」


 ピーちゃんが催促するように鳴き始めると、サイーファスさんは私にオットムを食べさせながら、もう片方の手をエカルドさんに伸ばした。

 エカルドさんから赤い果実を受け取ると、視線は私に留めたまま、無言でそれをピーちゃんの口に突っ込む。

 もしゃもしゃと柔らかな果肉を飲み込みながら大人しくなるピーちゃん。


 なんかサイーファスさん、ピーちゃんの扱いに慣れてきてない? そしてピーちゃんもサイーファスさんに心を許してきてない?

 


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