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きみをまもりたい  作者: 三国司


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5 空を飛ぶ

 強制的な空の旅は続いている。

 最初はかなり高いところまで上昇したものの、ピーちゃんも上がり過ぎたと思ったのかゆっくり下降して、今は森の木々のすぐ上を飛行している。

 ピーちゃんは飛ぶのが楽しいのか、空中を駆けるように足を動かしつつ、翼で風を切っていた。

 一際背の高い木があったりすると通り過ぎざまにてっぺんの葉を足で豪快にむしっていく。楽しいのね。


 私は太ももとふくらはぎに力を入れ、ぎゅっとピーちゃんの腹を挟んではいるものの、上半身は起こして背中の毛を掴んでいる状況だ。

 ピーちゃんも私を背に乗せている自覚はあるらしく、一応飛び方には気を遣ってくれているみたい。滑るように振動なく飛ぶものだから、少しずつ恐怖は和らいできた。乗り心地は地面を走っている時よりずっといい。

 とはいえ緊張感は抜けないし、それほど速度は出ていないのだが風で目は乾くし、半袖では少し寒かった。


 そろそろ地上に降りたいけど、その前に上空から森の周囲の景色を確かめておかなければならない。

 人の町があるのはどの方向だろう。もし遠いようなら、このままピーちゃんに飛んでもらって近くまで行った方がいいかも。

 

(でも町を見つけても、そこに住んでいるのはさっき出会ったような人たちばかりかもしれないんだよね)


 耳がちょっと尖っていて、やたらと美しく神秘的で、そして私に対しては冷たい感じの人たち。

 彼らが私を受け入れてくれるとは思えないが、普通の人間もいると信じて町を探してみよう。


「森が広過ぎて、この高さだと遠くまでは見渡せないな……」


 周囲を見回しても、ひたすらに緑が続いているだけだ。


「ピーちゃん、もう少し上に行ける? 分かるかな、上に行ってほしいの」


 ピーちゃんの顔に手を近づけて上空を指さす。


「ピャア」

「違う違う。手、食べないで」


 しかしピーちゃんは首をひねって、私の人差し指を手ごとパクっとくわえただけだった。

 くちばしから手を抜いてもう一度上を指さしてみるが、ピーちゃんは『なになに?』とその手に注目するだけで、指の先は見てくれない。ピーちゃんが半分後ろを向いている状態だから、まっすぐ飛べずにその場でぐるぐる回ってしまっていた。


「駄目だ、これ」


 上昇とか下降、右に曲がれ、左に曲がれ、着陸離陸、色々と合図を決めたいところだ。こちらがきちんと指示さえ出せば、賢いピーちゃんはちゃんと覚えて動いてくれると思うし。

 取り敢えず今はピーちゃんの気の向くままに空を走るしかないかと諦めて、くたりと体を前に倒す。むき出しの腕が寒いので、ピーちゃんの羽毛の中に差し込んで暖を取った。


「ふかふかであったかいよー」

「ピャア」


 私の行動に対して、ピーちゃんが若干迷惑そうに鳴いた――その時だ。


「そこの鳥、止まれ!」


 突然後ろから怒鳴り声が上がった。

 私はビクッと起き上がり素早く振り返ったが、同時にピーちゃんもくるりと体の向きを変えたので、もう一度前を向いて相手を確認する。

 

 見えた光景をそのまま話せば、こうなる。

 二人の成人男性が、一匹の猫に乗って空を駆けてくる。


「……え?」


 耳の尖った人たちの美しい馬を見た時以上の衝撃だった。

 猫は黒毛と赤毛の混じった、ごちゃっとしたサビ柄で――私はサビ柄好きだけど――目の色は黄色。体はピーちゃんより小さいが、ライオンなどよりも大きい。

 しかし猫として異常なその大きさよりも気になるのは、背中から生えている黒いコウモリ羽である。あの羽があるから猫なのに飛べるらしい。

 

(もしかしてこの世界には、普通の動物はいない……?)


 だからピーちゃんもこんなふうに変化したのだろうか? もしそうなら今のピーちゃんや巨大猫も魅力的だけど、普通サイズの文鳥や猫も可愛いと思うので、半分残念な気持ちだ。

 猫は毛を逆立ててピーちゃんを見ているが、その猫に乗っている人間二人は、私の方に険しい視線を向けている。


(さっきの人たちと違う。普通の人間だ)


 顔立ちは日本人とは違うが耳は尖っていないし、髪がやたらと長いなんて事もない。そして何より、神々しくない。日本人より彫りは深いが、ものすごい美形というわけではない普通の人間に見えた。

 二人とも揃いの茶色い軍服のようなものを着て、金属製の胸当て、皮の手袋をつけている。

 前に乗ってコウモリ猫を操っている人の方は、小柄で童顔。一方後ろで槍を持ち茶髪を短く刈り込んだ人の方も背はそれほど高くないようだが、代わりにしっかりとした筋肉をまとっていた。


「ビャァ!」


 ピーちゃんが一声鳴くと、コウモリ猫は「シャー!」と牙をむき出して威嚇してくる。

 コウモリ猫の鞍には、乗っている二人がそれぞれ掴まれる取っ手がついていたり、片方の太ももを固定するベルトがあったり、激しく飛んでも振り落とされないような工夫がされていた。

 また前に乗っている騎手が握っている手綱は、猫の口に繋がっているのではなく、首輪と耳輪に繋がっているようだ。普通の馬と同じようには操れないのかもしれない。


「ここで何をしている」


 コウモリ猫に視線を奪われていた私に、険しい声が掛けられた。後ろに乗っている茶髪の人が喋ったみたい。

 緊張しつつどう説明しようかと迷っていると、続けて問い詰められた。


「今日のこの時間、この森の上空を飛行する許可は出されていないが? 見たところ密猟者、密採者ではなさそうだが……」


 何の荷物も持たずに軽装で裸足という格好で、裸馬ならぬ裸ピーちゃんに乗っている姿を、じろりと観察された。


「とにかく聴取は下でしよう。抵抗はするなよ。先に降りるんだ」


 今度は黒髪で小柄な騎手の人が、軽く顎を動かして地上に降りるよう促してくる。

 コウモリ猫はその黒い翼のせいで、正直『悪魔の使い』と言われてもしっくりくるような外見なのだが、乗っている人たちは悪人ではないみたいだ。

 格好や話し掛けられた内容からして兵士なのかもしれない。あるいは警察官のような存在とか。


 だったら是非とも保護してほしいし、事情を聞いてほしい。

 怪しまれているからか口調は厳しいけど、耳の尖った美形の人たちみたいに穢れがどうとか言ってくる事もないし、ちゃんと説明すれば力になってくれそうだと思った。

 

「はい、降ります……降りたいんですけど……」


「下へ行こう」というようにピーちゃんの毛を引っ張るが、ピーちゃんはわざと大きく羽を動かしてコウモリ猫を煽るので忙しいらしく、言う事をきいてくれない。

 コウモリ猫はいちいち素直に「シャーシャー」反応していて可哀想だし、向こうの人たちの「何だあの気の強い鳥は……」みたいな視線が痛いからやめて。


「こら、やめなさいピーちゃん! ピーすけ!」


 首をぽんぽん叩いて諫めるとやっと喧嘩を売るのをやめてくれたが、今度は体を反転させて勝手に飛び始めてしまった。「もう、ふたりでどっかいこー」と言いたげに鳴く。


「ピーちゃん、待って!」

「逃げる気か!」

「違っ……!」


 背後から兵士さんたちがコウモリ猫を操って追いかけてくる。


「違うんです! 逃げる気はないんですけど、この子が言う事を聞いてくれなくて!」

「嘘をつくな! そもそも訓練を受けていない幻獣には乗る事ができない! しかも何の獣具も付けずに乗っているあたり、かなり騎獣には慣れているんだろう! さっさと地上に降りる指示を出せ!」


 すぐ後ろにコウモリ猫をぴったりとつけながら、茶髪の人が叫んだ。

 しかしピーちゃんも追いかけられているのが分かったのか、挑発するようにスピードを上げてしまう。

 私は「これ競争じゃないからー!」と悲鳴を上げながら、ピーちゃんの首に抱きついた。そして追いかけてくる人たちにも助けを求める。


「本当に、何の訓練もしてないんですっ! どう指示を出せばいいかも分からなくて! た、助けてくださいぃ!」


 最後は情けない声が出てしまったが、しかしそれが良かったのだろうか、どうやら演技ではないと判断してもらえたらしく、


「地上に降りたら詳しく話してもらうぞ!」


 と釘は刺されたものの、取り敢えず私を助ける事にしてくれたようだ。

 黒髪の騎手がコウモリ猫へ「シッシッ!」と短い掛け声をかけると、飛行速度が上がり、ピーちゃんの隣に並んだ。


「こっちに移れ!」


 茶髪の人が手を伸ばしてくれたが、ピーちゃんがそれに気づいて怒りを露わにした。駆けるのをやめて、茶髪の人の腕に噛みつこうと振り返る。

 急な動きに、私のお尻がピーちゃんの背中からずり落ちた。ピーちゃんの羽毛はさらっとしているので滑りやすいのだ。

 両手で毛を掴み、背中にかろうじて乗っている片足が落ちないように力を入れる。この足が落ちたら終わりだ。握力だけで体を支え続ける自信はない。

 一方、間一髪で腕を引っ込めた茶髪の人は、ピーちゃんを倒そうと槍を構えた。

 しかし――


「このッ――ぐっ!!」


 ピーちゃんが左前足で、茶髪の人の体を、槍を持っている方の腕ごと掴んだのだ。胸当てのおかげで鋭く大きな爪は肉に刺さっていないようだが、相当強い力で握られているらしく、苦悶の表情を浮かべている。

 コウモリ猫は自分の背中で戦闘が起きている事に混乱し、しっぽを爆発させて威嚇を続け、黒髪の騎手はそれを落ち着かせるのでいっぱいいっぱいの様子だ。


「待っ、ピーちゃん! 私ッ、おちる……!」


 茶髪の人を助けなければとも思ったが、私もかなりのピンチだった。自力でもう一度背中に乗るのは無理だ。

 ピーちゃんが動くと、ぎりぎりで背中に乗っている片足すら滑り落ちそうになる。


「ピャッ!」


 やっと私の危機的状況に気づいたピーちゃんは、茶髪の人をあっさりと離して地上に向かってくれた。

 我が道を行くところもあれば、こうやって優しい部分もあるのだが、欲を言えばもう少し早く――茶髪の人たちから指示があった時点で――降りてほしかったな。


 葉の生い茂った木を避けてピーちゃんが下降する。地面に立つと同時に、私はその場に座り込んで深く息を吐いた。

 

「はぁぁ……怖かった!」

「ピュイ」


 首を曲げて顔を寄せてくるピーちゃんの顔面を、「ちゃんと訓練するまで飛ぶの禁止だからね」と言いながら抱きしめる。それにむやみに他人を攻撃したり、猫を煽ったりしないようにも躾けなければ。

 ピーちゃんはまばたきしながら、小さく「ピュロピュロ」と鳴いていた。


 兵士さんとコウモリ猫も私たちに続いて地上に降りてくる。

 心を落ち着かせるためだろうか、コウモリ猫は地面に降りてすぐ一生懸命に毛づくろいを始め、茶髪の人は怪我がないか確かめるように自分の右腕を回していた。


「大丈夫でしたか? すみません、うちのピーちゃんが……」

「……幻獣にえらく可愛らしい名前をつけているんだな。小鳥じゃあるまいし」


 理解できないと言いたげな顔で言われた。元小鳥だったんですけどね。

 どうやらこちらの世界でも「ピーちゃん」という名前の持つニュアンスは変わらないらしい。

 というか小鳥がいるという事は、やっぱり普通の動物もいるのかな。

 なんて事を考えていると、タイミングよく兵士さん二人の仲間が馬に乗って追いかけてきた。


「無事か?」

「ええ、大丈夫です」


 追ってきたのは五人だ。皆同じ茶色の制服を着て、それぞれ剣を腰に携えている。乗っている馬の大きさは普通で、綺麗な縞模様があるとか、毛色がピンクだとかいう事もない。ちょっと安心した。

 彼らは馬に乗ったままじわりとピーちゃんと囲んだが、こちらが攻撃しない限り手を出してくる事はなさそうだった。

 しかしピーちゃんの方はまた興奮し始めたので、くちばしをぎゅっと抱きしめたまま離さないようにする。ピーちゃんが本気を出せば簡単に振りほどかれてしまうだろうが、一度軽く頭を振っただけで、それ以降諦めたように大人しくなった。

 

「随分慣れてる。幼獣の頃から飼育してるのか?」

「え? いえ……大人になってから迎えたんです」


 黒髪の人に問われて、首を横に振る。

 ピーちゃんを飼う事に決めたのは、とある事情があっての事だったのだ。


 就職して一ヶ月半、私は癒やしが欲しくて、時間があれば通勤途中にあるホームセンターにわざわざ寄って、隅にある地味なペットコーナーを眺めていた。

 今は新人で忙しいけどそのうち動物を飼いたいな、犬や猫もいいけどウサギや小鳥も可愛いし……なんて考えながら。


 そのホームセンターのペットコーナーは小さく、本格的なものではなかったので、売られているのはハムスターと小鳥、数羽のウザギと、あとは金魚くらいだった。

 色々とペットの飼育について本を読んで、見た目の好みや飼いやすさから文鳥がいいかなぁと何となく決めると、その日から私は文鳥の鳥かごを熱心に見るようになった。


 ピーちゃんは幼鳥の頃からペットショップにいたようだが、灰色だった毛が大人の白い毛に生え変わっても、飼ってくれる人が見つからなかったようだ。

 あまり動物好きには見えないホームセンターの担当者に年齢を訊くと、「さぁ、もう一年くらいはいますかね」と適当な感じで答えられた。

 

 ピーちゃんは同じ成鳥の仲間と三羽一緒にかごに入れられていたのだが、他の二羽が仲良しだったせいか、いつも一人のけ者にされていた。

 今の気の強いピーちゃんを見ていると嘘みたいな話だが、仲間からいじめられていたのだ。

 しかしかといって、ピーちゃん以外の二羽の性格が特別悪かったというわけはない。動物でも性格の合う合わないは当然あって、合わない者同士を狭いかごに入れておけば、ストレスが溜まって攻撃的にもなる。悪いのは管理している人間だ。


 私が見に行くと、ピーちゃんはいつも止まり木の端でぽつんと一人座っているか、あるいはかごの底に落っこちている時もあった。止まり木に戻ろうとしても、他の二羽が場所を取って座っていると、威嚇されて追い出されるのだ。


 今はツヤツヤふさふさした羽毛を持っているピーちゃんだが、ホームセンターにいた頃は毛艶が悪く、頭のてっぺんも禿げていた。店員には換羽期だからと説明されたが、それだけが原因ではないのは明白だった。

 元気のない顔をして鳴き声を上げる事もなく、自分の存在を消すようにして、狭い鳥かごの中でひっそり生きていたピーちゃんを、私は気になって仕方がなくなっていた。

 他の二羽もストレスはあっただろうが――というか、このホームセンターにいたほとんどの動物はストレスを抱えていたと思う――ピーちゃんが一番深刻そうに見えたのだ。

 

『うちに来る?』


 ある日、私はピーちゃんに向かってついにそう話しかけていた。 

 うちに迎えても日中は寂しい思いをさせてしまうが、他の鳥にいじめられる事はなくなる。

 私の声に反応したのか、ピーちゃんは「ピ……」とか細く鳴いて答えてくれた。鳴き声なんて初めて聞いたので、嬉しいのと可哀想なのとで泣きながら、


『よし、君はもううちの子だからね! 嫌になるくらい可愛がってあげるから覚悟してね!』


 とその日のうちにピーちゃんを連れ帰ったのだ。

 私は完璧な飼い主ではなかったけど、愛情だけはたっぷりと注ぎながら育てていると、ピーちゃんはみるみるうちに元気になった。

 手乗りにはならないだろうとも店員には言われたけど、すぐに懐いて手の上で寝てくれるようになったし、甘えん坊に変化してくれた。

 気弱だった性格も、私が毎日「今日も可愛いよ」「かっこいいよ」「白さが素敵」「ピーちゃんは強いね」「おめめがラブリー」などと褒めまくっていたせいか、それとも本来の自分を取り戻したのか、明るく自信家になった。


(ほんと、元気に成長してくれてよかったなぁ……)


 その時の事を思い出してしまい、目頭が熱くなった。

 ホームセンターの鳥かごの中で仲間にいじめられていたピーちゃんが、こんなに強く大きく立派になるなんて。頭のハゲもちゃんと治ってよかった。

 ピーちゃんの太いくちばしを抱きしめながら感慨にふけっていると、兵士さんたちに思い切り不審な目を向けられていた。

 黒髪の人がさっきの話の続きをする。


「大人になってから? 幻獣は幼い頃から飼育するのが基本だろ。そうじゃないとそこまで懐かない。しっかりとした調教を受けているわけでもなさそうなのに、そんなふうにくちばしを抱かれて大人しくしてるなんて。……君の服装や言動なども含めて、不可解な部分が多すぎる。なんで裸足なんだ? 悪い人間には見えないけど、怪しいな」

「というか、第一にその鳥は何なんだ。見た事のない幻獣だぞ」


 茶髪の人がピーちゃんを見て続ける。


「まさかお前、違法に幻獣を掛け合わせているんじゃないだろうな?」

「ち、違います!」

「なら、その鳥の種類は何だ」

「……文鳥です、一応」


 冷や汗をかきながら答えると、「ブン鳥? 聞いた事ないな」と首をひねられた。

 馬に乗っているおじさん兵士が感心したようにピーちゃんを見る。


「だが、掛け合わせではどこか不自然な合成獣になるだけだ。そんな美しい、真っ白な幻獣は出来上がらないだろう。まるで『創世の書』に出てくる神の使いのようじゃないか」


 そうでしょう、そうでしょう。ピーちゃんは美しいでしょう。


「神の使いって……」


 黒髪の人は少し馬鹿にしたように呟いたが、次には顔面蒼白になってこう言った。


「神の使い? 待てよ……まさかこの子、エルフのところからこの幻獣を盗んできたんじゃないか!?」


 その言葉に、兵士さんたちがざわつき始める。

 エルフという単語はどこかで聞いた事がある気がしたが、何だったかとっさには思い出せない。


「盗むなんてそんな! ピーちゃんはうちの子です!」


 そこだけは譲れないので声高に主張すると、黒髪の人も冷静になったようだった。「確かに成獣を盗み出すなんて無理か」と頷く。

 代わりに今度は馬に乗っていたおじさん兵士が降りてきて、調書とペンを手に質問してくる。


「訊きたい事が山ほどある。詳しい事は森の入口近くにある監視塔でじっくり説明してもらうが、取り敢えず名前と……それに出身を答えてくれ」


 太い眉を疑い深く持ち上げて言う。私の風変わりな格好と異国風の顔立ちに対して、言葉がやたらと流暢なのが逆に怪しく思えたようだ。


「名前は……えっと……」


 兵士さんたちに囲まれて緊張しているせいか、自分の名前も出てこない。


「私……あれ? 名前……」


 数秒考えても名前が思い出せなくて、ぶわっと全身から冷や汗が吹き出た。いくら緊張しているといったって、自分の名前を忘れるなんて事があるだろうか。これは尋常じゃないと怖くなった。

 いや尋常でなかったのは、オウムが喋りだした辺りからそうだったけど。


「出てこない……。やっぱり私の脳みそおかしくなってるんだ」

「君、大丈夫か?」


 ピーちゃんのくちばしを抱いたまま顔を青くしていると、おじさん兵士の声が少しだけ同情の色を帯びた。茶髪の人もため息をついて提案する。


「よく分からんが混乱しているようだ。落ち着いてからでないと尋問できそうにない。まずは監視塔に戻らないか」

「ああ、そうだな。君――」


 その時、おじさん兵士に腕を取られると同時に、それまでこの場にいなかった第三者の声が割り込んできた。


「仕事の途中で申し訳ないが……」


 森の奥から姿を現した二人組に、兵士さんたちが目を見開いて息を呑む。

 私も遅れてそちらを見てから、「あっ」と声を上げた。


「その娘と鳥の事は、我々に任せてくれないか」


 縞模様のある灰色の馬に乗ってこちらに近寄ってきたのは、あの神々しい美形二人組だった。兵士さんたちや私と比較してみると、この人たちは声も涼やかで清潔感があり、思わず耳を澄まして聞き入ってしまいたくなるような魅力がある。


「エルフ……」


 兵士さんの中で一番若そうな青年が、馬に乗ったまま唖然と呟いた。

 と、私はそこでやっと『エルフ』という言葉をどこで知ったのか思い出した。昔読んだ海外のファンタジー小説に――ピーちゃんによく似たグリフォンが出てきたやつだ――そんな種族が登場していた気がする。

 確かそこでも、彼らは美しく気高く、そして耳が尖っているという描写があった。

 その小説の登場人物と全く同じ生き方をしているのかは分からないが、今目の前にいる金と白の長い髪を持つ二人も、きっと人間ではなくエルフという種族なのだ。


 金髪の人は兵士さんの方を見ていたが、白髪の人は冷たい視線をこちらに向けていた。

 


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